第四十八話 御曹司、調べる
「しかし一朗、所内ネットワークのログを全部確認するとなると、これは結構厄介だぞ」
「そうかな。まぁ、そうかもしれないね。ひとまず先に、ここ半年で研究所に搬入された機材リストを見せて欲しい」
一朗は事態の早期解決を望んでいる。友人でありスポンサーでもある彼が被害にあっている以上、協力してやりたいというのは間違いなく本音であるが、所内のコンピューターネットワークはそれなりに膨大だ。所長である彼も一日二日で調べきれる量ではない。研究員が右から左まで工学系のエキスパートである以上、情報がどの程度欺瞞されているかなどわかったものではないのだ。
だが、一朗は機材リストを見せて欲しいという。目的はわからなかったが、一朗が見せろというのなら何か意味があるのだろう。しかし、当然ながらここはロボット工学の研究施設であり、所長が見る限り不自然に思えるような物資の搬入はなかった。人工知能開発にあたってスーパーコンピューターを導入するケースはあったし(1台は一郎が強引に買い取った)、そうした、ハッキング・クラッキングに使用可能な機材ならば幾らでもある。だがしょせんそれだけだ。機材リストを見て何が判明するのやら、さっぱりわからない。
「一朗、犯人についての心当たりは……」
「実はもうついているんだ」
一朗はさらりと言う。
「安心して欲しいんだけど、別に君の研究所を疑っているわけじゃない。ただ、その場合、君たちの研究成果が利用された可能性があって、その裏付けをしているところ」
「相変わらずもってまわった言い方だな。日本人の癖か?」
「ナンセンス。人種や国籍は関係ないよ。僕は結果だけを優先するスタイルを好まないだけで、もちろん研究者である君にも理解できるとは思うけど、思考の過程をそのまま言葉に、」
「あーうん。わかった。ひとまずこれがリストだ」
「ん、ありがとう」
15年来の付き合いである。当時から不気味な子供だったが、まったく変わっていないなと感じた。最近日本では、ああいった年齢不相応な子供が非常に増えているという噂をときおり耳にするのだが、それは事実なのだろうか。極東の島国が天才児大国と呼ばれる日が、いつしか来てしまうのだろうか。
口にすれば『ナンセンス』と一笑に付されそうな疑問を、所長は真剣に考えていた。一朗は手渡されたタブレット端末で、リストを凄い勢いで流し読みしていく。せわしなく上下する眼球の動きがやや気持ち悪い。この半年、搬入された機材の量は相当であったはずだが、5分も経つ頃には読み終えていた。
「返すよ」
「で、何かわかったのか」
あまり期待せずに言うと、一郎は少しだけ思案顔を作る。
「7月頭に搬入されたIPUとモーショントレーサーなんだけど」
「ああ」
「半年前に、MMOの攻略アルゴリズムを持ったAIを開発したのはこの研究所だったよね。そのセクションの要請で入れたものかい」
よくそんなことを覚えているな。端末の画面をスクロールしながら、所長も確認をとる。
いわゆるbotやらマクロやら。MMOにおいてプログラムを利用した自動プレイというものは昔から存在している。その是非はともかくとして、ではあるが。この研究所では、人工知能の自律思考アルゴリズムを開発する過程で、『自ら目的を設定し、それをクリアすること』を繰り返すbotを開発する案が生まれた。アバターさえ与えてやれば、自ら思考し、クエストをこなし、他のプレイヤー同然にMMOを攻略しようとする人工知能が出来るのではないか。アーキテクチャが組まれ、完成した際はそれなりに話題を呼んだ。小さなニュースくらいにはなったので、海の向こうで知られていても不思議ではない。
botも本来はFPSなどで、プレイヤーの数を補うための純粋な手段として発達してきた側面がある。完成した自律行動bot〝HARO9000〟達は、好意的な企業のもとで実証実験も繰り返し行われ、感情のようなものを持つには至らなかったものの、それぞれ目標設定に関する個性のようなものを獲得していった。
イメージ処理プロセッサとモーショントレーサーは、指摘の通りHARO9000を開発した研究員が、更なる性能向上の為に購入を要請してきたものである。
「VRMMOにも対応させるためとか言っていたな。だが、知っての通り、botにVRMMOをプレイさせるともなれば、情報の入出力が尋常ではない。出力情報ひとつにしても、アバターが歩行する際のバランスの取り方やら、あえて言うなら、人間の動作を不自然なく行えるようにする必要があって、これが完成すればメイドロボのモーションプログラムにも大きな」
「うん」
今度はこちらの話が取り留めなくなりそうだったので、一朗は強引に話を打ち切った。
「一朗、まさかHARO達が自分でハッキングしたとか言うんじゃないだろうな」
「利用されただけって、言っただろう」
一朗はやや難しそうに考え込みながら応じる。
「ただ、僕の推測通りなら、僕のアカウントを使用してゲーム内で自由に動いているのは間違いなくそのHAROだ。犯人がどこから情報を仕入れたのかは知らないけど、完成のニュース自体は日本でも少し報道されたし、僕の使用人も何かにつけて話題にしてきたくらいだからね」
キルシュヴァッサーが、ときおり口にしていた『ピッツバーグのロボット工学研究所が開発したうんたらかんたら』というのが、まさしくHARO9000のことである。一朗が言うには、犯人はオンラインを通じてこの自立思考botにアカウントの使用権限と、それに必要な幾らかの知識データ、そして行動指針のようなものを与えた。HAROは与えられた指針とデータ通りにアカウントを使用し、VRMMO世界にて行動を開始したというわけである。
「喜んでいい。僕は直接見たわけじゃないけど、彼らは仮想世界において十分人間並の行動を取れることが実証されているよ」
「そうだとして、犯人の目的はなんなんだ」
一朗の寝言をとりあえず無視して、所長はたずねる。
いや、寝言と片付けるには勿体無いか。誰かが不正な手段とはいえ、勝手に実証実験をやってくれたことになるのだから。ありがたい結果報告と言えないこともないが、しかしそれにしたって、やはり不気味である。こちらの開発したプログラムに、勝手に指令を送ったということだろうか。
セキュリティは施してあるものの、これらの人工知能は自立思考能力の発展と、リアルタイムでの知識更新のために、常にオンライン環境に接続させている。外部からコンタクトを取ること自体は、実は不可能ではない。ウイルス情報などがあれば厳格に遮断するが、もしそうでないのなら、『MMORPGをプレイする』という、彼らの本能を巧みに利用して、アカウント権限を使用させることもできるかもしれない。
で、あるとしてもだ。
「そんなことをして、犯人に何の得がある?」
何よりも不可解なのは、そこだ。どのようにかして入手した一朗のアカウント情報や知識データなどを送り込むなどという手の混んだ真似をしてまで、HAROに不正アクセスをさせる意図がよくわからない。
「これは推測なんだけど、」
「ふむ」
「彼女は、僕を作りたかったのかもしれない」
追跡劇も後半に差し掛かる。3人を乗せたカスタードは、〝死の山脈〟の入り組んだ山道へと突入した。どんな悪路でも決して走行パフォーマンスが落ちることはない。このゲームにおける〝馬〟は、非常に優れた移動手段ではあったが、延々と走り続け、さらに追いすがるパチローの連続攻撃によって、その耐久値を限界まで削りつつあった。
ユーリの消耗も無視できないものがある。つい先ほど、ポーションと疲労回復剤が底をついた。彼女は相変わらず馬上でバランスを維持しながら、パチローの放つ魔法攻撃を弾き続けている。パチローに疲弊した気配はない。あんなの反則だ。
状況は、こちらに悪い方へ傾いている。焦燥のようなものが、アイリスにはあった。今まで通ってきたデルヴェのストリート、大砂海に比べれば、起伏に富み障害物の多い山間部は、飛行可能なパチローに適したフィールドである。目的地である渓谷までの道のりを、逃げ切れるかどうか危うい。自分に戦力的な補佐が何もできないのがもどかしかった。
アイリスの役割は、パチローのヘイトを稼ぐことである。その役割自体は極めて実直にこなしていたと言えよう。彼女が女子高生(正しくは専修学校生)トークで培った極めて攻撃的なボキャブラリーは、持って生まれた才能と合わさって凄絶な精神攻撃兵器と化していた。正直なところ、かなり嬉しくない。ティラミスが『〝アイリス・アイロニー〟と名付けましょう』と言ったときは、さすがにちょっとイルァッとした。ちょっとだけだ。
だが、そのアイリス・アイロニーとやらのおかげで、パチローの怒髪は天を貫き成層圏を突破する勢いであった。怒りの感情表現は得意ではないのだろう。表情は冷静に見えるが、制御しきれない怒りに支配されているのは誰が見ても明らかだ。
「ユーリ……!」
「だ、大丈夫……」
疲労蓄積度は、脳に微量の負荷を与えるシステムになっている。負荷と言っても、体力の維持に深刻な影響を及ぼすほどではない、スパイス程度のものではあるが、このときのユーリはかなり辛そうに立っていた。
怒りに震えるパチローが、この斜面上で少しずつ距離を詰めてきている。すでに何度目かとなる《スパイラルブレイズ》。ユーリは、冷静にそれを見極め、手刀で弾き飛ばす。その瞬間、
「あっ、」
パチローの身体が空中での急加速を行う。滑空。距離が一気に縮まり、彼我の間には1メートルの隙間もない。瞬間、拳の射程圏内に収められたのが理解できた。ユーリは《ウェポンガード》の硬直時間が続き、対応が間に合わない。
果たしてパチローの放った拳の一打は、カスタードにとっては致命の一撃となった。システム上決して転倒するはずのない馬が、唯一の例外に足を取られ、騎乗する3人を山道へと投げ出す。白馬はその身体を砂利道に叩きつけるようにして倒れ、そのままぴくりとも動かなくなった。
「きゃあっ!」
アイリスは悲鳴をあげて斜面に転がる。ティラミスとユーリは《受け身》スキルで、即座に姿勢を立て直した。
「カスタード……!」
ティラミスが愛馬の名を呼ぶが、耐久値がゼロになったアイテムは何の反応も示さない。彼女はひとまず、幾らかの感傷を押さえつけて、パチローの方へと振り向いた。彼は翼を広げてゆっくりと降り立ち、その表情にはようやく、件のニヤケ笑いが戻りつつあった。
ユーリは疲弊した身体のまま構えを取り、ティラミスもセレスティアルソードを抜き放つ。完全な臨戦体制だ。だが、ティラミスの表情にはわずかな緊張が浮かび、じりじりと距離を詰めるパチローに対して、一定の距離を維持しようと後退していく。
「賢明と判断します」
パチローは頷いた。
「あなたでは、私に勝てない。これはすでに実証済みです。再度同じ結果を繰り返すのは、互いにとってナンセンスです」
アイリスは、昨日におけるパチローとティラミスの戦いの、一部始終を見ているわけではない。が、単なる〝敗北〟とも表現できないような、一方的な内容であったとは聞いている。あえてあからさまな物言いをするならば、ティラミスは怖気付いているのだ。おそらく、昨日における敗戦の恐怖が蘇っている。
気持ちはわからなくはない。アイリスも、感情の整理をつけたとは言え、同じ経験がある。彼女の場合は実際に殴られなかったし、殴られることも不可能な空間での出来事ではあった。だが、一方的な敵意と、暴力にさらされる恐怖は、現代社会を生きる一般人の観念からは、にわかに受容しがたいものがあった。ゲーム内という非現実の、非現実たる所以を、一番嫌な形で再確認される瞬間だ。
それでも、〝聖女〟ティラミスの勇敢な側面が、なんとか足を前に出そうと奮闘する。ユーリは、その葛藤をまじまじと見たわけでもないが、構えを解かずにこう言った。
「ティラミスさん、アイを連れて……行ってください」
アイリスには、思わず口にしそうになった目的地を飲み込んだのがわかる。ユーリは、ここでパチローを足止めすると言っている。
「そんなことはできません。私だって……」
ティラミスも食い下がる。彼女だって騎士団のトップエースの一人であり、しかもゲーム内最高峰の壁役である。自分よりキャラクターレベルの低い、しかも消耗の激しいプレイヤーに足止めを任せて逃げるなどとは、首を縦に振りかねる。今の状況でユーリがパチローと戦えば、どれだけ善戦しようと結果は同じだ。
ゲーム内でそこまで身体を張らなくても。とは、軽々しくは言えない。ユーリは友人を守ろうとしているのだ。
守られる側であるアイリスは、この会話に混じることができないのがもどかしかった。作戦の滞りない進行のためにも、自分はせめて渓谷までは、無事にたどり着く必要がある。ユーリかティラミス、どちらかが犠牲になることに、口を挟むことはできないのだ。
パチローはニヤケ笑いを浮かべたまま、動かなかった。強者の余裕か。こちらの葛藤を楽しんでいる様子すらある。だが、その時間すらも長くは続かない。拳を握りしめ、前進を開始する。
ユーリは構えを解かず、ティラミスも剣を降ろさない。
黒い風が吹いたのは、その直後であった。
目にも留まらぬ7つの連撃が、続けざまにパチローへと襲いかかる。パチローは、それを予測しきったかのように拳で迎え撃った。ほぼ同じタイミングで放たれた剣撃のいずれもが、パチローにダメージを与えることはかなわない。砂塵を巻き上げて、彼らの目前に黒いコートが翻った。
「あれは……」
アイリスが声を漏らす。
「キングキリヒト……じゃない!?」
7人いた。
一様に同じ姿。同じ武器。同じ構え。見栄えを重視した、無駄に洗練された無駄のない無駄な動き。こちらに背中を向けているために表情は読み取れないが、ドヤ顔を浮かべているのはなんとなくわかった。
「3人とも、先へ行け!」
真ん中に立つ男がそう叫ぶ。
「ここがMOBの出現するフィールドだということを忘れるな!」
「1人でも欠けたら危なくなる!」
「さぁ急げ!」
「1人1秒として、7秒は持ちこたえて見せる!」
短いわ! せめて2秒は頑張りなさいよ!
というツッコミを喉に捉えておくのには、それなりの苦労を要した。ティラミスとユーリは互いに頷きあい、アイリスと共に山道を駆け上る。徒歩のルートならば、馬を使うのとはまた別のショートカットルートや、身を隠す場所もある。彼らが持ちこたえている間に、なんとか脇道に滑り込む。
「あ、ありがとう!」
今、送れるだけの最大の気持ちを込めて叫ぶと、黒コートの集団は背中を向けたまま片手をあげた。あとはもう、脇目も振らずに駆け上って行くしかない。靴はパンプスだが、データ上は普通のブーツである。山道を走る上で特に支障はきたさなかった。
背後で声が上がる。
「我ら名前をザ・キリヒツ! 掲げた剣は義のために! 振るう刃は友のぐわぁぁぁぁぁっ!」
見事な唱和であった。
〝死の山脈〟は、〝中央魔海〟と同様、解放後も検証があまり進まなかったフィールドである。理由としてはやはり、広大なデルヴェ亡魔領が次なるグランドクエストの地であると認識され、大半のプレイヤーの興味がそちらへ向いた為だ。亡魔領の攻略後は、徐々にではあるが検証班のメスが入りつつあるフィールドである。
だが、解放以来ずっとこの地を活動拠点とし、篭りきっていた変人がいる。
サービス開始以来一度もログアウトしたことがないという勇者、ハイエルフの哲人苫小牧である。その逸話と種族、クラス、そして理知的な佇まいのすべてが、この苫小牧というプレイヤーをミステリアスに演出している。
今回の作戦に関しては、彼の進言に依るところが大きい。〝死の山脈〟で延々ソロプレイを続けていた苫小牧は、当然その地理にも詳しく、いま、多くのプレイヤーが集まりつつある渓谷の構造も熟知している。
このとき谷間には、3人のプレイヤーが立っていた。苫小牧を除けば、エルフの大魔導師ゴルゴンゾーラと、獣人の盗賊あめしょー。パチローとの直接対決に望む即席ドリームチームである。
バリアフェザーを破壊するための攻撃部隊は、主にあめしょーのツテで選出された。攻撃能力の高さよりも、魔法や射撃武器の射程や命中精度を重視し、彼女のフレンドの半分近い400人が集結している。渓谷の高い場所に陣取り、あめしょーのデフォルメイラストが描かれたうちわや、サイリウムと呼ばれる魔杖(グラスゴバラで売ってる)を振り回している。オリジナルデザインのハッピまで着ている猛者もいた。このハッピはアイリスブランドに発注したもので、これをアイリスにデザインさせるのは忍びないと、イチローが直接デザインを請け負った曰く付きの品である。ギルド〝あめしょーファンクラブ(公認)〟に所属しているプレイヤーならば、多少値は張るものの誰でも作ってもらえるという。
「2人ともキャラが強すぎる」
ゴルゴンゾーラがぼやいた。
「なんかねぇ、もうすぐセレモニーだけど、それに合わせた大規模アップデートでアイドルってクラスが追加されるらしいよ。サブクラスを開けておいて良かったねー」
「私はどちらかというと学者が気になりますね」
「無事にセレモニーが開かれれば良いがな」
ゴルゴンゾーラ自身も、追加される幾らかの魔法職に断然興味があったのだが、今は口にした懸念の方が強い。この状況を楽しんでいるとはいえ、作り出したのは運営の不祥事なのだ。責任を追求された結果、アップデートが延期になったり、最悪ナロファンそのものが無くなってしまう可能性もあった。
あめしょーはけたけたと笑う。
「ゴルゴンゾーラは心配性だにゃあ」
さて、時刻はまもなく13時。予定であれば、アイリス達が到着する。しかし、この時間帯になっても、マツナガやキルシュヴァッサーは姿を見せなかった。あの銀髪の騎士はともかくとして、何かにつけて出たがりなマツナガがいないというのは珍しい。聞けば、秘密の特訓をしている最中とのことであったが、それ以上のことは教えてくれなかった。
渓谷の上のほうに集まった射撃部隊が、にわかにざわめきを強める。誰かがひときわ強く叫んだ。
「来たぞ!」
いよいよ決戦だ。3人は得物を構えて、彼らの指差す方向を見やった。
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