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VRMMOをカネの力で無双する  作者: 鰤/牙
『ニセ御曹司』編
49/118

第四十七話 御曹司、目的地に到着する

 アイリスは、マツナガ達の要請に従う形で、午前9時前にログインした。

 夏休みに入ってから、ゲームの中ですごす頻度が増したなぁ、と感じる。当然、学校の友人達から誘いがあればそれに乗るし、そうした日ならば一度もログインせずに一日を終えたりもする。ただ、両親は仕事で一日不在ともなれば、家の中でダラダラすごしても、文句を言ってくる人はいないわけで……。

 このままじゃまずいなぁ、なんて思いながらも、今日もログインだ。実は、実際に起こしたいデザインも幾らか溜まっていて、今度御曹司に相談をしてみようとも思うのだが、肝心の御曹司は現在アカウントを奪われてパチローと化している。


 勝気な瞳に赤髪ツインテール。ここにきて本邦初公開となるエルフの錬金術師アルケミスト・アイリスの容姿である。顔グラフィックは完全な自作で、ナロファンにおいて同じ顔のプレイヤーは2人と存在しない。

 初期装備であったアルケミカルローブは、アイリスブランドの本格経営開始と共に、シックなカットソージャケットに生まれ変わっている。脚装備は、細いラインにぴったりと沿うようなベージュのパンツ。パンプスは最近素材を揃えて作ったものだ。相変わらずアイリスブランドは客足も少なかったが、ここまで来ると《防具作成》のスキルもだいぶ安定してくる。胸元には、菖蒲アイリスを模したブローチをつけていた。


 そんなアイリスが目を覚ましたのは、赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツのギルドハウスである。昨晩ログアウトしたところと同じだ。そこにマツナガの姿はないが、すでにユーリがいた。


「おはよー、ユーリ」

「おはよう、アイ」


 友人と笑顔で軽めの挨拶をかわす。ユーリは、武闘着にポイントアーマー、手甲をつけた軽装備の格闘家グラップラースタイルだ。かつて一緒に冒険していた頃に比べると、ずいぶんと頼もしい出で立ちとなっている。ことあるごとに『今度、なにか装備を作ってよ』とは言われていたが、彼女の勇ましいファイトに、今年の流行である花柄は似合いそうにない。と言ったところで、また自分や御曹司のような高級(っぽい)スタイルでまとめるのもなぁ、というのが悩むところだ。

 さて、アイリスは、パチロー討伐作戦の中核メンバーに選出されている。挑発的なフレンドメッセージを何度も送りつけ、パチローの注意を釘付けにする。体の良いオトリだ。当然、危険が付きまとうものとして、騎士団の分隊長であるティラミスが護衛につく。そして、その護衛の役割には、ユーリも名乗りをあげた。


 ユーリは完全攻撃特化のガチガチ前衛職だが、トップ層に比べると実力的に大きな開きがある。護衛といってもパチローの攻撃一発で沈みかねない。アイリスは、友人として申し出を嬉しく思う反面、彼女の身を案じて反対した。しかし、マツナガは『まぁ気楽に行きましょう。ゲームですし』と言って、ユーリの申し出を承認したというわけだ。確かに、いくらボコボコにされようと、装備とアイテムを失うだけで済むわけでは、ある。

 インターネットコミュニティにおいて、いわゆるMMOに過剰にのめりこむ廃人の実態が多く知られるようになると、彼らを蔑視する風潮が生まれた。『ゲームに対してマジになるのはカッコ悪い』という心理だ。マツナガはここを巧みに突いて『しょせんゲーム』『しかし現実に起きている犯罪』という相反する真実を使い分けていた。アイリスもすっかり流されてしまう。マツナガの本音がどちらに傾いていたのかは知らないが、現状、『犯罪者のデータを拘束する』という仰々しい実態に反して、実にゲーム的な、緊張感のない雰囲気が漂っていた。


「あんまり、無理しなくていいからね?」


 それでも、アイリスは彼女を案じてそう言うと、ユーリはそのやや男性的な顔立ちに微笑を浮かべる。


「大丈夫。こうでもしないと、役に立てないからね。キリヒツのみんなみたいなもんだよ」

「あれはまた違うと思うんだけど……」

「私の空手、見せるよー。これでも高校のときはインハイまで行ったからねー」


 ポーズを取り、空中に向けて蹴りを放つ。戦闘禁止規定がしかれた室内である以上、ダメージ判定は発生しないが、風を切る足刀の軌道は実に美麗であった。攻撃の威力に関してはともかく、戦闘時の駆け引きについては、やはりスポーツや武道の経験者のほうが有利であるという検証結果は、割とそこかしこで耳にする。


「お二人とも、おはようございます」


 と、そこで扉が開き、ティラミスが姿を見せた。相変わらず落ち着きのある柔和な女性、といったイメージだ。アイリスとユーリも頭を下げる。


「おはよー、ティラミスさん」


 入ってきたのはティラミスだけではない。他にも騎士団のメンバーが何人か。知った顔はあるが、ごく僅かなトップ層に食い込むような有名プレイヤーの姿はない。


「移動ルートを説明しますね」


 そう言って、ティラミスは机の上に地図を広げた。ユーリが少し驚いたような顔をする。


「地図なんて売ってるんですね」

「グランドクエスト後のアップデートで、いろいろ便利なアイテムも増えたんです。デルヴェのNPCショップで買えますよ」


 さて、地図は如何にも中世風といった趣のあるものだったが、指先でタッチすると簡単な情報が表示される。ハイテクノロジーと言えばそうではあるが、まぁこれもマジックアイテムであってどうのこうの、という能書きがついているのだろう。

 ティラミスが指先で地図をなぞり、赤い移動ルートが表示された。出発地点はここデルヴェ。挑発に耐えきれなくなったパチローの出現を待ち、鉢合わせの後に大砂海へと出る。砂上船に乗って北上。目的地は〝死の山脈〟だ。ここで山篭りして日々をすごす苫小牧の情報提供で、抜け道や身を隠すのに適したポイントなどが明らかになっている。挑発と逃走、適度な戦闘を繰り返しながら、奥地にある渓谷を目指す。


「この渓谷が最終目的地です。パチローさんとの決戦の場になります」


 確かに、そこまでおびき出せば、初心者や中堅プレイヤーが迷惑を被るような事態は避けられそうだ。


「街の中へは入らないんですね」

「これも苫小牧さんのお話ですが、戦闘禁止区域で長時間足止めをすると、こちらの目的に気づかれたりログアウトされたりする可能性があります。できるだけゲーム内に引き止めておくことも大事ですからね」


 相手の行動目的がわからない以上、どこまで縛り付けておけるのかという違和感は、正直ぬぐえない。アイリスはメニューウィンドウからフレンドメッセージの履歴を確認した。

 昨晩、パチローから送られてきた返信は、少なくとも割と本気で怒っているのを、冷静さのヴェールで覆い隠そうとしているのが見て取れる。こういうのを確か、『煽り耐性が少ない』とか言うのだ。

 それを見る限りでは、アイリスの挑発は一定の効果をあげている。だが、怒らせすぎて果たして問題はないのだろうか。キルシュヴァッサーの言葉端からは、パチローが予想以上に多くの権限を掌握しているように感じ取れた。コンピューター関連にはそう強くないアイリスだが、パチローがその気になれば、自分達のアカウントをも乗っ取ってしまうことは、可能ではないのだろうか。


 考えすぎはよくないわね。

 アイリスはかぶりを振った。ユーリが心配そうに顔を覗き込んでくる。


「ティラミスさん、ひとまず、メッセージを送ればいい?」

「そうですね。そろそろ始めましょうか」


 ティラミスも、メニューウィンドウから現在時刻を確認していた。


「最長で13時過ぎくらいまでですね。4時間、ログアウトする余裕はありません。大丈夫ですか?」

「ばっちりよ」

「大丈夫です」


 オブラートに包んだ言い方をしているが、まぁ割と深刻かつ下世話な心配を含む。具体的にはトイレとかだ。

 ドライブ中は脳がだまされているのでそう気にはならないが、身体のほうは常に信号を発していて、そのレベルに応じてプレイヤーにもきちんとアラートメッセージが送られる仕組みである。空腹などを含めた生理的欲求を放置しすぎると、今度はアラートメッセージだけではなく、直接脳への信号を解除させる。今まで満腹だったのがいきなり空腹になったり、急にトイレに行きたくなったりして、これがけっこう焦るのだ。

 だから、長時間の連続ドライブをするつもりであれば、体調管理はきちんとしておかねばならない。気合の入ったプレイヤーなどはオムツをしてドライブするらしいが、アイリスはそこまでやるつもりにはなれない。


 三人は、ギルドハウスの外へと出た。それまで(描写の都合で)地蔵を貫いていた騎士団の数人も一緒に移動する。彼らの役割は、どうもアイリス達の逃走を手助けすることらしく、いわゆる肉壁となる前提であるらしい。このレベル帯にしてはお粗末な防具だ。デスペナルティで失っても痛くないもの、ということだろう。

 アイリスはフレンドメッセージの文面を作成しながら外へ出る。口を開けば憎まれ口が出てくる自分の性格は把握していたつもりだが、こうもすらすらと挑発文句が出てくると、途端に性格が悪くなったような気がして、あまり精神によろしくない。


「うわっ、そういうことも書いちゃいます?」

「アイ、けっこうえげつないなぁ」


 いつの間にか背後に回りこんだ2人が覗き込んできたので、思わず隠してしまう。


「ちょっと、見ないでよ!」


 メインストリートには、白い馬が一頭置かれている。鞍の部分には、やはり赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツの紋章がテクスチャされていた。このゲーム、アイテムである乗用馬のモーションはあまり多くなく、微動だにせずじっとしている様子は少し気味が悪い。


「カスタードです」


 ティラミスは言った。馬の名前だと理解するのに時間がかかる。


「〝ティラミス〟の馬が〝カスタード〟?」

「漫画に出てくる好きな馬から名前を取ったんですよ」

「カスケードは青鹿毛じゃありませんでしたっけ」

「お、ユーリさんわかってますね? 私も黒い馬が欲しかったんだけど、団長が『ティラミスのイメージなら白だ』って……」

「?」


 なにしろ、キルシュヴァッサーの愛馬オウカオーの正式名称が『ミドリオウカオー』なのを『緑じゃないじゃん。黒じゃん』と突っ込んでしまうようなアイリスであるので、この会話の意味もさっぱり理解できないのであった。

 カスタードの鞍にはティラミスがまたがり、その後ろにアイリスが座る。ユーリはどうするのかと言えば、なんと馬の臀部の上に直立してバランスをとっていた。


「だ、大丈夫なの?」

「へーきへーき。《平衡感覚》50レベルあるし」

「なんでそんなビミョーなスキルを……」

「《細工》のスキルレベルをガン上げしたアイには言われたくないなぁ」


 ティラミスいわく、カスタードの積載量限界からしてもギリギリ大丈夫ということだ。アイリスとユーリの装備重量が比較的軽いこともある。これで、いつでも逃げ出す準備はできたことになるわけだが。

 アイリスのもとに、パチローからの返信が届く。手ごたえを感じる内容だった。アイリスはあわてずに慎重に、相手の神経を逆撫でするつもりで言葉を選んでいく。彼女にも、いわゆる『釣り師』としての才能があったと言えよう。


 緊張感のあるやり取りが何度か続いた後、アイリスのもとにこのようなメッセージが届いた。


『今、アイリスがいるのは武闘都市デルヴェですね。そこにいてください。直接お話しに行きます』


 食いついた。


 アイリスはメニューウィンドウを操作し、メッセージ画面からギルドメンバーの閲覧画面に変更する。確認するのはパチローの項目。それまでヴォルガンド火山帯深奥部にいたはずの彼は、即座に移動を開始していた。パラメータをチェックすると、昨日よりも若干上昇しているように見られる。相当量のリザードマンを狩っていたのか。


「く、来るわよ」

「もうですか? やっぱり煽り耐性低いんですね」

「まぁアイのあのメッセージ見たらね……」

「な、なによぅ……」


 ヴォルガンド火山帯から直接移動をするなら、どんなに飛ばしても1時間はかかるだろう。それも時間稼ぎにはなるだろうが、アイリスはあまり期待をしていなかった。イチローは移動用の『ワープフェザー』を常備している。移動アイテムの使用可能エリアにまで出たら、すぐにでもこちらまで転移してくるはずだった。ティラミスとユーリも、事前にそれを聞いている。アイリスの前後で二人がぐっと身構えるのがわかった。


 周囲に居並ぶ騎士団のメンバーに、不意にざわめきが広がった。彼らは一様に空を見上げ、一点を指差す。アイリスもそれに倣った。晴れ渡る武闘都市の蒼穹に、一迅の光が駆け抜けていく。光は、直線にこちらを目指していた。


「来ましたね」


 ティラミスは言い、手綱を握った。背後でユーリが唾を飲む。そんなモーションまで実装されていたとは。アイリスは妙なところで感心していた。


 まるで隕石である。光は鋭い入射角で、えぐり込むようにメインストリートへと着弾した。閃光と轟音が大地を揺らし、砂塵と瓦礫のエフェクトが大きく舞い上がった。サーバーの負担を抑えるためなのか、以前見たときに比べて、グラフィックの精密さはだいぶ荒い。


「は、早かったじゃない」


 精一杯の虚勢を胸に、アイリスが言う。

 砂塵の向こう側で、すらりとしたシルエットが立ち上がった。大きく生やした竜の翼を羽ばたかせると、ダメージ判定のない風属性エフェクトが発生して、姿を隠す砂の壁が吹き飛んでいく。間違いない。パチローであった。粘りつくようなニヤケ笑いはなかった。しかし、わずかに滲ませた怒気は、いったいどこから感じ取れるのか。パチローに緻密な感情表現のようなものはなく、今の彼は一切の感情が入力されていない『地の顔』そのものである。


「間違いを正して差し上げようと思いました」


 ツワブキ・イチローとまったく同じ、涼やかな声で言葉を発した。周囲にわずかばかりの驚嘆が走る。


「しゃ、しゃべった……」


 思えば、パチローが自ら言葉を放つのはこれが始めてのことだ。今までたまたま黙っていただけなのか、アイリスの挑発にいろいろと我慢できなくなっただけなのか、それはわからない。

 ここまで来れば、怖気づいていても仕方がない。アイリスは、ティラミスの背中からひょっこり顔を出して、その顔だけは不敵な笑顔を作って見せた。


「移動しないよう要請したつもりですが、あなたはここから逃走するつもりでしたね?」

「あたし、あんたほど暇じゃないのよね」

「ナンセンス」


 パチローは言った。その言葉の発音だけは、イチローのものとまったく同じであった。


「まず、私が暇を持て余しているという指摘に大きな間違いがあります。客観的な精査を欠いた実に抽象的な指摘です。加えて、今までのあなたのメッセージを解読するに、あなたが、私を怒らせようとしていることが推測できます。『暇である』という指摘は、私にとって何の」

「怒ってるじゃん」


 相手の言葉が終わるのを待たず、アイリスはそう言った。


「ナンセンス。怒っては、」

「怒ってるじゃん。激おこぷんぷん丸じゃん。あのねー、あたし、暇じゃないって言ってんでしょ? あんたが怒ってるかなんてどうでも良いんだけどさぁ。あんたがそう感じるってことは、実際、怒ってるからなんじゃないの?」

「ナンセ」

「バーカ」


 次の瞬間、パチローは無言で《ファイアボール》を放っていた。紅蓮の火球が、豪快なエフェクトを撒き散らしながら複数殺到する。騎士団のメンバーが動いた。カスタードの前方、盾になるように密集して、《ファイアボール》を受け止める。大した威力もないだろうが、彼らの防具も弱いものを選んでいる。これは致命傷だろう。


「アイリスさん、上手いです」


 ティラミスが小声で言った。


「そのまま挑発を続けてください。まずは、このデルヴェから出ます」


 手綱を握り、カスタードの横腹を蹴る。白馬は軽いいななきと共に、勢いよくストリートを駆け出した。前方で、パチローが身構えるのがわかる。が、アイリス達を乗せたカスタードは、そのまま直進はせず、パチローに背を向ける形で路地へと進入した。


「やっぱ怒ってるんじゃん、バーカ!」

「やーい、バーカ!」


 ユーリまで一緒に挑発してくれた。挑発にしてはやや露骨な言葉遣いではあったが、それでもパチローには効果的であるようだ。彼は即座に翼を広げ、こちらを追い始める。


 デルヴェの町並みは、いわゆる碁盤の目状に大きく広がっているのが特徴だ。路地へ逃げ込んでも、きちんと位置さえ把握していれば、再びメインストリートへ出ることは難しくない。ティラミスは、あえてやや狭いルートを選びながら、確実な手綱さばきでカスタードを操っている。

 ティラミスの《騎乗》スキルや《早馬》スキルのレベルは高いらしく、パチローでも距離を縮めることは容易ではない。彼は業を煮やしたのか、追いすがりながらも《ファイアボール》をこちらに向けて連射してくる。狙いは精密ではない。火球は周囲の地面や壁に着弾して、瓦礫を散らした。


「こ、こわっ……!」

「大丈夫、なんとかするよ」


 ユーリは、拳をぐっと握り、追いすがろうとするパチローをにらみつけた。


 格闘家グラップラーというクラスについて解説する。PvPにおけるタイマン性能の高さと、物理前衛職の中でも格段のサバイバビリティに定評があるのが、このクラスだ。威力の低い格闘武器をメインとする都合上、決定力は高くない。いわゆるボスモンスター戦においては苦戦は免れないが、防具の有無にかかわらず、レベル相応のダメージ軽減効果を持つ《オーラアーマー》や、ゴーストなどのアストラル属性を持つMOB、魔法攻撃そのものに対して物理的干渉が可能になる《オーラフィスト》は、全クラスを見渡しても希少価値の高いスキルと言える。

 加えて、相手の防御ステータスを貫通する《スンケイ・ブロウ》や、その発展アーツである《バーストペネトレイション》。遠距離攻撃手段である《エナジーフィスト》。各種レジスト系スキルなど、痒いところに手が届くスキルが多く、対プレイヤー戦闘においては、相手よりレベルが低かろうと善戦する例は少なくない。


 今のユーリは、まさしくそれであった。

 《オーラフィスト》の効果を受けた拳で、迫り来る《ファイアボール》に対する《ウェポンガード》を発動させる。無造作に放たれる火球のうち、こちらにたどり着くであろう数発を確実に見切り、手刀が《ファイアボール》を弾いた。


「ユーリかっこいい!」

「ありがと」


 だが、《ウェポンガード》を使用しても、差分ダメージは威力の低いほうに適用される。パチローが使用しているのは低威力アーツの《ファイアボール》だが、ユーリの武器も全武器種中最低クラスの攻撃力を持つ格闘武器だ。ダメージのすべてをいなしきれているとは思えない。アイリスは、ポーションの効果を併用した《アルケミカルサークル》でユーリの傷を癒す。


「直線に出ますよ!」


 ティラミスが叫び、その言葉通り、彼らは再びメインストリートに躍り出た。左右に大きく開けたストリート。パチローはここぞとばかりに、高威力の攻撃魔法アーツを連射しはじめた。アイリスは身を縮みこませる。ユーリが手刀を構えて、迫り来る《スパイラルブレイズ》を弾いた。外れた攻撃が周囲に着弾し、やはり砂塵と瓦礫が巻き起こる。


「てぃ、ティラミスさん。これで、目的地の渓谷まで持つの?」

「どうでしょう。思った以上に攻撃の手が激しいですね」

「それ、やっぱあたしが怒らせすぎたのがまずいってこと?」


 アイリスの言葉に、ティラミスは振り返り、困ったような笑顔を浮かべた。


「うーん、どうでしょう。でもやっぱり才能はあったんだと思いますよ」

「嬉しくないわ」


 御曹司は。御曹司はいったい、今頃どこで何をしているというのだろう。彼が立派に育ててくれたアカウントは、いまやこのように大暴れをしている。事態解決のために動いてくれているというのなら、そろそろ何かアクションを起こしてくれてもいいんじゃないかしら。

 アイリスはそんなことを考えつつ、ひとまず次の挑発メッセージの文面を考え始めた。





 ちょうど同時刻、というわけでもないが、当の御曹司もようやく目的地にたどり着いていた。

 アメリカ、ペンシルベニア州ピッツバーグ市。かつては製鋼業の地として栄え、現在多くの大学を有する学術都市としても知られるこの街は、ロボット工学や生物医学、核工学の最前線として多くのエンジニアにその名を知られている。日本との時差は14時間。サマータイムが実施されている現在は13時間。一朗がピッツバーグにたどり着いたときは、すなわちもう夜中である。

 しかし、如何に夜間とは言え己の目的のために躊躇はしないのが石蕗一朗である。彼はあらかじめ取っていたアポイントと、もうひとつ携えたある事実を盾にして、市の中央部に存在するロボット工学研究所に押しかけていた。


「で、一朗。フライトはどうだった?」

「ん、緊張感はあったよ。何しろ久しぶりだし、夜間だからね。でも、誘導灯もあるし、思ったほど苦労はしなかった」

「自分で動かしたのか!」


 一朗を連れて廊下を歩いているのは、白衣に身を包んだ肥満体型の白人男性である。年齢でいえば彼より2回りほど嵩がある。こう見えても彼らは、ハーバード大学における同期のサクラであった。もちろん専攻は異なる。こちらの男は工学系だ。専攻の話をするにつけ、『工学系ならMITに行けばよかったのに』と一朗に言われるのがお約束となっている。


「まったく、いきなり押しかけてくるかと思えばだよ。昔からこまっしゃくれたガキだったけど、そういうところは変わらないんだな」

「ナンセンス。僕は僕だよ。変わりようもない」

「この間は、『VRMMOの研究をしたい』とか言って、うちの機材を強引に持っていっただろう!」

「言い訳をするつもりはないんだけど、あれには深い理由があるんだ。僕は『Kenkyusyo』を取り寄せたいって言ったんだけど、使用人は『Kenkyujoですか!』って言ってきてね。じゃあそっちのほうが良いかなって思ったんで、君のところから研究所(の設備)を取り寄せた」

「ニホンゴのつまらんジョークか! OYAJI-Gagsか!」


 この男、日本のサブカルチャーにはそれなりに明るい。一朗の発言もそれなりに理解できていた。


「まったく、研究所のスポンサーでなければ放り出しているところだ」


 そして、この2人の関係が今どのようなものであるかと言えば、この一言に集約されるだろう。一朗が、本格的にロボット工学の研究をしたいといい始めた友人のために資金を出してやったのが、もう5年近く前である。当時は一朗もまだギリギリアイドルごっこをやっていた頃で、同時に資産の転がし方も堂に入り始めた時期である。膨れ上がりつつあった総資産の一部を、半分はビジネス、半分は友情で、彼の夢に宛ててやった。

 結果としてそれなりに上手くやっている。その夢というのは、『自律稼動するメイドロボを作ること』であって、一朗以外にまともなスポンサーは現れなかった。現在は人工知能の開発に力を注いでいる模様だ。一朗はメイドロボにさしたる興味はなかったが、それでもプロトタイプが完成すれば1台送ってもらう予定となっていた。桜子には秘密だが、技術の進歩からいっても、完成する頃には寿退職していそうでもある。彼女が行き遅れてさえいなければ。


「それで、えぇと、そうだ。まずはコーヒーでも飲むか」


 一朗を自分の研究室に招きいれた後、男、すなわち研究所の所長は言った。そこかしこに資料が散乱した、実に猥雑とした部屋である。


「ブラックで構わないよ。しかし、相変わらずエントロピーの増大した部屋だなぁ」

「どこに何があるかわかっているから良いんだよ」


 所長からマグカップを手渡されも、一朗は室内を眺めている。


「用件をまだ聞いていなかったな」


 このまま放置すれば雑談を続けかねなかったので、所長はさっさと話題を切り出した。一朗はマイペースにもマグカップに口をつけ、コーヒーをあおってから、このように言葉を続ける。


「良いニュースと悪いニュースがあるんだ」

「ほほう、まるで映画だな」


 所長はクマのような顔にニヤリと笑顔を浮かべた。


「こういうのは悪いニュースから聞いた方が良いな」

「実は君の研究所から日本にハッキングが行われた可能性がある」

「ぶっ」


 思わずコーヒーを噴き出してしまった。一朗にはかからなかったが、彼は大層イヤな顔をしている。もしかかっていたなら、クリーニング代を……請求はされないだろうが、自分の知らないところでまた大量のカネが動きそうな気がして精神衛生上よろしくない。

 しかし、いきなり何を言い出すかと思えば。ハッキングだと? 確かに、この研究所の研究員達は優秀である。マサチューセッツやカリフォルニアで鳴らした工学系のエキスパート揃いだ。研究目的がメイドロボであるとは言え、ネットワークを介して他人のネットワークに侵入するなど造作もないだろう。


 が、


「それ、間違いないんだろうな?」


 当然、所長としては信じたくない事実である。確認を取ろうとすると、一朗は口を開き、いきなりアルファベットと数字の羅列をそらんじて見せた。それはなんの呪文だ、と言おうと思ったが、しばしの熟考の末に理解する。


「ここのIPアドレスだ。違うかな」

「確かにそうだが……」

「セキュリティ管理者のパソコン画面からちらっと見えただけだけど、間違ってはいないはずだよ。不正アクセスは3回。いずれも、VRMMOのアカウントを勝手に使用したというものでね。最後の1回に関しては、管理サーバーに進入した可能性があるんだ」


 所長の顔は険しい。一朗は何をするか予想のつかない男だが、わざわざ太平洋を越えてまで出来の悪い冗談を聞かせに来るような奴ではないのだ。


「経由地にされただけってことは?」

「その可能性も含めて、いろいろ調べたいってこと」

「しかし、一朗。今はそんな、電脳捜査官みたいな真似事までしているのか……」

「盗まれたのは僕のアカウントだ」


 再びコーヒーを噴出さないために多大な努力を行った結果、今度は気道に入って盛大にむせた。


「は、犯人はわかってやってるのか?」

「多分ね。僕がスポンサーをやっている研究所から僕のアカウントがハックされたわけだから、偶然なのかそうじゃないのか。別に資金援助を打ち切るつもりはないけど、場合によってはきちんと法的な処分を受けてもらうかもしれない」


 一朗は、そう言ってコーヒーを飲み干した。相変わらずの涼やかな態度で、別段、怒りを滲ませた風はない。ただ、実際にアメリカまで来てそれを言いに来たということは、それなりに腹に据えかねる事件だったのではないだろうか。この一朗が、そこまでオンラインゲームにのめりこむとは思わなかったが。


「被害にあった会社には弁護士を紹介したんだけど、彼はなかなか性格が悪いよ」

「どういう脅し方だよ……。わかった。わかったよ。こっちでも色々調べよう」


 所長は頭を掻きながら立ち上がった。そこでふと思い出したことを、一朗に尋ねる。


「一朗、それで、良いニュースってのはどんなだ?」

「シカゴで凄く美味しいスタッフド・ピザの店を見つけたんだ」

「どうでも良いわ!」

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 誤字を修正

× あわてずに身長に

○ あわてず慎重に


× アイリスにもとに

○ アイリスのもとに


× 挑発にしてやはは

○ 挑発にしてはやや

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