第四十五話 御曹司、空の上で退屈をもてあます
目が醒めてしまった。普段の規則正しい生活リズムが仇になったのだろうか。才能の高さと適応力の高さは比例するが、さすがに体内時計を自動で時差にあわせてくれるような便利な機能は、石蕗一朗にも備わっていない。こればかりは人力で調整するしかないのだ。機内は薄暗く、壁面だけがうっすらと点灯している。
座席に設置された個人用テレビも消えたまま、読書灯もつかない。窓も閉められていた。夜間の快適さを保つための努力であろうが、こうして下手に目を覚ましてしまうと退屈でどうしようもない。一朗は毛布とシーツをのけ、通路に出た。ファーストクラスのシートは全部で16席。そのいずれでも、乗客が毛布を被り寝息をたてている。いや、空席は幾らかあるな。ちらりと見渡してから、一朗はファーストクラスのエリアを出た。
「石蕗さま、どうかなさいましたか?」
ファーストクラス専属のアテンダントが、そっと声をかけてくる。
「いや、目が冴えちゃってね。いま。どのあたり?」
「太平洋上空、高度3万9千フィートを予定通り飛行中です。日本時間ですと8月4日午前1時過ぎ、シカゴ・オヘア空港にはあと6時間半ほどで到着予定です」
「結構」
長いなぁ、と思いつつ、一朗は頷いた。やはり手配に時間がかかっても、プライベートジェットを用意しておくべきだったか。時間がかかると言っても、こちらの手間は電話一本で済む話なのだ。周囲の客に対する気遣いで、11時間半のフライト時間を思うよう過ごせないのは実にナンセンスである。
一朗がいま搭乗しているのは、エアバス社製A380ジャンボジェット。世界最大の旅客機である。かつてドバイへ旅行したとき、エミレーツ航空の有する同機には、ソーシャルエリアやバーカウンターが設置されていたのを思い出した。なにしろ旅客機としては世界初の2階建てである。エアバス社は単なる運搬システムとしてではなく、様々な店舗や設備を置くことで快適な空の旅を提供できると謳っていた。
まぁ航空機というのはとかくバランスが悪いもので、乱気流などに巻き込まれた際、立ち歩いていた客が負傷し裁判沙汰になった例などというのも枚挙に暇がない。それを考えると、バーカウンターの設置は航空会社としてはかなりの英断である。エミレーツ航空や、他にはヴァージンアトランティックなどもそうであると聞いていたか。全ての航空会社がそのような判断を取れるわけではない。
ひとまず一朗は、朗らかな笑顔で立つキャビンアテンダントに、このような質問をしてみた。
「少し客席を離れて時間を潰せるようなところ、ない?」
「当機には、ビジネスクラス、ファーストクラスのお客様のみご利用いただけるバーカウンターがございます」
おや、聞いてみるものだ。
「案内してもらえる?」
「はい、かしこまりました」
ドバイ旅行の際は、ファーストクラスの席ひとつひとつがほぼ個室状態で、夜間でもある程度の融通が利いたものだが、あれはエミレーツのサービス品質が規格外なのであって、他の航空会社にもそうしたものを求めるのは酷である。
旅行は名古屋の又従妹が10歳になる記念に、家族に対してプレゼントしたものだ。エミレーツ航空は『何をするかわからない航空会社』というフレーズでエアライン業界には名を轟かせており、機内でそうした話をすると、従叔父は『まるで一朗くんだな』と言っていた。なるほど、どおりで気に入るわけである。
アテンダントに案内されて、バーカウンターに入る。こじんまりとした空間だが、雰囲気はあった。搭乗早々眠り込んでしまったので、断ったウェルカムドリンクの代わりに最初の1杯は無料サービスすると告げられ、アテンダントはさらに入国関係の書類をここで書くよう『おねがい』を入れてきた。当然、了承する。
「何になさいます?」
黒人のバーテンダーが笑顔で迎えてくれた。
「何でもいいよ。ああ、ただ、あまり度数の高くないものがいいかな。あとは飲みやすいものが良い」
「かしこまりました」
バーカウンターには客がもうひとりいた。ビジネスクラスの客か、ファーストクラスの客かはわからない。女性のようだな、とそれだけ思って、バーテンダーの差し出してきたグラスを受け取る。グラスを指で弾くと、思ったよりも冷たく硬い感触があった。
「硬質ガラス?」
「一応、壁に思い切り叩きつけても割れないようなものを使っていますよ」
バーテンダーが言った。
「割れてしまうとお客様に怪我をさせますし、飛行中の機内では破片の掃除も大変です」
「なるほど。でもこれ、例えば乱気流で飲み物がこぼれたりしたら、僕の服とかも弁償してもらえるの?」
実際、そんなみみっちいことを言い出すつもりもないのだが、単なる好奇心から一朗は尋ねる。
「もちろんです。まぁ、そうした飛行中の事故が多いですから、今後もエアライン業界にバーカウンターみたいなサービスが普及するかは難しいところですよね」
「訴訟沙汰になったら不利になるのは航空会社だからね」
そのような会話をかわしながら、アテンダントの持ってきた入国書類に記入をしていく。わきでそっと控えていたアテンダントは、記入が終わるとすぐにそれを手にし、問題ないことを確認してから一礼して去っていった。さすがに一流なだけあって、気品あふれる動作である。ウィー・アー・オンステージの精神だったか。11時間半のフライトを、舞台上のものとして振舞うのはさぞかし大変だろうなと思う。
「ひょっとして、石蕗一朗さん?」
バーカウンターの腰掛けるもうひとりの客が声をかけてきたのは、その時だった。
「そうだけど」
見覚えのある顔だ。と言っても、一朗の記憶力を以ってすれば見覚えのある顔なのは当然であって、それが彼にとって重要な顔であるかというとまた別の問題である。少なくとも、一般的な価値観からすると目の醒めるような美人ではあった。
「えぇと、君は、角紅のところのお嬢さん?」
「あら、覚えていてくださったの?」
「記憶力がいいだけだよ」
単なる美人とは違って、上流階級に生まれた人間のみが持ち合わせる独特の雰囲気がある。ここ最近は、桜子と顔をつき合わせるか、あざみ社長と話をするかのどちらかであったので、こうした女性と話をするのも一ヶ月ぶりの経験だ。どちらも上品ではあるが、ラグジュアリーな気品というには今ひとつ足りていない。
「まさか、こんなところでご一緒できるなんて思いませんでしたわ。ねぇ、シカゴに何をなさりに行くの?」
「シカゴは経由地だよ。行き先はペンシルベニア」
「まぁ、残念。お時間があれば、現地でもゆっくりお話をしたかったのに。覚えてらっしゃる? 以前会ったとき、一朗さんがお引きになったピアノの……」
このとき、一朗は感動さえ覚えていた。
これである。この会話。実に退屈でナンセンス。こうした、聞いていて嬉しくもならないような、手垢のついた美辞麗句と、視線に篭る情熱的だが強かな感情。やはり1ヶ月ぶりである。仮想世界では久しく得られなかった類のものであったが、それ以前は割りと結構な頻度で味わった退屈だ。
実に懐かしい気持ちには浸れたが、それ以上の思いなど一切生まれなかった。神々をも殺すといわれる退屈を楽しめるようになれば、時間の潰し方においても超一流であろうが、どうもその境地はまだまだ遠いらしい。
角紅の令嬢は、その後も言葉巧みにこちらの情動を引き出そうと努力していたが、ふと、視線を一朗の胸元に向けた。
「一朗さん、そちら、珍しいブローチね」
目の先、ジャケットの胸元には、針金細工の蝶が翅を休めていた。デザインはやや稚拙に見えるが、ところどころに宝石の輝きが見えたり、翅は何の素材を使用しているのか、鮮やかな青が透けていたりと、それなりに金をかけたものなのがわかる。
「ん、ああ。友人が趣味でデザインしたものなんだけど、気に入ったから知り合いの細工師に作ってもらったんだ。友人には秘密だけどね」
「失礼だけど、あまりそのジャケットに合っていらっしゃらないんじゃなくて?」
「ナンセンス。僕が気に入ったって言っただろう。まぁ、客観的に見ればデザインは雑だし、もっと良い装飾品はたくさんあるだろうっていうのはわかるけどね」
令嬢は『変わりませんのね』とだけ言った。
この会話のさなか、一朗は一切彼女のほうを見ていない。令嬢の熱の篭った視線には気づいているのだが、それを見つめ返すつもりにはなれなかった。こうした態度を取るのも久しぶりである。思い返してみれば、この1ヶ月、自分は随分と愛想を振り撒いてきたものだ。仮想世界の知り合いが聞けば『なに寝言ほざいてんの?』と言われかねないことではあるが、一朗の主観に間違いはない。
だが、カウンターに投げ出した手に、指を絡められては、いよいよもって無視はできなくなる。今夜の令嬢は妙に積極的だな、と一朗は思った。以前会ったときは、もう少し慎みがあったと思うのだが。ちらりと視線だけずらせば、潤んだ瞳が視界に移る。指先の動きは蟲惑的だ。
「君、そろそろ火遊びをする歳でもないだろう。火傷は痕が残るよ」
「意地悪なことはおっしゃらないで」
そうは言っても、ここは機上だ。これ以上、彼女だってこれ以上何かを求めるわけでもないだろう。角紅の令嬢ともなれば、男づきあいも奔放とはいかないだろうし、彼女の圧迫された生活環境を考えるならば、指を遊ばせるくらいならば、別にいいか、と好きにさせることにした。
退屈なことには代わりはないが、狭苦しいシートの上で時間を過ごすよりは、いくらかマシか。一朗がそんなことを考えていると、令嬢は彼がよく聞きなれた、こんなフレーズを口にした。
「残酷な方ね」
「なにやってるんですか一朗さまー!」
布団を跳ね除けて、桜子は上半身を起こした。室内は薄暗い。周囲を見渡して、ここが自室であり、石蕗一朗の影が形もないことを確認すると、彼女はシリアスな表情を作ってわかりきったことを口にした。
「夢か……」
確かに、一朗が頭から花を生やしながら半裸でサンバを踊るなど、夢の中でしかあり得ない光景ではある。冷静になるにつれ、桜子は今しがた見たばかりの夢の内容を、ジークムント・フロイトに本気で相談したい心地となった。なお、フロイト先生は何かにつけて夢の内容を欲求不満方面に結び付けようとする思春期の中学生みたいな学者だったので、筆者としてはあまりオススメはできない。
時計を見ると、午前2時であった。リアルの一朗は、いまごろ太平洋の上であろう。桜子は、枕元の電気スタンド下から、託されたパラジウムカードを手に取った。すでに何円分かは、ゲーム内で使用してしまっている。
ことの流れを話そう。
苫小牧の提案により、桜子たちはひとまずパチローに対してフレンドメッセージを作成した。内容は彼自身を挑発するものである。パチローの攻撃的な態度は何度も目にしていたわけだが、実際に彼が言葉を発したことはないために、どのような返答が来るのかは想像もつかなかった。
メッセージを送ってから、返信まで5秒とかからなかった。イチローとは似てもにつかぬ、しかしパチローの態度からは想像もつかないような慇懃な口調でつづられたメッセージには、こちらの挑発に対する必死な反論が長々と記載されていた。手ごたえはありだと、苫小牧は判断する。
パチローの正体がなんであれ、精神的にはまだ未熟な面を残しているだろうというのが、苫小牧の意見であった。更なる挑発を続ければ、相手を戦いの場に引きずり出すことは可能である。ちなみに挑発のメッセージはアイリスが作成した。こちらが軽くヒくほどの才能があった。文面に関しては彼女の名誉のために伏せることとする。
さて、そうともなれば、本格的な作戦会議である。こちらは、戦闘経験の豊富なティラミスと、データに詳しいマツナガを主導として進める。運営の対応は一両日中に終了するであろうという一朗の意見を伝えると、マツナガは『意外と放っておいてもなんとかなりそうですねぇ』と言いつつ、『でも面白そうだから対策会議は続けましょう』と会議を続行させた。『遊びのつもりなの?』という意見に対しては『だってゲームでしょう』と返してくる。ぐうの音も出ない。
夏休み期間である。パチローがゲーム内で暴挙を働くとして、その対象となるであろう初心者~中堅プレイヤーは、おそらく朝食後から昼にかけての間にログインする。現在、ヴォルガンド火山帯の深奥部で息を潜めているらしきパチローだが、力を誇示しやすい彼らが増える時間帯に、行動を開始するのではないかという予測が立てられた。
パチローが働きうるもうひとつの暴挙。すなわち、他人プレイヤーのウェブマネーやクレジットカードの不正使用に関しては、楽観視して良いだろうというのが苫小牧の意見であった。パチローの目的はあくまでも暴力の行使である。フューチャーストアから不正入手した10万円分のウェブマネーに関しても、自己強化や課金剣に対してしか使用していない。
加えて、ウェブマネーの譲渡やクレジットカードの代理使用は行えない。すなわち、ゲーム内においてそれらを使用するとした場合、ウェブマネーやカード情報を持つアカウントそのものをハックし、そのキャラクターでログインしなおさなければならない。ゲーム内に広くアンテナを持つマツナガやあめしょーによれば、今のところ、他のプレイヤーがアカウントを乗っ取られたと見られる情報は、入ってきていなかった。
懸念があるとすれば、カード情報そのものを現実世界で不正利用されることであったが、これに関しては、プレイヤーとしてはもう手の施しようがない。カード情報のデータが量子暗号化されていることを祈るのみである。
では、ゲーム内におけるパチローの行動に対してはどのような対策を取るべきであるか。
現在、ヴォルガンド火山帯深奥部につながる唯一の通路は、双頭の白蛇のボウガン部隊によって封鎖されている。行動、移動を開始すれば即座に確認が取れる。パチローの動向を詳しく把握するために、マツナガ自身も一時的にアイリスブランドにギルドメンバーとして加入した。アイリスはすごくイヤそうな顔をしていた。
パチローがアクションを起こすとすれば、早くて朝9時頃、遅くとも昼過ぎではないかと考える。アイリスによるフレンドメッセージで適度に挑発し、被害が拡大しないようパチローのヘイトを釘付けにしておく。おそらくパチローはアイリスを狙うだろうとして、その護衛にはティラミスが選出された。当然、友人であるユーリも名乗りをあげる。
『騎士団の幹部クラスは、明日は折り合いがつかないものばかりでして……』
ティラミスは申し訳なさそうに頭を下げる。予定が合うのはゴルゴンゾーラのみであるという話だった。ならば、その前提でシナリオを立てていきましょうと、マツナガは作戦を提案する。
アイリスによる挑発で最終的にはパチローを引きずり出し、準備を整えた戦場で袋叩きにするというものだ。当然、障害となるのは彼が無数に保有するバリアフェザーであるが、被害が出るのを覚悟の上で、手持ちのバリアフェザーを全て消費させてしまえというのが、マツナガの意見であった。
『アイテムインベントリの限界値は筋力ステータスに比例しますからね。どんなに多くても、900枚以上のバリアフェザーを持っていることはないと思いますがね』
バリアフェザーはパッシブ発動アイテムである。ダメージを受けるたび、それを無効化することで1枚消費する。無効化系を貫通するスキルやアーツを用いた場合は、バリアフェザーは消費されない。
威力は低くとも、連射の効く攻撃魔法や射撃攻撃を斉射し、一気にバリアフェザーを消費させる。誰もが考え付く手段ではあったが、パチローのバリアフェザー保有数の不透明さが、その決行を躊躇わせていた面もある。最大で900枚。900発の攻撃を当てなければならないのだ。
だが、バリアフェザーを全て消費させてしまえば、対処は十分に可能なはずだとマツナガは言う。パチロー本体への攻撃を行うメンバーを、ゴルゴンゾーラ、苫小牧、あめしょーなどのトッププレイヤー層で構成する。ティラミスは、アイリスの護衛を行う過程で消耗している前提だ。
『なんか裏ボスと戦うみたいでわくわくしてくるね』
あめしょーは言った。桜子からすればそんな暢気な話ではないのだが、ゲーマーとしてわからなくもない。
作戦が形となった頃には24時を回ってしまっていた。廃人プレイヤーにとってはここからが本番という時間ではあるが、桜子には生活リズムもある。パチローの暴挙を止めるなめならば徹夜も辞さない覚悟ではあったが、明日に備えて素直に寝ておくべきだと、マツナガは言った。
『ひとまず朝までは心配要らないでしょう。パチローさんもね、多分、ああ見えてキングに撃退された心の傷が残ってますよ』
本気で言っているのかどうかは知らないが、深夜ともなればこれまで以上に廃人が活動を開始する。パチローが多少は慎重になってくれることを祈るのみだ。
散々迷いはしたのだが、ログアウトする前に、桜子はマツナガにひとつ相談をした。
パラジウムカードの件である。
それがパラジウムカードであるとまでは説明しなかったが、彼女はマツナガに対して、石蕗一朗よりクレジットカードを預かった旨を説明した。当然、暗証番号も控えてある。それを話すと、マツナガは『ほう』とうなずき、しばし何かを思案した。
『キルシュヴァッサー卿、あんたはまだギリギリ中堅層ってとこだけど』
『はい』
『作戦開始まであと12……13時間ってとこですかね。昼過ぎ決行だから。それくらいの時間と、石蕗さんのクレカがあれば、トップ層には余裕で食い込めますよ。色々とアブない手も使いますが、あんたが俺を信用してくれるならですよ』
マツナガは続けた。
『まだ検証途中ですが、中央魔海にレベル上げとスキルポイント上げに適したミニクエストがあるんですよ。掛けうるだけの課金ブーストを使用してから、今から6時間、ひたすらそのミニクエを回すんです』
『アブない手段というのは?』
『俺が育成代行をやりましょう』
その言葉の意味するところが、わからない桜子ではない。
利用規約では、リアルマネーによるアカウントの売買や、有償による育成代行を禁止している。アカウントの譲渡や無償の育成代行は明記こそされていないものの、グレーゾーンだ。赤き斜陽の騎士団の団長ストロガノフは、そのグレーゾーンに抵触する行為を行ってはいるのだが。
問題はそれだけではない。顔も知らないプレイヤーに対して、一時的にではあるがアカウントを預けることになる。マツナガがちょっとした気まぐれを起こせば、そこでアカウントを奪われるのは、今度は桜子になるのだ。
マツナガを信用していないわけではない。加えて仮に魔が差したとしても、サーバーにカード情報を置かない以上、アカウントを貸与したところで、マツナガが一朗のクレジットカードを不正使用することはできない。
だが、軽々しく頷ける提案でもなかった。インターネット上におけるセキュリティ意識は、信用・信頼とはまったく別次元で考えなければならないのだ。
『朝7時くらいにはまたログアウトしておきます。あんたはそのあと改めてログインして、まぁ防犯を意識するならパスワードを変えたほうがいいでしょうねぇ。そこから作戦決行までの間、今度はあんた自身が育成を行うんだ。夜の間に育成チャートは作っておきましょう。対パチローさん用に特化した、まぁいささかピーキーなメイクにはなりそうですがね』
だが、現在パチローの背後にいる人物が、アカウントの管理サーバーを手中に収めているのであれば、セキュリティ意識など薄紙一枚分の守りにもなりはしないだろう。さらに運営はいま、ゲーム内の細々とした規約違反に目を向けている余裕もない。
この思考は、果たしてナンセンスであろうか。
それは君自身が決めることだ。一朗ならばそう言うだろう。
『お願いします』
桜子が言い、交渉はそのようになった。
桜子はベッドの上で天井を眺め、そうした一連の流れを思い出していた。パラジウムカードは、なくさないように電気スタンド下の引き出しにしまう。
この使い方が正しいのかどうか、わかりはしない。だが、ベストは尽くさねばならない。たとえそれがゲームの中であったとしてもだ。桜子は目を瞑る。明日は朝から強行軍なのだから、睡眠はしっかりとっておこう。自身のアバターが強くなるという楽しみよりも、グレーゾーンに抵触しているという背徳感よりも、桜子の胸中は今、使用人としての使命感に燃えていた。
8/22
誤字を訂正
× 量子暗号化去れている
○ 量子暗号化されている
9/15
誤記を訂正
× シカゴ空港
○ シカゴ・オヘア空港




