第四十四話 御曹司、アメリカへ行く
成田からシカゴまで11時間半、そこからピッツバーグまでが1時間半。こまごまとした移動を含めれば18時間かかるか、かからないか、といったところだろうか。太平洋の横断くらいならば、プライベートジェットの航続距離でも無給油で飛行が可能だが、ペンシルベニア州は大陸の東端にある。自前のジェット機を用意させる手間も惜しく、たまたま乗り継ぎ時間も短い最適なルートが確保できた為、一朗はさっさと予約してしまった。
向こうで所用を済ませるにはだいたい24時間まるまるかかりそうだ。シスルの対応が迅速に、かつ滞りなく済むのであれば、おおよそ一朗のアメリカ行きは無駄になる可能性もあるし、もしそうなるなら、そうなっても構わない。五大湖付近を散策した後、プレッツェルやメープルシロップを買ってのんびり帰国しよう。
ナローファンタジー・オンラインを購入してからだいたい1ヶ月ほどか。その間、ろくに外出もしていなかった気がする。別にゲーム内で過ごした時間を無駄だとは思わないし、実に新鮮で充実した日々を送っていたとは思うのだが、たまには足を伸ばして遠出をするのも良いものだ。
ファーストクラスのシートにも、ここ数ヶ月は座っていなかった。最高級席でリクライニングシートとは言え、結局飛行機の中は揺れるしそこかしこを他人が行き交う。あまり安眠できる環境ではないので、好き好んで使いたい移動手段ではなかった。自分が操縦席に座るとなれば、また違った楽しみもあるのだろうが、どうにもこうした受動的な運搬システムは好きになれない。もてなしの工夫を凝らそうとする航空会社の努力自体は、非常に好ましいものとは思う。
すでに一朗は、成田空港、国際線ジャンボジェットの機内にいた。アメリカへ行くと告げたとき桜子は大して驚きもせず『あー、そういうの久しぶりですね』と言い、『いつごろお戻りに?』とだけ聞いてきた。一朗の答えは『わからない』だ。予定自体は1日で済むのだから、そのままUターンするなら42時間ほどの旅程になる。ま、日本時間にすれば夜中を2回ほどまたぐので、2泊3日といったところか。
「石蕗様、ワインやシャンパンのご用意がございますが」
「ん、要らない」
アテンダントの言葉を、そっけなく断る。
寝づらいと言っても寝ないわけにはいかないな。一朗はリクライニングを倒し、代わりにシーツと羽毛布団を借り受けた。消灯時間まではもう少しあるが、ひとまず目を瞑る。アイマスクは妙な圧迫感があるので嫌いだ。
寝づらいなどと考えていた割りには、数分後、出発前の機内アナウンスが流れはじめる頃には、彼のシートからは規則正しい寝息が聞こえてきた。こういうのも才能というのか、単に神経が図太いというのか。滑走路の走行から離陸の衝撃で機内が揺れても、一切起きる気配を見せないところを見るに、後者なのかもしれない。
一朗が家を発った後、桜子はまず食器を片付け、台所を掃除し、冷蔵庫や棚に保管してある食品の日付を確認して、ようやく家事を終える。普段は自室備え付けのシャワーしか使用しない彼女も、一朗が家を空けるときに限ってはこっそりバスルームを使用させてもらう。一朗は普段から『使いたかったら使って良いよ』と言っているので、『こっそり』する必要などどこにもないのだが、気恥ずかしさと線引きのために、表向きは『自分は主人のバスルームを使用しない』という姿勢を貫く。あくまで表向きは。
石蕗家のバスルームは壁面が総ヒノキ張りである。掃除が非常に面倒であると桜子自身は評しているが、自身が入る分にはどこぞの高級ホテルに泊まっているようで、これがなかなか悪くない。贅沢なことにバスタブは複数あって、水風呂だったりジャグジー付きであったり。周囲にこのマンションより高い建造物がないものだから、開放感のある大きな窓のつくりで、外にまで出られる。この辺は落ち着けなくなるので嫌いだ。当然のようにサウナも付属している。
扇桜子。大層な名前と職業ではあるが、庶民の生まれである。
窓ガラスを伝う水滴を眺めながら、やはり一朗さまはお金持ちなんだなぁ、と実感をする。頭の上では理解しているし、その奔放な金遣いやら、彼の家の隅々までやらをこうして見ているのだから、もっとわかっていても良さそうなものではあるのだが。やはりこうして彼の生活スタイルに重なってみると、ぜんぜん違う。風呂ひとつ入るにしても壮絶な場違い感。
買い物の際、一朗の手渡すクレジットカード(経費用)を使うのにも慣れたつもりだったが、今夜の食卓で、パラジウムカードを手渡されたときにはさすがに焦った。
好きに使えというからには、まぁもちろん、どのような使い方をしたところで怒られたりはしないのだろう。パラジウムカード。限度額はないらしい。そもそも桜子の脳では、一朗の持つブラックカードの限度額すら使いきれる自信はないのだが、それでもあの銀色のカードを手渡してくれたからには、一朗はこう言いたかったのだろう。
『遠慮と情けは一切無用』
一朗は、自身のアバターがムチャをするのを止めて欲しいと言っていたか。
そんなこと言われたって無理ですよ一朗さま。どうしろって言うんですか。大金の使い方なんて私ろくに知りませんよ。使用人として信頼に応えなければならないという思いはあるのだが、こうまでざっくりとした指示を受けるのは初めてだった。
これは、あれだろうか? 『なんでもします!』と頭を下げてしまったのが裏目に出ているパターンだろうか?
桜子は、ひとまず風呂から上がることにした。いまサウナを使うつもりにはあまりなれない。身体を拭き、下着を身に着けパジャマに着替える。ドライヤーで髪を乾かす。主人がいないのならば、わざわざ化粧直しをする必要もない。
このあとはどうしよう? ひとまず携帯の着信履歴を確認すると、アイリスからのフレンドメッセージが転送されてきていた。こちらの都合さえあえば、21時過ぎくらいから、マツナガが話し合いの場を設けたいのだそうだ。時計を見るともう20時を回っている。他に妙案も浮かばないし、ひとまずはログインしておこうか。
結局、やることはいつもと変わらないなぁ。
部屋を移動し、コクーンを起動させてからシートに座り込む。片手にはパラジウムカード。ゲーム内にまで持ち込むクレジットカードとしては、いろいろと規格外な気もしたが、スロットに挿入するとそれはあっさりと飲み込まれた。
ヘッドマウントギアが降りる。無数の電気信号と量子信号が、桜子の意識を現実世界から遮断していく。
これでもう何度目のドライブになるんだろう。
一年前、桜子はミライヴギア・Xとナローファンタジー・オンラインの通常版を購入した。プレミアムパックほどではないが、やはり初期生産ロットはそう多くなく、秋葉原のゲームショップには徹夜組まで並んでワイドショーに報じられていた。桜子がそれを購入できたのは、まぁ偶然と僥倖が折り重なった以外の何でもない。
それからはもう、ほぼ毎日だ。同じスタートダッシュを切った他のプレイヤーに比べ、キルシュヴァッサーの成長速度は微々たるものであったが、それでも地道なレベルアップの結果、中堅やや上位くらいの立ち位置は維持できている。
桜子の意識は完全に仮想世界へと移行した。視点の高さや身体の重さに明確な変化がある。体格から性別から変えてしまったのだから、違和感はまぁ当然だろう。この世界では、自分は屈強な白銀の騎士キルシュヴァッサー卿である。それを疑っていないアイリスやキリヒト(リーダー)のようなプレイヤーもいれば、即座に中身を見抜いたマツナガやティラミスのようなプレイヤーもいる。
姿を変えるのはなかなか楽しい。もともと桜子はコスプレに憧れていた節もある。だからこそ住み込みメイドなんて願ったりな仕事をしているわけだが、キルシュヴァッサーのように大胆な変身ができるのは、やはり仮想世界ならではであろう。ロールプレイにも力が入る。
キルシュヴァッサーが目を覚ますと、武闘都市デルヴェのメインストリートであった。一朗から事情を聞いてはいるものの、それに関する運営からのシステムアナウンスは未だにない。野次馬でごった返していたストリートだが、今は多くのプレイヤーが行き交うだけである。
フレンドメッセージを再度確認する。アイリスやユーリは、いま、赤き斜陽の騎士団のギルドハウスにお邪魔しているという。三大ギルドの一角というだけあって、その大規模なギルドハウスはすぐに見つけることができた。
「ようこそ、キルシュヴァッサー卿」
第二分隊長であるティラミスが、笑顔で迎えてくれた。聖女の微笑みである。
ナローファンタジー・オンラインにおいて、ギルドハウスの内装・外装はそれなりに融通が効く。家具系のアイテムはNPCから購入が可能であり、大抵の場合はデータ的な特殊効果を持たないオシャレアイテムではあるものの、普段の生活では手の届かない豪奢な調度品はやはり人気が高い。騎士団のギルドハウスにしてもそうだ。通路には赤い絨毯が敷かれ、壁には絵画が掛けられている。天井にはシャンデリアだ。
リアル金持ちの家から毎日ドライブしている身としては、行き過ぎた成金趣味を感じてしまわないこともないが、何しろ桜子自身が彼らと同じ庶民の生まれであるために、そこまで滑稽には映らない。そもそも普遍的な金持ちの生態なんて知らないし。石蕗一朗を全ての基準と考えるのは危険な行為だ。
「ティラミスさん、大丈夫でしたか?」
若干、いつもよりの声のトーンでキルシュヴァッサーはたずねる。
「えぇ、ご心配なく。ちょっと怖かったですけど、割と過ぎちゃえば忘れちゃうタイプなんですよね」
ティラミスがパチローによって叩きのめされていたのは、つい2、3時間前の話である。バグか仕様か、デルヴェのストリートファイトでは《痛覚遮断》が機能せず、一方的な暴力の行使は、トッププレイヤー層でも軽いトラウマを生むのではないかと思っていたが、少なくとも彼女に限っては大丈夫であるらしい。
バーチャル・リアリティという特殊な前提条件下の話である。プレイヤー同士の戦闘には、他のMMOではあり得ないような緊張感があるのだろうな、とキルシュヴァッサーは思っていた。単純な戦闘ならばまだ良い。恐ろしいのは、それがフィールド上において、両者の合意なく発生する可能性があることだ。
なまじ、ツワブキ・イチローのアバターは、データ上の戦闘能力に関してもトップクラスの実力を誇る。例えばパチローが中堅プレイヤーの行きかうフィールドに出現し、行きずりのプレイヤーを見境なく襲うようなことがあれば、それはもう立派なマナー違反である。ちょうどアイリスを襲おうとしたときや、グラスゴバラ外の山道でこちらと剣を交えたときのようなものだ。イチローの名を地に貶める行為である。
そうだ、そこだけは看過できない。忠臣として、というか、単純に中の人としても許せない。扇桜子、激おこぷんぷん丸である。カーペットの上を歩きながら、キルシュヴァッサーはぐっと拳を握った。フルプレートメイルのガントレットがわずかに軋む。
ティラミスによって案内されたのは、いくつもある部屋のうちの一つであり、やはり大層豪華な内装を持った大き目の一室である。中央には円卓、床には赤い絨毯が敷かれ、暖炉の左右に騎士団の紋章を描いた大きな垂れ幕があった。雰囲気はある。いかにも騎士団の会議室といった感じだ。
「やっほー、キルシュさん」
席についていたアイリスが手を上げ、その隣でユーリが会釈をしていた。円卓の上にはティーカップと茶菓子が置かれている。
「戻りました。アイリス、ユーリ、夕食は食べましたか?」
「食べたわよー」
「軽くですけれど」
それは結構。五感の刺激を容易に満たせる仮想空間では、食事・排泄などの基本的な生理現象ですらおろそかにしがちである。そのためのアラートメッセージ機能ではあるのだが、特に最近、ゲーム内における食事や飲料の充実っぷりはすさまじい。
VRMMOが登場する前から、ゲームにかまけすぎて死んでしまった人間の例は存在するのだ。過剰なのめりこみは危険である。
「やぁ、どうも」
「おつかれー」
「お疲れ様です」
マツナガやあめしょー、苫小牧といったトッププレイヤー組も同席している。だが、それだけだ。この部屋には、ティラミスと自分を含めても7人しかいない。ゴルゴンゾーラやパルミジャーノの姿も見えなかった。
「ザ・キリヒツの皆さんは?」
「帰りましたよ」
ティラミスは言った。頭数が揃ってくると真っ先に外されるのか。可哀想な連中である。何のこととは言わないが、描写も大変であろうから仕方のないことではある。何のこととは言わないが。
キルシュヴァッサーが席につくと、ティラミスがお茶を出してくれた。彼女が《茶道》スキル持ちではないということだが、なんにせよ他人が入れたお茶を飲むのは、このナロファンにおいて貴重な経験だ。ありがたくいただくことにする。
ティラミスが席につき、『これで全員ですね』と言った。あの場にいたメンバーから、帰っていないプレイヤーのみをそろえた形か。対策を練りたい、というマツナガの意見には賛成だし、その場まで設けてくれたのはありがたい話だが、このメンツで何ができるのかというと難しい話だ。
「キルシュヴァッサー卿、石蕗さんから今回の件について何か聞いてますかね?」
話し合いを前に、マツナガがそんなことを聞いてくる。桜子は、意識を完全にキルシュヴァッサーへと切り替えた。
「聞いてはおりますが、運営体の内情に踏み込むことにもなりますし、おいそれとお話はできませんな。ただ、思っていたよりも事態は深刻なようですよ」
「まぁ、そうでしょうね。だいたい停止されたアカウントが間髪置かずにハックされてる時点で、ねぇ……」
マツナガは、美麗なエルフの顔立ちに彼特有の薄笑いを浮かべて、ティーカップを口に運んだ。パチローのニヤケ笑いも不快感を誘うが、この男も大概だな、と思わないこともない。
「ツワブキさんって、運営の関係者なんですか?」
「違うと思うけど……単にお金持ちだからコネクションがあるんでしょ?」
首を傾げるユーリと、一朗の行動にやや慣れを感じさせるアイリスである。
「そうなんだ……。すごいなぁ」
「そう、すごいのよね。でも実感ないのよねぇ」
まったくだ。付き合いが長くなってもいまいち『すごさ』のレベルを実感できない。キルシュヴァッサーも内心で深くうなずいた。普段の会話内容が大きな理由であるかもしれない。
「それでマツナガさぁ、いったい何すんのかにゃあ」
あめしょーはメニューウィンドウでフレンドメッセージを操作しながら言った。携帯をいじりながら、という感覚に近い。おそらくまったく関係のないメッセージのやり取りが、この会話のさなかに行われているのだろう。
「そりゃあ、パチローさんを捕まえるんでしょ。いや、捕まえるっつっても、法的にとか物理的にとかは無理だけどね。あのまま放っておけないじゃないですか」
「本音は?」
「面白そうですよね。運営からの発表にあわせてブログのネタにしようかなって」
まぁそんなところだろう。単なる正義感から探偵ごっこをするよりは、よほどマツナガらしいと言える。
ただ、単純に好奇心の強い性格ではあるのだろう。でなければ、他のプレイヤーに先んじて検証班に名乗りを上げたりはしまい。集めた知識をひけらかすのも好きなようだから、マスコミじみたタイプの人間であると言える。恣意的な情報操作などお手の物のようだし、アフィリエイトブロガーの鑑だ。
「でも、捕まえるってどうすんのよ。大体どこにいるかも……いや、まぁそれはわかるんだけど」
アイリスもメニューウィンドウを開き、キルシュヴァッサーもそれに倣う。ギルドメンバーの項目を開くと、アイリス達2人に加え、ツワブキ・イチローの名があり、その下にキリヒトの名前が7つほどずらっと並んでいた。キリヒト達は全員ログアウト中だ。
イチローはいまだにログアウトしていない。ヴォルガンド火山帯、高レベルプレイヤーしか足を踏み入れられない深奥部にて、『戦闘中』のアイコンを点灯させている。アイコンの色からして、相手はプレイヤーではなくMOBだ。
「リザードマン道場にでも通ってるんですかね」
マツナガは言った。
「ともあれ、下手に他のプレイヤーが足を踏み入れないよう、封鎖でもしておきますか」
「通路封鎖ってマナー違反になりませんか?」
「良いんですよ。どうせGMコールしても来ないんだから」
マツナガは気楽に続け、ギルドメンバーにメッセージを送っていた。VRMMOでは、当然リアリティ追求のために、アバターがアバターをすり抜けることはできない。他のプレイヤーが通り抜けられないよう、擬似物理的な封鎖は可能である。が、当然、どのような理由があれプレイヤーの進路妨害を行うのはマナー違反だ。
通路封鎖というからには、双頭の白蛇のボウガン部隊が、深奥部へと向かう狭い山道をぎっしりと埋めて、他のプレイヤーを無言で威嚇するのだろうと思われる。毎回毎回、こんな悪役モブキャラクターのような役割を、彼らもよく引き受けるものだ。
「ブログでメッセージを発信してもいいんですが、下手なことを書くと野次馬が集まりそうだしねぇ」
「同感ですな」
トップギルドの精鋭部隊が通路封鎖をしているというのも、それはそれで他プレイヤーの好奇心を刺激しそうではあるが、少なくとも生半可なプレイヤーに対する牽制にはなるだろう。
「で、ここに集まってくれたってことは、皆さん、好奇心なり義憤なり、色んな理由でパチローさんを止めたいって思ってるってことですよね。その前提で話を進めさせてもらいますが、」
相変わらず、仕切るのが好きというか上手いというか、話を進めたがる男である。
「パチローさんの目的とか、正体とか、謎は多いですけどね。せめてゲームの中での狼藉は止めたいと、そんなところかな。パチローさんが他人のクレカやウェブマネーを使ってるんじゃないかって噂も立ってますね。バッステ縛りで動きを拘束すれば、課金も行えませんから、この方向でいいんじゃないでしょうか」
「強制ログアウトはできるけどにゃあ」
あめしょーはフレンドメッセージをいじりながらだが、決して話半分というわけではないらしい。器用な奴だ。
「さて、作戦を練る前にですが、パチローさんについて憶測を立てておきたいんですよ」
マツナガは薄笑いを浮かべたまま言った。一同の視線が彼に集まる。
「憶測?」
「えぇ、キングがヒントを出してくれてたでしょう。あの辺を追求してみようかと」
キルシュヴァッサーは、キングキリヒトがログアウト直前に言っていたことを思い出した。
彼は、パチローの動きについて『botではないか』という指摘をしたにもかかわらず、その性格と行動原理についての憶測を述べている。力を見せる場所を欲しがっている、と、そんなことを言っていただろうか。子供っぽい、とも言っていた。パチローの戦い方を見るに、違和感のない憶測ではあるのだが、そのような情緒的な評価は『bot』に対しては不自然ではないだろうか。
「結局、パチローを動かしているのは、機械なのかしら。人間なのかしら」
アイリスもそのあたりが釈然としない様子である。
「意識を持った機械……とか?」
「まさか、冗談でしょう。人工知能とか、SF映画じゃないんだから」
「まぁ、無理とも限りませんけれどね」
それまで沈黙を保っていたハイエルフの哲人・苫小牧が穏やかな微笑を浮かべた。
「あのさ、苫小牧。ずっと疑問に思ってたんだけど、きみ、AIなの?」
このときばかりは、苫小牧の発言よりも、あめしょーの指摘のほうが一同の心胆を冷やした。なにしろサービス開始以来一度もログアウトしたことがないという勇者である。みな、眉唾であるとばかり思っていたのだが、話せば話すほどに、この苫小牧という人物はわけがわからない。
だが、このハイエルフはニコリと笑って首を横に振った。
「私は人間ですよ、あめしょー」
「へー。じゃあログアウトしたことは?」
「ありませんが」
なんなんだこいつは。
弛緩とも緊張ともつかない空白の時間があった。誰もが次の発言をしかねている中、ひとまず苫小牧が言葉をつなぐ。
「パチローが人工知能であるにせよ、あるいは意識を持った人間が操作しているにせよ……あぁ、反応がプログラム並ということは、端末を脊髄に直接つなぎ、CPUと一体化している可能性もありますね」
ひとりだけ一歩飛びのテクノロジーの話をしている。
「なんであるにせよ、キングキリヒトの残した言葉を事実として推測を立てていきましょう。彼の行動原理は、『弱者に対して力を誇示したい』です。幼稚な自意識の具現と言えますね。これは、自分に対して格上と判断したキングキリヒトより逃走を図ったことからも裏づけを行えます」
苫小牧の言葉を、みんな黙って聞いている。このときばかりは、あめしょーもメッセージウィンドウを閉じていた。この哲人がこれほどまでに滔々と語ること自体、珍しいことなのである。あめしょーの顔にも『苫小牧、そんなにしゃべるんだ』と書いてあった。この場合、ゲームの感情表現ライティングが優れているのか、あめしょーがわかりやすい性格をしているのか、どちらが原因なのかはわからない。
苫小牧は、薄縁の眼鏡をくいっと上げて、言葉を繋げた。
「ひとまず、挑戦的なフレンドメッセージを送ってみてはいかがでしょうか。彼が応じてくるのであれば、こちらに有利な状況を仕立て上げ、そこに彼を引きずり出すことも可能なはずです」
おぉー、と一同が拍手を送る。その中で、ティラミスが神妙にうなずいた。
「冷静ですね、苫小牧さん。奇声をあげて妖魔ゾンビに突撃していた人だとはとても思えません」
「忘れてください」




