第三十七話 御曹司、暴れる(2)
「あんなこと言ってるけど」
衝撃に紛れてキングキリヒトがそんなことを言う。既に何度目かの衝突の最中だった。
キリヒトの放つ《バッシュ》は、その速度やアタリ判定、硬直時間に至るまでが千差万別だ。複数の構えや、派生アクションを巧みに使い分け、同じアーツでありながらひとつとして同じ剣筋がない。《ストラッシュ》によって迎え撃つ場合、判定の発生がコンマ1秒でも早い方が競り勝つ。
現実世界ならば、工夫によっていくらでも縮められるタイミングも、システム上の制約は絶対だ。となると、この戦いは剣による打ち合いではなく、高度なジャンケンのようなものである。《バッシュ》を当てられてしまえば、耐久値が3しかないシルバーリーフは簡単に砕け散ってしまう。イチローは、空いた片手を握りしめ、素手による《ウェポンガード》を敢行した。《竜爪》による補正を加味しても、XANの一撃を受け止めるにはまだ力不足だ。だが、シルバーリーフの耐久値を温存するとなればこれがベストである。
「良いんじゃないかな。優勝トロフィーみたいなものだよ。それ自体はナンセンスだけど、君に勝った記念品が残るなら、それも悪くない」
「まーそれもそうだな」
キングの言った『あんなこと』というのは、要するにマツナガの『勝ったほうにドロップアイテムをくれる』という提案である。別に喉から手が出るほど欲しいものではない。効果を受けられないアイテムなら、手に入れたところでしょせんはインベントリの肥やしである。
重要であるとすれば、〝勝った方に与えられる〟という事実のみ。石蕗一朗が、過去手に入れた記念品に執着したことなど一度としてない。勝って当然の勝負で得たモノなど、なんの記念にもならないからだ。だが、この戦いの果てに手に入る勝利のトロフィーなら、部屋に飾ってみたいとさえ思う。
会話の途切れ目、XANを受け止めたままで、逆手による《ストラッシュ》を放つ。
一閃。だが、ダメージ判定の発生タイミングを見極めることに関して、キングの判断は天才的だ。即座に飛びのいて、攻撃から逃れる。両者の間に再び距離が開いた。なかなか容易に攻撃させてもらえない。シルバーリーフの残り本数にも限りがある。やみくもに攻めては切り札を消耗する。
攻め手を変えてみるか。
ベストな距離を維持しようとするキングは、ここで迂闊に切り込んでこない。イチローにはメニューウィンドウを操作する余裕ができる。コンフィグから課金画面へ。手垢がつくほどにタップした項目を選ぶ。
しばしダンジョンで共闘した二人である。キングキリヒトは、イチローがその手に握る課金剣アロンダイトの使い道に関しても明確に把握しているはずだった。意図を掴みきれない野次馬の間にざわめきが広がるが、気にかけたところで意味のない反応である。
「おっさんのそういうところ、センス悪いと思う」
「ナンセンス」
軽口の応酬から、何度目かの激突に発展する。課金剣を振りかぶってからの《ブレイカー》。だがここでも、キリヒトは《バッシュ》による迎撃を行った。《ウェポンガード》などによる安全策を取らない、完全に攻撃重視の選択肢。またしてもアタリ判定の直前に割り込まれ、《ブレイカー》の発動を潰される。武器耐久値の高い課金剣が砕け散ることはないものの、ダメージは腕を通り、数値となってイチローの頭上に閃く。
だが、シルバーリーフと異なりアロンダイトは砕けない。硬直時間にわずかな差が発生する。隙ができる。身を寄せてからの、《スパイラルブレイズ》。こうも至近距離で放たれては、キリヒトも反応が間に合わなかった。
発生する業火の渦と、放射状のアタリ判定。回避が間に合わなければ直撃をくらうだけだ。キングキリヒトに明確なダメージが入る。観衆の間に、『おお』という歓声が広がった。
ようやく一発か。
戦況はやや厳しい。自身の置かれた環境について、まさかこのような分析を下す日がこようとは。イチローの口端が自然に緩む。
ここはゲームの中で、仮想空間だ。実際に則した物質など何一つとして存在していない。すべては電気信号が見せる幻の世界。神保町の片隅に置かれたサーバーマシンの中に構築された小さな世界に過ぎない。
だがそれがなんだと言うのか。この仮想世界で起こりうる総ての出会いはイチローにとって刺激的である。その最たるものが今、目の前で剣を構えているのだ。たとえ0と1をくみ上げて作り上げられたデータの塊であったとしても、その向こうにはそれを作り上げ、操作する人間がいて、そしてその人物は今、自分と五分の勝負を演じている。
こればかりはナンセンスとは言えないな。
かつてこれほど勝利に焦がれたことがあったか。オリジナルの武器を20本も作らせるなんて、どだい自分らしくない話でもある。だがそうまでして勝ちを得ることに、いま、ツワブキ・イチローは何の躊躇も持たない。
「おっさん、なに笑ってんの?」
「君と同じ理由じゃないかな」
自分が一番強くて凄いという自覚。それについてはまだ一度も疑いを持っていない。その自分が、全力で立ち向かえる相手がいることが、
いや、言語化するのはナンセンスだな。途端に安っぽくなってしまう。
イチローは、ここに至るまでの戦いの中で、ひとつの仮説を確信に変えつつあった。キリヒトの立ち回りと、反射神経の一貫性。その穴を埋めて叩き潰す手段も、持っていないわけではない。時間をかけながら立証していく余裕はないだろう。タイミングを見計らって実行していくしかない。
今度は武器を構えず、魔法戦の準備に取り掛かった。
「さすがはツワブキ、あのキングから一撃を奪い取るとは」
「しかし、状況は6:4でキングに有利といったところか」
「ここからどう巻き返すのか……見せてもらいましょう」
「ツワブキ……、底の知れん男だ……」
「まさか、この戦いの中で成長しているとでもいうのか……」
ストロガノフを筆頭とした騎士団の5人は、腕を組んだままそれっぽいことを言っているだけで、中身のある解説はなにひとつとしてしてくれなかった。ときおり『ぬぅ、あれは』『やはりそうか』『さすがだな』と漏らし、当人達で勝手に頷いている。それだけでも強キャラの貫禄がにじみ出てくるのは、ここまで築き上げたキャリアの賜物であろうか。
この場合、どちらかと言えばやや不利なほうを持ち上げる解説をするのはお約束なようで、彼らはさっきから『ツワブキがツワブキが』と繰り返し口にしていた。要するに客観的に見て負けそうなのはイチローのほうなのであって、これがアイリスブランドの専属デザイナーたるアイリスにはあまり面白い話ではない。
背後ではじまったトトカルチョに関しても、オッズはややキングキリヒトが優勢であった。
「じゃあぼくはツワブキに賭けよーっと」
まぁ何も考えず賭けに参加するあめしょーのような例もあるので、大衆の意見も一概には判断できないのだが。
フルプレートメイルに身をつつんだ騎士・キルシュヴァッサーはブルーシートの上に正座して、物静かな表情でお茶を点てていた。
「キルシュさんは賭けないの?」
「主人をダシにしてギャンブルなど、不忠な真似はできませんな」
「それ、ロールプレイ?」
「そういうことにしておきましょうか」
キルシュヴァッサーの差し出したお茶を、アイリスは受け取る。これでもう3杯目だ。
戦闘のある一点から、イチローはシルバーリーフを使用していない。さすがにこれで打ち止めということもないだろうが、課金剣と違って無限に湧き出てくる武器でもない。いや、そもそも課金剣が無限に湧き出てくるという発想自体がおかしいのだが、あの御曹司はもともとおかしいのでそこを論点にしてはいけない。
アイリスも、戦闘に関してはほぼ門外漢である。客観的に見て、この戦況がどちらに有利に傾いているかなど、わかりはしない。ただ、彼女がときおり開くフレンドリストの『ツワブキ・イチロー』は、そのHPゲージをじわじわと減らしつつあった。彼の戦闘と言えば一週間前にエドワードをワンパンKOしたのを見たきりであって、そのときとはあまりにも違う状況の推移に戸惑いは隠せない。
アイリスにとって御曹司は無敵のヒーロー、だなんて、甘いことをいうつもりは毛頭ない。そんな文句を垂れられたらハナで笑う自信すらある。が、やはり、常に超然とした態度で余裕をかましているツワブキ・イチローが劣勢に持っていかれているのは、やはりそれだけで信じられない話ではある。
加えて、彼が身につけている防具だ。
上から下まで、アイリスがデザインしたアイリスブランドの歩く広告塔。確かに一線級のプレイヤーが身に纏う装備としては心もとない性能であるが、それを持ち前の力量(あるいはカネの力)でカバーするからこそ、御曹司は広告塔として機能するのだ。ここで負けては笑い者である。すでに一部では十分に笑い者ではあるが。
「なに、心配は要りませんよ。アイリス」
キルシュヴァッサーはにこりと笑って見せた。
「イチロー様はまだ本気を出してはいらっしゃいません」
「それはそれで別の心配があるわね……」
極めて冷静な意見を返しつつ、アイリスはお茶を飲み干す。
「それに本気を出していないのはあいつも同じじゃないの? さっきから、同じアーツしか使ってないんでしょ? しかも、一番弱い奴……」
イチローが放つ魔法弾を回避しつつ、キングキリヒトは今まさに《バッシュ》を放つ瞬間であった。イチローはやはり武器を抜かず、素手による《ウェポンガード》で受け止める。ダメージ計算処理の後、彼の頭上に3桁の数字が踊って、再び体力ゲージが減る。アイリスはそれを、唇を噛んで見つめていた。
イチローが先ほどから攻守において多様なアーツを使用する反面、キングキリヒトは一貫して《バッシュ》しか使用していない。これが物理戦闘職の基本アーツであることは、アイリスも知識として知っている。かつて所属していた〝MARY〟のギルドリーダー・ユーリも、初期はこのアーツばかりを使用していた。
基本アーツなだけあって、威力は低く、コストである疲労蓄積度も小さい。ダメージ判定の発生が早く発動後の硬直時間も短いため、それらの長所を生かすスキルをつけておけば連発も可能だ。ただ闇雲に武器を振り回すよりもよほど高いDPSが期待できるが、それならば専用の連続攻撃アーツがあるし、連続攻撃なら他の重火力アーツに《アーツキャンセル》を組み合わせる手段もある。
キルシュヴァッサーの説明はこんなところだ。各武器にも、それぞれその長所を生かしたアーツは存在するし、クラスごとの専用攻撃アーツのほうが性能も高いため、最終的には出番が奪われていく剣技である。当然、上記の特性を生かし、コンボの中継ぎとしては非常に優秀な性能を誇るが、決してメインウェポンにしていけるアーツではない。
だが、キングキリヒトは、その中継ぎ用のアーツだけで、この戦況を有利に導いている。とてつもない力量だ。ほかにどんな虎の子を隠し持っているのか、想像するだに恐ろしい。
いまこの瞬間にも、ふたたび、みたびのバッシュが、翻るようにしてイチローに襲い掛かっていた。高い攻撃修正を持つXANである。直撃によるダメージはバカにできない。イチローは《ウェポンガード》による防御を諦め、数発を回避に徹する。避けながらインベントリを開き、今度はシルバーリーフを装備した。攻めに転ずる気なのだ。
アイリスの目にはわからなかったが、イチローは《バッシュ》によるアタリ判定が消滅した直後の間隙をついた。すなわち、キングキリヒトの真似事である。キリヒトが剣を返し、四度目の《バッシュ》を放つ瞬間、イチローが放ったのもやはり《バッシュ》であった。えぐり込むような一撃が、キングの脇腹を捕らえる。これで2発目だ。
ドラゴネット専用スキル《吹っ飛ばし》の効果が発動し、キングキリヒトは地面に勢いよく転がった。煌剣シルバーリーフ、攻撃修正は+3600。《バッシュ》のアーツレベルがさほど高く無いとは言え、このクリーンヒットは大きい。
「ちっ……」
だが、キリヒトが立ち上がるのも早かった。再び武器を構え、油断なく距離を詰める彼に、イチローが声をかける。
「キング、君、《バッシュ》以外のアーツを取得していない?」
「…………」
キングはその問いに無言で応じたが、戦場に大きく響き渡る彼の声は、野次馬の間に波紋を広げた。
アーツの取得が一種類だけ。御曹司の指摘はそういうことである。そんなこと、あり得るのだろうか、という疑問が、ざわめきの正体だ。アイリスも観衆の意見に対してはまったくの同意であったが、キルシュヴァッサーや騎士団の分隊長、トトカルチョを開催していたマツナガなどは、なにやら合点がいったように頷いている。
アーツというのはすなわち、システムによるモーションアシストと、特殊行動による各補正がかけられる能動アクションのことだ。精緻なイメージを重ねれば、動作そのものを真似ることは可能であるし、数値的補正よりもモーションアシスト効果の大きいカウンター系アーツなどは、相手の攻撃を見極めることさえできれば、理論上は取得する必要がない。
だがあくまで理論上は理論上だ。魔法職に比べて依存度が低いとは言え、アーツの数が戦闘能力を大きく左右するのは、前衛物理職でも変わらない。事実、ストロガノフは先の妖魔ゾンビ戦において、複数の攻撃アーツとキャンセル系アーツの複合使用で、すさまじいDPSをたたき出していた。
「よく気づいたじゃん」
だが、キングキリヒトは、基本アーツである《バッシュ》ひとつしか取得していないのだという。
「あれほどしつこく《バッシュ》だけを使っていれば、まぁ疑われて当然だと思うけどね」
イチローは肩をすくめた。
「いま僕は、君の真似事をして、アタリ判定の隙をついた《バッシュ》を使ってみた。君くらいのプレイヤースキルがあれば、僕が何をしようとしているかはわかったと思うし、《アーツキャンセル》からの《ウェポンガード》で迎撃することは十分できたと思うんだけど」
「あーうん、そのどっちも取ってねぇよ。《バッシュ》のアーツレベルはさっさとカンストさせたし、余ったアーツポイントは全部スキルポイントに還元しちゃったからさ」
少年は、さらっと恐ろしいことを言ってのける。
レベルカンストした《バッシュ》と《極意開眼》が、その強さの根源であるとすれば、それは実に単純な話である。初歩スキルと初歩アーツのカウントストップ。いかに基礎とは言え、数値を上げれば馬鹿にはできない。ウェブ上で一時期格言となった『レベルを上げて物理で殴る』を地でいく戦闘スタイルである。
だが、それは果たして口でいうほど行いやすいものであるか。
「他の攻撃アーツを伸ばす方法もあったんじゃないのかい」
「結局硬直時間が長いじゃん。そうなると《アーツキャンセル》も取らなきゃだろ。疲労蓄積度も溜まるし、おっさん気づいてるか知らねーけどさ、他の攻撃アーツはヒットストップも重いし、エフェクトも派手じゃん」
それがどうしたのか、という観衆の反応である。
まぁ、ヒットストップに関してはわからなくもない。アクションを前提としたゲームにときおり見られる演出手法のひとつで、一定値以上のダメージが入った『てごたえ』を再現するために、攻撃動作にわずかな行動遅延がかかるシステムのことだ。DPS効率からすればはっきりいって無駄以外のなにものでもないため、完全に効率特化の廃人からは嫌われる要素である。
野次馬の疑問をよそに、イチローは、『あぁ』と頷いて見せた。
「エフェクトが派手だと、IPUの処理能力を余計に使うからか」
「うん。地味な《バッシュ》ばっか使ってたほうが、処理能力に余裕ができて何かと便利なんだよ」
以下、トッププレイヤー達の反応である。
「いやいやいやいや」
「どう思う?」
「私には理解できません」
「素直に気持ち悪いと思う」
IPU、すなわちイメージ処理プロセッサは、ミライヴギアの性能を大きく左右する主要な部品のひとつである。映像や音、匂い、味など様々な情報を電子記号として処理し、使用者の脳に送り込むためのユニットだ。VRMMOにおいて、当然この演算能力に余裕があればあるほど、システムが送り込む情報をより的確に再現することができるし、逆にプレイヤーの入力する電気信号をダイレクトにシステムに伝えることができる。
だから、処理能力に余裕を持たせれば強くなるという主張自体に間違いはない。マツナガがIPUをオーバークロックしているのはそうした事情によるものだし、イチローの強さの理由のひとつが、コクーンの搭載する200TFLOPSのプロセッサであることはご存知の通りである。
だが、攻撃アーツのエフェクト処理をカットすることで、どれだけ演算能力に余裕が出るのか。それが果たして戦況に影響を及ぼすほどのものであるのか。プラシーボ効果ではないのか。いろいろ疑問は湧き出るが、キングキリヒトが強いのは、やはりまた事実であるのだ。
「よし、わかった」
イチローはそう言って、シルバーリーフを構えなおす。すでにこの武器は、キリヒトに一撃を加えたものだ。《豪剣》の補正によって武器耐久値は2下がり、残り耐久値は1。次に攻撃を加えれば砕け散る。
「僕のやることは決まった。キング、君は?」
「聞くなよ。どーせアーツはひとつしかないんだ」
会話の後、イチローが大地を蹴った。構えたシルバーリーフから繰り出すのは《ストラッシュ》ではない。空いた片腕から魔力が迸り、火属性攻撃魔法《ソードオブスルト》が放たれる。
炎の王国を守護する豪炎の剣である。その規模たるや下位魔法や中位魔法に及ぶべくもなし。多くのアンデッドモンスターを一発で焼き殺すであろうその炎は、当然ながらエフェクトグラフィックの派手さにおいても他の上位魔法を大きく引き剥がす。
さっきの今で、これだ。その目的は明らかである。
イチローの放つこの火炎魔法は、決してダメージを与えることを目的としたわけではない。ただしく目くらましである。派手なエフェクトの炸裂において、IPUのイメージ処理能力は大きく割かれる。この程度で戦力が低下するのであれば興醒めだが、彼の反応を鈍らせる一手にはなる。
一拍置いてからの、《ストラッシュ》!
だが、キリヒトは炎のエフェクトの中から飛び出して、愚直なまでの《バッシュ》で迎撃を行う!
ダメージ判定の発生は同時だった。数値が相殺され、両者の腕に痺れが残る。耐久値を削り取られ、シルバーリーフが砕け散る。イチローは着地するまでの短い間で、インベントリから剣を取り出した。
「まだあんのかよ……」
「いくらでもあるよ」
うんざりした声のキリヒトに、イチローは涼やかに答えた。
空気が弾け、光が割れ、音が裂ける。炎が砕け、雷が舞い、ぶつかり合う二つの斬撃に対して、その間に存在する全てのオブジェクトは、存在することを許されない。あまりにも現実離れした、超常的な光景。そう、これは決してリアルなどではない。
だが、この状況下にあって愉悦さえ浮かべる二人のアバターを目の当たりにしたとしても、人々は納得できるのだろうか。しょせんこの光景は、電気信号が巻き起こす錯覚でしかない。その事実に対して、容易に首肯してしまうことを、人々は自分の心に許せるのだろうか。
アスガルド大陸を代表する、最強のプレイヤー二人の激突。それを誰もが、思い思いの表情で見守っていた。
片や人間の戦士、キリヒト。
片や竜人族の魔法剣士、ツワブキ・イチロー。
すでに戦闘開始からはかなりの時間が経過している。じわじわと削られてきたHPは互いに底を突きかけ、溜まりに溜まった疲労蓄積度は、わずかなノイズとなってモーションパターンのマイナスの補正をかけていた。それでいてなお、両者の気迫は消え失せない。と、思われていたのだが、
「なぁ、そろそろ止めにしないか」
疲れた、というよりも、やはりうんざりとした口調で、先に言ったのはキリヒトである。イチローは肩をすくめて応じた。
「君の口からそういう言葉が出るとは思わなかったな」
「いや、この戦い、もうなんかよくわかんなくなってるじゃん」
そう言って、キリヒトは野次馬のほうを見る。
大観衆の反応は様々であった。固唾を呑んで見守る律儀な連中もいるにはいたが、実は大半がお祭り騒ぎに興じている。マツナガ主催のトトカルチョは大いに盛り上がり、いつの間にやら赤き斜陽の騎士団が弁当まで販売する始末だ。
こういう空気は、ソロプレイヤーにはきついものがある。
「君が言うならまぁ、止めても良いんだが」
「あのドロップ品については、もっとこう、平和的な手段でさ……」
「それはナンセンス」
だが、藪をつついたか。そこに話が及ぶと、イチローは否定に入った。キリヒトは、彼の両手を見る。そこには、一切の武器が握られていない。あのキラキラ輝く綺麗な剣を、果たして何度叩き折っただろうか。もう数えてすらいなかった。
「でもあんた、もう剣が折れてるだろ」
「心配はないよ。代わりはあるからね」
まだあんのかよ。キリヒトはその言葉を飲み込んだ。その台詞自体、これで何度目になるかわからないからだ。
ちなみに剣自体は18本目である。
「ブルジョワなんだよなぁ……」
思ったことを正直に口にしてしまうのが、キリヒトという少年だ。
さきほど、こちらが《バッシュ》しか使用しない理由を懇切丁寧に説明したときも思った。このドラゴネットの青年は、その直後、何の躊躇もせずに《ソードオブスルト》によるド派手な目くらましを行使してきたのである。あの程度、イチローが使用するコクーンのIPUにかかれば、屁でもない演算処理であろう。まったく、やること為すことが金持ちのイヤミである。
「おっと、ブルジョワに負けるのは怖いかい」
その金持ちが、更に挑発的な態度を取ってきたのだから、キリヒトも眉根を上げた。
「……なに?」
「君がここで背を向けるのは勝手だよ。そう、君が何十何百何千時間と費やした努力であっても、僕はほんの数秒の動作でそれを上回ることができる」
イチローはメニューウィンドウを開いたまま、コンフィグを選択した。このページにはゲーム内課金の項目がある。何の躊躇もせずにクレジットカードのアイコンを選択すると、中から適当なサービスと数量をタッチ。そのまま暗証番号を入力し、
どさどさどさどさ。
アイテムインベントリに収容しきれなくなった無数の消費アイテムが、イチローの周囲に降り注いだ。いったいどれほどの数を購入したというのだろうか。ポーションのビン同士がぶつかったところで、ヒビが入ったり割れたりすることはない。ただただ甲高い音がして、アイテムがごろごろと山を築いていくだけだ。これ、一人のプレイヤーが一年かかっても消費できる量なのだろうか。
「趣味が悪いぜ、おっさん」
「よく言われるよ。だがナンセンス。僕はこういう生き方をしてきたからね」
「まぁ、今のはないわよね」
「ありませんな」
今まで何度もイチローの無駄遣いを見てきたアイリスとキルシュヴァッサーであるが、このときばかりは呆れを隠すことなくそう言った。
安い挑発ではある。だが実際にかかるお金は安くない。見てみれば、今なお、イチローの背後にはポーションがどさどさと山積みになりつつあるのだ。グラスゴバラの錬金術師たちが見れば、発狂しかねない光景である。
「だが、あれは本心からではありませんよ。イチロー様も相手にはそれなりに敬意を払っているはずです。何と言っても、自分とは正反対に位置する人間ですからな」
キルシュヴァッサーは忠心としての務めか、ひとまずフォローを入れてきた。
正反対にいる人間か。確かにそうだな、とアイリスも思う。あのキングキリヒトは、自らに与えられたカードで最大限の勝負をしようとしている。そもそも手札が豊富であり、何枚でもカードを補充できる御曹司の戦い方とは違う。御曹司が恵まれた人間であるからこそ、決して真似できないやり方だ。そこに敬意を抱いているというのであれば、そうなのだろうとも思う。
ただ、今の行動は、ない。
「そうかなぁ。お金を使いまくって、自分はこんなに凄いんだぞアピールをしてるだけじゃないの?」
「まぁ、それはあるかもしれませんが……」
「でもまぁ正直、死なないで欲しいのよねぇ。あたしの作った防具つけて負けたとか、最悪じゃん……」
「アイリスブランドも地に堕ちますしなぁ。まぁ、決着つけずに終わるのが一番穏便で良いとは思うんですが……」
二人を含めた大観衆が見守るさなか、キリヒトとイチローは、やはりにわかに空気を張り詰める。キリヒトは、XANを両手で握りなおし、正眼に構えてイチローを睨んだ。
「キング……あれを使う気かっ」
あめしょーが、なにやら低い声を搾り出しながら言った。
「知っているのか、あめしょー!」
どこから沸いてきたのかはしらないが、キリヒト(リーダー)が応じる。
「伝説武器とか、レアアイテムには、ほら、なんかアイテム専用能力があったりするじゃん。よく知らないけど、XANの奴は順当に攻撃力を上げたりするんじゃないかにゃー」
「地下ダンジョンでゾンビレギオン倒すのに使ってたあれか」
「見てないけどたぶんそれ。まぁ《バッシュ》しか使えない分、アイテム能力でいろいろ補ってるんだろうねぇ。防具もアクセルコートだし」
つまり、キリヒトは、勝負を決めにきているということである。さもありなん。両者、HPも疲労蓄積度も限界に近い。だらだらと撃ち合いを続けて泥仕合にもつれ込めば、勝利の行方は曖昧になっていく。ここで一撃、決着に出るということだろう。
イチローも、同意を示しているようだった。片腕に魔力を充填し、もう片方の手でシルバーリーフを逆手に構える。単純な威力でどちらが勝るか。これまでシルバーリーフによるストラッシュを散々受け止められているところを見るに、イチローのほうがやや不利であるのかもしれない。
が、御曹司の笑みは当然消えない。
アイリスとキルシュヴァッサーは、ごくり、と唾を飲み込んだ。
瞬間、空気が弾ける。先に駆け出したのはキリヒトであった。アクセルコートによる急激な加速。イチローは出遅れる。アイテムインベントリの操作をしていた? 何をやって、とキルシュヴァッサーが思った瞬間、イチローの周囲に次々とアイテムがオブジェクト化された。
シルバーリーフが残り2本に、メイジサーベルや初期の防具。加えて複数の消費アイテム。それだけではない、いまなお増え続ける課金アイテムパックの中身に加え、空から大量の課金剣が降り注いだ。直後、イチローは、充填した魔力を思い切り大地にたたきつけた。エフェクトが弾け、瓦礫が飛ぶ。
がくん、とキリヒトの動きが鈍るのがわかった。
キリヒトだけではない。周囲のほぼ全員がそうだ。アイリスなど動きが完全に停止してしまっている。キルシュヴァッサーは、自分とイチローのみがまったく支障なく動けていることを確認し、結論を得た。
処理落ちだ!
大量のアイテムのポップアップ、加えてデータバスの大きいオリジナルアイテムが3本、派手なエフェクトに膨大なグラフィック処理を必要とする瓦礫の飛散。完全に動作を停止させるまでにはいかないが、ラグを生むには十分すぎる。
飛散する瓦礫と砂塵、そして爆発するエフェクトの中で、二人の攻防はどうなっているのか。
砂塵を突き抜けて、剣の切っ先が宙に舞い、砕け散るのがわかった。




