第三十三話 御曹司、地下ダンジョンを攻略する(2)
ええと、どこから話したもんでしょうかねぇ。そうだな、まずは俺が彼に執着する理由から聞いてもらおう。
彼、そう、キングキリヒトですよ。
アイリスさんは、直接の面識はないんだっけ? 噂には聞いてる? そう。まぁそうでしょうね。アイリスさんがゲームを始めてどれくらいになるのか知らないが、半年もプレイしているユーザーなら一度くらいは聞いたことがあるんじゃないですかね。最強のソロプレイヤー、キリヒト。キングって名前をつけたのは、俺です。本人は気に入ってないみたいですけどね。
あまりディープなユーザーじゃないアイリスさんでも、名前くらい知ってるのは、これまた当然なんですよ。何故って、彼の噂を作って流したのも、俺だからね。
俺が彼に最初に出会ったのは、このアスガルドの大地じゃない。タイトルは言ってもわからないだろうけど、とある海外製のFPSでした。もちろん、VRゲームじゃない。普通のテレビでやる奴ですよ。そこでの彼は、キリコって名前だった。
あ、FPS知らない? まぁオンラインゲームですよ。オフラインでも遊べるけどね。やっぱマルチプレイがメインです。銃でドンパチやる奴だと思ってください。当時は俺もかなりのヘビーユーザーでね。スナイパーでした。芋スナじゃないよ。本物さ。自分で言うのもなんだが、強かったんですよ。チームへの貢献度もね。
そこで、キリコの話を聞いたんですよ。まだ学生らしいが、ものすごいワンマンアーミーがいるって。アイリスさんは知らないでしょうけど、FPSっていうジャンルは個人が無双できるゲームじゃない。そりゃあ、MMOもそうだけど、まぁこのゲームは運営がバカだからね。とにかく、ワンマンアーミーなんてもんは、ありえないはずだったんです。
FPSでは、自分を英雄だと勘違いした奴から死んでいく。そういう突撃バカは敵からは格好の獲物だし、味方からは白い目で見られますよ。キリコもそんな奴だと思ってました。ちょっと幸運が重なったくらいで騒がれているんだろうと。おまけに、学生でしょ。まぁ俺も若くないからね。甘ちゃんのガキにちょっとお灸を据えてやるか、とか思ってたんですよ。で、噂を聞いてから一週間もしないうちに、その機会が回ってきた。相手チームの中にキリコがいたんです。
どんな戦いだったか。
うーん、どんな戦いだったんでしょうねぇ。俺はスナイパーだったから、他の兵科に比べりゃ戦場を把握できていたはずなんですが……まぁ、一方的でしたよ。あいつは全身黒ずくめで、片方の肩だけ真っ赤に染めてましてね。すごい目立つ奴だったんですけど……。前線で戦う仲間が一人、また一人と仕留められていくでしょう。俺も当然奴を狙撃するんだが、外しまして……で、まぁ、そんなはずは無いんですが、目が合うんですよ。スナイパースコープ越しに。
もちろん、テレビ画面を通してですよ。でももう、ゾクッとしましてね。コントローラーを放り出したいくらいでした。逃げなきゃ、と思って、でも俺の装備はギリースーツだから、機動性も高くないんです。一端気を落ち着けて、もう一度スコープを覗いたら、戦場にキリコがいない。背後から撃たれたのはその直後です。俺の最後の言葉は『そういうゲームじゃねぇからコレ!』でした。いや、本心からの言葉ですよ。
そのゲームでキリコに会ったのはそれっきりです。何より俺が自信を失くしちゃったからね。
でも、次に手を出したゲームにも、そいつはいたんだなぁ。
もちろん名前は違います。でも、『キリ』って部分は同じでね。人違いの可能性もあったんだろうが……俺にはわかりますよ。やつはキリコでした。
俺だってゲーム経験値は豊富です。自慢できることじゃないが、アフィリエイト生活はそのときから安定してたし、学生なんかよりプレイ時間はよっぽど多かった。負けるはずがないんですよ。普通に考えたらね。
そんな俺を、やつは簡単に打ち負かしていく。2度目の辛酸を舐めさせられたときは、『こいつ俺に恨みでもあんのか』って思いました。だって、そうでしょ。キリコがそんな些細なこと気にしてたとは思えませんけどね。彼が戦う過程で、トッププレイヤー層との小競り合いがあるのは当然だし、俺はゲーム廃人だから、その中に食い込んでいるだけの、それだけの理由だったんだと思いますよ。
でも、俺は運が良いのか悪いのか、やるゲームやるゲームで何度も彼に出会いました。キリサキ、キリヤマ、キリハラ、キリツグ、キリエロイド、キリキザン。中には冗談だろって名前もありましたけど、たぶん、みんな彼だったんじゃないのかなぁ。『キング』って愛称を思いついたのはそのときでね。『キング・キリ○○』だから『Ki2』って呼んでました。俺はね。
で、1年前、俺はミライヴギアとナローファンタジー・オンラインを買いました。
なんといっても、新しいことだらけのゲームでしょう。攻略Wikiとか用語Wikiとかも作って、クラスを調査能力に長けた斥候にしたのも、隅々まで検証してやろうって思ったからですよ。
そりゃあ、オンラインゲームをやる以上、強く強くっていう願望はありましたけどね、何回もキングに打ち負かされてるうちに、『無駄になるんじゃな』って思うようになりました。『強さ』っていう価値基準は、残酷なくらい絶対なんですよ。どうあがいても優劣はつく。決定的な奴がね。1番になれなかったら、無駄ですよ。俺はそれが嫌でした。
2ヶ月、3ヶ月も経つと、赤き斜陽の騎士団が最強集団として台頭してきた。俺は団長のストロガノフとコンタクトを取って、情報のやり取りをするようになりましたが、そこにキングはいなかった。キングはソロプレイやワンマン無双が好きなんで、まぁ当然でしょうけどね。ちょっとがっかりしながらも、俺の情報でストロガノフ達が最強プレイヤーでい続けるなら、それもまぁ、良いかなって思ってたんですよ。まとめブログで特集記事とか組んだりね。やっぱり最強集団ってフレーズにはそれなりに魅力があるみたいで、VRMMOの臨場感ともあいまって、これがまた人気出るんだ。アフィ収入もうなぎのぼりですよ。
ゲームを始めて4ヶ月……いや、5ヶ月目くらいかな。
凄いソロプレイヤーがいるって、垂れ込みをもらいました。俺はまさか、と思ってね。その時ちょうど、《気配遮断》のスキルもあがって、ハイドコートなんて超便利アイテムも手に入っていたから、最前線の深奥部にこっそり出向いて、息を殺して待っていたんです。
今のレベルならなんてことないが、超強力なMOBばかりですよ。ここで死んだら、ハイドコートもおじゃんだな、と思っているときに、黒いコートをなびかせた戦士が姿を見せたんです。アバターネームはキリヒト。キリヒトは、基本アーツである《バッシュ》の一撃で、俺が戦々恐々としていたMOBを葬り去るんです。俺は思うわけですよ。間違いない。
彼がキングでした。
「その時かな、俺は、キングを『伝説』にしようって決意しました」
「なにそれ。それが、その、作戦の裏でコソコソやってるっていう、目的なの?」
「バカだと思いますかね? そんなに熱っぽく語るもんじゃないだろって、そう、思いますかね?」
ロークオリティモードを発動しているアイリスの目に、マツナガの表情は映らない。
怒っているのか、笑っているのか、哀しんでいるのか。荒いポリゴンは、人の心を伝達するにはあまりにも不鮮明だ。だが、その声音にはなにやら、わかってもらえなくて当然という諦観と、おまえならわかるはずだという強要に等しい意識があった。
「ネットに浸かってもう20年かな。アフィブログを始めて10年くらいですね。とかく、ネットの世界では神話って奴が生まれやすいんです」
怒気は含まれていない、落ち着き払った声だった。
「神話?」
アイリスがたずね、マツナガが頷くのはわかる。
「ほら、よく言うでしょ。『神』とか『祭り』とかね。一種の集団ヒステリーみたいなもんですよ。日本人だけかもしんないけどね。インターネット上のフォークロアっていうのかなぁ。俺はねぇ、ずっと、自分の手でそういうもんを作ってみたいって、思ってたんですよ。自分で作ったコピペを、『吹いたら寝ろ』スレで見かける喜びとか、投稿動画の再生数を見て一喜一憂とか。アイリスさん、わかるでしょ?」
「わ、わかるわけないじゃない。あたしもまとめサイトくらいは見るけど……そんなディープじゃないし……」
「いやぁ、あんたなら、わかるはずだよ」
マツナガは、今度はかぶりを振った。無表情のポリゴンが、実は彼特有の軽薄な笑みを浮かべているのが、アイリスにはなんとなくわかった。
「主役になるのは、注目されるのは自分じゃなくって良い。でも、自分自身で作ったものを、評価されたい。多くの人に見てもらいたい。屈折した承認欲求って奴ですよ。あんたにもあるでしょ?」
それを言われては、アイリスにも否定することはできない。
杜若あいり、趣味は服飾デザイン。将来の夢はアパレルデザイナーだ。
注目されるのが自分自身でなくたって構わない。ただ、自分のデザインした服を、有名なファッションモデルや、目を奪われるような美男子――御曹司のような?――が着ているのを見てみたい。それを人々が『あの服いいよね~』なんて、頷きあっているのを見てみたい。そして物陰から思いっきりニヤニヤするのだ。
マツナガの目的が、それと大して変わらないことだというのなら、アイリスは『くだらない』となんか笑い飛ばせない。
「でしょう? だからまぁ、あんたには話したんですけどね」
マツナガは、その視線を前へと向けて言った。
「大衆はドラマチックなのが好きですよ。だから、アイリスブランドの一件も凄い反響があった。その結末を含めてね。俺は、キングに注目が集まる最高のシチュエーションを用意したつもりです。あんたの社長は、キングの対抗馬としちゃあちょっと眩しすぎる。だから、地下に来てほしかったんです」
「御曹司は、その意図を汲んだの?」
「まさか。あの人そんなタマじゃないでしょ?」
「うーん……。まぁ、ナンセンスよね……。あれでいて、妙なところで気遣いはしてくれるんだけど……」
前に目をやると、当の御曹司はコンフィグから課金画面を呼び出し、武器を購入した後、それを思い切り叩き割るという謎の行為を繰り返していた。あめしょーが歓声なのか悲鳴なのかよくわからない声をあげている。
演出家。
マツナガを評価するならば、そういったところか。『ナントカは筋書きのないドラマ』という言葉を、アイリスは聞いたことがある。そのナントカはVRMMOではなかったはずだが、まぁ同じことだ。マツナガはそのドラマにドラマティックなシナリオを用意し、大衆の記憶に残るプロデュースをしようとしている。
応援しよう、とまでは思わない。アイリスは、つい一昨日、赤き斜陽の騎士団の仲間達に囲まれて、このダンジョンに潜った。ゲームに対する思想までは分かり合えないが、みんな良い人たちだったと思う。それにその情熱は純粋だった。
マツナガの行為は、それすらも利用して自分のやりたいように捻じ曲げる行為だ。賛同はできない。応援はできない。賞賛はできない。だがかといって、否定はできない。アイリスだって、他人を不幸にしてまで認められたいと思ったことならばある。きっと自分が知らないだけで、事実そういうことだってあったかもしれないのだ。
あの御曹司だって、自分らしい生き方を追及する過程で、どれだけの人間のプライドを踏み潰してきたのかわからない。
「あんま、難しく考えないほうが良いですよ」
マツナガは肩をすくめた。
「俺がこそこそやってんのは事実だしね。気持ち的に受け付けないってんなら、それでいいんじゃないですかね」
「それはいいけど」
アイリスはため息をついた。口元が動かないのが妙に気持ち悪い。
「マツナガさん、なんでそんな悪役っぽい方法で立ち回ってるのよ」
「そういうギルド方針なもんでね」
一行が最下層へ到達したのは、ダンジョンアタックを開始してから2時間後のことだ。懸念していたゾンビレギオン、スケルトンチャリオッツの出現はほとんどなく、到着に要した時間は予想以上に少ない。途中、参加メンバーや根性の据わった野次馬と遭遇したり、あめしょーがレアアイテムを見せびらかしまくったりしたくらいで、特筆するような出来事もなかった。レアアイテムの入手経路に関して、彼女は『人脈だよー』と言っていたが、それって要するに貢がせたということではないのか。
最下層を更に進むと、石碑の設置された祭室がある。これまた野次馬か、あるいは先行してイベントをクリアしてやろうというチャレンジャーか、先客が石碑の周りに陣取っていた。パーティー編成に魔法職が多いところを見るに、後者の可能性が高い。
「やぁ、」
物怖じせずに最初に話しかけるのは、我らが御曹司ツワブキ・イチローである。
石碑を取り囲んでいたパーティーは、こちらを振り向いて数歩下がる。
「捗っているかい。なんなら、代わるよ」
「代わるよー」
「代わりますよ」
「代わろう」
イチローの後ろから、トッププレイヤー集団が立て続けに連呼する。怖い。
MOBの出現頻度が抑えられているとは言え、1パーティで最下層まで到達するのだから、彼らも15%に分類されるトップ層のはずだ。そうおいそれとは下がるまい。マツナガの合図で、後方に並ぶ双頭の白蛇の射撃部隊がボウガンを構えた。つがえる矢は冥王銀の矢じりを用いた毒矢である。
「うわぁ、レア矢だぁ」
「冥王銀の採取さえできれば、あとは錬金合成で簡単に作れますよ。PvPにはこれが一番だ」
物騒なことを淡々と抜かす男だ。
「あんた達って、なんでそう、基本的に物事を剣呑な方向に持っていこうとするの……」
「実力者同士の雰囲気のある会話ってそういうものだと思うけど。まぁナンセンスだよね。いいんじゃないかなマツナガ、武器を降ろさせなよ」
「ふむ」
マツナガの合図ひとつで、射撃部隊がスッとボウガンを降ろす。一糸乱れぬ統率された動きであった。もともとこういったことが好きな連中というか、ひょっとしたらFPSユーザー時代に築いた人脈を、そのまま引っ張ってきていたりするのかもしれない。
別に本気の脅迫が本意であったわけでもないだろうが、マツナガのちょっとした冗談は相手を萎縮させるには十分すぎる。必要とあらばMPKくらいには平気で手を染めるという噂もあり、まぁそれ自体は根も葉もないデマでなかったりもするのだが、逆らえばろくな目にも合うまいと、先行パーティの目は逡巡している。
「一応、こうした場合、先着しているパーティに優先権があるんだよね」
「マナー上はな」
早い者勝ちという奴である。順番を守るのは日本人の美徳だ。イチローの価値観上であってもそれに変化は無い。予めきちんと定められた順序に横槍を加えるのは、あまり物事の仕組みとして美しくは無い。
クエストクリアの栄誉は、グランドボスの討伐によって得られるものであり、ここでイベントを発生させるのが誰であろうと構うことではあるまい。だったら順番どおり先行組にやってもらっても良いんじゃない、というスタンスであったが、マツナガはくっくっと例によって嫌な笑いを漏らした。
「いやぁ、でも、あれでしょう。立ち往生、してたんじゃないですか? やり方がわからなくて」
「マツナガ、笑い方が気持ち悪いよぉ」
「褒め言葉ですねそりゃあ」
マツナガがヘビのような視線を向けると、先行パーティは観念したように肩をすくめた。どうやら事実らしい。
彼がブログ上や生放送で告げたのは『イベントの発生には魔法職が必要である』という事実のみだ。シナリオ的な話をするならば、かつてネクロマンサーが作り出した妖魔ゾンビの再封印を行うというものであり、そこからある程度の推論はたてられるようにはなっている。こうして、トップ層のプレイヤー達が大量の魔法職を引き連れてイベント発生にチャレンジするのも、自然な流れではあった。
見たところ、先行チームの構成人数は10人。パーティの最大人数は8人だから、2パーティで構成されていることがわかる。装備を見るに魔法職が6人、物理戦闘職が3人。うち1人が探索職を兼ね、最後の1人が聖職者持ちの支援職といった様子だ。マツナガのもたらしたヒントや、下層における出現MOBなどを考えるに、比較的理想的なメンバー構成と言える。
ただ、このマツナガという男、基本的に意地悪である。
「まぁ、たぶんその石碑、読めないと思いますよ。高レベルの探索職用だからね。石碑を読み解いたパーティじゃないと、次のイベントフラグが立たないんですねぇ。うちのチームは3パーティ構成だけど、どのパーティにも碑文を読み解いたメンバーが入ってるから、そこんとこは心配ありませんよ」
先行チームはがくりと肩を落とした。マツナガは口にこそ出さなかったが、サーバー攻撃のお手伝いご苦労さん、といった心境だろう。彼らも出現MOBの発生を抑えるのに一役買っていたと思っていい。
「さてと」
マツナガは得物であるダガーを放るようにもてあそびながら、石碑のほうへと歩いていく。ハイドコートの裾がひらひらと踊っていた。
「簡単に説明しましょう。魔法職の皆さんにやっていただくのは、まぁ妖魔ゾンビの再封印です。メインストリートにおいてあるアレだね。あれが瘴気の原因ってことになっているんで。ただまぁ、イベントとしては封印は失敗すると思いますよ。出来レースですね」
「杜撰なシナリオだねぇ」
「本当にねぇ。聖職者の魔法アーツに《シーリング》ってのがありますが、別に付与系の補助魔法アーツ全般でことは足ります。魔術師の《エンチャント》とか、錬金術師の《アルケミカルサークル》とかだね。これらのアーツを使用することによって石碑の隠しパラメータが変動して、一定値に達するとイベントが発生する感じ。具体的に何回くらいやれば良いのかはわかりませんが、まぁ、だいぶ根気のいる作業になるでしょうね。共有インベントリにある疲労回復剤は、自由に使っていいのでお好きにどうぞ」
「ふむ」
最初にうなずいたのはゴルゴンゾーラだ。
基本的には魔法攻撃職である彼も、魔術師の基本支援アーツである《エンチャント》はきっちりアーツレベルを上げている。取得しているスキルによって様々な副次効果の見込める《エンチャント》だが、関係スキル自体はパラメータ変動に影響しないらしい。
彼以外の魔法職も、大半が赤き斜陽の騎士団から出向してきた魔術師達であり、高レベルの《エンチャント》を確保している。アイリスも《アルケミカルサークル》のアーツレベル自体では負けてはいない。防具作成に失敗しまくる以前から、アクセサリーはたくさん作ってきたのだ。
「よしっ」
アイリスも無表情で気合を入れる。
「じゃあアイリス、任せたよ」
「うん。やるわよ。御曹司は?」
「僕、付与系の補助魔法アーツ持ってないんだ。《チャージキャスト》とかあるけど、あれ対象自分だし」
片手をポケットに突っ込んだまま、涼やかな顔でいう御曹司である。基本的に彼は出番があれば遠慮せずに自分でやってしまおうとするタイプなので、こういうからには本当に持っていないのだろう。さしものツワブキ・イチローとは言えど、ゲーム内に存在する総てのスキル、アーツを取得しているわけではない。現実世界ほど多芸にはなれないのだ。
まぁこうなるとあめしょーや双頭の白蛇のボウガン部隊も完全に暇をする。あめしょーは退屈をもてあましたネコのようにゴロゴロしたりその辺のものに興味を示したりしていたが、ボウガン部隊はいつでも射撃体勢に移れるような待機姿勢を保っていた。本当に軍隊みたいな連中である。
先行パーティはちょっと残念そうな表情で遠巻きに眺めているだけだった。しばらくしてあめしょーから『フレンドにならない?』と声をかけに行く。ああいうのも見境がないというのか。
マツナガの追加説明では、該当アーツの対象となっていない場合、石碑の封印ポイントは秒ごとに減少するらしい。アーツ使用後の硬直時間や疲労回復の手間を考えるならば、ある程度の時間差を置いてひっきりなしにアーツを使用していく必要がある。ゴルゴンゾーラの口数少ない指示で、しばらくもしないうちにサイクルは完成していた。このあたりの手際のよさはさすがと言える。
魔法アーツ特有の光の粒子が石碑を包み込んでいく。魔法陣が幾つも展開し、光のイメージ処理がやや眩しく映った。仮想痛覚が瞳の奥と連動する。
イチローは腕時計を確認した。アイリスがデザインし、作成し、イチロー自身がその表面に時計機能をテクスチャーしたアイリスブランドの高級腕時計である。彼としてはクロノグラフを導入したかったのだが、そんな器用な機能はメニューウィンドウの時計には備わっていなかった。何かしらのアプリケーションを自作してでも実現するべきかと思ったが、アイリスが直接デザインした盤面も気に入っているので、現状のままで良いか、ということにしている。
時計が示す時間の経過。便宜上の封印作業は、30分ほどに及んだ。おそらく上層部で行われている戦闘などの影響もあり、インベントリからはかなりの数の回復アイテムが消えている。とりあえず例によって例の如く、基本アイテムパックの大人買いから共有インベントリにポーションやら疲労回復剤やらを放り込んでおいた。もう誰も驚かない。
さて、石碑に変化が発生したのは、ちょうど作業担当がアイリスの時である。彼女の《アルケミカルサークル》が、変動パラメータに最後の一押しをし、イベントフラグがオンになった。石碑をつつむ光の円環が加速する。
「え、わ、な、なにっ」
やや派手なエフェクトグラフィックであり、アイリスの処理落ちを懸念したが、彼女の反応を見るに大丈夫らしい。
「あぁ、イベント発生ですね」
「無駄に時間がかかった」
ゴルゴンゾーラの台詞にはなにやら重みがあった。
高速回転する光のサークルは、やがて石碑の上で徐々に小さくなり、急に禍々しい色合いを帯び始める。薄桃色の輝きは、黒と赤を交えた悪趣味な闇の奔流へと変化し、それが石碑に向けて一気に流れ込んでいった。直後、石室を震動が襲う。
『グワハハハハハ』
過剰なエフェクトのかけられた声が、石室全体に轟いた。展開が早いな、と思いつつ、どうやらシナリオ演出の一環であるらしいので、イチローは素直にそれを楽しむことにした。オフラインの家庭用ゲームであればムービーのスキップはできるが、まぁ当然ここではそんなものできない。
『愚かなる冒険者どもよ、感謝するぞ。貴様らの魔力により、我が力はいま完全に開放された。デルヴェに封印されし妖魔ゾンビの力を、今こそ解き放つ!』
「「「な、なんだってぇー」」」
背後であめしょーと先行パーティが綺麗に唱和していた。直前に小さな声で『さんはい、』と聞こえたのは空耳ではないのだろう。
「これ、過去デルヴェを滅ぼしたっていうネクロマンサー?」
「おそらくな」
イチローの質問に、ゴルゴンゾーラが頷いた。
『冒険者どもよ、貴様らには褒美をくれてやらねばなるまい』
「どうでも良いんですけど、石碑の説明とシナリオの展開が矛盾していることに対するフォローはないんですねぇ」
「以前のグランドクエストもそんなものだったろう」
「まぁそうですね。この石碑もネクロマンサーが仕掛けたブラフだったって脳内補完しときましょう」
『そう、永遠の死という褒美をな……! 貴様らはこのカタコンベで永久の眠りにつき、その肉体を我が野望の糧とするのだ!』
プレイヤーとシナリオのテンション落差など関係なく、きちんとストーリーは進行する。石室の震動が収まると同時に、周囲の壁にぴしりと亀裂が入った。粗の混じるポリゴングラフィックが消し飛んで、四方から異臭が立ち込める。地獄の底から響くような怨嗟が、音声イメージとして脳を揺らした。
ゾンビレギオンだ。当然、一体ではない。
壁側にいたあめしょーや先行パーティ、ボウガン部隊は、手馴れた反応で飛びのいた。さすがにトップ層だけのことはある。直後、彼らのいた場所を目掛けるように、スケルトンチャリオッツが《アサルトチャージ》を仕掛けてきた。
「いやぁ、このゲームこんなもんですよ。杜撰なシナリオでしょう?」
「僕はこういうのも好きだけどね」
イチローは気づく。アイリスの反応がない。
彼女は石碑の前で硬直していた。処理落ちだ。パーティション破壊によるグラフィック処理、データバスの大きいMOBの同時大量出現。送受信量を減らしていたとしても、彼女の回線では耐え切れなかったのか。スケルトンチャリオッツの《アサルトチャージ》が彼女を狙っている。
さて、イチローの対応はすばやい。この骸骨戦車に魔法は効かない。すばやく床を蹴り、《ダッシュスラスト》による加速。コンフィグから課金剣の召喚。《ブレイカー》の発動までの一連の動作は、まるでそれ自体がひとつの奥義であるかのようによどみない。
鉄槌の如く振り下ろされたアロンダイトは、自身の耐久値と引き換えにスケルトンチャリオッツを粉々に打ち砕いた。《ダッシュスラスト》による加速を殺しきれず、床をすべるようにしながら、イチローは硬直するアイリスの腰を抱いて他のプレイヤーの元へ戻る。
『ハラスメント警告! 同意を得ないアバターへの過度の接触は、』
「ナンセンス」
やかましいメッセージウィンドウを消し去ると、仲間達(主にあめしょーと先行パーティ)は拍手で迎えてくれた。
「ツワブキ、王子様みたい」
「それは僕にとってあまり褒め言葉じゃないかな。アイリス、大丈夫?」
「あ、んー。あ、あー。今は少し……。めっちゃカクカクしてるけど」
自分がどのような運ばれ方をしたのか気づいていないのか、アイリスはやや途切れ気味にそう話す。
「こりゃあ戦闘のエフェクトでまた処理落ちしそうですねぇ」
「そうだね。アイリス、アイリスブランドの共有インベントリにバリアフェザーをたくさん入れておくから、自分のアイテムに移動させておいて」
カバーリング役になりそうな重装タイプの戦士は、先行パーティと攻略本隊の分を合わせて5人。だが、彼らの持つ両手剣やハルバートは、魔法やボウガンの効かないスケルトンチャリオッツに対する貴重な有効打だ。もちろん、この場にいるすべての敵を一人で片付けろというならイチローはやってのけるが、この場にいるプレイヤーを守りながらというといささか難易度は跳ね上がる。
「えぇっと、ありがとう。なんかもう、処理落ちがすご」
そこで固まってしまった。アイテムウィンドウは閉じられているので、バリアフェザーの移送は済んだのだろう。
「今頃地上じゃ、妖魔ゾンビの復活イベントですかねぇ」
マツナガがのんびりとした声で言う。
「まぁ、こっちの仕事は果たしたんだし、気ままにやりましょう。幸い回復アイテムはいっぱいありますしね」
「ナンセンス」
コンフィグから2本目の課金剣を購入して、イチローは応じた。
「マツナガ、グランドクエストはまだ終わっちゃいない。僕の目的もね。準備運動にはちょうどいいかもしれないけど、僕にとってはここからが本番だからさ」
剣を握らない片方の手に、炎の魔力が収束している。《チャージキャスト》。常に疲労度を蓄積しながら、次に発動する攻撃魔法アーツの威力を跳ね上げる。このドラゴネット、他人の処理落ちを気にかけるつもりはまったくないのか。
「今までもそうしてきたつもりだけど、僕はやりたいようにやらせてもらうよ」
8/5
誤字を修正
×もう一度スコープを除いたら
○もう一度スコープを覗いたら
×なんかでそう
○なんでそう
×脳内保管
○脳内補完




