第二十四話 御曹司、ソロプレイする
「前衛、そのまま抑え込め! 魔術師、射手は攻撃の手を緩めるな! 一気に殲滅する!」
ストロガノフの怒号に合わせ、背中に黄昏のエンブレムを背負った騎士団員が、一気呵成の攻撃を仕掛けた。その数、30人弱。ナローファンタジー・オンラインにおけるパーティの最大人数が8人であることを考えると、4~5パーティ分のキャラクターが一様に力を合わせている計算になる。ひとつのダンジョン攻略にあたり投入される小隊規模の戦闘要員。これこそが赤き斜陽の騎士団がゲーム内最強の戦闘ギルドと評される所以だ。
彼らの連携に澱みはない。レベルを地道に上げ、装備を固めた戦士達がMOBを押さえ込み、攻撃力に偏重した火力支援部隊による十字砲火が雨霰と降り注ぐ。前衛に劣らず防御性能を上げた騎士と、探査能力に優れた斥候、猟兵が数人、バックアタックに備えて視線をめぐらせていた。
こうなってしまえば、行く手を遮るアンデッドモンスターの集団など、機械的に設定された行動ルーチンを繰り返すだけの、有象無象でしかない。その行動ルーチンのいずれもが騎士団にとってなんの脅威となることはないのだ。降り注ぐ魔法と矢、弾丸。それらが獲物をしとめた直後、幾らかの団員の目の前にリザルトを示すウィンドウがポップアップする。複数のパーティによる混成部隊である以上、誰にリザルトが入ろうと恨みっこなしというのが、騎士団の前提に存在する。経験値と資金は訓練を兼ねた分隊ごとのフィールド演習で必要なだけ貯蓄しておくもので、合同で行うダンジョンアタックはその攻略こそが目的であるからだ。
しかし、なんとまぁ。
統率が取れていると賞賛するべきなのか、オンラインゲームでここまでやるかと呆れるべきなのか。結局戦闘の間は何もすることがなかったアイリスだが、仮に何か仕事をしたとして、それがどれだけ役に立てていたことやら。ひとまず、呆然と立ち尽くしている。戦闘の余韻として砂煙がもうもうと立ち込めるが、彼女渾身のカットソージャケットには汚れひとつつきはしない。
「大したものですな。私も、トップギルドの戦闘を目の当たりにしたのは初めてですよ」
他のプレイヤーと共に後衛の守護を担っていたキルシュヴァッサーの台詞である。
彼らは、ギルドメンバーであるイチローと一端別れ、戦闘ギルド赤き斜陽の騎士団と行動を共にしていた。そこに深い理由があるわけではない。成り行きというか、御曹司のわがままに端を発しているというか、まぁそんなもんだ。アイリスとしては、ダンジョンに潜るのは半ば観光のようなものなので、成り行きは割りとどうでも良い。
これがガチの廃人プレイヤー集団であれば『ダンジョン攻略は遊びじゃねぇ!』と恫喝されてもやむなしではあるし、赤き斜陽の騎士団にもそうした傾向は多少見られる。だが、アイリスには、彼らに存在を歓迎される理由がひとつ存在した。
「よし。周辺のMOBは一掃したな。アイリス、ポーションと疲労回復剤を用意してくれ」
「あ、はい。ええと、はい」
ストロガノフの要請を受けて、アイリスブランドの共有インベントリから複数の消費アイテムをオブジェクト化する。戦闘中であれば《ポーションマイスター》で味方に向かってブン投げる代物だが、すでに周囲は平穏だ。そんな不躾な真似をしなくても直接手渡せば事足りる。
「ねぇキルシュさん、ひょっとしてあたし、便利なポーションボックスくらいにしか思われてない?」
「まぁ否定はできませんな……。イチロー様が上限無用の課金魔法をお使いになりますから忘れがちですが、このゲームにおける回復アイテムは流通が制限されて入手が面倒ですし」
NPCが販売する回復アイテムに流通制限がある以上、生産職プレイヤーの作るポーション、疲労回復剤が攻略組の生命線となる。小規模なギルドであれば、生産ギルドの出張販売から購入することになるだろうし、赤き斜陽の騎士団ほどの大型ギルドとなれば、お抱えのポーション職人がいることも珍しくは無い。
無いのだが、
「このダンジョン、ポーションの素材になる薬草系のアイテムが採取できなくてな。これが難易度を跳ね上げている」
疲労回復剤のビンを片手に、ストロガノフが眉根を寄せた。
「加えて、内部ではワープフェザーが使えんだろう。往復の消費を考えて慎重に進んで行かねば、野垂れ死には目に見えているというわけだな。ダンジョン前や仮設支部周辺にいる生産職も足元を見て値段を跳ね上げてくるし、無償で回復アイテムを提供してくれるプレイヤーというのはそれだけでありがたいものだ」
「はあ。そういうもんかしら……。どのみちこれ、あたしが作ったポーションじゃないんだけどね……」
後ろめたいと言えばそのあたりだ。御曹司が使用する錬金術を前には、アイリスもいささかばかり錬金術師としての自らの存在意義を疑う。
「薬草系が自生しておらんのですか。《茶道》持ちとしてはつまらんばかりですなぁ」
「ほう。キルシュヴァッサー卿は《茶道》持ちか。俺は片手間に《料理》を上げていてな。戦闘が本職なので一流シェフ並とはいかんが、部下に美味いと言わせるくらいのスキルレベルではある」
銀髪の騎士と赤髪の騎士の会話である。レベル、戦闘能力の差にはそれなりの開きもあろうが、堂に入ったロールプレイと、それに見合うビジュアルのためか、いかにも強キャラ同士の会話という趣があった。
「団長、全分隊、回復が完了しました」
「うむ」
それぞれの分隊リーダーと思しき数人の男女がストロガノフに敬礼する。彼らはどこまで素でやっているのだろう。ガスパチョ。ゴルゴンゾーラ。ティラミス。パルミジャーノ・レッジャーノ。なんだかおなかが減ってきそうなギルドメンバーだった。団長は《料理》スキルを持っていると言うが、そのままレストランでも開く気なのかという気分になる。
ストロガノフは、メニューウィンドウからギルドメンバー全員のステータスを確認し、なにやら頷いていた。と、そこで『ぽーん』という軽い電子音と共に、新着のフレンドメッセージが出現した。
「む……」
葉巻かウィンナーのように太い指先を動かし、ウィンドウにタッチする。
「何かありましたか?」
「うむ」
キルシュヴァッサーが首をかしげると、ストロガノフは小さく首肯した。
「〝双頭の白蛇〟のマツナガからだな。この先の階層について、情報が送られてきた」
「ほう」
双頭の白蛇と言えば、やはりナロファンにおいては最大規模と認知される探索ギルドである。
戦闘であれば赤き斜陽の騎士団、探索であれば双頭の白蛇、生産であればアキハバラ鍛造組と言うのが、コアなナロファンプレイヤーの共通見解であって、これら三つをまとめて『ナロファン三大ギルド』と呼ぶ向きもあったりする。マツナガと呼ばれるエルフの斥候は、その双頭の白蛇においてギルドリーダーを務める男だ。
「俺はあいつ、そんなに好きじゃないんだがなぁ。異様なほど効率重視というか……アホの坂田も言っていた」
アホの坂田というのは、アキハバラ鍛造組のギルドリーダー〝↓こいつ最高にアホ〟氏のことであろうか。
「まぁコアなMMOユーザーなんてそんなものでは?」
「かもしれん。実力はあるし、情報が使えるからなんでもいいんだがな。双頭の白蛇にしたって同じことだ。あいつら、真っ先にダンジョンに潜っては俺たち攻略組に情報をよこしてくれるからな。検証組の鑑だよ」
肝心のメッセージ内容についてであるが、ここから五階ほど下の階層における出現MOBについてのものが大半を占めていた。
地上部でも稀に発見される大型MOB〝ゾンビレギオン〟を始めとし、かなり強力なアンデッドモンスターがかなりの頻度で出現する傾向が見られるとのこと。グレーターゾンビの異様なポップアップ率に変化はないが、取り巻きとしてスケルトンチャリオッツのような機動性のあるMOBも多く、戦術アルゴリズムにもかなり有機的なものが見られるようになったとある。
「ゾンビレギオンにスケルトンチャリオッツか。うぅむ」
「どちらも名前には聞きますが遭遇したことはありませんな」
「地上部でも出現数が高いMOBではないからな。だが、ゾンビレギオンといえば基本は単体で行動するMOBだ。そこに取り巻きが出てきたとなると厄介だな。バックアタックのことも考えると、編成も少し考え直すべきか……」
真剣な顔で考え出すストロガノフ。パーティ戦闘での経験が薄く、ましてやこれほどの最前線に出ることもそう多くは無かったキルシュヴァッサーとしては、意見を出しあぐねる。反対に、戦闘経験に豊富であると思しき彼の部下(おいしそう)達は、ときおり自身の考えを述べ、団長となにやらまじめな議論を交わしている。
「御曹司大丈夫かしら」
アイリスが、ぽつりとそんなことを言う。
「あいつ、今頃どの辺にいんのかしらね」
「私達の出発もかなり遅れましたからな。ソロプレイにおけるフットワークの軽さを考えると、もうかなり奥へ潜っていてもおかしくはありませんなぁ」
キルシュヴァッサーはメニューウィンドウを開き、ギルドメンバーの項目をタッチする。閲覧できるツワブキ・イチローの簡易ステータスは、彼がまだまだ元気であることを示していた。残体力、疲労蓄積度、どちらも余裕がありそうだ。
「それに赤き斜陽の騎士団はかなり慎重に攻略しているように見えます。おそらく双頭の白蛇から逐一入ってくる情報を元に、きちんと作戦を立てているからでしょうな。単純に進行度合で言えば、彼らというか、我々というか、それよりも既にかなり下層へ潜っているパーティも多そうです」
「ふーん。キリヒツとかも今まで会わなかったわね。もっと下にいるのかな」
言ったあと、『ユーリ達も』と口の中で付け加える。
このダンジョンが最大で地下何階まで存在するのか、公式なアナウンスは存在しない。現在アイリス達が立っているのは地下12階の部分であるが、出現するMOBの難易度に比して騎士団の消耗はゼロに等しい。アイリスが無限ポーションを配れる以上、最終的な消耗がゼロにまで撒き戻ると言えば、そうなのだが。今までの戦闘に一切の危なげななかったことを考えると、ペース配分自体は悪くないのだろう。ダンジョンアタックはリソース消費との戦いだ。他のパーティが自分達より先行していたとして、どこまで潜っていけることやら。
「キルシュさん、共有インベントリ内のポーションが増えてるんだけど……」
「イチロー様が消耗を確認しながら補充してるんじゃないですかな」
「あいつ、大概にヒマね……」
騎士団のリーダー会議はもう少し続きそうであった。
実際、イチローはヒマなのであった。
彼が歩いているのは第17階層。アイリス達が現在足踏みしているところの5階層先にあたり、要するに件のMOB情報について、ストロガノフ達が議論している階層でもあった。むろん、イチローはそんな事実など露知らず、よしんば知っていたとして、彼の余裕に満ちた表情に一切変化はなかったことだろう。
思えば、ナロファンのダンジョンをじっくり一人で探索するなど、ほとんど初めてのような経験だ。今彼が着ている防具の素材を集めるとき、いくらかのボスMOBを単独で討伐したくらいであって、そのときの目的は当然のようにダンジョンアタックではなかった。
「しかし、精緻なグラフィックだ」
ゲームを始めてからおよそ何度目かになるであろうその感想を、イチローは漏らす。
彼だって世界を飛び回り、多くの廃墟や遺跡をその目で直接確かめてきたが、この遺跡のグラフィックデザインを手掛けたデザイナーは、必ずしもそうではないだろう。それでも、このダンジョンが持つ不気味な雰囲気や、壁、床の質感などは、現実に見られる朽ち果てた文明の痕跡と比べて、なんら遜色は見られない。人間の想像力の賜物と言えば、大したものだ。
このダンジョン、実在のモデルはあるのだろうか。ゲーム内の設定では、市街の中心部に存在する大型の建造物に、大規模な地下迷宮が存在することが明らかになって、プレイヤー達に探索を依頼したということになっている。
キングベヘモスの革靴が石畳を叩き、足音がだだっぴろい通路に反響する。迷宮のように入り組んだ(事実、迷宮である)これらの通路が、横幅や天上を急に広げたのはこの階層からだ。いったい〝何〟のための通路であるかと考えれば、イチローにもおのずと想像はつく。この階層からは大型MOBも出現するということなのだろう。
だが、それでも彼の行く手を遮るのは、多くが何の益体も無いグレーターゾンビの集団であって、ときおりペインゴーストやスケルトンリーパー、巨人ゾンビなど、上の階層でも見受けられた強めのMOBが混じるくらいであった。イチローの《竜爪》がひらめけば、その程度のMOBなど大したものではなく、腰にぶら下げた〝煌剣シルバーリーフ〟の出番はなかなか訪れない。
『おおああああ……』
「ご苦労」
自ら経験値となるべく姿を見せた巨人ゾンビにそう言い、イチローは魔法を放つ。火属性中位攻撃アーツ《トルネイドブレイズ》。突き出した掌から豪炎が渦を巻き、腐敗の進行するその巨体をあっさりと飲み込んでいった。アンデッドモンスターに炎が効くという不文律は、ここでも有効であるらしい。炎は《ワイドキャスト》の併用で広範囲化し、背後に群がるグレーターゾンビの集団をも、容赦なく焼き尽くしていった。屍たちの体力を削り取っていく炎は、薄暗い通路をぼんやりと照らす。イチローは、学生がスチールウールの燃焼実験を見つめるような無感動な瞳で、ただ照りかえる炎の熱を感じていた。
ひっきりなしに出現するゾンビの集団にはさすがに辟易とするものの、イチローの顔に疲労に色はない。これが通常のプレイヤーであればどれほど苦戦するものだというのか、彼には想像もつかなかった。ソロプレイって言っても、こんなものだろうか。これなら卿たちとお茶でも飲みながら潜っていたほうが楽しかったかもしれないな。
「ナンセンス」
目の前にポップアップしたリザルト画面を消し、イチローはつぶやいた。
ダンジョン自体は入り組んだ構造になっていたものの、イチローも描画ツールによるマップの作成を行いながら進んでいたので、そうそう迷うことはない。最初はなんどかトラップに引っかかったが、それが致命打になることもなく、今では盗賊のアーツジュエルを使ったトラップ探知で、完全に危なげのない探索行となっていた。
MOBの群れを焼き尽くし、そこから更にしばらく歩いたあたりであろうか。
イチローは、通路に転がる無数の装備アイテムに気がついた。
「ん……」
プレイヤーの猛抗議による仕様変更で、デスペナルティは『所有アイテムの完全ロスト』ではなくなっている。すなわち、一定のレアリティを持つアイテムは、ロストではなくドロップ扱いになる。このダンジョン、潜るプレイヤーのレベルアベレージがやや高めということもあってか、全滅を示す痕跡として、ときおりこうした装備アイテムの散乱が見受けられる。
それは、少なくとも24時間以内には、この地でMOBと戦い力尽きたプレイヤーがいるという証拠に他ならない。しょせんはゲームであり、彼らはどのような表情であるにせよ、本物の命を奪われるまではなく、廃墟神殿で復活しているはずだ。だが、この文明が届かぬ地の底で、まるで所有者の無念を象徴するかのように転がる装備アイテムの数々は、どうにも不気味で、生々しい。
それが、単なるレアリティが高いだけの装備アイテムであれば、イチローもさほど気には止めなかったことだろう。形式的にアバターの冥福を祈り、どうせ復活しているであろう彼らのことを考え、その上で気分次第では拾ってインベントリに収めたかもしれない。それだけだ。
彼が涼やかな表情を少し解き、やや真面目な顔でそれを見つめたのは、床に転がる防具が彼の見知ったものであったからだ。かざりっけの無い直剣に黒のロングコート。やや高めのレアリティの割りに大した性能を持つ防具ではないが、おそらく複数の所有物であったと思われるそれらは、全てが同じデザインであり、襟元には同様のエンブレムがテクスチャされている。
ザ・キリヒツ。
彼らもこの地で壊滅の憂き目にあったのだ。
いくら創作上の『キリヒト』が、最強のソロプレイヤーであったとして、彼らはその姿を模しただけのなりきり勇者に過ぎない。システムルールに存在を縛られた、一介のプレイヤー集団だ。実力は最強などと程遠いし、実力以上の相手に挑めば全滅もするだろう。
だが、ほんの数時間前に会話した、気のいいキリヒト(リーダー)のことを思えば、一抹の憐憫を抱かざるを得ない。突き詰めて言えば、あまり良い気はしない。
気になるのは、ここに散乱する装備アイテムが4人分でしかなかったことだ。ザ・キリヒツのパーティメンバーは全部で7人いた気がする。残る3人は、少なくともここでHPをゼロにしたわけではない。
「んー……」
それでも、床に転がる仲間達の装備アイテムを拾う余裕がなかったのは、よほど追い詰められていたからだろうか。3人のキリヒトは、死んだ4人のキリヒトの仇を討てたのでないこともわかる。
半壊状態となったザ・キリヒツは、まだこの階層にいるのだろうか。
イチローは、4人分のタイアップ装備をインベントリに収め、前後に広がる通路を見渡した。もし彼らが生存しているのであれば、どうせ無限に手に入るポーションである。それらを彼らに渡してやるのもそう悪い提案ではない。
イチローが再び通路を歩き出そうとしたとき、やたらに大きな悲鳴が、広い通路の間に反響した。




