第二十三話 御曹司、グランドクエストに参加する
冒険者協会の仮設支部だが、中には思っていたよりもプレイヤーが見られない。中央に設置された石碑はダンジョンの簡易マップとなっているようで、地下何層まで踏破されているかを確認することができる。ゲーム内のトッププレイヤー達が集結しているにも関わらず、攻略は意外なほど進んでいないように見えた。まだ一日目であるから、当然と言えば当然なのか。
名前の表示が、運営スタッフあるいはゲストアバターであることを示す青色になっているのが、いわゆるゲームマスターだ。彼らはゲーム上は冒険者協会の職員であり、システム上はプレイヤー達と同様のクラスやステータスを持つ。もちろんスタッフとして通常のプレイヤーが行使できない様々な権利を持つし、フィールド上ではいかなる手段をもってしても彼らのHPをゼロにすることはできない。
このとき、ナロファンにログインしているゲームマスターは三人。ラズベリー、アプリコット、アセロラ。いずれも可愛らしい名前だがラズベリーとアプリコットは男である。さもありなん。シスル・コーポレーションの女性社員など数えるほどしかいない。
イチローの姿を見るや、真っ先に破顔したのはラズベリーである。獣人族の戦士で、一目で【筋力】特化とわかるむくつけき肉体に焼けた肌、頭にぴょこんと生えた2本のウサギ耳がすさまじいギャップを演出していた。
「ツワブキさん、グランドクエストに参加なさるんですか」
ゲームマスターに名前と顔を認知されるのは、廃人プレイヤーにとって一種のステイタスのようなものだ。みな一様にこちらを振り向くが、既に有名人と化したイチローを見て納得しこそすれ、嫉妬を抱くようなアバターはいなかった。そこまで世界にのめりこんでいるプレイヤーは、とっくに登録を済ませてダンジョンの奥地へ足を踏み入れている。
「まぁね。君は直接会ったことがある人だっけ」
「野々と共にお宅へお邪魔させていただきましたよ」
「あぁ、あのときの……」
こうした場でGMから現実世界の話を持ち出すのはどうもマナー違反であるように思えたが、イチローはあまり気にする性格ではない。幸い、この会話は周囲にはよく聞こえなかったようだが、背後でアイリスが『何言ってんの?』とでも言いたげに目をぱちくりさせていた。
ラズベリーはメニューからゲームマスター専用のウィンドウを呼び出し、登録用のフォーマットを開く。同時に、イチローの目の前には複数の入力要項が出現した。
「個人で参加されますか? それとも、ギルドとして?」
「ん、まぁギルドとしてで良いかな」
登録者名にアイリスブランドと入力し、『ギルド』のタブを選択すると、代表者のユーザー名とアカウント名、パスワードを入力する欄が出てくる。
「この作業は必要なの?」
「このグランドクエストは、一周年記念セレモニーのプレキャンペーンを兼ねていますからね。参加者の方にあとでゲーム内プレゼントがあったり」
「ナンセンス。と、言うのは建前で?」
「グランドクエストにどれだけのプレイヤーが参加するかという調査も兼ねてますね。はい、登録完了です。最前線にも関わらずアクティブユーザーの1/3は参加の意思があるみたいで。結構反響があって嬉しい限りです」
マッチョなウサギ男は、暑苦しい笑顔でウィンドウを操作しながら言った。頭の上でぽこん、という音がして、続いて2回、後ろのほうでも同じ音がする。振り返れば、キルシュヴァッサーとアイリスの名前の横に、小さなスタンプのような印がついていた。そう言えばザ・キリヒツのメンバーにもついていたかな。グランドクエスト参加中という意味なのだろう。
「メインストリートを直進した亡魔領の最深部からダンジョンに潜れます」
「ふぅん。ここでちょっと気分が出るような、ロールプレイ的な台詞を言ってくれないかな」
「ここ数日、亡魔領周辺では瘴気の異常発生が見られる。遺跡の中心部で見つかったダンジョンで、その原因を探ってくれ!」
「ん、ありがとう」
ひとまず、後ろで待っていた二人に、登録が完了したことを告げる。
「あたし、友達の顔見に来ただけだから、別に参加はしなくても良かったんだけど……」
「じゃあここで待ってるかい? 死亡した参加者は向かいの廃墟神殿で蘇生するらしいから、待っていれば戻ってくるんじゃない?」
「それはそれでなんかイヤな話ね……」
仮設支部を出て、アイリスはイチローの指差す廃墟神殿を見た。思っていた以上に結構な頻度でプレイヤーが出てくる。落胆に顔を青くするもの、決まりの悪そうな笑顔を浮かべるもの。反応は様々だが、装備は一律して初期装備に戻っているか、一切の未装備であるインナー状態となっている。これからまたデルヴェ亡魔領に挑まねばならないことを考えると、やはりそうとう厄介なデスペナルティだ。
キルシュヴァッサーによれば、普段はこうしたプレイヤーに対して、そこそこの性能のアイテムを割高で売りつける生産職や転売屋などが横行しているという。現在、この地にはゲームマスターが滞留しているということもあり、さすがにそのようなアコギな商売を行っているプレイヤーの姿はない。それでも何かを申し出る鍛冶師に対して、しぶしぶと財布を開く復活したての冒険者は多かった。
「ワープフェザーも消えちゃうから、グラスゴバラへも飛べないのね」
「相変わらずの鬼畜仕様ですな」
「アイリスの作った防具も持ってくれば良かったね」
「それってあれよね。アフリカの飢えた子供たちにフォアグラを振る舞うような所業よね」
別に自分の防具にフォアグラ並の価値があると言いたいわけではないが、アイリスはそんなことを口にする。
「ユニクロだって被災地にヒートテックくらい配るじゃないか。もちろん、タダというのはナンセンスだけどね。ここがゲームである以上、通貨の健全なやり取りは発生して然るべきだし、運営もそのスタンスだから転売も完全に禁止してはいないんだろうし」
「ただやっぱ人の弱みに付け込んでるようであたし好きになれないなー。ザ・キリヒツも途中で死んじゃったら名前がキリヒトなだけのただの冒険者になっちゃうのね。グラスゴバラまでタイアップ装備買いに戻るのかしら」
「デスペナルティ保険とか作れば良いんだよ。予めお金を徴収して、死亡したキャラクターにはアイテム代を負担してあげるとか、死亡した階層にドロップしたアイテムを取ってきてあげるとかね。面白そうな商売じゃないか。僕、やってみようかな」
「あんた、変なことしないでっつったそばから……」
イチローは肩をすくめ、デスペナ保険は発想としては面白そうだけど、実際にやると面倒のほうが多そうだね、とも言った。
プレイヤーの強制帰還率を考えると、徴収額と負担額が吊り合いそうにない。実際の医療保険のように、レベルや戦闘能力を勘案した監査を設けるべきなのだろうが、そこまでやってしまうのは確かに面倒だ。せいぜい、レアアイテムを有償で預かるくらいのビジネスはあっても良いだろうが、かつてプレイヤー間の詐欺や転売が横行していたこの亡魔領でそんな話に乗っかるプレイヤーもあまり多くはなさそうだ。
そう言えば、ユーリ達は10回は死んだと言っていたか。アイテムインベントリや装備欄もぼろぼろだろう。会うことができたらまともな防具とか作ってあげられないかな。アイリスの《防具作成》も、連日失敗を繰り返したおかげで、それなりに見れるレベルにはなりつつある。そのために犠牲と消えたアイテムの残骸数は目も当てられないが。
「まぁ良いわ。二人が行くならついて行く。足手まといにならないように頑張るわね」
「ご心配なく。アイリスは私がお守りしましょう。敵はまぁ、イチロー様がなんとかしてくれますよ。カネの力で」
「思い出したように言わなくても良いよ。そんなにカネの力で戦ってほしいなら、できないこともないけどね」
そんなことを言いながらメニューウィンドウを眺めるイチローである。なにやら不穏な空気を隠せない。
アイリスブランドの三人がデルヴェ亡魔領に踏み込むと、どうにも冒険者らしからぬ出で立ちをしたイチロー、アイリスの二名に視線が集まる。恥ずかしくなるのはアイリスだ。イチローは視線などあってもなくても変わらないという体で、威風堂々とメインストリートを直進する。
周囲のプレイヤー達もおおよそ4、5人というパーティ構成でグランドクエストに挑もうとしているのがわかる。ひっきりなしにポップアップするアンデッド系モンスターを、さほど苦戦する様子もなく蹴散らしているのを見るに、やはり相応の実力は備わっているようだ。アイリスは、湧き出てくるMOBの興味がこちらに向かないことを祈りながら、御曹司の背後にひっついた。
「アイリス、歩きにくいよ」
「し、仕方がないじゃない。だってあんたあたしのレベル知ってるでしょ?」
「13だっけ」
「31よ! 威張って言うようなレベルじゃないんだけど、20レベルも間違えられるとなんか腹が立つわ!」
イチローが129、キルシュヴァッサーが80ということを考えると、やはりかなり心もとない数値ではある。
「オウカオーの背中に乗っておきますか?」
「そ、そうする」
いわゆる騎乗アイテムであるオウカオーの性能は、使用者のそれに大きく依存する。現在この馬はキルシュヴァッサーのインベントリに名前があり、彼の保有する《騎馬強化》や《アシストライド》の効果を受けて大幅に強化されていた。レベル30代のプレイヤーを即死級のダメージから保護するには十分だろう。
オウカオー自体に感情は無いわけだが、アイテムとして複数の感情パターンは設定しているらしく、アイリスを背中に乗せた途端『ぶるふん』と鼻で笑ったように見えた。なんとなく腹立つ馬だ。
「イチロー様もすっかり高レベルプレイヤーになってしまいましたな」
「そうだね。もう3週間くらいにはなるのかな。スターターコースの経験値ブーストがかかるのが1ヶ月だけだから、いまのうちにもう少しレベルを上げておくのは悪くないかもしれない」
「映画を見に行ったときは《料理》スキルを伸ばすなんてこともおっしゃっていましたが」
「ん、そうだったね」
さすがに、ここでアイリスも御曹司の雰囲気の変化に気づく。違和感というほどのものでもない些細なものだが、砂上船を降りてゲートをくぐるときと比べても、彼のまとう涼やかな空気には何か違いが生じているように見えた。
もちろん、顔色に変化はない。ムカつくほどに余裕ぶった薄い微笑も同じだ。歩調が変わったとか、振る舞いに余裕がなくなったとか、そんなことでもない。それでも、アイリスはなんとなく気になった。
「ひょっとして、あんた気にしてるの? あのキリヒトが言ってたこと」
「ナンセンス」
そう言うイチローの言葉も、いつものものと変わらない。
アイリスが言った『あのキリヒト』とは、ザ・キリヒツのリーダーが口にした最強のキリヒト、すなわち〝キング・キリヒト〟のことだ。この最前線デルヴェ亡魔領の地で、唯一ソロプレイに身をやつすゲームジャンキー。フレンド登録をしたというプレイヤーもおらず、ただひたすらにダンジョンの深奥でMOBを狩り続ける黒い死神。その他、一切のあらゆる情報が秘匿された、ある種神話めいた存在だ。
「気にはしていないよ。でも、気にはなっている。最強のソロプレイヤーだからね。まぁ、僕より強いとは思えないんだけど」
「でも、あんた始めてから一ヶ月経ってないんでしょ?」
「そうなんだよね」
ここで、肩をすくめるイチローだ。その後、また片手をポケットに突っ込むといういつもの立ち姿に戻る。
「何度かデルヴェ亡魔領には来たけど、ソロプレイヤーなんて目にしたことはなかったし。もしそのキングがサービス開始当初からずっと育成を続けていたプレイヤーなら、僕と比べてどんなステータスになっているのかな、っていうのはちょっと気になるんだよね」
「イチロー様が他人にそこまで興味を示すのは珍しいですな」
「そうかな。僕は割りといろんなものに興味を持っているつもりだよ」
三人は会話を続けながらメインストリートを歩いていく。イチローは定期的に目の前を遮るグレーターゾンビを、気だるげに魔法で吹き飛ばし、進路を確保していた。周囲のパーティも似たようなものだ。
イチロー達はひとつのパーティとしてシステムが認識しているため、御曹司がゾンビを吹き飛ばすたびにリザルトがアイリスの目の前に表示される。のだが、幾度となく表示されるのは『これ本当に高レベルMOB?』と疑いたくなるほど寂しい数字の羅列だ。それでも、ストリートを直進して10分ほど、おそらくクエストの舞台であろうダンジョンが確認できるようになった頃には、アイリスのレベルも34になっていた。
ダンジョンの周辺には、聖職者のクラスを持つ幾らかのプレイヤーがMOBの進入を阻む《セイントバリア》を貼り、中で傷ついたプレイヤーの回復を行っている。同時に、錬金術師や盗賊がこれから突入を行うプレイヤーに、ポーションやマップ情報を有償で提供しているのも確認できた。
「ダンジョン探索ともなれば、ただプレイヤーが強いというだけで下層へ進むことは困難です。マップの把握や断続的な回復も必要ですしな。もちろん、プレイヤースキル次第で消費を抑えることは可能なはずですが……」
そうした光景を見ながら、キルシュヴァッサーがつぶやく。アイリスも、当然そうした事実は知っているつもりだ。短い期間とは言え、仲間達とギルドを組んで山や森を探索したわけでもあるし。
「御曹司、あんた変なこと考えてないでしょうね」
「いや、別に。僕も一人でダンジョン潜ってみようかなって思ってるだけだよ。変なことじゃない」
「それ変なことよ!」
声を荒げて、周囲の視線が集中する。アイリスは顔を伏せた。次から発する声は急に小さくなる。
「いや、わかってんのよ? どーせ『変なことかどうかは僕が決める』でしょ?」
「そうだよ。よくわかっているじゃないか。もちろん、仮に変なことだったとして、やっぱり実行権は僕にあるわけだけど」
「御曹司、あたしがあんたにツッコミを入れるのって、ひょっとして無駄な作業だったりする?」
「どうかな。僕が意見を変えない以上、それは何の実利も生まない行為ではあるけどね。自分の行いに対する意味は、結局自分で見出すしかないんだよ」
たかがツッコミの是非についてここまで哲学的な返答が行われるとは思わなかった。
「あんた、そういうトコすごいしお金持ってるし立派だとは思うけど……なんか敬意を払う気になれない……」
「それで良いんじゃないかな。僕は別に敬意が欲しくてこういう態度を取っているわけじゃないからね。君が敬意を払う相手は、君が決めれば良いさ」
その物言いはその物言いで、なんとなく釈然としないものはあるのだが、アイリスは黙る。いま議論するべきはそこではないのだし。
「あんたがダンジョンにソロで潜りたいっていうのは、別に、それはいーんだけど」
「うん」
「あたしとキルシュさんだけじゃ、結構苦戦は免れないというか……」
「でしょうなぁ」
キルシュヴァッサーも重々しげに頷く。
具体的な数値の話をすれば、平時においてこのデルヴェ亡魔領を攻略するプレイヤーのレベルアベレージは100をやや上回る程度。グランドクエストという大規模イベントに際して、平均値はそこから大きく引き下げられるものの、攻略の難易度自体は平時とさほど変化がない。レベル80のキルシュヴァッサーが前線を張れるのは、防御に偏重したそのステータス構成のためである。加えて、オフェンスとして超攻撃力を有したイチローがいるからこそジリ貧にならず済んでいるのであり、キルシュヴァッサーとアイリスの二人でダンジョンに潜るというのは現実的な話ではない。イチローがいなければ話にならないのだ。
「まぁ、そうだね。かといってここで待っていろというのも酷かな」
「御曹司がソロで潜りたいっていうのは、あれでしょ? 最強のキリヒトがソロでダンジョン潜ってるから、自分にもできるかなって思ってるんでしょ?」
「うん、そうだよ」
隠すつもりはないんだなぁ、と思う。
「あたしとキルシュさんは自分たちのことで手一杯だし、それを守りながらダンジョン進むんだから、ソロで潜ってるのと意味的には同じにならない?」
これは、我ながらよく出来た説得ではないだろうか。アイリスは会心を得る。
キルシュヴァッサーは壁役必須のアーツ《カバーリング》を有するが、今回のダンジョンアタックにおいて、その対象はアイリスに限られる。様々なスキルの効果がオウカオーに適用された結果、アイリスの受けるダメージが大幅に軽減されるのは確かだ。が、原則として亡魔領のダンジョンに潜む強大なMOBを相手取った場合、2発以上の打撃を耐え切れる見込みはない。結果として、キルシュヴァッサーはアイリスの防護に尽力せねばならない。
加えて、アイリス自身もその数少ない支援能力をキルシュヴァッサーに使用することになるだろう。《ポーションマイスター》による回復支援のほか、《アルケミカルサークル》などを用いて装備の修正値を上昇させることもできるが、原則として二人分の攻撃を一手に引き受けるキルシュヴァッサーが力尽きないように行動することになるはずだ。
すなわち、二人を連れたところで、御曹司は支援を受けられない!
アイリス達は、足手まといにしかならない!
言語化するとそれなりに心をえぐる事実ではあった。
ソロで潜るよりもむしろ難易度が増すのではないかという、彼の自尊心を刺激する提案だ。アイリスは残酷な現実に心の奥底をちくりと痛めながらも、彼の返答を待つ。この竜人族の御曹司は、口元に手をやって珍しく考え込む素振りを見せた。
「まぁ、君たちが死なないように気遣うという意味では、僕のシステム的負担は増すかもしれないね」
だが、イチローはかぶりを振る。
「でも、僕は別に例のキングを超えたいって思っているわけじゃない。そんなことしなくても、僕が強いのは変わらないからね。ただ、彼と同じ条件でダンジョンに潜ること自体に対して、興味が沸いただけなんだ」
ダメかぁー。アイリスは肩を落とす。
「別に、今回は君たちと一緒に潜って、ソロアタックはまた今度で……っていうのも良いんだけどね。やっぱり、キングと同じ条件ってなると、初見もソロでなければならないと思うし」
「完全に同じ条件なら、あんたその廃課金も封印したら?」
「それはナンセンスだよ。お金も僕の能力のひとつだからね。たとえば、そのキングがサービス開始から毎日ログインしてキャラクターを育成した時間、僕が自分の力でお金を稼いでいたとしよう。そのお金で有料サービスを購入するわけだから、自分の時間と能力、労力をキャラクターに還元する行為に変わりはないよね」
「ないよね……って言われても、まぁ、御曹司ルールでそうなら、そうなんじゃない」
ともあれ、イチローはソロでのダンジョンアタックに非常に乗り気であることがわかる。ここまでつれてきて、それは無いんじゃないとも思うのだが、御曹司のマイペースさは今にはじまったことでもないのだ。彼はワガママちゃんだが、幸いにして『じゃあ街で待ってるから一緒に戻ってよ』という提案にくらいは首肯してくれそうである。
そうするかなー、と思ったところで、こちらに割って入るように話しかけてくるアバターがあった。
「このダンジョンにソロで潜ると言っているのは、おまえ達か」
赤い短髪に鷲鼻、ヒゲともみ上げが一体化したような顔つき。体格も筋骨隆々とした見るからに豪胆な男である。キルシュヴァッサーが『戦闘ギルド〝赤き斜陽の騎士団〟のストロガノフ氏ですな』と耳打ちしてくれた。名前だけならアイリスも知っている。となると、彼の背負う巨大な両手剣が、〝魔剣サワークリーム〟か。
前回のキリヒト(リーダー)と言い、やたら絡んでくるプレイヤーが多いように思うのだが、MMOのトッププレイヤーってみんなこうなの?
「そうだけど」
「アイリスブランドだな? あの、エドワードをワンパンでぶっ飛ばしたという」
それとも、単純に有名人だから話しかけられるだけなのだろうか。
「エドワードもなかなか強い奴だと思ってたんだがな。最前線までやってきて、実際にMOBと戦って、どんな武器や防具が必要かなんて調査してる生産職はあいつくらいなものだ」
「彼は真面目な男だからね。アイリスには直接謝ってほしいんだけどね」
「いっ、良いわよそんなの。気まずいし」
話が変な方向へ飛び火する前に全力で火消しする。
「僕はそのなかなか強いエドワードよりかなり強いよ」
「らしいな。だが、ソロプレイでこのダンジョンに潜るというのは、少し傲慢であると言わざるをえん」
ストロガノフは、妙に時代がかったしゃべり方で告げる。彼もキルシュヴァッサーと同じリアル・ロールプレイヤーなのか。あえて意図して設定しているであろう低く重い声音は、有名声優の声をサンプリングしたものだ。これもキャラクターエディット時の課金サービスだったはずだが、意外とこの男もミーハーなのかもしれない。
「周りがどう評価しようと、僕はそうやって生きてきたんだ。それに、すでにソロプレイでダンジョンに潜っているプレイヤーがいるって聞いたけど?」
「キング・キリヒトか……」
ストロガノフは嘆息を漏らした。
「あの男は別格だ。キャラクターレベルや総合スキルレベル、アーツレベル……突き詰めてステータスではそこまで目を見張るものではないかもしれん。だが目を見張るべきは奴のプレイヤースキル、それに……」
「ストロガノフ。君は、それらの点において僕が彼に劣っているとでも言うのかい」
「ツワブキ・イチロー、俺は親切で忠告しているのだぞ」
決して背の低くないイチローを、ゆうに上回る巨漢ストロガノフ。彼の落ち着きつつも迫力を宿す視線が、飄々とした竜人族のそれと交錯する。漫画やアニメに出てきそうな、強者と強者の睨み合いのシーン。アイリスの数少ない経験知識によれば、だいたいこのあと、どっちかが『ふっ』と言って根負けをごまかすのだ。
「ふっ」
言った。
「大層な自信家のようだな。良かろう。おまえの実力が、このデルヴェの深奥部でどれほど通用するか……試してくるがいい」
「うん、まぁ、君に許可をもらわなくてもそうするけど」
一朗は、ちらりとアイリス、そしてキルシュヴァッサーを見た。
「もしも君が、僕に対して見せた〝親切からの忠告〟に偽りがないと言うのなら、この二人と一緒にダンジョンに潜ってくれないかな。アイリスは低レベルだけど、ポーションはたくさん持ってるし、錬金術師だからね。後衛に配置しておけば彼女なりの仕事はしてくれるよ」
「ほう?」
ストロガノフの視線が、こちらを向いた。その気になれば竜すらも睨み殺しそうな鋭い眼光だ。余計なディティール・フォーカスが発動して、アイリスも思わず身をすくめた。
「なるほど。実は先ほどポーションを切らせて引き返してきたところでな。悪くはない提案だ。見たところ、もう一人は騎士か。俺も騎士だが……護衛型か?」
「キルシュヴァッサーと申します。あなたが矛になってくださるのであれば、盾としての役目をまっとういたしましょう」
恭しく頭を下げるキルシュヴァッサーの仕草も、なかなかサマになっている。ロールプレイに力を入れる二人のプレイヤー同士。意気は一瞬で投合する。
「フハハ、よかろう」
『フハハ』も『よかろう』も、実際に言う人なんか始めて見たわ。
これが現実感のないゲームの世界だから違和感のないものの、アイリスは戦慄を隠せない。が、裏腹に、このストロガノフ氏が自分達とはなんら変わらない善意の人間であると察して、どこか落ち着いた。ロールプレイからやや攻撃的な言動もするだろうが、それだけ心に『演技をする余裕』があるということでもある。
「受け入れてくれて助かるよ。ストロガノフ、礼は何か別の形でしよう」
「気にするな。おまえがダンジョン内で野垂れ死に、手痛い授業料を支払うとなればそれでよし。もし仮に、〝あの〟キリヒトと同じようにソロ攻略を成し遂げられるのだとすれば……そのような男と言葉を交わせた事実を以ってイーブンとしよう」
「じゃあ後者だね」
イチローは肩をすくめ、ダンジョンの入り口に向き直った。一瞬、視線だけをちらりとこちらに向ける。
「それじゃあ、ちょっと行ってこようと思うよ」
「うん。まー無理はしないでね。無理の基準もあんたが決めるんでしょーけど」
「イチロー様、御武運を」
二人のギルドメンバー、そして知り合ったばかりのトッププレイヤー・ストロガノフに見送られ、ツワブキ・イチローはダンジョン内へと姿を消した。
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誤字を訂正
×日本
○2本
一部文章を訂正
×豪胆な男である
○見るからに豪胆な男である




