第一〇六話 御曹司、根回しをする
「石蕗一朗が動いているようですね」
ミライヴギアを頭から外して、秘書が言う。
株式会社ポニー・エンタテイメントのCEOであるその男は、デスクの上に山と積まれたロリポップキャンディーの中から頭を覗かせて、こう言った。
「秘書山くん、それほんと?」
「はい」
秘書が静かに頷いた。男はあからさまに不機嫌そうな顔を作り、椅子に背中を預けるようにして深く座り込んだ。
「そうかァ。もう動いちゃってるのかァ。動いてるっていうのは、秘書山くん。冤罪証明のためにってことだよねぇ?」
「それもあるようですが」
秘書は、先ほど入手した情報を、男に対して丁寧に語った。
不正アクセスの疑いによって逮捕された石蕗一朗なのだが、その実、一連の容疑はシスル・コーポレーションから脱走した人工知能によって引き起こされたものであるということが、現在すでに判明している。一朗がこの事実を証明するために何かしらのアクションを取ることは予想できていたが、どうやら見せている動きというのはそれだけでもないらしい。
人工知能ローズマリーが有する自我は、現行法によって裁くことのできない存在である。一朗にはこれがどうやら不満なようで、彼は自らの冤罪を証明する前に、ローズマリーの人権を保証できるように、各方面へと働きかけているということだった。
「具体的にそのようなことが語られたわけではありませんが、」
秘書はミライヴギアを机の上に置き、縁の薄いメガネをかけ直す。
「彼女の説明から判断するに、間違いはないかと」
「ふぅむ、そうかァ」
男は、机の上に積まれた山から、一本のロリポップキャンディーをつまみ上げた。
「しかしなかなか悠長だなァ。その間に、例の人工知能をなんとかできれば我々の勝ちではないかね」
「はい。石蕗一朗が無実を証明する手段はなくなります」
「とは言え、強行的な手段に踏み切れないのも事実かァ」
男としても、警察にいる知り合いをせっついて、人工知能が匿われているであろうサーバーマシン、ないしスーパーコンピューターを証拠品として押収するよう要請しているのだが、こちらの方がなかなかに進行しない。下の担当が、命令をだいぶゴネているということだった。
上層部にいるその知り合いは、その人工知能を抹消してまで冤罪を仕立て上げることに対してはかなり消極的であったものの、それの存在が今後の法整備に大きく関わってくる可能性を指摘すると、しぶしぶではあるが頷いていた。しかし、そいつが頷いてくれたところで、実際に捜査員が動かないのであれば意味がない。
もしも、捜査員が人工知能の押収に踏み切れないまま、一朗の方からその人工知能を証拠物として挙げられた場合、彼の無罪はほぼ確定してしまう。それにはさすがに男も忸怩たる思いだ。が、ここで法を犯すようなリスクは、やはり極力避けておきたいところである。既にかなり危ういラインを渡ってきているのだ。
「相変わらず石蕗の家は不愉快なことをするなァ」
男は、手にとったロリポップキャンディーの包装を剥ぎ取って、口にくわえる。甘ったるい感触が口内に広がった。
「まぁその件に関しては、僕もいろいろ考えておこう。それで秘書山くん、例の、TOBの件なんだがねぇ」
「はい」
しかし、やはり刺激が足りないと頭も冴えないなァ。と、男はキャンディーを舐めながら思う。
良いアイディアを考えつくためには、もう少し変わった味のロリポップキャンディーを探してみるべきだろうか。いつものようなローテンションで秘書と言葉をかわしながら、男は手元のパソコンでネット通販のページを開いた。
『ローズマリー=チャンが消されるかもしれないだと!?』
「さっきからそう言っているじゃないか」
時差を考えれば、ピッツバーグはいま真夜中のはずであったが、電話口の向こうで叫ぶ男の声は元気だった。
男は、一朗が出資して設立されたロボット工学研究所の所長である。以前、ローズマリーがやらかしたアカウントハック事件において、彼らの開発した人工知能が、ニセ御曹司・パチローを動かすためのbotとして使用された。そういった意味で、彼らはローズマリーと非常に縁深い存在である。ただし、自立稼動するメイドロボを開発するという壮大な目的をかかげる彼らは、そのブレイクスルーとなりうるローズマリーに対しては極めて紳士的だ。結果からみれば被害者の立場であるはずだが、ローズマリーのやらかしたおイタの件については、彼らはだんまりを決め込んでいた。
『なんということだ! 彼女がシスルから消えたと聞いたときは、世界中のコンピューターをハックして居場所を探したのに、まさかお前のところにいたとは!』
「今の話は聞かなかったことにしておくよ。で、僕の提案のことだけど、」
一朗が話題を翻すと、電話口の向こうで男が唸るのがわかった。グリズリーのような唸り声である。
『残念だがハード面においてもかなり課題が残っている。ローズマリー=チャンの身体にふさわしいようなボディはまだ未完成なんだ』
「別に、人型で感情を表すような動作ができるものなら、なんでもいいんだけど、」
『あんな死んだ魚のような目をしたマシンを使わせられるか! メイドロボを舐めているのか!』
「ナンセンス。今日はテンションが高いね。徹夜かい」
『まぁな!』
一朗の提案というのは、ローズマリーが法廷に出頭する際、使用できるようなロボットがあれば貸して欲しいというものであった。別にロボットでなくとも、マイクとスピーカーさえあれば会話にはこまらないわけだが、より人型に近く感情表現に適した機能を有するロボットがあれば、裁判における心象もだいぶ異なってくる。
くるのだが、まぁ、このとおりだ。彼らが不気味の谷を超えられていないというのなら、〝人間らしさ〟を数段落とし、愛嬌を感じるようなデザインのものでも構わないと言ったのだが、彼らは頑なにこだわった。ローズマリーに使わせるボディならば、ジャパニメーション風のビショージョ・アンドロイドでなければならないのだそうだ。
「まぁいいや。この件に関しては諦めよう」
技術者のこだわりについて口を出すつもりはない。一朗は素直にそう言った。
「その代わりに、さっき言ったレポートの件は任せたよ」
『ああ、任せてくれ。あることないこと書きまくってやるさ』
「ないことは書かなくて良いんだけどね」
一朗は、ひとまず彼に、これから向かって欲しい場所と、出会っておいて欲しい人物についての説明をしておいた。国内とは言っても、アメリカは広い。ピッツバーグからさほど離れた場所にはないはずではあるのだが。
電話口の向こうで、何やらバタバタとした音が聞こえる。もう出発の準備を整えているらしかった。だいぶ気が早い話だ。
『それで一朗、この教えてもらった場所に行けば、ローズマリー=チャンに会えるんだな』
「会えはしないけど、元気な彼女の姿は見れるんじゃない」
一朗は膝上においたタブレット端末を操作しながら答える。あざみ社長からのメールには、いま、ナローファンタジー・オンラインにおいてどのようなことが起きているのか、簡潔に記されていた。一朗はちょっとだけ歯がゆい心地になる。これは是非、目の前で見てみたかったものだが。
「まぁ、君の、技術者としての客観的な意見も欲しいところなんで、よろしく」
『任せてくれ。ロマンの火種はそう簡単に消させやしないさ。じゃあ今から出発するから。切るぞ』
ずいぶん気の早いことだが、行動が早いのは結構なことだ。
一朗は電話を切って、携帯をポケットにしまった。今日はやるところや、向かうところが多い。それはそれで、なんだか楽しくなることではあるのだけれど。彼はケーニッグセグのステアリングを握り直し、次の目的地へと向かうことにした。
今頃、ナロファンの中では壮絶なる戦いが繰り広げられているに違いない。やはり、直接見られないのが、少し残念だな。と、一朗は思った。




