第一〇五話 御曹司、警察に行く
すこしみじかめ
「石蕗の、俺も定年が近いんだ。あんまり心労をかけさせんでくれ」
「定年前に、なんとか警部へ昇進させてあげたいところだなぁ」
苦笑いを浮かべる警部補に対して、一朗は軽口を叩いた。
昨日一日の石蕗一朗の動きは、この万年警部補の心胆を大いに寒からしめたという。大量のカネを積んで保釈された一朗だが、その行動は実に自由なものであった。なにしろサイバー犯罪というものは証拠の隠滅がたやすく、それゆえに保釈が認められるかどうかも危ういところであったのだが、そこは石蕗のネームバリューが無言の威力を発揮したといったところである。そこに、一朗が弁護士と面会してシスルにまで乗り込んだというのだから、報告を受けた警部補は気が気ではなかった。
かわいそうなのは一朗の行動を監視していた刑事たちも同様である。一朗がやたらと高級そうな料亭やらホテルやらを行き来するおかげで、彼らもびくびくしながらそれに追従するハメになっていた。そのあたりの代金はすべて監視に気づいた一朗が支払ってやっているというのが、また実に一朗らしくて腹立たしい。
「正直なところ、状況はあまり良くないぞ。今回の件も、強引に立件させたがってる連中がいるようだしな」
「そうだろうね。昨日著莪と話したんだけど、ここで立件を阻止することは、今の僕のスタンスじゃ難しいかもしれないということだ。だからまぁ、裁判で争うことになりそうだなぁ」
「おいおい」
警部補は渋い顔を作った。
「裁判で無罪を証明されてみろ。警察の面目は丸つぶれだぞ。よりによって、ツワブキコンツェルンの御曹司を逮捕しておいてだな」
「君たちがやったのは、提出されたアクセスログをもとに客観的な判断を下し、逮捕令状を発行して僕を捕まえたという、それだけのことだ。そこにどこかしらからの、意図的な圧力がかかっていることは、大衆の知ったことじゃあないし」
一朗の話し口からするに、今回の彼の逮捕にもいろいろと上の思惑が絡んでいるらしい。警部補は大いにため息をついた。これだからこの仕事は、好きになれないのだ。
一朗には、明確な犯人の心当たりがあり、それを立証することで自身の無罪が証明できるという。昨日監視についていた刑事の話でも、それはほぼ明らかであった。彼らも状況を完全に把握しているわけではないようなのだが、何やら〝ローズマリー〟と呼ばれる女性がそれであるらしい。そして、一朗たちには、それをポンと証明して無罪を勝ち取るわけにはいかない、複雑な理由もあるようだった。
警部補は、その話を上には通していない。彼の独断で、自分のところで止めておくことにした。長年、現場を張ってきた男のカンではあるのだが、そのローズマリーという人物の存在自体を、非常に都合が悪く思っているような人間も、おそらく上層部にはいる。そしてそれは、最近、著莪俊作がことあるごとに話していた、法の再整備にまつわる話でもあろう。
「俺もいろいろゴネてはおくがな、まぁ、お前の方で手を打ってもらわんとどうにもならんこともあるぞ。近々、お前の家のスパコンとかも、証拠として押収するという話だしな」
「そこは精一杯ゴネておいて欲しいところかな」
一朗は、どこか遠くを見るような眼差しでそう言った。
どうやら彼は、また非常に面倒くさいものを相手どることになっているらしい。どうせ、ポニー社の重役あたりであろう。ポニーの現経営陣が、一朗の父である石蕗明朗と何かしらの確執があるという話は、警部補も耳にしていた。話してくれたのは後輩だ。キャリア組で世渡りの上手い後輩は、既に警部補の手の届かないような要職についているらしい。
「で、石蕗の。お前は、これからどうするんだ?」
「警部補は既に聞いているかもしれないけど、僕はローズマリーをフェアに裁くための根回しをする必要がある。その上で、まぁたぶん、ポニー社だとは思うんだけど、彼らとは正面からやりあうつもり」
「ポニー社の買収とかすりゃ、早いと思うんだがな」
「それは、最後までやりたくないんだ。まだ、やらなくても何とかなる。まだね」
警部補は複雑な顔を作った。既に、視野には入れているということか。彼は、一朗がそれなりにナローファンタジー・オンラインを楽しんでいる身であることや、その楽しみ方を維持するために経営者の立場に回ることができないことなどは知らない。知らないのだが、一朗が半ば本気で望んでいないことに手を出す可能性があることを、長年の付き合いで察知した。
「まぁ、お前さんが下手なことしないで済むように、俺も頑張るよ」
「ありがとう」
一朗が笑う。
頑張ると言っても、彼にできるのは上に流れる情報を止めたり、下におりる命令をゴネたり、すっとぼけたりすることだけなのだが。どのみち、この分では定年までに警部は無理そうだな、と万年警部補は思った。
「と、いうことなのよ」
アイリスの言葉を、一同は真剣に聞いていた。
一同というのは、赤き斜陽の騎士団リーダー・ストロガノフと、ガスパチョ、ティラミス、ゴルゴンゾーラ、パルミジャーノ・レッジャーノ。双頭の白蛇マツナガ。あとはあめしょーに苫小牧。ユーリとザ・キリヒツなどなど。
芙蓉めぐみの自室からログインしたアイリスは、とりあえず知り合いに片っ端から声をかけ、御曹司がどのような状況に置かれているかを解説した。会話ログが取られる可能性について、ちらりと考えないでもなかったのだが、そこは直接の運営者であり、ほぼ確実に味方と言えるポジションのあざみ社長を信頼することにした。
場所は、騎士団のギルド本部に存在する大きな会議室である。今までツワブキ・イチローに関与した様々なプレイヤー(関与していなかった者もちらほらいる)を収容してなおスペースに余裕があるあたり、さすがはゲーム内最大ギルドと言えよう。赤く惹かれた絨毯は荘厳で、ばたりと倒れ伏し光の粒子と消えた……いや、彼のことはもう良いか。
ともあれ、彼らは真剣にアイリスの話を聞いた。アイリスは、ローズマリーが人工知能であることについて話すかは迷ったのだが、そこだけは巧妙に隠しながら、なんとか説明を終わらせることができた。小細工に適さない武闘派の弁舌にあっては、なかなか骨の折れる行為である。ただ、何人かはアイリスの言葉影から、何かしらを読み取った様子だった。
最初に口を開いたのは、マツナガである。
「まぁ要するに無罪ってことなんですよね。良かったですよ」
「そうだな」
ストロガノフも頷く。
「まぁ、何かやる男だと思ってはいたが、悪い奴ではない」
「そのローズマリーって人が、昨日、ヨザクラさんの中に入っていたプレイヤーなんだな」
「キルシュさんのお友達って言ってたよね。外国の人なのかな」
これはキリヒト(リーダー)とユーリである。
「う、うん。どーなのかしらねー。あたしも直接会ったわけじゃないから、わからないんだけど」
円卓を囲みながら、アイリスはしどろもどろで答える。
円卓は、以前のグランドクエストの際、マツナガによって企画された連立ギルド会議で使用されたものだった。その頃に比べると、あたしも変わったもんだわ、とアイリスは思う。もちろんその認識はおおいに正しいが、おそらくアイリス本人は、一番明確な変化が起きた点については認識していないだろう。得てして成長とはそういったものである。
閑話休題だ。
「そう言えば、昨日はみんな、ローズマリーと話をしたんでしょ? どうだった?」
アイリスはたずねた。彼女も、シスル本社で会話ログをちらっと見ただけで、具体的にどのような話をしていたかは知らないのだ。
「ツワブキさんのこと、どう思うかって話だったよ」
「御曹司の?」
ユーリの言葉に、アイリスは首をかしげた。
「まぁ好きに答えさせてもらいましたがね。多分、あれでしょう。情報収集ですね。敵を知り己を知れば、百戦危うからずって奴ですよ」
マツナガも賢しらに語る。
「敵なのか? ツワブキは、そのローズマリーと戦うつもりだと?」
「団長、やだぁー」
「ストロガノフ、あんた割と朴念仁だね」
なるほど、まぁそんなところだろう。アイリスも納得した。もっともこのゲームの中で、御曹司のイメージについて聞いてまわったところで、あまり参考になるようなものが得られるとも思えないのだが。まぁ盲目的かつ一方的に恋をしているだけでは実りが得られないことは、アイリスの大親友が身体と年齢をもって証明している。
しかし、今日はその御曹司はもちろん、キルシュヴァッサーやヨザクラもログインしている様子が見られない。まだ朝早い時間帯ではあるし、当然といえば当然なのか。御曹司が家に帰れたかどうかまでは把握していないし、キルシュヴァッサーはいつもどおりであれば家事の終わる昼過ぎくらいにログインしてくる。
「まぁ、ローズマリーさんがまだツワブキさん家にいるなら、またログインしてくるんじゃないですかね」
マツナガはいつものニヤケ笑いを浮かべ、肩をすくめながら言った。
「なんで?」
「そりゃあほら、ツワブキさんのことを知るなら、まだ話をしなきゃいけないような人が、あと二人いますし」
「あと、二人?」
アイリスは首をかしげる。一人は想像がつくが、もう一人がわからない。それほどまでに御曹司と密接に関わっているようなプレイヤーが、果たしていただろうか。
答えは、予想だにしない方向からやってきた。
「その通りです」
聞きなれたアバターの声。一同の視線が、会議室の扉に向く。
銀髪のポニーテールを結わえた、和装メイドがそこに立っていた。となりには暗黒面から復帰した課金卿キルシュヴァッサーの姿。同じプレイヤーのアバターが二つ並んでいるということで、アイリスは妙な違和感を覚える。キルシュヴァッサーは、苦笑いのようなものを浮かべながら片手を振っていた。
「いやぁ、アイリス。申し訳りませんな。ヨザクラが、どうしてもというものですから」
「えっ、何が?」
「話し合いの件です」
ヨザクラ、すなわち、ローズマリーは、抑揚の薄い平坦な口調で言う。形の良い白魚のような指先が、びしりとアイリスに向けられた。
「お父様には敗北を認めましたが、アイリス。私は、あなたと話し合いの必要性を認識しています」
割れんばかりの拍手喝采が、会議室に巻き起こる。
どういうことだ、と、アイリスは思った。




