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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
二十二膳目

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行方不明のわかと温かな粕汁・下

 俺が買ってきた薄揚げと、塩抜きした鮭を鍋に入れて軽く煮込む。すべての具材に火が通ったところで、酒粕と味噌を加える。すると、美味しい鮭の粕汁の出来上がりだ。里芋を入れるとねっとりとした食感が生まれて、汁も冷めにくくなる。冷たくなった体も芯から温めてくれる、冬にありがたい汁物だ。


 まだ眠っているわかには、勝吉さんが自分の布団を部屋から持ってきて、そっとかけてくれた。しのもりんさんも、博少尉に抱えられたわかの姿を見たときには涙ぐんでいた。長屋の子どもは、皆の子ども――そんな雰囲気があるからだ。探しに行けなかった分も、二人はずっと心配していた。

「みんな、粕汁をどうぞ。寒かったでしょう」

 子猫たちは、暖かい部屋に連れてこられて目が覚めたのか、俺の声と同時にわかの懐から飛び出した。そして、ちょこちょことしのの足元までやってくる。鮭のいい匂いに、お腹がすいてしまったのだろう。

「兄ちゃん、この子たちに鮭をやってもいいかな?」

 子猫が母猫に甘えるようにしのに体を擦りつけると、しのは嬉しそうに頬をゆるめた。わかを温めてくれた子猫たちに恩義を感じているのか、おとよさんも「お願いだ」と言いたげな目で俺を見てくる。泣きはらした赤い目のままだが、その表情はいつもの優しいおとよさんだった。その姿に、俺は少しほっとした。

「もちろん。でも、塩気を抜いたやつをあげてくれ」

 猫は腎臓病になりやすい――そんな話を聞いた気がする。しのは「うん」と頷いて、三毛猫と黒猫を抱き上げた。まだ小さいから、二匹ともしのの腕にすっぽり収まっている。

「みんなは、こっちだよ」

 りんさんがわかを探しに行ってくれていた男衆に声をかけながら、出来たばかりの温かな粕汁を豪快に汁椀によそってくれた。定食を食べに来ていた客たちはもう帰っていて、店の中には長屋の住人と尊さん、そして博少尉だけだ。

「里芋が入っているのか?」

 りんさんから椀と箸を受け取った尊さんが、汁を一口飲んで少し驚いたように呟いた。

「恭ちゃんの粕汁には入ってるんだよ。初めて食べたときはびっくりしたけど、粕汁に合うんだ。それに――懐かしくて、ほっとする味に思うんだよ」

 源三さんが、尊さんにそう声をかけた。やっぱり、野菜の話になるとつい会話に入りたくなるみたいだ。


 明治時代の粕汁には里芋は一般的ではなかったらしい。いつから里芋を入れるようになったのか俺も知らないけど、歴史を変えるほどのことじゃない。だから俺は、美味しくなるために入れている。みんなが喜んでくれるのが、何より嬉しい。


「うん、合いますね。こんなにおいしくて懐かしい粕汁は、初めてです」

 尊さんが笑いながらそう言うと、源三さんも瞳を細めて嬉しそうな顔になった。

「しかし、なんでわかは外で寝てたんだ? 畑まで来たなら、恭介の店の中に入ったらよかったのにな」

 松吉さんが首を傾げながらそう言うと、おとよさんも困ったような顔になって、粕汁を飲む手を止めた。そして、布団の中でまだ寝ているわかへ視線を向けた。

「子供には子供なりの理由があるのかもしれないですね。でも、そろそろわかちゃんを起こしてもいいですか? 具合が悪くないか、心配なんです」

 博少尉は、まだ粕汁に手を付けていない。尊さんの横に座っていたが、真剣な面持ちでずっとわかに視線を向けていた。

「確かに。おとよさん、一度起こしてあげなよ」

 りんさんも心配そうな声音になって、竈から離れた。りんさんの隣で鮭の身をほぐしていたしのも、小さく頷いた。

「分かりました――わか、わか。起きなさい」

 おとよさんが布団を脇によけて、わかの体を軽く揺すった。二、三回体を揺すられたわかは「うぅーん」と、眠そうな声を漏らした。だが、ゆっくりと体を起こした。

「おはよう……おっかさん」

「おはようさん。わか、体の具合はどうだい?」

「ん……? 眠かったよ」

 目をごしごしとこすっているわかの声はしっかりとしていて、どうやら大丈夫そうだ。心配していた清も安心したのか、松吉さんに笑顔を向けた。

「わか、なんであんなところで寝てたんだい?」

 源三さんがそう尋ねると、わかが不思議そうに首を傾げた。

「……ん。わか、みどりの見つけたからとってたの。でも、さむくてねむくて……」

「見つけた? 何を?」

 清がわかの側に来て、続いてそう尋ねた。普段一緒に遊んでいるから、清はすっかりわかのお兄さんになっている。

「これだよ」

 わかは袖をぎゅっと押さえた。どうやら、何かを大切にしまっているようだった。それを取り出そうとして――ポトリ、と板張りの床に落ちた。

「これは……(よもぎ)かい?」

 おとよさんが、わかの落としたものを拾ってそう呟いた。源三さんが「そうだ」と、頷く。

「あ……まさか、わか。昨日の客の話かい?」

 しばらく不思議そうに蓬を見ていたおとよさんだったが、何かを思い出したように声を上げた。おとよさんのその声に、皆がびっくりして顔を向けた。

「おっかさん、それちょうだい」

 わかは起き上がるとおとよさんの手から蓬を取って、それを握ると真っすぐに勝平さんの元に走った。

「かっちゃん、これ!」

「え?」

 竈の薪を調節していた勝平さんは、赤い頬で駆け寄ってきたわかと差し出された蓬を見比べて、意味が分からず困った顔になった。

「昨日、山菜を売りに来た客が言ってたんだよ。あかぎれには、蓬がいいねって」

 おとよさんがわかと勝平さんに歩み寄ると、勝平さんの手を取った。勝平さんの手は、冬に水仕事を率先してくれている証のように赤くなってひび割れをしていて、血が滲んでいる。この時代みんなあかぎれを抱えているけど、勝平さんの手は俺たちよりずっとひどいかもしれない。

 あかぎれには江戸時代からある紫雲膏(しうんこう)が一般的だ。現代でも売っている薬だし、ばあちゃんが冬になるとよく使っていた。俺は使ったことがないけど、パッケージはよく見ていたんだ。

 けど俺たちが普段使いするには、まだ高価な薬なんだ。俺やしのも、使ったことはなかった。

「わかが、その話をよく聞いていたからね。勝平さんの手の事が、この子なりに心配だったのかもしれない――使ってくれないかい?」

「――え……」

 勝平さんとおとよさんたちの出会い方は、あまりよく無かった。あの時わかはいなかったけど、勝平さんは源三さんやおとよさんに申し訳ない気持ちを抱えていたのかもしれない。そんなおとよさんやわかに親切にされて、勝平さんは戸惑ったのかな。

「わかちゃん。勝平さんの手、心配だよね。ありがとうね、よくなるようにこの蓬使わせてもらうよ」

 困惑している勝平さんの横にしのが立って、わかに笑いかけた。そして、わかの手から蓬を受け取る。

「あ……あ、ありがとうございます!」

 その光景を見て我に返ったのか、勝平さんがわかとおとよさんに頭を下げた。目元が赤くなっているから、泣いていたのかもしれない。

「せっかくわかが見つけたんだ。使ってくれ」

 源三さんが小さく笑って、煙管を咥えた。穏やかな空気が、蕗谷亭に優しく流れていた。


「博。もう冷めてしまったんじゃないか?」

 長屋のみんなが勝平さんの周りで話しているのを見てから、尊さんはずっと黙ったままの博少尉に話しかけた。まだ手を付けていない博少尉の粕汁は、確かにもう冷めて冷たくなっている。

「あ……すみません」

「大丈夫です、温かいのを入れ直しますよ」

 俺は申し訳なさそうな博少尉から汁椀を受け取って、温かい粕汁を新しい椀に入れて博少尉に渡した。いつもの博少尉の雰囲気に戻っていた。

「お前は、あの少女と何かあるのか?」

 尊さんも、それが気になっていたようだ。わかが行方不明と聞いてから、ずっと様子がおかしかったもんね。

「いえ、違うんです」

 博少尉は温かな椀を両手で持って――しばらく湯気を見てから、少し悲しそうな顔になった。

「僕と兄の下に――妹がいたんです。四つの時に攫われて……それから見つかっていません。同じ年頃の女の子を見ると、どうしても懐かしくなって、心配になって……」

 それから、博少尉は黙ってしまった。聞いていた俺は、胸が締め付けられる気がした。

「わかは、見つかった。そして、無事だ。お前の妹も、きっと優しい人のところで、元気で過ごしているだろう。もしかすると、今博と同じように粕汁を飲んでいるかもな」

 尊さんはそう言うと、箸を博少尉に差し出した。

 この時代、女の子は遊郭に売られていまう。優しい人と一緒にいる可能性が低いことは、尊さんも博少尉も分かっているはずだ。でも、尊さんが博少尉の為を思ってそう言ったことは、俺も――博少尉も、分かっていた。

「そうですね……うん、そうだと思います」

 箸を受け取ると、博少尉はまず湯気が漂う汁を一口飲んだ。

「味噌が程よく野菜に馴染んで、野菜の甘さをより引き出している。口に入れると程よく崩れるけど、噛む楽しみも残っている。勿論里芋は美味しいけど、大根は本当に美味しいなぁ……うん、鮭もしょっぱくなくて本当に美味しくて……温まりますね」

 博少尉のロイド眼鏡が、粕汁の湯気で曇ってしまった。


「にゃーお」

 三毛猫が、そんな博少尉の膝の上に飛び乗った。黒猫の方は、わかが抱きしめている。

「本当に恭介の料理は美味くて温かくて――人が集まる味だ」

 ポンと博少尉の肩を叩いた尊さんの笑顔に、俺は頭を下げた。本当に――みんなが幸せに感じる料理を作りたい。そう改めて思った寒い日の粕汁だった。

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