不良少年勝平とライスカレー・中
今日の昼の定食から手早く作れる、ごぼう天と牛肉の甘辛煮入りうどんといなり寿司と漬物を少年の前に置くと、最初は遠慮していたのか全然手を付けなかった。
「食べなよ、冷たくなっちまう」
説明もせずに連れてきた少年にしのもりんさんも驚いていたが、ぐぅぐぅと腹を鳴らしている様子にしのが耐え兼ねて声をかけた。昼の支度が終わり、蕗谷亭は美味しそうな香りに包まれていた。余計にお腹がすいたのだろう。
「俺、金はねぇぞ。食えねぇよ」
「要らないよ。そんなにお腹をすかしてる人から、俺は代金をとる気はない」
何処か粗暴な雰囲気がある少年だったが、俺がそう言うとしのは怖がることなく「はい」と箸を差し出した。
笑顔を見せているしのを見返し、それでも一度躊躇った。だが、少年はようやく箸を受け取った。
丼を持ち上げて口を付けると、あっという間にうどんを汁まで綺麗に平らげた。続いていなり寿司も漬物も、彼は綺麗に食べ終える。
「もしかして、足りないかい?」
名残惜しそうに丼を見つめている少年に気が付いて、りんさんが慌てておにぎりを二つ握って渡した。それも、たちまちなくなってしまった。
「いくらお腹がすきすぎていても、一度に食べ過ぎると腹が苦しくなる。晩飯まで、ゆっくりしな」
「はい――ごちそうさまでした」
りんさんがそう言ってお茶を淹れてやると、少年は素直に頭を下げてきちんと食後の挨拶をした。なんだ、やっぱり悪い人じゃない。
「俺は、蕗谷恭介。こっちは妹のしのに、間宮りんさん。この裏手の六軒長屋で、みんな住んでいるんだ。そして、ここでは俺たちが食事処を開いている」
食べ終わった食器を片付けながら、俺は自分たちの事を少年に話す。
「お前の店なのか? ……すごいな……」
少年は蕗谷亭を見渡してから、小さな声を零した。大根泥棒をしようとした自分の境遇と、比べているのかもしれない。
「俺は、中島勝平だ。露西亜と戦争したとき頃に生まれたらしい。父親は、戦争で死んだよ。おっかさんが育ててくれてたけど、六年くらい前に流行り病で死んじまったよ。一人になった俺は、親戚に紹介してもらった奉公先に行ってた。けど……あいつら、俺を人間扱いしなかった。このままじゃ野垂れ死ぬって思ったから、必死で貯めた小銭で東京まで逃げてきた」
お茶を飲んで一息ついてそう名乗った少年は、自分の素性を話してくれた。日露戦争の頃という事は、一、二歳俺たちより年上なのだろう。まだ戸籍の届けなどがあいまいな時代だから、誰も正確な生まれ年を気にしていない。
「生まれはどこなんだい?」
「名古屋の西の方の、小さな農村だよ。本当に何にもない、田んぼばかりの――田舎だ」
よく見ると、薄汚れた勝平の着物から見える肌は、痣や傷跡が多く見えた。この時代の田舎の奉公先は、まだまだ厳しいと聞く。
ゆみ……神戸に奉公に行っている彼女は、元気にしているだろうか。
俺やしのは、本当に恵まれすぎているのかもしれない。
「あの八百屋の――女主人、お前たちの知り合いなんだよな。腹が減りすぎて、つい大根を盗んでしまった。俺は、本当に申し訳ないことをした。ちゃんと謝りに行く……その前に、美味い飯を食わしてくれてありがとうな。本当に、久しぶりにうまい飯を食ったよ。味付けは全然違うのに、おっかさんを思い出した」
そう言うと、勝平は俺に深々と頭を下げた。破落戸に見える分、素直に謝れる彼が悲しかった。
「警察?」
突然の不穏な言葉に、しのとりんさんが俺と勝平を見比べていた。
「その必要はないよ」
蕗谷亭に、長屋のみんながぞろぞろと姿を見せ始めた。いつの間にか、昼の時間になっていたらしい。薬研製薬のまかないがなくなった今、昼は前ほど忙しくはなかった。
おとよさんと源三さんが俺たちのところに来ると、勝平は慌てて畳の上で土下座をした。
「途中からしか聞いていないが、食うに困ってたんだろ? 大根も恭介のおかげで返ってきたし、今回は見逃してやる。ただし、次はするなよ? お前も生きるのに必死だろうけど、俺たちも裕福なわけじゃない。これからはちゃんと、生きるために努力をしろ。女手一つで育ててくれたおっかさんに、顔向けできない事はするな」
源三さんはそう言うと、軽く勝平の頭をポンと叩いて昼飯を受け取りに行った。おとよさんも、何も言わず微笑んでそれに続いた。
「すんません……本当に、すみませんでした!」
わずかに目元を潤ませると、勝平はもう一度深く畳に額を擦り付けてそう大きな声で謝った。
「住むところも、仕事もないのかい。じゃあ、飯を食いながらみんなで相談しようか。住む所が決まって仕事を始めれば、悪さなんてできないだろ」
おっとりと、松吉さんがそう言った。「そうだね、人手を探しているところなんてあったかね?」とまつさんも続いて、昼飯が乗ったお盆を手にして食卓へと向かう。
その光景に、勝平は驚いているようだ。顔を上げると、不安げに俺に視線を向ける。
泥棒未遂をした、正体も知らない子供を心配してくれる大人がいることが、彼には信じられなかったのだろう。
「大丈夫。俺たちみんなで、勝平さんが生活できるように考えるよ――その前に、風呂に行きませんか?」
「それがいい。着物は、俺のを使えばいい。今辰子さんが俺の長屋にいるはずだから、手ごろなもん出して貰って持っていきな。余っている着物があるはずだよ」
そう言ってくれたのは、高藤さんだ。以前は「龍ちゃん」と呼んでいたのに、いつの間にか「辰子さん」になっていた。その辰子さんが、仕事がない日は高藤さんの部屋で過ごしていることも、長屋のみんな知っていた。
「助かります。じゃあ、俺が一緒にいきますね。しのとりんさん、後をよろしくお願いします」
「おい、そこまで世話になるのは……」
「ずいぶん垢を溜め込んでるから、綺麗にしておきなよ。恭ちゃん、後は任せておきな」
りんさんの言葉に、勝平は長い事風呂に入っていなかったことを思い出したのだろう。少し恥ずかしそうに礼を言い、女性陣から視線を逸らした。




