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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
十膳目

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31/67

お別れには炊き込みご飯握り・下

 その日は早くに起きて、俺は台所に立っていた。出汁をとりながら鳥肉と山菜、沢山のきのこを切る。まだ、時刻は朝の四時だ。最近は空が明るくなるのが早くなったが、それでもまだ薄暗い。竈に火を焚いて、その灯りで俺は準備をしていた。

 東京にはそろそろ電気が普及し始めているが、まだまだ庶民の家にはない。竈の火と石油ランプの明かりが、家族の光だ。


 しのは、まだ起きていない。ふみが朝の七時には汽車に乗る。それより前に家を出るだろうから、俺はいつもより早く起きた。

 しのとかよは、それぞれふみの為にお別れの品を用意しているらしい。俺はお別れの品を何にしようか迷ったが、美味い飯を作るしか出来ない。汽車の中で食べられるように、鶏肉ときのこの炊き込みご飯を作る事にした。これは尊さん達にも渡すため、多めに作る予定だ。


 しのがふみの家に行き聞いた話だが、ふみは新橋駅から出る列車で神戸駅に向かうという事らしかった。明治二十一年には、東京から神戸まで行く列車が走り出している。昔は、乗り継ぎで行くからもっと時間がかかったらしい。

 神戸港に近い最近盛んな織物工場が、海外に向けて販売するため人手を多く探していたそうだ。ふみはまだ十歳なのに、一人で知らない土地に行くのは不安だろう。俺が、この時代に来た時のように心配で不安なはずだ。しかし子供の俺には、ふみの為に何も出来なかった。しのやおっかさんを一人でまだ守れない俺には、無理な話だ。

 

 白米に切った具材を入れて、酒、味醂(みりん)、醤油、だし汁を入れて水を加える。竈の上に乗せていると、次第にいい匂いが漂ってくる。その香りで目が覚めたのか、五時を回るといつものようにしのが部屋から出てきた。

「おはよう、兄ちゃん。いい匂いだねぇ。ふみちゃん達にあげるの?」

「おはよう、しの。そうだよ。汽車で食べて貰おうかと思ってな――尊さん達も、最後の日本食になるだろうし」

「ふみちゃんと尊さんがいなくなるの、寂しいね。かよちゃんとも、会えるのが少なくなるし」

 しのは新しい長火鉢の俺の部屋兼茶の間で、下駄に足を入れてぶらぶらとさせた。尊さんはやはり、独逸の伯林(ベルリン)に三年間滞在する予定だ。確か第一次世界戦争が大正の初め頃に始まった気がするから、尊さんには絶対に三年で帰って欲しいと俺は願っていた。少なくても、明治時代が終わる前に、戻ってきて欲しい。

 歴史を変えてはいけないと分かっている。でも、やはり知ってる人の命は出来る限り守りたかった。もしこれを尊さんに伝えてしまって先の未来が変わるとは、思っていなかった――というか、思いたくなかった。



「こんなに早くに来てくれて、ありがとう」

 六時過ぎにふみの家に着くと、ふみはずっと泣いていたのか目が真っ赤だった。かよも、少し遅れて慌てて来た。

 ふみが手にしている荷物は、本当に少なかった。風呂敷には、着物や肌着と筆記用具が少し。それらだけが入った、風呂敷が一つだけだ。俺は、ますますふみが不憫に思えた。

「ふみちゃん、最初は大変だと思うからこれ使って」

 かよがふみに渡したのは、切手の束だった。三銭の文字が見えるから、封書用だろう。

「こんなにたくさん! 駄目だよ、かよちゃん」

「わたしもしのちゃんも、ふみちゃんの手紙楽しみにしてるんだよ。だから、使ってほしいの。お願いだから」

 返そうとするふみの手を、かよが押し返して強くそう言った。かよの熱意に負けたのか、ふみは小さく「ありがとう」と言って、大事そうに風呂敷の中に切手を入れた。

「あたしからは、これ」

 しのはおっかさんにお願いをして買って貰った、小さな手鏡が入った箱を渡した。流石に新品は無理なので、しのは中古の鏡を綺麗になるまで一生懸命磨いていた。

「わあ、しのちゃんまで……嬉しい、ありがとう。あたし、大事にするよ。自分の鏡はないから、向こうで使うね」

「俺は――ふみが喜ぶものが分かんなくて。こんなので、ごめん」

 そう言って、しのと一緒に握ったきのこの炊き込みご飯握りと漬物を包んだ竹の皮の弁当を、申し訳なさそうに差し出した。それと昨日鶏肉を買いに行った帰りに寄った、赤坂氷川(ひかわ)神社の厄除け守りを一緒に出す。

「いいの、お守り大事にするよ! ありがとう、あたしこそ皆に何もあげれなくてごめんね」

 ふみは俺の手からお弁当とお守りを受け取ると、そのお守りをそっと掌で包むように握ってから兵児帯の前に入れた。

「ふみ、そろそろ用意をしなさい」

 家から、ふみの父親と母親が出てきた。神戸に行く他の子達との集合場所まで、親が連れて行くらしい。かよはふみの手を握った。その上に、しのが手を置く。俺も、そっと手を重ねた。


「また必ず、こうしてみんなで会おうね」



 ふみやかよと分かれて、俺としのは一旦家に戻った。そうして尊さん達の為の弁当が入った風呂敷包みを担いで、今度は赤坂の薬研製薬まで向かった。薬研氏と門田さんが乗った馬車がその十分後くらいに来てくれて、俺達を乗せてくれた。

 船は、横浜港から出るらしい。馬車で東京駅に向かい、そこから汽車で横浜港だ。

 俺達は「おはようございます」と挨拶したきり、到着するまで誰も何も言わなかった。しかし空は雲が一つもない――尊さんの旅を祝うかのように、綺麗な青空が広がっていた。

 

「恭介にしの――お前たちまで来てくれたのか」

 横浜港に着き俺達が尊さんの姿を探していると、向こうから声をかけてくれた。人が多い中自分を呼ぶ声に「ひゃ!」と、しのが変な声を上げた。

「父さん、行って参ります」

 そんなしのの頭をポンと撫でて、尊さんは薬研氏に頭を下げた。真新しい洋装姿の尊さんは、歳より大人びて見えた。その後ろで、陸奥さんと男の人が三人同じように深々と頭を下げている。

 同じようにこの船に乗るだろう人と見送る人――沢山の声で、辺りは賑わっていた。洋装姿の人が多かったが、俺たちのように着物姿の人もいる。多分、外国に働きに行く人たちなんだろう。希望に満ち溢れた、騒がしいくらいの活気にあふれていた。

 港に泊まっている船に運ばれる荷物の多さが、海外に向けて羽ばたく人たちの未来のように見えた。


 しかし俺達の空間は、どこか静かに感じられた。


「沢山学んでくるんや。人を導くのに恥じひんよう、立派な男にな」

「はい」

「……体には、十分気を付けるんやで」

「父さんこそ」

 ふみの家では感じなかった、短いが親愛がこもった親子の別れの会話だった。関西弁が自然に出たのも薬研製薬の社長という顔ではなく、一人の父親としてここにいるからだろう。

 俺は二人を見ていて、懐かしい令和の両親や祖母をほんの少しだけ思い出した。俺が居なくても、元気にしているだろうか?


「尊さんも陸奥さんも――皆さん、気を付けて行ってらっしゃい」

「気を付けてね」

 俺としのも、薬研氏の隣に立って尊さん達に頭を下げた。そうしてから、お弁当の入った風呂敷を陸奥さんに渡す。人数分だけ風呂敷に入れて、余った一つはしのが抱えている。

「俺が帰ってくるまで、お前も立派な料理人になるように頑張れ。たまには便りを送る――お前が作った日本食は、船の中でみんなで頂くよ。ありがとう、お前の飯が恋しくならない内に、必ず俺は日本に帰ってくる。それまで、父さんを頼む」

 尊さんが笑って、俺にそう言う。俺は――少し尊さんに歩み寄って、そっと彼だけ聞こえるように囁いた。


「必ず、必ず三年で帰ってください――でなければ、大きな(いくさ)に巻き込まれます。必ず」


 その言葉に、驚いたように尊さんは瞳を大きく見開いた。

「恭介――それは、どういう意味だ?」

「尊様、もう船に乗る時間です」

 理由を聞こうとした尊さんだったが、陸奥さんに声をかけられた。辺りを見れば、人々が順番に船に乗る所だった。尊さんは不機嫌そうに眉を寄せたが、ジャケットの胸ポケットから懐中時計を取り出して俺に押し付けた。


「その答えは、帰ってからゆっくり聞こう。これは、俺からの餞別(せんべつ)だ――達者でな。父さんもしのも、元気で」


 尊さん達も船に乗り込んで、俺達は大きく手を振って見送った――必ず、尊さんが帰ってきますように。俺は恩人の無事を、心から願っていた。



「もう十日ほどで食堂が始まる。覚悟は出来ているな?」

 来た時と同じように、汽車に乗って東京駅へ。そこから、また馬車に乗った。

 その帰りの汽車の中で、薬研氏がそっとハンカチで涙を拭ってから俺にそう声をかけてきた。俺も気持ちを入れ替えて、力強く頷いた。

「はい! 来月の献立は紙に書いて、もう提出しています。頑張って蕗谷亭を始めます!」

「頑張ります!」

 俺の隣のしのも同じようにそう言って、ズレそうな眼鏡を押さえた。


「――儂にもくれんか? 尊にやった、同じ弁当を」

 薬研氏の言葉に、しのは不思議そうな顔で手に持っていた余った包みを差し出した。それを受け取った薬研氏は、竹の皮を開いて炊き込みご飯握りを一口齧った。

「――うん、美味いなぁ。きのこの香りが引き立ってる。成程、香りのよい松茸に味のいいヒラタケと椎茸か。鶏肉もいい油で出汁と混じって、味わい深くなっている。だがしつこくない油で、米が光って目も楽しく食べやすい。お前の作る洋食は目新しくて勿論美味いが、和食もそれと同じく上手に作るなぁ――きっと、尊は早くお前の飯が食いたくなって帰ってくるはずや」

「俺もそう信じてます。尊さんが帰ってきたら、びっくりするほど美味い飯を作りますね!」

 俺の言葉に、薬研氏はようやく小さく笑った。


 こうして、しばらく尊さんがいない不安を抱えたまま、俺は料理人見習いとしての新しい道を進んだ――これで歴史が大きく変わらないといいな、と再び思いながら。

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