入学・飛び級試験(1)
「筆記用具は持ったか? 試験の受付票と受験番号用紙はあるか? 向こうに着いたら受付で受付票と受験番号用紙を見せるんだぞ?」
朝食後、わたしの宮にやって来たお兄様は、準備を整えたわたしを見て心配そうにそう言った。
今日は入学試験の日でもあった。
午前中に入学試験を、午後に飛び級試験を受ける予定なので、今日は一日学院にいることになるだろう。
これまできちんと勉強してきたから不安はない。
どちらの試験も通る自信がある。
勉強を教えてくれたお兄様や教師達からも、これなら大丈夫だと言ってもらえたし、自分でも、教師達が実施してくれた模擬試験でかなり高得点を取れたのが嬉しかった。
変に緊張することもなく、今朝から穏やかな気持ちで過ごせている。
むしろ宮に来たお兄様の方が緊張している。
「大丈夫ですわ、お兄様。わたしは万全の状態です」
ルルが持ってくれている鞄には必要な物は揃えてある。忘れ物がないか、ルルと、リニアさんと、メルティさんと三回も確認した。
予備のペンやインクもあるし、票も用紙も入れた。
わたしの言葉にお兄様がホッとした顔をする。
「そうか、リュシエンヌがそう言うなら本当に大丈夫なのだろう」
「ええ、必ずや入学して、お兄様と同じクラスになってみせます。期待していてください」
いつにも増して自信満々なわたしにお兄様は目を丸くし、そしてパッと破顔した。
「分かった、期待してる」
そしてわたしの頭を「頑張れよ」と撫でた。
お父様もお兄様も、わたしが成長しても頭を撫でる癖はなくならない。
でも今はそれに勇気付けられる。
「はい、では行ってきます」
お兄様が頷いた。
「ああ、行っておいで」
見送られながら馬車が走り出す。
今日初めて学院の敷地内に入るのだ。
その期待に胸が高鳴る。
ルルがわたしを見て笑った。
「リュシー、目がキラキラしてるよぉ」
「だって学院に行くの、ずっと楽しみだったから」
「そうだねぇ、リュシーの言う『原作』の場所だもんねぇ」
それに頷き返す。
「でも今は、素直に学院ってどんな場所なのかなって思ってるよ」
昔は原作の舞台だからと気になっていた。
けれど、今現在はお兄様達が通う学院に私も通いたい、学院生活を送ってみたいと思う。
学院に行かないようにしたいと考えた時もあったが、ここまで頑張って勉強をしてきたので、自分の実力がどのくらいあるのか試してみたい。
それに学院にはルルも従者兼護衛として同行出来るから不安はない。
「そっかぁ。まあ、一年だけだし一緒に楽しもう?」
「うん、放課後にカフェテリアで一緒にお茶したり、買い物に行ったりしようね。放課後デートは学生の特権なの」
ルルが小さくふふっと笑った。
「それじゃあやっておかないとねぇ」
そのためにも絶対に入学しないとね。
* * * * *
自分の席につき、鞄を膝の上に置く。
学院に到着すると教師や上級生らしき人達が立っており、試験を受けに来た者が迷わないように案内していた。
わたしも馬車から降りて、ルルから鞄を受け取り、受付を済ませたら教室まで案内してもらった。
ルルとは別々になったけれど、多分、今もどこかから見守ってくれているだろう。
……どこかというか恐らく天井かな?
他にも数名の子達と一緒に上級生に案内されて教室に入り、自分の受験番号と同じ数字の席に着く。
みんな緊張しているのかお喋りしている者はいない。
……まるで前世の受験戦争みたい。
その記憶のおかげか不思議と落ち着いている。
シンと静まり返ってピリピリとした空気に包まれていても、気にしないでいられる。
鞄の中から筆記用具を出して机に並べた。
インク壺、ペン、ペン立て、定規、円を描くためのコンパス、一応予備のインク壺とペン。
必要なものを並べたら早々に鞄を机の横にかける。
時計を見れば試験開始までまだ時間があった。
……お手洗いに行っておこう。
席を立ち、廊下に出れば、上級生が立っていた。
「すみません、お化粧を整えたいんですが……」
「それでしたらこの廊下を真っ直ぐに行った突き当たりの左手にございますわ。時間までにお戻りくださいませ」
「分かりました、ありがとうございます」
ニコリと笑みを返してくれた上級生に、感謝の気持ちを込めて浅く礼を執り、廊下を進む。
今日は学院がお休みなのだろう。
建物の中に人気は全くない。
廊下の突き当たり、左手側のお手洗いで用を済ませてゆっくりと廊下やそこに接する教室を眺めつつ、元の教室へと戻っていく。
……前世の大学に近い感じかしら?
教室というより講義室という感じが近い。
でもお兄様やエカチェリーナ様は教室と呼ぶので、わたしも教室と呼ぶことにした。
教室へ戻り、自分の席に着く。
それからしばらくして教室に教師が入ってきた。
「それではこれより試験を行う。筆記用具以外は全部仕舞うように。もし関係ないものが出ていたら不正行為をしているとみなされるかもしれないからな」
………リシャール=フェザンディエ?
原作で何度も見た、原作通りの姿をしている。
……あれ? でも口調が違う。
ゲーム内のリシャールと言えば女好きの軟派者だったが、目の前で受験者達に試験の説明を行なっている教師は真面目そうだ。
甘い顔立ちなのは変わらないが、口調もハキハキしているし、緩い雰囲気は感じられない。
それに疑問を感じながらもリシャールの注意の通り、今一度、机の上を見る。
そして必要なもの以外がないことを確かめる。
全ての受験者が動かなくなると、リシャールが確かめて回り、それから答案用紙を先に配られる。
……こういうところは前世の世界と一緒だ。
どこか懐かしさを感じつつ、自分の分を取り、後ろの人へ残りの答案用紙を渡す。
全員に行き渡ると、今度は問題用紙が配られる。
それも全員に行き渡ったのを確認し、リシャールが時計を見上げた。
「試験は算術、魔法、教養、社会の四教科あり、一教科四十五分だ。質問があれば静かに手を上げてくれ。出来ても出来なくても四十五分で問題用紙と答案用紙は回収する。早く終わっても席を立たずに時間が来るまで待っているように。何か質問はあるか?」
誰も何も言わない。
大きな砂時計がひっくり返される。
「では始め!」
わたしは問題用紙に目を通す。
算術はわたしの得意教科だ。
答案用紙は裏表があり、全ての問題を最初に見ておくことにした。
…………ん? んん?
ペン立てに入れていたペンを持ち、先をインク壺に浸しながら問題用紙をまじまじと見る。
……え、何これ、どれも簡単だ!
ペンを持ち直すと答案用紙にペンを滑らせる。
計算式もしっかり書き込んで、答えに辿り着き、それもきちんと書く。
驚いたことに、問題を見ただけでパッと頭の中に計算式や答えが浮かぶのだ。
後はそれを答案用紙に書いていくだけ。
計算式と答えを書く手が止まらない。
……ああ、楽しい! こんなにスラスラ解けるなんて気持ちいい!!
わたしは夢中になって書き続けた。
* * * * *
……うわあ、リュシーってばすっごく楽しそ〜。
天井裏からリュシエンヌを見下ろす。
他の子供達と同様に机に向かっているが、他の子供達と違い、リュシエンヌの手は止まることを知らないかのように動き続けている。
最初に少しだけ時間をかけて問題用紙を眺めていたが、その後、ペンを持つと勢いよく答案用紙にペンを走らせ始めた。
それからずっと、リュシエンヌの手は止まらない。
問題を見ているのかと心配になるくらいだ。
延々と書き続けているリュシエンヌに周りの子供達が気付いて、リュシエンヌを気にする素振りを見せたが、教師に睨まれると慌てて自分の答案用紙に向き直っていた。
……きっと問題を解くのが楽しいんだろうなぁ。
元々リュシエンヌは勉強が嫌いじゃない。
特に問題を解いた時のすっきりした気分が心地好いのだと以前言っていたので、恐らく、今、その心地好い状態なのだろう。
あれでは下手したら規定時間の半分の時間で全て解き終えてしまうかもしれない。
……あ〜、正面からリュシーの顔見れたら良かったんだけどねぇ。
きっと、あの琥珀の瞳をキラキラさせながら問題を解いているはずだ。
でも後ろ姿でもリュシエンヌの機嫌の良さが見て取れるので、ルフェーヴルはそれで我慢することにした。
多分、試験の結果が出ればリュシエンヌはまず最初にルフェーヴルへ報告してくれるだろう。
嬉しげな光を宿した琥珀の瞳が「頑張ったから褒めて」と言うようにルフェーヴルを見上げ、期待に満ちた美しいそれを間近で見ることが出来る。
それはルフェーヴルだけの特権である。
…………ペン、潰れそうな勢いだねぇ。
予備のペンもあるため大丈夫だろうが、それくらい、リュシエンヌの書く勢いは凄まじかった。
そして規定時間の半分ほど過ぎた辺りでリュシエンヌの手が止まった。
どうやら答案用紙の全ての枠を埋めたらしい。
ペンをペン立てに戻し、リュシエンヌが問題用紙と答案用紙を交互に見る動作を繰り返す。
答えが合っているかの確認だろう。
十分ほどかけてじっくりと確かめると、満足そうに息をついて、答案用紙から手を離した。
そして時計を見上げて小首を傾げている。
思ったよりも時間がかからなかったからだろう。
リュシエンヌはしばし時計をぼんやり眺めていたが、その後、問題用紙に視線を落としてまた頭から問題を読み直しているようだった。
……リュシーなら飛び級も夢じゃないだろうなぁ。
その後の教科も概ねそのような感じであった。
* * * * *
午前中の入学試験はあっという間に終わった。
どの教科も簡単で、わたしは少し拍子抜けしてしまった。
もっと難しくてもいいと思ったくらいだ。
だが入学試験だからこれでいいのかもしれない。
これから色々学んでいくのだ。
……ああ、そっか、わたしはお兄様から既に一年生と二年生の勉強を教わっている。
だから入学試験を簡単に感じるのだろう。
教室から出ると、上級生に声をかけられた。
「王女殿下は午後の試験をお受けになるとお聞きいたしました。よろしければカフェテリアまでご案内させていただきます」
昼食は用意してきたけれど、食べる場所をどうしようかと思っていたのでありがたい提案だった。
「ありがとうございます。正面玄関で従者が待っておりますので、そちらに一度寄ってからでもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。ではご案内いたしますわ」
そうして上級生に案内してもらいながら、正面玄関へ戻る。
「午後の試験も同じ教室で行うそうです。カフェテリアにいらっしゃるのでしたら、頃合いのお時間にお迎えに上がりますが、いかがでしょう?」
「えっ? それはご迷惑ではありませんか? こうして案内していただけるだけでもとても助かっていますのに……」
上級生の申し出はありがたいが、申し訳ない。
戸惑うわたしに上級生が微笑ましそうに目を細めた。
「構いませんわ。私も午後まで残る予定がありますので、お気になさらないでください」
そう言われると、それ以上断るのが失礼になってしまう。
わたしは申し訳ないと思いながらも、そうさせてもらうことにした。
「では、お言葉に甘えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
上級生がにっこりと笑みを浮かべた。
「はい、もちろんでございます」
正面玄関に戻ると他の子達の使用人達もおり、わたしが玄関に出ると、すぐにルルが近付いてきた。
ルルと合流してカフェテリアへ向かう。
カフェテリアは温室のように大きな窓が並んでおり、美しい庭を眺めながら食事が出来るようになっていた。
案内してくれた上級生にお礼を言い、それからルルと二人であまり目立たなさそうな位置にあるテーブルへ座る。
ルルがここまで運んできたバスケットをテーブルの上に置く。
「良い所だねぇ」
ほどよく日当たりがよく、けれど魔法で空気が循環しているのか暑くなく、丁度良い気温が保たれている。
「そうだね、すごく居心地がいい」
「ここで昼食に出来て良かったねぇ」
午後も試験があるため、宮の料理人が軽食を用意して持たせてくれたのだ。
バスケットは普通のものだけれど、中に保冷用の魔法式が書かれた布が敷いてあり、小さな魔石が縫い付けられており、それによってバスケット内は冷蔵庫のようにひんやりと保冷されている。
ルルに手拭きを渡されて、それで手を拭う。
いつの間にかインクが飛んでいたようで、手拭きの布が少し汚れた。
すぐにルルが新しい手拭きを渡してくれて、それを受け取って置いていると、今度は軽食が差し出される。
わたしの好きなたまごのサンドウィッチだ。
ルルと一緒に短く食事の祈りを告げて、サンドウィッチにかじりつく。
一口大の小さなものだけど、わたしでは一口で食べるには少々大きい。
どうせ周りには誰もいないのでかじりついた。
「うん、美味しいっ」
宮の料理人が腕が良くて、いつだって美味しい食事を作ってくれる。
しかもこの二年半でわたしの好みを覚えて、わたしの好きそうなものを一生懸命考えて出してくれるので、毎日食事が楽しみなのだ。
わたしが食べ終えると次を差し出される。
今度はベーコンとトマトと葉野菜を挟んだものだ。




