正しさと命令
可愛らしいリボンやフリル、レースなどがあちこちにあしらわれた部屋。
様々な物でやや溢れたような印象を受ける。
そのどれもが買い与えられた物だった。
一つ一つでもそれなりに値の張る品が飾り棚に目一杯に押し込まれており、入り切らずに棚の上にまで置かれている。
そしてそのどれもが既に主人の関心を失い、ただそこに置かれるだけの存在となってしまった。
カーテンやベッドの天蓋、ソファーのクッションなどはまるでおとぎ話のお姫様のようにゴテゴテと飾り立てられていた。
それらも主人の気まぐれによって頻繁に取り替えられるため、長く同じものが使われ続けることはない。
使用人達はその部屋を綺麗に保たねばならない。
もし埃や汚れでもあろうものなら、部屋の主人が怒り、ありもしないことを両親に言いつけるのである。
そんな部屋の中にある机の前で部屋の主人である少女、オリヴィエ=セリエールが届いたばかりの手紙を開封し、その中身を読むと机にそれを叩きつけた。
「何よこれ!?」
叩きつけられた手紙はよく磨かれたテーブルの上を少しばかり滑って止まった。
机の上にはムーラン伯爵家とロチエ公爵家の封蝋がされた手紙が広げられ、攻略対象のうちの二人、レアンドルとアンリからのものだった。
この一年、街へ出掛けて必死に攻略対象達に出会おうとしたが、実際に会えたのはこの二人だけだ。
残りのリシャールとロイドウェル、アリスティードにはどういうわけか会えていない。
原作で三人が行っていそうな場所にも出掛けたし、王城付近にも行ったし、アリスティードが公務で孤児院を見て回る中でたまたま孤児院に来ていたヒロインと出会うというイベントのためにわざわざ孤児院にも足を運んだ。
イベントのためでなければ孤児院なんか行きたくなかったが仕方がない。
……小さい子供って言うこと聞かないから嫌なのよね。
しかも孤児院の子供達は古びた服で、あまり身綺麗じゃなく、オリヴィエのドレスに汚い手でベタベタと触ってくる。
そのせいで着れなくなったドレスもあった。
遊んで欲しいと我が儘を言うし、食べ物が欲しいと縋りついてくるし、睨んでくる子供もいて全く可愛くないのだ。
だがアリスティードは孤児院に来なかった。
どうやら視察する孤児院から、オリヴィエのいた孤児院は外れていたらしい。骨折り損である。
それ以降オリヴィエは孤児院に行くのをやめた。
どうせ両親が孤児院に金を払っているのだから、せめて出会いイベントの場にくらいなってもらいたかったところだ。
母親は意外にも熱心に孤児院へ金だけでなく日用品や消耗品などを買い与えているようで、時折、孤児院へ誘われることがある。
でもオリヴィエは行きたくなかったので「前に孤児院に行ったら子供に叩かれたので怖い」と言って断り、母親もそれ以上は何も言わなかった。
孤児院の子供達はあまり躾が行き届いていないからオリヴィエの話を信じたのだろう。
しかし孤児院のことなど今はどうでもいい。
問題はレアンドルとアンリの方だ。
会えないなら、二人のどちらかを経由して会おうと思っていたのに、その二人から今後は連絡を控えて欲しいと手紙がきた。
その理由が婚約をしたからというものだった。
「私はヒロインなのよっ? 普通は私を優先するでしょ! 私のことが好きになってるはずなんだから!!」
少々気は早いが、レアンドルとアンリと何度か会って好感度を上げる行動を繰り返していた。
二人の反応からしても好感度はなかなかに高くなっているはずだ。
それだというのに突然のこの手紙である。
婚約したこと、父親である当主に周囲に勘違いされるような行動はしないよう注意されたこと、そのためオリヴィエとの付き合いは今後は控えるという内容だった。
……いや、でもこれはこれで友情エンドということになるのかしら?
隠しキャラであるルフェーヴルに辿り着くにはアリスティードの友情エンドで全員とお友達状態で学院を卒業しなければならない。
この二人を攻略してはいけないのだ。
「そうよ、私の目的はルフェーヴル様なんだから」
ルフェーヴルは学院卒業後まで会えない。
彼との出会いイベントは卒業後、王城で働き始めてから発生するのである。
それまでまだ後数年は待たなければならない。
何としても残りの三人に会って、仲を深めて、友情エンドにまで持っていきたい。
そうしなければ愛する彼には会えないのだ。
「でも、やっぱりムカつくのよね」
どうせ婚約と言っても家同士の繋がりを作るためのものだろう。
原作の攻略対象達は皆そうだった。
……ヒロインである私にまずは告白して、私にフラれてから婚約しなさいよね。
それならオリヴィエは快く婚約を認めただろう。
たとえ攻略対象達の結婚相手が自分でないとしても、その心は自分にあるのだという優越感が欲しかった。
「そうだわ、返事を書かなきゃ」
ヒロインのオリヴィエが書きそうな健気な手紙を送れば、きっと二人の好感度は更に上がるだろう。
婚約者の女達は歯噛みするかもしれない。
想像するだけで愉快な気持ちになる。
……ここはヒロインである私の世界なんだから。
オリヴィエを優先するのが当然だ。
そして攻略対象達は全員オリヴィエに跪き、愛を乞うべきなのだ。
それこそが正しい世界なのだ。
そして彼らの愛を振り切り、オリヴィエはルフェーヴルと結ばれるのである。
その場面を想像してオリヴィエはうっとりと目を細めた。
* * * * *
わたしは十三歳になった。
あの後、お父様が言っていた通り攻略対象達はロイドウェルを含む全員が婚約を発表した。
お兄様はエカチェリーナ様と。
ロイドウェルはミランダ様と。
アンリは侯爵家のご令嬢と。
レアンドルは伯爵家のご令嬢と。
そして驚いたことに、実はハーシア様の婚約者はあのリシャールだった。
攻略対象は全員まだ婚約者がいないものだとばかり思っていたので予想外だ。
それにリシャールと言えば原作では女好きでかなりチャラい教師だったので、ハーシア様との関係が想像もつかない。
でもハーシア様いわくリシャールは少々軟派なところはあるが優しく明るい人物であるらしい。
……うーん……。
婚約者が出来たことで攻略対象達は全員、行動には十分注意するようにと言われているはずだ。
……だけどそれでオリヴィエ=セリエールが諦めるとは思えない。
あの行動を見る限り、相当ゲームをやり込んだ人間が転生していると思う。
そうでなければ攻略対象に会うために毎日街に出たり、行きそうな場所に何度も足を運ぶはずがない。
しかしルルのルートを狙っているのなら、どうして他の攻略対象達に近付くのだろうか。
「もしかしてファンディスクかな……」
わたしも結構ゲームをやり込んだタイプなので、わたしが知らないということは、ファンディスク要素なのだろう。
そればかりは先に死んだのが悔やまれる。
向こうがファンディスクを遊んでいたとすると少々厄介だ。
わたしの知らないイベントや攻略対象達とのやり取りがあり、それによっては今の状況が覆る可能性もあり得る。
……今はわたしの方が有利だけど。
もしも攻略対象達がオリヴィエ=セリエール側につけば、わたしに勝ち目はない。
眉を顰めていると眉間にルルの指が触れた。
「シワ寄ってるよぉ」
軽くむにむにと眉間を押された。
「ヒロインちゃんのこと考えてるでしょ?」
「……うん」
ルルにはお見通しのようだ。
「大丈夫だよぉ。王サマも、アリスティードもこっち側だし、オレだってリュシーの味方なんだからぁ」
もう一度、うんと頷く。
分かっているけど不安になる。
ルルがベッドに広がったわたしの髪を手で梳く。
その優しい手付きにホッとした。
「もしどうしようもなくなったら、オレがリュシーを連れて逃げちゃえばいいよ」
「……それもそうだね」
わたしにはルルさえいればいい。
わたし側の負けとは、ルルが離れるか、わたしが破滅するかなのだ。
たとえ破滅ルートに進んだとしても途中でルルがわたしを攫っていってしまえばいい。
「まずいなって思ったら迷わず攫ってね」
「そのつもりだよ。でも、まあ、もうちょっとアリスティード達のことを信じてあげたら?」
「お兄様達を?」
「うん。あんなにリュシーのこと大事にしてくれてるんだし、きっとあいつらは大丈夫だよ」
……そうだね、もっと信じよう。
お父様やお兄様はいつもわたしを大事にしてくれている。
だからわたしもちゃんと二人を信じてみよう。
……家族だからね。
義理だけど、今までの時間はきっと嘘じゃない。
「お父様達を信じるよ」
「この国で一番権力持ってるしねぇ」
「ふふ、そこが重要なの?」
茶化すように笑ったルルにわたしも笑みが漏れる。
「それならわたしだって権力あるよ?」
何せ王女なのだから。
そう、いざとなれば王女の身分を使ったっていい。
オリヴィエ=セリエールに対抗するには、なりふり構っていられない。
「それに一応オレの主人だしぃ?」
「もし男爵令嬢がルルにすり寄ってきたら、わたしの命令だからって言って突き放してね?」
「リュシーの命令っていい響きぃ。せっかくだから今オレに命令してよ」
期待の込められた灰色の瞳が見つめてくる。
「今?」
「そう、今、聞きたい」
ベッドから身を起こしてルルに向き直る。
……命令、命令かあ。
どういう命令がいいだろうか。
ヒロインちゃんと関わるな?
それはルルがどうこうというより、あちらが勝手に近付いてくるだろうから命令するのとは違う気がする。
ジッと見つめてくるルルを見る。
……ルルが望んでる命令ってなんだろう?
ルルはわたしに執着してる。
それは実感してるし、ルルも自分で言ってるし、その執着が嬉しいでむしろ大歓迎だ。
そしてわたしもルルに執着して、依存してる。
それをルルは喜んでくれてる。
そういう命令の方がいいかもしれない。
身勝手で、自己中心的で、相手を縛る。
「ルフェーヴル=ニコルソン」
フルネームで呼べばルルが目を丸くした。
「あなたはわたしだけを愛しなさい。わたしだけを見て、わたしだけを欲しがって、わたしだけを唯一としてその命を捧げなさい」
ルルの瞳がキラリと煌めいた。
仰々しい仕草でルルは胸に手を当て、礼を執る。
差し出したわたしの右手にルルが触れ、そっと、触れるか否かという具合で手の甲にキスをする。
「オレのリュシー。お姫サマ。あなたが望むなら、喜んでこの命を捧げ、あなただけを愛し、望み、欲すると誓うよ」
そのキスを受け入れる。
「代わりにこの身、この命、全てをあなたに捧げます」
今度はわたしがルルの手にキスをする。
手袋越しだけど。
……まるで結婚式の宣誓みたいね。
顔を上げれば蕩けるような笑みのルルがいた。
こつん、と額同士が重なる。
「ふふ、結婚式みたいだねぇ?」
同じことを考えていたらしい。
「二人だけの結婚式、いいね」
誰も来ない寂れた教会でいい。
ドレスも華やかな飾り付けもいらない。
小さなブーケとレースを被って、誰もいない二人だけの結婚式を挙げるのだ。
わたし達の結婚を見届けるのは女神様だけ。
ルルが目を細める。
「結婚式、二回しよっか?」
一度目は王女としての結婚式。
王女の結婚だからどうしたってやらねばならない。
最低限でもそれなりの数の招待客になるし、飾りやドレスもきっと豪華なものになるだろう。
二度目はただのリュシーとしての結婚。
「そっちはオレとリュシーだけで」
「うん、しよう」
お互いに笑い合う。
「命令、忘れないでね」
わたしの言葉にルルが頷く。
「忘れないよ。オレに命令出来るのはリュシーくらいだし」
……それもそうかもしれない。
無邪気に笑うルルにわたしは納得した。
何せ闇ギルドでも三本の指に入る実力派の暗殺者なのだから。
そう簡単に命令など出来ないだろう。




