クリューガー公爵邸のお茶会(2)
このような方がエカチェリーナ様の側にいるのも、わたしの手助けをしてくれるのも心強い。
……なるほど、お兄様が覚えているわけね。
ハーシア様はおっとりしているけれど物怖じしない性格で、外見の儚さとは裏腹に強かそうな感じがする。
ミランダ様は気位の高そうな感じで、確かに勝気だけれど、実は王家に忠誠心が厚く、騎士を目指している。
少し話してみただけでも二人とも頼り甲斐のある方なのだと実感した。
ルルも二人がわたしと接することに異論はないらしく、嫌がる素振りは見せなかった。
何より二人ともお兄様にもルルにも興味がない様子なのが安心する。
お兄様が覚えていたのもそういう理由だろう。
「わたくしがリュシエンヌ様のお側にいられない時はこの二人か、どちらかが代わりに侍らせていただきます。社交の面ではハーシア様が、ないとは思いますが無礼な振る舞いをする者がおりましたら武力の面ではミランダ様がお守りいたします」
…………ん?
「あの、武力の面ではルルがいるのですが……」
エカチェリーナが首を振る。
「相手が男性であればニコルソン男爵の方がよろしいですが、女性相手の場合ですと、男性であるニコルソン男爵が手を出すのは問題になってしまいますわ」
……ああ、それもそうか。
例えばわたしに暴力を振るおうとしたのが男性だった場合、ルルが対処しても問題ない。
でも相手が女性だった場合、男性のルルが相手に触れたり止めたりというのは少々よろしくない。
もし相手がそれで叫んだり必要以上に痛がったりすれば、逆にルルの立場が悪くなってしまう可能性もある。
そんなことになったらわたしが王女の権力を使って絶対に止めるけど。
「女性の諍いに男性が割り込むと拗れると昔から言いますでしょう?」
確かに、と納得するわたしとは反対にルルは「ふぅん?」と分かってるんだか分かっていないんだか判断し難い返事を漏らしていた。
それにルルはわたしに暴力を振るおうとする人間には容赦しないし、許しはしないだろう。
王女であるわたしにそんなことをする人間はただの自殺願望者だ。
だからエカチェリーナ様は「いないと思う」と前置きをしたのだが、それでもその配慮が嬉しかった。
お手洗いとか同性でないと入れない場所もある。
そういう時、一人になるのはまずい。
わたしは教会での一件以降、一人になることはまずなかった。
必ずルルか、リニアさんやメルティさん、護衛の騎士達、そして王城では大勢のメイド達が側に控えていた。
一人になれないことでたまにストレスを感じることもあったが、わたし自身の身の安全のためにルルやお父様が気を配ってくれていると思えば嫌な気はしない。
「そっちのラエリア公爵令嬢はどうなの〜?」
ルルに問われてハーシア様が胸を張る。
「こう見えて護身術は得意ですのよ。それにいざとなればリュシエンヌ様をお守りするために命を捧げる覚悟は出来ております。王家に仕える者として当然の覚悟ですもの。ねえ、ミランダ様?」
「ええ、もちろんですわ」
ハーシア様もなかなかに忠誠心が厚いようだ。
ご令嬢でこれなのだから、きっとラエリア公爵家も、ボードウィン侯爵家も当主やその家族揃って忠誠心厚い人々なのだろう。
そのような家がお父様に仕えてくれている。
そのような家がお兄様の時代にも残る。
その頃にはもうわたしは表舞台から姿を消しているけれど、王家と貴族が信頼し、互いに支え合って、この国の未来は安泰だ。
お父様もお兄様も国の平穏を乱す者には容赦しないだろうから、そのような者も減るだろう。
「ハーシア様とミランダ様のお気持ちはとても嬉しいです。ですがご自分の命を大事になさってください。皆様のような方々こそがこの国には必要なのですから」
「リュシエンヌ様……」
「そのお言葉だけで私達は十分でございます」
と、何やら感動されてしまった。
……本当に命は大事にして欲しいなあ。
二人はエカチェリーナ様の腹心なら、何れは王太子妃の、やがては王妃の手足となるのだろう。
そんな国にとっても大事な人達をわたしのせいで失うのは惜しい。
エカチェリーナ様に視線を向けてみても、ただ微笑を浮かべているだけで、二人を止めてはくれなかった。
……うーん、エカチェリーナ様も同じ考えなの?
そうだとしたらこの場に助けを求められる相手はいない。
ルルは「リュシーの代わりに死ぬならいい」くらいにしか考えてなさそうだし。
「さあ、難しい話はこれまでにいたしましょう」
エカチェリーナ様がそう話を切ってくれたので、何とかわたしはそれ以上困ることはなかった。
その後は貴族達の構図や相関図、社交界で今流れている噂から流行りまで、色々な話を聞かせてもらった。
流行りに関しては、わたしは王女らしく流行の先陣を切ることが出来たらしい。
初の公務の時のドレスがとても印象的だったそうで、最近は金銀細工で華美に装飾品を作るよりも、リボンに宝石や金銀細工をつけたものを身に纏うのが流行り始めているそうだ。
一部の女性からは肌荒れがなくなったと喜びの声も上がったようだ。
……それって金属アレルギーでは?
「人によっては肌や体質に合わず、貴金属のせいでお肌が荒れたり具合を悪くしてしまうこともあると以前本で読んだことがあります」
と、話してみたら、三人は真面目な顔で聞いていた。
どうやらそれぞれ何か思い当たる節があったらしく、リボンの装飾品が今後大いに流行るだろうと言っていた。
ドレスとお揃いのリボンって結構可愛いのだ。
女性からしたら可愛いし、お肌に優しいし、あえてドレスと違う色のリボンを選ぶことで差し色にすることも出来るので楽しい。
それとこのお茶会にもつけて来ている、顔を隠すためのレースもそうだ。
さすがに顔を隠す目的がないので垂れるほど大量につけることはないが、髪飾りなどにレースをあしらうのも流行になりつつあるらしい。
「派手なものや華美なものが忌避されると、どうしてもドレスが地味になってしまいますから、リボンやレースでそれとなく華やかさを演出するのは品があってよろしいのですわ」
そう言ったハーシア様もよく見ればリボンの装飾品にレースをあしらった髪飾りをつけていた。
「わたくしはリボンが擦れると肌が痛くなるので、あまりつけられないでしょう」
エカチェリーナ様が残念そうに呟く。
そういえばエカチェリーナ様は金銀細工の装飾品で、リボンは首元だけだ。
リボンは質の良い絹が良いけれど、それでも、やはり人によっては擦れてしまってダメなのだろう。
「でしたら装飾品にリボンを結ぶのはいかがですか? それならば布があまり肌に触れないので擦れて痛いということも起き難いと思います」
「逆の発想ですわね。でもリボンが宝石を邪魔してしまわないかしら?」
「宝石を外して代わりに小さなリボンをいくつか結ぶとか、いっそ、リボンの形の金銀細工を作るのはどうでしょう?」
細身の金銀のブレスレットに小さなリボンが並んでいるのも可愛いだろうし、リボンの形のチャームがついたものも絶対に可愛い。
エカチェリーナ様が想像したのか目尻を下げた。
「リボンの形の装飾品はきっと可愛いですわ」
「リボンが流行りだからと言って布のリボンだけがそうとは限りませんでしょう?」
「ネックレスにリボンのトップをつけたら素敵ね」
「それならピアスもお揃いにしたいわ」
女性が四人も集まれば騒がしくなる。
あれこれと話しながら、楽しいお茶会の時間はあっという間に過ぎていった。
ルルは退屈だったかもしれないが。
お茶会の数日後、わたしの元に可愛らしいリボンに小さなダイヤモンドがあしらわれた細身のネックレスとお揃いのブレスレット、ピアス、それからネックレスのトップとお揃いのルル用のカフスボタンが贈られてきた。
……エカチェリーナ様仕事が早い。
そのためにルルにピアス用の穴を開けてもらったのだが、それはまた別の話である。
しばらくはリボンやそれをモチーフにした物が流行りそうだ。
そうしてリボンとレースのブームが貴族だけでなく平民の間にも広がり、長く親しまれることになるとは、その時のわたしは夢にも思わなかった。
* * * * *
令嬢達のお茶会というのは退屈だ。
ただお茶をしながら流行や噂話を口にして、無駄な時間を過ごすだけ。
……まあ、リュシエンヌがいるならそういうのも悪くないけどねぇ。
リュシエンヌと出会うまで、そういった『緩い時間』が好きではなかった。
そもそも何かを好きだと感じる時間もほぼなかった。
ルフェーヴルは暗殺者だが殺しが好きというわけではない。
それが最も自分の得意なことだっただけだ。
斜め前に座るリュシエンヌの顔はあまり見えない。
それでも嬉しそうな、楽しそうな声は出会った時から心惹かれるもので、今ではそれを聞いていると穏やかな気持ちになれる。
昔の何をしても、何を見てもつまらなくて無関心だった頃からは想像も出来ない。
時折リュシエンヌが気遣うように振り返る。
ルフェーヴルが笑いかけるだけで、嬉しそうにリュシエンヌが微笑み、美しい琥珀の瞳が煌めいた。
それだけで穴の空いていたはずの心が満たされる。
リュシエンヌと出会ってからはお茶会などの『緩い時間』も悪くないと思えるようになった。
リュシエンヌと過ごす時間が好きだ。
……リュシーはいつでも真っ直ぐだからかなぁ。
好意も、感情も、隠さずにルフェーヴルへ向けられる。
今はもう何も隠すことがなくなったからか、最近のリュシエンヌは一層ルフェーヴルに傾倒している。
ルフェーヴルもまたそうだ。
最も得意な暗殺はルフェーヴルにとっては退屈な時間を潰し、金を稼ぐためだけの行為でしかなかった。
自分の決まりごとを作って仕事を難しくすることで遊んでいたとも言える。
それが楽しいかと言われれば、そうでもない。
標的を暗殺する。追い詰めて殺す。
殺した瞬間に一斉に向けられる敵意や殺意。
その高揚感が、ルフェーヴルの退屈な人生における数少ない刺激だった。
けれども今はその刺激に興味はない。
リュシエンヌとの日々の方がルフェーヴルにはずっと刺激的で楽しい時間だからだ。
予測がつくようでつかないリュシエンヌ。
前世の記憶とやらがあるからだろうか。
不思議な雰囲気を持っている。
そこにいるだけなのに視線が引き寄せられる。
あの美しい琥珀の瞳に魅入られてしまう。
あれが自分のものだと思うと満足感がある。
誰よりも可愛いリュシエンヌ。
もう昔の憐れで可哀想な子供ではない。
それでもルフェーヴルにとっては可愛い自分だけのチョコレートなのだ。
重たいほどの信頼感がいい。
真っ直ぐすぎる好意がいい。
「ルル、喉渇いてない? 大丈夫?」
と、こっそり問われて頷き返す。
「大丈夫だよぉ」
間諜の仕事の時は、狭い空間に身を潜めて何時間も水分をとらないこと、空腹を我慢することもある。
それに比べればどうということはない。
「喉が渇いたりお腹空いたりしたら言ってね? 無理しないでちょっと下がって、飲んだり食べたりしてね?」
「リニアさんもだよ」と念押しするリュシエンヌにルフェーヴルは一緒について来た侍女と共に頷いた。
使用人もこういったことには慣れている。
三人の令嬢達が微笑ましげにリュシエンヌを見た。
扇子で口元を隠して話しているが、さほど距離があるわけではないので、令嬢達にはしっかり聞こえているだろう。
リュシエンヌの声はよく通るから尚更だ。
どうやらその自覚はないらしい。
でもそのおかげでルフェーヴルは離れていても、騒がしい場所でも、リュシエンヌの声が聞き取れる。
「帰ったら一緒にお茶しようね」
その声だけがルフェーヴルの飢えを癒してくれる。
……ああ、早くオレだけのものにしたいなぁ。
今度の休みこそ二人の家を必ず見つけよう、とルフェーヴルはリュシエンヌの後頭部を見ながら考えていた。
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