オリヴィエ=セリエール
「ああ、もう! 何で会えないのよっ!?」
こじんまりとした馬車に揺られながら、少女が不満げに地団駄を踏む。
その音や揺れが伝わっているだろうに御者は我関せずといった様子で馬車を走らせる。
少女はイライラとした様子で美しく整えられた自身の爪を噛んだ。
明るく柔らかな金色の髪に、夏の深緑のように色鮮やかな瞳を持つ少女、オリヴィエ=セリエールはその庇護欲を誘う可愛らしい顔を顰めている。
オリヴィエには前世の記憶があった。
いや、オリヴィエは前世の記憶を引き継いでいた。
前世は地球という星の、日本という国で華の女子高生生活を謳歌していた少女だった。
好きなゲームの攻略サイトを見ている時に突き飛ばされ、電車に轢かれて死ぬまでは。
……ヒカキミの世界のヒロインに生まれ変わったのは最高だけど、死んだ瞬間を何度も夢に見て最悪だし。
前世のオリヴィエを突き飛ばしたのは隣のクラスの地味な男子だった。
名前も覚えていないが、以前、友達と遊んだ時に罰ゲームで告白した男子だ。
……あの地味さで私と付き合えると思ってたとかマジキモかったし?
罰ゲームの告白なのに喜んでて友達にはウケたけど、前世のオリヴィエからしたらキモくてダサくて付き合う気など微塵も起きなかった。
……ちょっとからかっただけなのに、まさかアイツに殺されるとは思わなかったわ。
腹は立つが、こうして大好きなゲーム『光差す世界で君と』通称ヒカキミの世界に生まれ変わる機会をくれたことだけは感謝している。
今日のお城での園遊会は本編ではなく後に売り出されたファンディスク要素であったから知っていた。
男爵家に養子に入ってすぐにあるイベントだ。
ファンディスクはヒロインがアリスティードルートのトゥルーエンドという流れから始まるのだ。
そしてそこから、本編後の友達同士になっていた攻略対象達と恋愛が出来る。
その中で全員の幼少期の姿を見ることも出来る。
ファンディスクで全員を攻略すると隠しキャラが解放される。
前世のオリヴィエはその隠しキャラに恋をしてしまった。
……ああ、ルフェーヴル様……。
その姿を思い出すだけでうっとりしてしまう。
全攻略対象のルートを全てクリアした後でないと会えない特別な彼。
暗殺者という暗い職業でありながら、あえて明るい道化のように振る舞う孤独な存在。
ルフェーヴルルートは選択肢を一つでも間違えることが許されないが、前世のオリヴィエは散々やり込んだ。
それこそセリフを一言一句迷わず言えるくらい。
「それなのに……!」
今日は幼少期の攻略対象達と一気に出会えるイベントのはずだった。
バラに髪が絡まってしまったオリヴィエに気付いたアリスティードが助けてくれて、一緒に来た攻略対象達とも会える特別イベントだ。
選択肢を誤ると、男爵家に養子に入れるタイミングがズレてしまい、このイベントを逃してしまう。
そしてこのイベントを逃すと今度は別々に出会いイベントを消化しないといけないので大変なのだ。
ファンディスクでは、攻略対象と恋愛関係を築いていく中で、実は幼少期に既に出会っていたことが判明する。
過去編も何度も繰り返した。
だからオリヴィエは正しい選択肢で来た。
そのはずなのに、何故か今日、攻略対象達に会えなかった。
いや、遠目には見たが近付くことは出来なかった。
近付けば原作から外れてしまう。
でも原作通りらしく、アリスティードの傍には悪役王女のリュシエンヌがいた。
エスコートしていた男は背を向けていたため顔が分からなかったがロイドウェルではなく、原作のリュシエンヌは何人もの男に囲まれていたのできっとそのうちの一人だろう。
悪役がいるなら本編の学院も原作通りのはずだ。
「ちっ、面倒だけど一人ずつイベントをやってくしかないわね」
アリスティード、ロイドウェル、アンリ、レアンドル、リシャール。
それぞれと今のうちに出会っておかなければ。
「まずはレアンドルかしら?」
出会いは攻略しやすい順になっている。
レアンドル、アンリ、リシャール、ロイドウェル、そしてアリスティード。
今回の園遊会で会えなかったのは少々痛いが、まだ巻き返しは十分に可能だ。
十五歳の入学まで後三年もある。
この三年間で五人と出会っておけばいい。
「待っててね、ルフェーヴル様」
あのルフェーヴルの執着を受けるのも、依存されるのも、蕩けるほどの笑みを向けられるのも。
全てヒロインのオリヴィエだけなのだから。
* * * * *
園遊会の後、ルフェーヴルは闇ギルドに一つ依頼をした。
それは金髪に緑眼の少女『ヒロインちゃん』についてである。
闇ギルドの情報部に調べるよう頼んだのだ。
自分で調べようかとも思ったが、リュシエンヌに出来るだけ関わって欲しくないと言われたため、ルフェーヴルは闇ギルドに任せたのだ。
ギルド長は怪訝そうな顔をしていたが、ルフェーヴルが高額を支払うと申しでればあっさりと依頼を受けた。
そして三日後には情報が差し出された。
リュシエンヌが存在を危惧している『ヒロインちゃん』ことオリヴィエ=セリエールの全ての情報が書かれていた。
名前、性別、年齢、誕生日、外見的特徴からこれまでの生い立ちまで調べ尽くされている。
体重や体の部位の大きさ、黒子の数まで書かれているのはどうでも良いが、よくそこまで調べたものである。
「まあ、大金払ったしぃ?」
払った額に見合うだけの調査が行われたらしい。
オリヴィエ=セリエール、女、現在十二歳。
金髪に緑眼、庇護欲を誘う愛らしい外見。
ご丁寧に着色された似顔絵が添えられている。
二年前にセリエール男爵家に養子に入ったが、元の姓はミルトン、セリエール男爵の妾の子だ。
セリエール男爵の妻が病で亡くなり、現在は妾であったこの娘の母親と再婚し、この娘は男爵令嬢となった。
それまでは平民として過ごしていたが、前王の時代は貧しく暮らしていたらしい。
それでもベルナールが王となって以降はそれなりに援助をして、平民にしてはわりと良い暮らしをしていたようだ。
性格は明るく優しく、人見知りがない。
その愛らしい外見もあってセリエール男爵と母親から溺愛され、甘やかされて育っている。
だがそれは表向きだ。
実際の性格はかなり我が儘で人の話を聞かない。
セリエール男爵家の使用人達は手を焼いているものの、主人である男爵にいくら進言しても、両親の前では良い子のふりをしているため父親も母親も使用人の言葉に耳を貸さない。
それどころか娘について進言した使用人達は全員クビにされている。
理由は全て「主人の娘を虐げた」というものだ。
どうやら娘が両親に「あの使用人に暴力を振るわれた」「大声で怒鳴りつけられた」と告げ口した使用人達のありもしない罪を泣いて訴えたそうだ。
娘を溺愛している両親はその言葉を信じて使用人達をクビにする、という愚かな行為を繰り返している。
そのせいで現在は娘の横暴に口を挟む使用人はおらず、男爵家で好き勝手に我が儘放題に育っているようだ。
「ん〜、リュシーから聞いてた『ヒロインちゃん』とは似ても似つかないねぇ」
確かに表向きはそのように振る舞っている。
だが男爵家のような下位貴族の家なぞ、調べようと思えばいくらでも調べられる。
特にこの家はそういった方面に疎いのか家の内情を守る手段はほとんど取っていないらしい。
恐らく使用人達が金欲しさに漏らしてしまっているのだろうが、主人からの扱いが酷いと使用人達の忠誠心も低く、情報が漏れやすい。
手元の書類には使用人達から見たであろう娘について書かれている。
これまで娘が口にしてきた我が儘、身勝手な行動、使用人達への乱暴で高圧的な言動、その他諸々。
セリエール男爵や夫人がそもそも使用人を消耗品のようにこき使い、高圧的な態度を取っているため、娘もそれを真似たのかもしれない。
しかもセリエール男爵と夫人は贅沢好きだ。
娘も同じく贅沢が好きで、華美さや派手さよりも控えめで品のある装いや生活が好まれる風潮の中で、男爵家にしてはなかなかに豪遊している。
豪商から男爵位を得ただけあって、商売での収入が非常に多く、そのおかげで贅沢な暮らしを送れているようだ。
園遊会でもゴテゴテしたドレスだった。
……いくら外見が良くたって中身がこれじゃあ近寄りたくもないなぁ。
ルフェーヴルは書類に目を通しながらも、自分の唯一を思い出していた。
リュシエンヌは贅沢も好まないし、ドレス自体あまり好きではなく、それよりも町娘が着ているようなシンプルで動きやすい服を好む。
王族としての品格を維持するために高価なドレスやそれなりに豪華な食事を与えられて、それに感謝するが、本人の希望は平民が食べるような気を張らない食事がいいらしい。
時々、昔与えた保存食を欲しがることがある。
あの硬くて甘くて少し塩気を含んだ、お世辞にも美味しいとは言い難いあれを、嬉しそうに食べる。
一緒に食べるととても喜ぶのだ。
リュシエンヌにとっては思い出深いもののようだ。
装飾品は相変わらずリボンを愛用していて、金銀細工はあまり好まないのか王室御用達の職人達が生活に困らないようにある程度は作らせているが数は少ない。
その代わりリボンに取り付けられる宝石を加工したものが多く、質の良い絹のリボンと金銀細工のされた宝石という組み合わせは、派手過ぎず華美過ぎず、しかし高価で品の良い装飾品として貴族の令嬢達の間で流行り始めているらしい。
それに顔を隠すレースもそうだ。
令嬢達は顔を隠すほどではないが、髪飾りにレースを多めにあしらう作りが好まれ出した。
そしてリュシエンヌは使用人に対して穏やかな対応をする。
言葉遣いは変わったが、それでも貴族が使用人にするには丁寧で、ミスや失敗があっても怒らない。
ただ「誰にでもあることだから」と微笑む。
それでいてルフェーヴルに言い寄ったり好意を抱いて近付いたりする者には容赦しないし、婚約者になってからは一層その感じが強くなった。
……良い感じにオレに執着してるんだよねぇ。
執着して、依存して、重たいくらい信頼して。
それがルフェーヴルには心地好い。
「…………ん〜?」
何枚目かの調査書に目を通していたが、途中で止まる。
この娘には独り言を呟く癖があるらしい。
そこには娘の独り言が書かれていた。
ヒロイン、攻略対象、選択肢、イベント、悪役の王女、学院、好感度などなど調査したギルド側は意味不明な言葉として取り上げていたが、ルフェーヴルにはピンときた。
「リュシーと『同じ』だったりしてぇ?」
リュシエンヌがゲームについて説明する時に使う言葉の数々が並んでいた。
……コイツも前世の記憶があるっぽいなぁ。
しかも単語の中にはアリスティードやロイドウェル、ルフェーヴルの名前まで混じっている。
……これは絶対にそうだろうねぇ。
更に読み進めていくと、何度もルフェーヴルの名前を口にしていることが分かった。
思わずルフェーヴルは眉を顰めた。
リュシエンヌを悩ませる存在に名前を知られているだけでも不愉快なのに、勝手に名前を呼ばれるなんて不快さが増す。
ルフェーヴルの名を呼ぶ時、うっとりとした表情だという知りたくもない情報にげっそりする。
「ってことはぁ、コイツもオレが暗殺者だって知ってるんだぁ? うっわ、面倒臭ぁい」
表向き、ルフェーヴルは男爵であり、リュシエンヌの侍従と護衛を兼任した婚約者だ。
ルフェーヴルの正体を知る者は報復を恐れて口を噤む。
ルフェーヴルの情報を得られない者は、得られないという事実を知り、触れるべきではないと理解する。
だがこの娘はあまり賢くはなさそうだ。
大っぴらにルフェーヴルの職業を口に出されたら、少々面倒臭いことになる。
リュシエンヌとの婚約は解消も破棄もない。
けれども王女と男爵の結婚と、王女と暗殺者の結婚では当たり前だが後者の方が外聞が悪い。
自分のことは別にどうでもいい。
でもリュシエンヌの名に傷が付くのはよろしくない。
どうせ結婚すれば表舞台から姿を消すが、最後まで王女として綺麗な名前を残してあげたいという気持ちがルフェーヴルにはあった。
「ほんとは今すぐでも殺したいくらいなんだけどなぁ」
そうしたらリュシエンヌは気にするだろう。
ルフェーヴルが手を下さない方法もある。
リュシエンヌは最終手段と言っていたが、今後、この娘がリュシエンヌに危害を加えるようであればルフェーヴルも容赦しない。
自分の手を下さずに、殺さずに、表舞台から引きずり下ろす方法はいくらでもある。
いざとなったらやってしまおう。
リュシエンヌは気にするだろうが、それでルフェーヴルを嫌うことはない。
それは確信を持って言える。
この娘はルフェーヴル達にとっては邪魔な存在だ。
邪魔な存在は要らない。
「リュシーの優しさに感謝してよねぇ」
そうでなければ既に娘はこの世にいない。
リュシエンヌの言葉だけがルフェーヴルを止められるのだから。
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