二度目の公務(4)
繋いだ手は、手袋越しにしっかりと握られる。
「でもリュシーはすぐにオレを見たよね。オレが攻略対象だから、もしかしてあの子のことを好きになるかもって不安になった?」
ルルの問いに素直に頷いた。
「うん。……ルルのことは信じてる。ルルの目に、他の女の子が映るのが嫌なの。ヒロインちゃんはルルが気に入るかもって思ったら、怖くて。ルルはわたしのルルだから……」
ファンディスクの隠しキャラ。
攻略対象なら、ヒロインちゃんに惹かれてしまう可能性もありえる。
それが不安だった。
ルルが嬉しそうに破顔した。
「そっか、オレのこと取られたくないって思ってくれたんだ?」
笑うルルをそっと見上げる。
「……怒ってない?」
「怒ってないよ。それより、リュシーを不安にさせるあの『ヒロインちゃん』をどうやって表舞台から消そうかなって考えてる」
「それは、その、最終手段で」
わたしのためにしてくれるのは嬉しいけど。
「ルルがヒロインちゃんのこと考えてるってだけでモヤモヤするから、出来るだけヒロインちゃんは放っておいて欲しい……かも」
嫉妬とは違うが、変な気分である。
ルルが思わずといった様子で手を離した。
その両手がわきわき動く。
「今、すごくリュシーのこと抱き締めたい」
「わたしもルルにギュッてして欲しい」
グラスを脇のテーブルに置き、両手を広げる。
するとルルが立ち上がってわたしを横から緩く抱き締めた。
上から満足そうな溜め息が落ちてくる。
「リュシーかわいい」
ルルに言ってもらえるその言葉が嬉しい。
貴族達からの視線を感じるけれど気にしない。
「今はリュシーの言うこと聞くけど、あんまり目に余るようならあの『ヒロインちゃん』は消すからね」
「分かった」
それはかなり譲歩してくれてると思う。
基本的にルルは我慢をしないから、本当なら今すぐにでもヒロインちゃんをわたしの目につかないようにしたいはずなのに。
でもそれもわたしのため。
我慢するのもわたしのため。
それが分かるから笑みがこぼれる。
「ルル大好き」
お兄様もお父様もわたしを守ってくれる。
だけど、そこにはどうしても王族としての立場や責任が混ざってしまうし、甘やかすばかりでは許さない。
わたしを甘やかしてくれるのはルルだけだ。
ルルだけはいつだって両手を広げて、わたしに「甘えていいよ」と示してくれる。
だからルルには甘えてしまう。
わたし達はしばらくそうして過ごした。
そしてわたしの心が落ち着いてからは、貴族達への対応に戻ることにした。
そうは言っても、ほとんどはお兄様の方に集まっていた。
わたしは何れ男爵家に降嫁するため、縁を繋いでもあまり意味がないと思われているだろうし、実際その通りなのでそれで構わなかった。
ヒロインちゃんは会場に戻って来なかった。
ホッとしたのは秘密である。
* * * * *
貴族達に囲まれながらも、ルフェーヴルとリュシエンヌの様子をアリスティードは横目で確認する。
婚約者同士とは言え、人目も憚らない様に思わず僅かに苦笑が漏れた。
だが、あの二人はそれで良い。
苦笑を隠すために口元にグラスを寄せ、中身を一口含む。
先ほどは想定外のことが起こってアリスティードは内心でかなり動揺した。
何せ、あの夢に出ていた少女そっくりの子供がこの園遊会に来ていたのだ。
女神の見せてくれた夢は学院でのこと、それもリュシエンヌや少女が入学して以降のことだけだった。
まさかその少女をこんなに早く目にするとは思ってもみなかった。
しかしアリスティードは少女を見ても心動かされることもなく、冷静に対応出来た。
傍にリュシエンヌがいたのも理由の一つだろう。
それにエカチェリーナ嬢を王太子妃に据える予定なので、現状、別の令嬢と親しくするのは悪手である。
確かに少女は愛らしい外見をしていた。
明るく柔らかな金髪に夏の緑のような鮮やかな瞳、庇護欲を誘う可愛らしい顔立ちが困ったように眉を下げている様は、男であれば助けてやりたいと思うものだろう。
実際、アリスティードの後ろにいた未来の側近達は動きそうになっていた。
だが主君であるアリスティードは動かなかった。
主君が動かないのに、自分達が駆け寄るわけにはいかない。
……そうだ、それで良い。
夢の中の彼らは全員少女に夢中になっていた。
やがて国の担い手となる者達が、王となるべき存在が、たった一人の少女に入れ上げるなどあってはならないことだ。
第三者の視点で夢を体感したからこそ分かる。
あの未来は異様で、酷く歪だ。
権力も地位も婚約者もある者達が、一人の少女を巡って水面下で競い合うなんて馬鹿馬鹿しい。
あんな風に恋愛に現を抜かし、立場を忘れて、もしも少女が他国の間者であったなら国の未来はない。
自分とも側近達とも関わらせないために、アリスティードは通りかかった給仕に後を任せた。
女性の給仕が近付き、バラに絡まった髪を解いて控え室へ少女を連れて行くのを見て安堵した。
側近達の中には少女を気にする素振りを見せた者もいるが、行動に移さなければ構わない。
だが、もしも学院で夢と同様の行動を取ったならば、その時は側近から外す。
国の担い手達が一人の少女に跪き、その愛を得るにどのようなことでもしてしまうなんて悪夢でしかない。
しかも婚約者がいるのにだ。
貴族の婚約とは家同士の契約である。
互いに利益があり、それを目的として結ばれる。
そこに恋愛感情が伴うかどうかは婚約した本人達次第であるものの、契約を違えることは許されない。
婚約者がいながら堂々と他の女性に愛を囁くというのは、契約を無視すると同時に、自家の名に泥を塗る上に婚約相手やその家にも不義理な行いだ。
夢の中のアリスティードに婚約者はいなかったが、親友のロイドウェルを含む側近達と少女の愛を競い合う姿は気味が悪かった。
何故その不気味さに気付かないのか。
何故周囲の冷たい視線に気付かないのか。
疑問に思う点も多い。
……そういえばリュシエンヌは大丈夫だろうか?
先ほど、少女を見た際に驚いて思わず一瞬固まってしまったアリスティードをリュシエンヌは不安そうな顔で見ていた。
もしかしたら自分の顔が強張っていたかもしれない。
リュシエンヌの前では険しい顔や怖がられそうな顔は極力しないように気を付けていたのに。
……もっと腹芸を身につけた方が良さそうだ。
リュシエンヌに変な気を遣わせてしまうのは嫌だし、不安にさせるのも好ましくない。
ただ夢の中のアリスティードを羨ましく思う点はある。
それはリュシエンヌのことだ。
夢のリュシエンヌはアリスティードをとても慕っており、べったりとくっついて回っていた。
現実のリュシエンヌがべったりするのはルフェーヴルだけで、リュシエンヌにべったり出来るのもルフェーヴルだけだ。
現実のリュシエンヌももう少しアリスティードに甘えてくれても良いのだが。
リュシエンヌが心から甘えられるのはルフェーヴルのみだと知っているし、分かっているが、時々そう思ってしまうことがある。
兄として慕ってくれているが心からではない。
やはり後宮での暮らしのせいか。
リュシエンヌは他者に壁を作る。
それが高いか低いかの差はあれど、未だにアリスティードや父に対して遠慮することが多い。
しかし無理やりリュシエンヌの心に踏み込むことは出来ない。
そうすれば更に心を閉じてしまうだろう。
だから父と共に「リュシエンヌが甘えてくるのを待とう」と決めている。
もちろん、そうは言っても甘やかせる時には甘やかしている。
物分かりが良くて賢い妹は大きな我が儘は言わない。
まるでこちらの心を探るようだ。
きっと、どこまで許されるのか分かり兼ねて、少しずつ確かめているのだろう。
段々と我が儘の回数は増えていても、どれもこれも些細なものばかりだ。
やっと大きな我が儘を言ったかと思えば「同じ教室に通いたいから勉強を教えて欲しい」である。
ルフェーヴルとの結婚が十六歳なので、飛び級をして一年だけ通って卒業し、養女としての役目も考えているかもしれない。
王女が退学というのは体裁が悪い。
だが飛び級して卒業であれば誰も文句は言うまい。
……まあ、本音はルフェーヴルの下に嫁ぐためなのだろうがな。
それでもほんの僅かでもアリスティードと共に学びたいと思ってくれていれば嬉しい。
そのような我が儘であれば喜んで聞こう。
アリスティードにとっても良い提案だった。
最後の一年を可愛い妹と共に肩を並べて学べるし、リュシエンヌに教えることで、自身の勉強にもなる。
忙しい合間を縫って教えるのは大変だ。
それでもリュシエンヌとの時間は大切にしたい。
「レアンドル、先ほどから落ち着かないようだがどうした?」
あの少女に最も反応した側近の名前を口にする。
力のある伯爵家の次男で、本人は騎士を目指し、何れはアリスティードの近衛隊長を目指している。
アリスティードの一つ年下だ。
レアンドルが慌てた様子で否定する。
「いえ、何でもありません、殿下」
そう言いながらも目線は少女が消えていった方へ向けられている。
「あの少女が気になるか?」
アリスティードの問いにレアンドルが目を丸くした。
僅かに躊躇い、そして口を開く。
「……その、彼女はとても困っていたようでしたが、何故助けに行かないのかと気になっておりました」
「それは説明したはずだが?」
リュシエンヌへのあの説明は側近達にも向けていたつもりだが。
レアンドルは「はい」と頷いた。
「ですが、殿下らしくないと感じました。普段の殿下であれば困っている者を見つけたら自ら助けに行かれますので」
その言葉になるほどとアリスティードは思った。
確かにアリスティードは困っている者がいて、自分が手を差し伸べることで助けられるのであれば、迷わずにそうしてきた。
だが、それは民や仲間、友人に対してだ。
貴族の令嬢にそういった態度を見せたことはない。
「そうだな。だが、私は自分の王太子という影響力をきちんと理解しているつもりだ。婚約者のいない私が不用意に女性に近付けばどうなると思う?」
「……その者に好意があるのかと勘繰る者が出てくる可能性があります」
「ああ、そうだ。そしてそうなっては困るのだ。お前達には手紙で説明した通り、私は今、王太子妃に相応しい者を見定め中なんだ」
そこまで説明すればレアンドルは頭を下げた。
「申し訳ございません」
アリスティードはそれを手で制する。
レアンドルは少々真っ直ぐすぎるところがあるけれど、同時に自身の間違いを素直に認められる潔さも持っている。
忠誠心だけでなく、その誠実さもアリスティードは気に入っているのだ。
「良い。お前達もやがて婚約者が出来るだろうが気を付けてくれ。他の女性にあまり近付きすぎて、婚約者を蔑ろにしてしまうことだけは避けるように」
親友を含めた側近達は全員が頷いた。
これは当たり前のことだ。
だが夢の中の自分達はそれすら出来なかった。
あの夢と違う者を側近にしようと考えた時もあったが、結局は年齢や立場、優秀さを考慮して平等な目で見ると彼らを選ばざるを得なかった。
幸い、彼らはリュシエンヌに対して負の感情は抱かなかったようだ。
夢の中のリュシエンヌではそうはいかなかったはずだ。
チラともう一度確認すれば、ルフェーヴルがリュシエンヌから体を離すのが見えた。
妹の柔らかな笑みを見て安心する。
……あちらはルフェーヴルとエカチェリーナ嬢に任せておけばいい。
今後、社交の場ではアリスティードはあまり傍にいない方が良い。
王太子である自分がリュシエンヌに表立って構っていれば、縁を繋ごうと妹に集る者が増えてしまう。
……リュシエンヌを利用するなど許さん。
そのような者と親しくなる気はない。
アリスティードがリュシエンヌを大事に思っている。
それに気付けないような鈍感な者も必要ない。
既に選定が始まっていると理解出来る者だけが、アリスティードの側につくことが許される。
そしてそこにあの少女の居場所はない。
……それでも夢のように学院で近付いて来たら。
その時は全力で拒絶するだろう。
まだ起きていない出来事とは言えども、可愛い妹を悲惨な末路に向かわせる原因と親しくする理由もない。
アリスティードはもう一口、飲み物を口に含む。
……私はリュシエンヌを選ぶ。
アリスティードの心は乱されない。
あの少女に心を捧げることはない。
妹の未来のためにも、自身の想いのためにも。
あの少女は要らないのだ。
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