二度目の公務(2)
「あなた方、体調が優れないようね? 今日はもう帰られた方がよろしくてよ?」
顔の青い二人にエカチェリーナ様が追撃をする。
遠回しに帰れと言われて二人が何とか言い募ろうとしたが、他のご令嬢達からの冷たい視線もあり、泣く泣くご両親の下へ去っていった。
エカチェリーナ様が縦ロールをばさりと肩へ払う。
「あのような方がまだ残ってるとは」
そしてわたしへ頭を下げる。
「不愉快な思いをさせてしまい申し訳ございません、リュシエンヌ様」
「お顔を上げてください。エカチェリーナ様は何も悪くありません」
「いいえ、リュシエンヌ様が健やかにお過ごしになられるよう皆を纏め上げたつもりでしたが、わたくしはまだまだのようでございます」
エカチェリーナ様の言葉に目を丸くした。
「そのようなことを考えていらしたのですか?」
わたしとエカチェリーナ様は出会ったばかりだ。
それなのに何故、と思うとエカチェリーナ様が微笑んだ。
「自国の王女殿下の安寧を願うのは当然のことでございましょう。それにわたくし、見た目でわたくしのことを判断なさらなかったリュシエンヌ様のことを好きになってしまいましたの」
横のルルがピクリと動く。
……ルル、友達として、友達の好きだから!
キュッとエスコートで触れている腕に力を込めれば、ルルから流れていた冷たい空気が四散する。
エカチェリーナ様が他のご令嬢達に視線を向ければ、ご令嬢達は一礼してサッと離れていった。
「リュシエンヌ様、よろしければバラを一緒にご覧になりませんか?」
唐突な誘いだが、何かあるのだろう。
わたしはそれに頷いた。
「実はわたしは王城に住むようになったのは最近のことなので、バラ園のバラをゆっくり眺めたいと思っておりましたの」
「ではあちらでゆっくり見ませんか」と東屋に誘われて「ええ、喜んで」と頷き返す。
会場から少し離れた場所にある東屋へ向かった。
わたしとエカチェリーナ様が並んで歩き、今だけはルルが後ろからついて来る。
東屋は掃除がされてとても綺麗だった。
互いに向かい合って座り、わたしの横にルルが寄り添うように腰を下ろした。
わたし達の動きを見たのだろう給仕が飲み物を運んできたので、わたしはいつもの果実水を、エカチェリーナ様はブドウのジュースを手に取った。
ルルは何もいらないそうだ。
「……本当に綺麗なバラですわね」
うっとりとエカチェリーナ様が庭を見やる。
釣られて見た先には大輪のバラが咲き誇っている。
わたしはそれを見て、ふと昔のことを思い出した。
まだわたしがファイエット邸に来たばかりの頃に、ルルがわたしのためにバラを切り、丁寧に棘を取ってから二本くれたこと。
そして一本ずつお互いに分けたこと。
バラを二本贈ると「この世界に二人だけ」。
バラを一本贈ると「あなたしかいない」。
あとでその意味を知って、嬉しかったし、照れ臭いというか、気恥ずかしい気持ちになったのをよく覚えている。
思い出したせいか少し顔が熱い。
「あら、リュシエンヌ様お顔が赤いですわね。もしかしてバラに纏わる何か素敵なことでもございましたか?」
エカチェリーナ様がチラとルルを見た。
そうして扇子で口元を隠す。
「実はリュシエンヌ様とニコルソン男爵について、王太子殿下よりお伺いしましたの」
囁くような声にわたしは思わず「え?」と声を上げてしまった。
「王太子殿下はリュシエンヌ様が気持ち良く社交の場にいられるように手を貸して欲しいとおっしゃられました。その代わり、その役目を果たせればわたくしを王太子妃の座に据えても良いとも」
そんな重要な話をこんなところでして良いものかと焦ったが、会場から少し離れたこの東屋の周囲には誰もおらず、わたしは会場に背を向け、エカチェリーナ様は口元をかくして話している。
「ご安心ください。話が聞かれないように、遮音魔法を付与した魔道具をつけております」
「そうですか……」
少しだけ振り向いてお兄様のいる方へ目を向ければ、お兄様がこちらの視線に気付いて小さく手を振った。
それにわたしも振り返して顔を戻す。
「では何れエカチェリーナ様がわたしのお義姉様になるのですね」
「ええ、はい、そうなるでしょう」
そこで何故恥ずかしがるのか。
ルルがこほんと咳払いをした。
「つまり、あなたが社交の場での姫様の盾になると?」
エカチェリーナ様がニコリと笑う。
「そうですわ。ああ、ニコルソン男爵が何者なのかもわたくしは存じておりますので、どうぞ普段通りに接してくださって構いませんわ」
「ふぅん? じゃあそうさせてもらうねぇ」
そしてエカチェリーナ様は色々と話してくれた。
最初はエカチェリーナ様のお父様のご命令でわたしの盾になるつもりだったこと。
それは父親の独断ではあったが、同時にお父様やお兄様の意向を汲んでのことで、エカチェリーナ様はそれに不満はなかったそうだ。
自国の王族に敬意を払い、守護するのは、仕える貴族として当然のことだったから。
何よりせっかく情勢が落ち着いて国を建て直せたというのに、内部での争いなど極力起こしたくない。
エカチェリーナ様のお父様は国の安定のためにわたしを守ることを決めたという。
エカチェリーナ様はそのためにわたしに近付こうとした。
でも、わたしがエカチェリーナ様を見た目で判断しなかったことが、エカチェリーナ様はとても嬉しかったらしい。
自分がきつい顔立ちで、あまり良い印象を与えないことも理解しているようだ。
確かにエカチェリーナ様は悪役顔だ。
しかし話してみれば敵意や害意のない人だと、聡い人ならばすぐに分かるだろう。
今は自分の意思でわたしを守りたいそうだ。
そして、この一週間の間に何とエカチェリーナ様はお兄様に繋ぎを取り、取り引きを交わした。
それが『わたしを社交界で守る代わりにエカチェリーナ様を王太子妃に据える』というものだった。
不思議なことにお兄様は早く婚約者を決めたがっていたらしく、エカチェリーナ様の提案にあっさり乗ったという。
お兄様はわたしの社交界での安全を、エカチェリーナ様は将来の王太子妃の座を得るということだ。
……お兄様の方が利が少ない。
だってわたしのことばかりで、それでは、お兄様はまるで自分を犠牲にしているようではないか。
そう言えばエカチェリーナ様が首を振った。
「いいえ、王太子殿下はそれほどまでにリュシエンヌ様を大事に思っておられるのです。それにあの方はああ見えて強かな方ですわ」
「そうなのですか?」
「ええ、もしわたくしがリュシエンヌ様をお守り出来なければ取り引きは失敗、王太子妃の座につかせてはくださらないでしょう。リュシエンヌ様を守ると同時にわたくしの力量もお試しになっておられるのです」
……そう、なのかな?
それにしてもお兄様にはあまり旨味がない話だ。
悩んでいるとルルにそっと肩を抱き締められた。
「リュシーが悩むことないよぉ。アリスティードが勝手にやってることなんだから、好きにさせておけばいいんだよぉ」
ルルの言葉に「そうですわ」とエカチェリーナ様まで頷いた。
「王太子殿下も、わたくしも、お父様も、全員が勝手に行っているだけですもの。リュシエンヌ様もご自分のお好きなようになさればよろしいのですわ」
……わたしの好きなように、か。
とりあえず微笑んでおく。
「お父様とお兄様に迷惑をかけないように過ごしたいと思っています」
エカチェリーナ様が微笑んだ。
「ええ、ではそのように取り計らわせていただきます」
その自信に満ちた笑みはとても安心感があった。
お兄様がエカチェリーナ様を王太子妃の座に据えても良いと考えた理由が、なんとなく分かる。
最も身近に置く人ならば、信頼出来る人がいい。
そしてエカチェリーナ様はお兄様のお眼鏡に適ったということだ。
* * * * *
アリスティードは何れ自分の側近となるだろう友人達と談笑しながらも、リュシエンヌのことが気にかかっていた。
恐らく今頃エカチェリーナ嬢が妹に色々と話しているだろう。
我ながら王太子妃の座をやるから、妹王女を守れなどと、とんでもない条件をつけたものだと思う。
だがそれは何もリュシエンヌのためだけではない。
令嬢達の束ね役だというエカチェリーナ嬢から手紙が届いた時には「一方的に手紙を送りつけてくるとは何だこの女は」と思ったものだが、その内容がリュシエンヌに関わるものだったため、応じることにした。
しかしこれは同時に彼女の資質を見る試験でもある。
もしも力量が足りなければ取り引きがなくなるだけ。
リュシエンヌはアリスティードやルフェーヴルが守れば良い。
社交界でリュシエンヌを守りきることが出来れば、その時には、エカチェリーナ嬢は今よりももっと力をつけていることだろう。
王太子妃の座に据えるには良い人材である。
アリスティードは恋愛で妻を娶る気はない。
あの洗礼の日に見た夢は今も鮮烈にアリスティードの中に残っている。
自分が恋愛に現を抜かせば、大事な妹がもしかしたら夢と同じ末路を辿ることになるかもしれない。
それに夢の中のアリスティードが好いた人物は男爵令嬢で、身分的に王太子妃になることは叶わない。
……いや、そんなものは後付けだ。
アリスティードの心は何年も前。
一人の少女に捧げてしまった。
今は大事な妹となったリュシエンヌに。
アリスティードの心は奪われたままだ。
燃えるような恋ではない。
ただ、慈しむような愛情だけがある。
恋愛と呼ぶには劣情の欠片もないものだが、決して誰にも、リュシエンヌ本人にすら悟られてはならぬ感情だ。
だがエカチェリーナ嬢には見破られてしまった。
手紙には「愛されなくても構わないので王太子妃に据えて欲しい」と書かれていた。
エカチェリーナ嬢はどうやらリュシエンヌとの繋がりが欲しいらしい。
……リュシエンヌは不思議だな。
色々な人間を虜にする魅力を持っている。
爵位も、立場も、容姿も、物分かりの良さも、エカチェリーナ嬢はアリスティードにとっても都合が良かった。
だからこの取り引きを受け入れた。
ふと視線を感じて顔を向ければ妹がこちらを見ている。
それに小さく手を振れば、同じように振り返される。
「アリスティード、君、顔が緩んでるよ」
ロイドが呆れたように指摘してくる。
「いいじゃないか、別に」
「全く、本当に妹好きだよね」
「ああ、たった一人の可愛い妹だ」
あの夢を回避するためなら妻の座をエカチェリーナ嬢に委せるくらい、どうということはない。
アリスティードの唯一のためなのだから。
……ああ、でもルフェーヴルとロイドにも見破られたか。
悟られないようにするというのは存外難しいものだ。
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