誕生パーティー(2)
そう覚悟を決めると、初めての公務で緊張していた気持ちなんて吹き飛んでしまった。
公務よりもルルに秘密を打ち明ける方が、もっとずっと緊張するだろう。
ルルがまだわたしの顔を見ている。
「リュシー、大丈夫だよぉ。何を聞いてもオレはリュシーを手放したりしないからぁ」
ルルがわたしの手を取り、唇を軽く押し当てる。
色んな意味でどきりとする。
長く一緒にいて、ルルからしたらわたしの考えていることなんてお見通しなのかもしれない。
励ますようなルルの言葉が嬉しかった。
「絶対手放さないで」
「うん、オレが死んでもオレに縛り付けてあげるぅ」
「もしルルが死んだらわたしもすぐに後を追うよ。ルルのいない世界なんて生きていけないから」
嬉しそうに、ルルが目を細めて笑った。
「じゃあ今度、眠るように穏やかに死ねる毒薬を用意してあげるねぇ」
リニアさんとメルティさんが一瞬反応した。
でも何も言わなかった。
……ごめんね、二人とも。
二人のことは好きだけど、ルルのいない世界で生きて行けるほどわたしは強くない。
「そんな毒があるの?」
「あるよぉ。リュシーも習った『女神の涙』がそういう毒なんだよぉ」
「知らなかった」
王族や貴族に毒杯を与える際、三つの種類がある。
一つ目は『嘆きの懺悔』と呼ばれる毒。
これが最もよく与えられる毒らしい。
二つ目は『後悔の吐息』と呼ばれる毒。
これは情状酌量の余地というか、恩赦を与えても良いと判断された場合の毒。
三つ目が『女神の涙』と呼ばれる毒。
滅多に使われることはないという毒だ。
……毒杯に恩赦ってどういうことなのか不思議だったけど、要は『苦しまずに死ねる』ってことか。
道理で聞いてもミハイル先生が言葉を濁すわけだ。
ミハイル先生も王城に移り、今はお兄様の側仕えというか相談役みたいな立ち位置になっている。
もしかしたら子供のわたしに毒による死に方を説明するのを躊躇ったのかもしれない。
そんなことを考えているとメイドがまた来客を告げた。
今度はお兄様だったので、同じく入室を許可した。
お兄様は並んで座るルルとわたしを見て小さく苦笑し、近付いて来た。
「やはりもう来ていたか。……リュシエンヌは今日はいつにも増して一段と綺麗になったな」
どうやら迎えに来てくれたらしい。
ここから王城まで馬車で向かうため、確かにそろそろ出た方がいい時間である。
「ありがとうございます。お兄様も素敵ですね」
以前見た正装でお兄様は佇んでいる。
「ルフェーヴルには劣るが、だろ?」
「わたしの中ではいつでもルルが一番ですから」
「そうだろうな」
差し出されたお兄様の手を取って立ち上がる。
リニアさんが近付いて来て、ドレスを整えてくれる。
それにお礼を言っている間にルルも立ち上がった。
ここからはお兄様にエスコートしてもらうことになるため、ルルは後ろに控えてついてくる。
お兄様の腕にそっと手を添え直す。
お兄様が笑った。
「リュシエンヌ、十二歳の誕生日と婚約、おめでとう」
家族だけに見せてくれる屈託のない笑顔だった。
わたしも思わず破顔した。
「ありがとうございます、お兄様!」
お兄様が笑みを深め、そしてルルを見やった。
「ルフェーヴルも婚約おめでとう。私の大事な妹だからな、泣かせたら許さないぞ」
「ありがとぉ。オレも今まで以上に死なないよう気を付けるとするよぉ」
お互い笑顔なんだけど圧を感じる。
お兄様がわたしが触れていない方の手を差し出し、ルルもそれを見て、その手を握った。
そうして二人とも頷き合った。
「まあ、お前はそう簡単には死なないだろうが」
お兄様はそう言って手を離した。
ルルは黙ってニッと口角を引き上げた。
……え、何そのニヒルな笑み。
悪どい感じがちょっとカッコイイ。
ドキドキしつつ、お兄様に「さあ、行こう」と声をかけられ、エスコートされながら自室を出て正面玄関へ向かう。
玄関にはお兄様の乗って来たであろう、王家の紋章の入った馬車が停まっていた。
わたし、お兄様、ルルの順に乗り込む。
もう一つ馬車があり、そちらにお兄様の側仕えやわたしの侍女であるリニアさんが乗ることになる。
扉が閉まるとゆっくり馬車が走り出した。
「そろそろ顔隠そうねぇ」
ルルが後ろへ避けてあったレースに手を伸ばし、わたしの顔にそれをかける。
「ありがとう、ルル」
「どういたしましてぇ」
視界がレース越しになる。
少し見づらいけれど、そのうち慣れるだろう。
「リュシエンヌの瞳は綺麗なのに残念だな」
メルティさんと同じことを言うお兄様に、ふふっと笑ってしまう。
「ありがとうございます、お兄様」
「視界が遮られているから気を付けて歩くんだぞ?」
「はい、そうします」
相変わらず少し過保護である。
でも嫌じゃない。
素直に頷いたわたしにお兄様も微笑んだ。
「緊張してないか?」
問われて、頷き返す。
「はい、あんまり。ルルとお兄様がいてくださるので大丈夫です」
「そうか、リュシエンヌは強いな。私の時は酷く緊張して、食事もほとんど食べられなかった」
「お兄様の時は立太子の儀もありましたから」
昼間に貴族達の前で立太子して、国民の前でもスピーチして、夜には誕生日パーティーだったはずだ。
初の公務が一日中だったし、緊張や疲れで大変だっただろう。
お兄様が「そうだな」と苦笑した。
お兄様は十四歳になり、身長は大分伸びた。
まだ幼さは残るけれど端正な顔立ちで、剣の鍛錬を積んで細身ながらも筋肉のついたしなやかな体型だ。
体型に関してはお兄様はルルを参考にしたらしい。
端正な顔なのでがっちり筋肉がつかなくて良かったと思ったのは秘密である。
このままいけば原作のお兄様と同じような外見になると思う。
ルルはこの二年間でまた背が伸びた。
二十歳を過ぎたのによく伸びるなあと感心するくらいだった。
恐らく身長は百九十はあるだろう。
細身なのでスラリとして手足が長く、衣類を着ていると大変痩せて見える。
それなのに重い物でも平然と持ち上げたり、騎士達相手にいまだ全戦全勝だったり、外見に比例しない強さを持つ。
中性的だった顔立ちは男性よりに傾いたおかげか色っぽさがあり、毎日顔を合わせていても、やはりカッコイイと感じられる。
でもへらへらふらふらした感じは相変わらずだ。
そのちゃらんぽらんな雰囲気に騙されて手を出そうとするととんでもない目に遭うけれど。
そうこうしているうちに馬車が王城に到着した。
ルル、お兄様、わたしの順に降りる。
王城の中へ入り、王族専用の控え室に通される。
会場に近い場所にあるため、まだ少し休憩する時間はありそうだ。
部屋に入ると既にお父様がそこにいた。
私を見て、お父様が眩しそうに目を細めた。
「驚いたな。妖精が舞い降りてきたかと思った」
お父様の言葉に少し照れてしまう。
「それは言い過ぎです、お父様」
「いいや、そんなことはない。リュシエンヌをエスコート出来るアリスティードが羨ましいくらいだ」
お兄様のエスコートで近付いたわたしに、お父様が小さく微笑んだ。
心なしかお兄様が自慢げに胸を張った。
ソファーにお兄様と並んで腰を下ろす。
お父様の側仕えらしき人が紅茶を淹れてくれたのでお礼を言えば、にこりと微笑み返して静かに下がっていった。
「今日は色々とあるが大丈夫か?」
お父様の問いに頷き返す。
誕生日パーティーだけれど、同時に婚約発表の場でもあり、王位継承権を放棄する宣言を行う場でもある。
「はい、大丈夫です」
放棄宣言の文言も覚えたし、何故放棄をするのかその理由を説明する言葉も考えて来た。
婚約についてはお父様が説明してくれる。
あとはもう、貴族達の挨拶を受けたりダンスを踊ったり、公務に差し支えない程度に社交を広げていけばいい。
恐らく、あまりわたしと繋がりを持とうとする人間はいないだろう。
王女と言っても成人後には男爵家に降嫁する上に、王位継承権も放棄し、子も成さない。
お父様やお兄様との繋がりくらいしか旨味はない。
しかもわたしは基本的にお父様やお兄様が許可しない限りは残念ながら引き合わせる気はないし、仲介人になるつもりもない。
だからきっと社交はそこまで焦ることはない。
公務で必要な範囲で、浅く広く、あまり深くならない程度の付き合いをする予定だ。
わたし自身の興味がないこともそうだが、成人後に結婚したら繋がりは切れてしまうため、作る必要性を感じないのだ。
「アリスティードかルフェーヴルが必ず傍にいるから何もないだろうが、無礼な者がいたら後ほど教えてくれ」
「分かりました」
その無礼者がどうなるかはわたしの関知するところではない。
「リュシエンヌ」
名前を呼ばれて顔を上げる。
「はい」
「誕生日おめでとう。今日から王族としての公務も増えて忙しくなるけれど、お前が健やかに育つことが大事だ。無理はしないように」
「はい、ありがとうございます」
お父様にしっかり頷き返す。
家族で和やかな雰囲気になっていると、お父様の側仕えがそっとお父様に耳打ちする。
「さて、そろそろ時間だ」
立ち上がったお父様にわたし達も倣う。
お兄様にエスコートされて部屋を出ると、お父様を先頭に会場へ向かう。
護衛の騎士達もついて来ている。
しばらく歩くと、騎士達が守護する扉の前に到着した。
わたし達を見て騎士達は礼を執る。
お兄様を見上げれば声を出さずに「頑張れ」と言ったので笑って頷いた。
騎士達にお兄様が頷き、目の前の扉が開かれる。
「アリスティード=ロア・ファイエット王太子殿下、リュシエンヌ=ラ・ファイエット王女殿下の御入場でございます!」
よく通る男性の声がわたし達の名前を呼ぶ。
一階分ほど高い位置に現れたわたし達に、大勢の視線がザッと音を立てて礼を執った。
立ち止まりかけた足を動かし、何とか口元に笑みを浮かべて中へ入る。
すぐに下へ降りることはない。
「ベルナール=ロア・ファイエット国王陛下の御入場でございます!」
お兄様と共に礼を執る。
貴族達はまだ頭を下げたままだ。
お父様が入場する。
「面を上げよ」
その言葉に礼を解いて頭を上げる。
貴族達の視線が突き刺さった。
「今宵は王女である我が娘のために集まってくれたこと、礼を言う。娘は十二を迎え、今後は王族として公務に、社交にと公の場に出る機会も増えるだろう。皆も温かく迎えて欲しい」
貴族達は静かにお父様の話に耳を傾けている。
「そして今宵は王女リュシエンヌ=ラ・ファイエットの誕生祝いであると同時に、二つの重大な話を公表する場でもある。一つは王女の王位継承権の放棄、もう一つは王女の婚約についてだ」
ざわ、と舞踏の間に騒めきが起きる。
大きな声ではないが「放棄?」「婚約?」と驚きと戸惑いが入り混じっている。
本来、婚約者は十二歳から成人となる十六歳の間に探し、決められることが多く、十二歳の誕生日当日に発表されることは少ない。
お父様は騒めきを押し退けるように続けた。
「まず王位継承権の放棄だが、これは王女本人の希望によりそうすることが決まった。既に書面にて放棄の誓約は交わされている」
チラ、とお父様がわたしを見る。
わたしは促されてお父様の横に進み出た。
沢山の視線が見つめてくる中、小さく息を吸う。
「皆様、初めまして。リュシエンヌ=ラ・ファイエットと申します。わたしが王位継承権を放棄したことについて疑問は多々あるでしょう。一番の理由は、わたしが旧王家の直系たる血筋だからです」
また空気が揺れた。
ハッと息を呑む人、動揺する人、思わず隣人に何やら囁いてしまった人、色々いたが驚いた様子だった。
「わたしは父である国王陛下や兄である王太子殿下をお手本としてきました。しかし、わたしはわたしの中に流れる旧王家の血筋を信用出来ません。そしてわたしの血筋を誰かに利用され、父や兄へ不義理な行いをしたくないのです」
「何より、」と言葉を続ける。
「国王陛下も、王太子殿下も、とても素晴らしい方々です。お二人がいらっしゃる以上、この国は安泰でしょう。古き血はもう不要なのです。わたしはそう考え、王位継承権の放棄を決心いたしました」
舞踏の間はシンと静まり返った。
お父様が半歩前に出る。
「そして王位継承権を放棄する条件として、王女はとある人物との婚約・婚姻を申し出た」
お父様が振り向き、ルルへ視線を向けた。
ルルがわたしの横に寄り添うように並んだ。
そっと、下から見えない位置でルルの手がわたしの手を優しく包む。
少し横を見れば、レース越しにルルと目が合う。
「王女の婚約者はルフェーヴル=ニコルソン男爵。七年前のあの日の功労者の一人であり、不遇な立場にあった王女を密かに手助けしており、今日まで長きに渡り王女を守り続けた。それらをもってこの者を男爵とし、双方の願いにより、婚約が相成った」
お父様の話を聞きながらふと七年前を思い出す。
色々あったし、つらいことも少なくなかったが、それでもこうしていられるのはルルが傍にいてくれたからだ。
わたしの傍で見守り、助け、笑い合った。
思い出すと自然に笑みが浮かぶ。
「今日この日よりリュシエンヌ=ラ・ファイエットとルフェーヴル=ニコルソンの両名の婚約を国王たる私の名において許可する。そしてこの婚約の破棄や解消は許されぬ。王女の成人を待ち、その後、王女はニコルソン男爵の下へ降嫁する」
今までで一番のどよめきが広がった。
破棄も解消も出来ない婚約は前代未聞だろう。
だが前例がないなら作ればいい。
「王女の王位継承権の放棄並びに婚約に関しては決定事項だが、異議のある者は申し出よ」
再び静まり返った。
「王女と男爵の良き日に祝福を」
お父様の言葉に貴族達が拍手で祝福の意を示す。
大勢の拍手を受けながら、わたしとルルは思わず互いに笑い合う。
少々強引だがわたし達の婚約は成った。
もう誰も、わたし達を引き離せない。
それがただただ幸せで。
誕生日よりも、ずっと嬉しかった。




