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蠢く影

 






 教会の奥にある一室。


 会議などで使われる複数の部屋のうちの一つで、やや広い室内には大きな楕円形のテーブルがあり、それを囲むように椅子が置かれている。


 壁には教会の信仰する女神を描いた絵画が飾ってある。


 室内を照らすのはいくつかのランタンの明かりだけ。


 オレンジ色の光にぼんやりと複数の人影が浮かぶ。


 全員が司祭の服を身に纏っていた。




「それで、急に呼び出して何の用か」




 一人が抑えた声で問う。


 全員の視線が一人の司祭へ向いた。




「前々より教会の権威を強固にしたいという話をしていただろう? 旧王家もあまり信仰心はなかったが、それでも現王家よりは甘かった」




 注目された司祭がゆっくりとした口調で言う。


 他の司祭達が溜め息混じり肯定した。




「ああ、その通りだ。現国王になってからは不正に一層厳しくなった」


「賄賂やコネにもうるさいな」


「大ぴらに金品を要求していた愚か者は追い出されてしもうた」


「あれらは馬鹿なだけだ」


「それで? それが何だと言うんだ?」




 司祭達の視線がまた一箇所に集中する。




「実は、良い駒になりそうな者を見つけまして」




 ふふふ、と注目された司祭が笑う。


 他の司祭達は暗闇の中で互いに顔を見合わせた。


 そのうちの一人が焦れたように問う。




「それは誰じゃ?」




 また視線が集中して、司祭が自慢げに口を開く。




「リュシエンヌ=ラ・ファイエット王女です」




 ざわりと司祭達が色めき立つ。


 それは小さなものだったが、静かな室内ではよく響いた。




「王女を? だが現国王の養女ではないか」


「聞くところによると、魔力を持たないため屋敷からなかなか出さないそうだが、そんな王女を立てたところで寄りつくのは旧王家の頃に甘い汁を啜っていた者くらいだ」


「その貴族の大半も一新されてしもうた」


「そうだ、今や奴らは閑職に追われている」




 他の司祭達の話を聞き終えた司祭が頷く。




「皆の意見は一理ある。魔力のない王女など、立てたところで旗印としては力がない」




 ここに密かに集っている者達は教会派の貴族達だ。


 過去の、教会が王家よりも強かった頃に教会に属し、その後も教会派としてあり続けている。


 当時であれば教会派の貴族の言葉は強かった。


 教会派の貴族の言葉を、王ですら無視出来なかった。


 だが時代は移り、教会の支配力は薄れ、現在は王家よりも発言力を失ってしまった。


 王家は教会の意向に耳を傾けはする。


 しかしそれは形ばかりのものである。


 教会派の貴族も急速に力を失い、数が減ったため、余計に力は消えていった。


 旧王家はそれでもまだ良かった。


 政に興味のない王、贅沢を好む王妃、信仰に興味のない子供達、存在感の薄い側妃とその子供。


 貴族達も自身の領地を守ることで手一杯だった。


 教会が多少好き勝手にしても、誰も咎めない。


 けれども新王が即位してからは一変した。


 腐敗を許さず、不正を追及し、出来る限り正しい政治のあり方を、国のあり方を示し始めた。


 旧王家時代に良い思いをしていた貴族達は罪を暴かれ、閑職に回されたり、裁判にかけられたり、最も重い者は爵位を返上することとなった。


 この五年間、教会派の貴族達は息を潜めていた。


 教会にもその手は伸び、堂々と賄賂のやり取りをしていた者や信者から金を巻き上げていた者は聖職者ではないと即座に切り捨てられた。


 ここにいる者達は難を逃れたものの、大勢の同胞や部下を失い、今や自分の地位に何とかしがみついているようなものだ。


 煮え湯を飲まされたような五年間だった。


 どこか縁のある公爵家の後ろ盾になり、現国王やその子を亡き者として、新しい王を立てようか何度思ったことか。


 送り出した暗殺者が悉く失敗したため計画は頓挫したが、それでも希望は捨て切れない。




「先日、王女が洗礼に来たのは皆も知っているだろう」


「ああ、確か王太子である兄と同じくスキルを三つも持っていたらしいな」


「あれで魔力が多ければ良かったんだが……」




 他の司祭達が溜め息を漏らす。


 旧王家の生き残りである王女は旗印としては丁度良い駒になりそうだった。


 正統な血筋であり、現国王達に王位を奪われた者であり、スキルも稀有な三つ。


 魔力がないことだけが悔やまれた。


 司祭が「その王女だが」と言う。




「実は女神イシースの加護を授かっている」




 全員が一瞬押し黙った。




「加護? そんなまさか……」


「今まで何百年と現れなかったのに?」


「この国では確か五百年ほど出ておらん」


「……待て、王女が加護を授かっているとすれば……」




 またシンと静まり返る。


 司祭が頷いた。




「しかも王女は美しい琥珀の瞳を持っていた。……旗印にこれほど良い者はいない」




 正しい王族の血統で、それを主張する琥珀の瞳で、スキルを三つ有し、女神の加護を授かっている。


 しかもまだ十歳の少女である。


 現国王によく似た王太子よりも扱いやすそうだ。


 王女を旗印として王位に祭り上げれば、幼いことを盾に教会が後見になれる。


 女王の後見は貴族しかなれない。


 教会派の貴族達がそれになれば、後は傀儡にして、上手く飼い殺せば良い。


 まだ十歳の少女なら、適当に美しい物や高価な物を与えていれば満足するだろう。


 後宮で虐待されていたそうだから、贅沢な暮らしをさせれば、素直に言うことを聞くはずだ。


 そうして成人したら貴族派の、もっと言えば自分の家かそれに属する家の年頃の男と添わせて王子を産ませ、更に確固たる地位を築き上げる。


 その場にいた全員の思考が一致した。




「おお、何と、それは素晴らしい……!」


「加護を持った王女ならば民も支持するだろう」


「正統な血筋もある手前、貴族達も大きな声では否やは言えんだろうて」


「少ないが、女王の存在した時代もあった。王女が王位についたとしてもおかしいことではないな」




 全員がどこか熱に浮かされたように囁き合う。




「だがどうやって王女をこちら側に引き込む?」


「うむ、屋敷にこもられては手が出せん」




 それに話を持ち出した司祭がニヤリと笑う。




「そこは調べてある。どうやら王女は時折、平民のふりをして市井に出かけることがあるらしい。その際に攫ってくるのだ」




 司祭達が視線で問い合う。


 一人が代表して口を開いた。




「それで王女が協力する気になるか?」




 無理に攫うと抵抗されるだろう。


 提案した司祭が低く笑う。




「何、人攫いに遭ったところを我らの息のかかった聖騎士に助けさせ、保護という形でお招きすれば良い」




「おお」と小さなどよめきが上がる。




「なるほど、そこでこちら側につけばどのような利点があるか体感させて、自ら教会に来させるということか」


「贅沢を覚えさせ、見目も良い者達を侍らせれば、幼い子供なぞ簡単に言うことを聞くだろう」


「恐ろしい状況から救われたと恩を感じれば尚良し」


「きっと子供は助けてくれた教会に感謝するはずだ」




 ヒソヒソと話し合い、司祭達が頷き合う。


 そうして一人の司祭に視線を向けた。




「うむ、それで行こうではないか」


「では私が主体となって進めよう」


「そうだな、そなたの案だ」


「上手くやるのだぞ」


「必要なことがあれば手伝おう」




 互いに頷き合い、そして立ち上がる。




「では、栄光ある我らに幸あれ」




「幸あれ」と他の司祭達も抑えた声で続ける。


 やがて一人ずつこそこそと部屋を出ていった。


 最後に残った司祭が最後のランタンに手を伸ばす。




「精々、手伝いをしてもらおうではないか。あいつらも所詮は駒。最後に笑うのはこの私だ」




 明かりに顔を照らされたハロルドはくくくと愉快そうに笑いを漏らし、部屋を後にした。








* * * * *








 王城の一角にある王の政務室。


 そこにある机に向かい、ベルナールは静かに報告に耳を傾けていた。


 主人に報告しているのは代々王家に仕えている影の者達の一人である。


 クーデター後、新国王となったベルナールの下へ来て、それから五年仕え続けている。


 彼らは旧王家の時代は全く活躍出来なかった。


 王も王妃も、その子供達も、影の存在を知っていたが使うことはなかった。


 王妃などは「下賤な身で近付くでない!」と影を視界に入れることすら厭った。


 影達はただ存在するだけでしかなかった。


 忠誠心は一欠片も湧かず、ただ血統故に形ばかり仕えるだけであった。


 クーデターが起きることも事前に知っていたが影は誰一人として動くことはなかった。


 誰もが旧王家よりもクーデターのリーダーであったファイエット侯爵の方が良き君主になると理解していたのだ。


 そして裏でクーデターの手助けを行った。


 新国王が即位した後に、仕える許可を得るために向かうと、新国王は影達の協力を最初に労った。


 王が影に労いの言葉をかけることなど滅多にない。


 影達がベルナールを主君と仰ぎ、忠誠心を持って接するようになるのに時間はかからなかった。


 この五年間で影達はベルナールに更なる忠誠を誓い、そしてベルナールはそれを受け入れた。


 ベルナールは影達を影とは呼ばず、非公式にだが、黒騎士部隊と名を付けた。


 王に仕える、黒衣を纏った騎士。


 たとえ表舞台に出ることはなくとも、その働きは忠誠心厚く、騎士と同じく国を守る者である。


 そのような意味がこめられている。


 今回、その黒騎士部隊の中でも特に間諜の能力に長けた者を数名教会に送り込んでいた。


 数を二つに分け、大司祭エイルズ=マッカーソンと司祭ハロルド=フリューゲルの二名を監視させていた。


 大司祭は約束通り、リュシエンヌに関する一切を口外することはなかった。


 それこそスキルの数や洗礼の様子だけでなく、いつ洗礼に来たかすら言葉に出さず、リュシエンヌのスキル数の公開後、人々から尋ねられても一貫して「それについて申し上げるのは女神の意思に反しますので」「教会の規律に反する行いは出来ません」と受け流した。


 一方司祭の方は大っぴらではないが、リュシエンヌが洗礼に訪れた時の様子やスキルの数を、公開後とは言えペラペラと語っていた。


 まるで自分が王女を案内し、洗礼を受け持ったような言い回しだったという。


 そして今日、ついに加護について口外した。


 同じ教会派の貴族であろうとも、それは許されない行為である。


 しかもリュシエンヌを傀儡の女王にするために、攫い、恩を植え付け、贅沢を覚えさせ、自分達に寝返らせるつもりらしい。


 ベルナールは報告を聞き終えると呟いた。




「何故、皆、傀儡の女王などという夢を見たがるのか……」




 前宰相、前王妃もそうであった。


 旧王家で甘い汁を吸っていた者達も、そのようなくだらない妄想を抱いている。


 そして教会派の貴族もまた同じである。


 呆れた顔をする王に報告を終えた黒騎士がそっと返す。




「恐れながら、王女殿下の情報が出回っていないことが一因かと愚考いたします。どのような性格で、どのような護衛が付き、操ることが不可能だと知らぬため、そのような妄想をしているのかと」




 王女に関する情報は確かにあまり広まっていない。


 平民の間でも、後宮で虐待されていた旧王家の血を引く王女というくらいで、人々の関心はこの五年間で薄れていった。


 それほど市井に王女の話が流れなかったのだ。


 貴族の間ですら、それに繋がって、クーデター後に養女になったこと、琥珀の瞳を持つこと、今年で十歳になり洗礼を受けたことくらいしか話題がない。


 洗礼によりスキルが三つ発見されたと公表されたことで平民の半数近くが王女の存在を思い出し、貴族達が王女の情報が流れたと新たな話題に食いついた。


 ファイエット邸の使用人達は口が固く、金を握らせて情報を得ようとしても拒否する上に、脅そうとすれば主人である国王に即座に連絡がいき、逆に脅した側が危うくなる。




「成人後のことも考慮して存在を薄くさせていたが、それが逆に仇となったか」


「何より、王女殿下の傍にいるのが闇ギルドでも三本の指に入る暗殺者だなどと誰も思わないでしょう」


「ルフェーヴルを知っているのか?」




 黒騎士達とルフェーヴルに繋がりがあるとは思えず、ベルナールは思わず聞き返す。


 ファイエット邸にも、アリスティードを守るために幾人かの黒騎士達を送っている。


 リュシエンヌにもつけているけれど、黒騎士達が二人の前に姿を見せたという報告は聞いていない。


 最初の頃にルフェーヴルが「あいつら気配消し切れてなくてちょっと鬱陶しいんだけどぉ」とぼやいていたが、それだけだった。




「はい、黒騎士は闇ギルドと情報のやり取りをすることがありますので、あちらの上位の者については自然と耳に入るのです」


「そうなのか。もしお前達があれと剣を交えることになったなら、どちらが勝つ?」




 想像したのか黒騎士がぶるりと小さく震えた。




「……あちらが勝つでしょう。我らが束になってかかれば、陛下と王太子殿下を逃す程度の時間は稼げますが、向かった者は間違いなく殺されます」




 ベルナールは思わずその場面を想像した。


 飛びかかる黒騎士達、逃げる己と息子、そしてその間に容赦なく殺されていく黒騎士達。


 血溜まりの中でルフェーヴルがいつもの気の抜けた笑みを浮かべて、佇み、獲物を甚振る猫のようにゆっくりと追いかけてくる。


 ベルナールの表情が微かに引きつった。


 その様が容易に想像出来てしまったから。


 リュシエンヌの前では優しく甘やかす少々気まぐれなお兄さんといった風を装っているが、あれは怖がられないように猫を被っているだけだ。


 リュシエンヌのいない場所では相変わらず誰に対しても容赦なく、関心が薄く、掴み所がない。


 それでもリュシエンヌという逆鱗が出来てからは、多少、ルフェーヴルへの対応の仕方が分かった。


 以前は逆鱗すら分からなくて、とにかく仕事と私生活に口を挟まないことだけは心がけていた。




「あれについては私でも手に余っている」




 黒騎士は顔を隠す布の下で苦笑した。


 あの暗殺者相手に手を焼かずに済むのは、彼が大事にしている王女くらいのものだろう。


 ベルナールも苦笑し、空気を変えるために小さく咳払いをする。




「報告ご苦労だった。引き続きハロルド=フリューゲルの監視を行い、随時報告を頼む」


「かしこまりました」




 黒騎士は一礼すると姿を消した。


 ……アリスティードとリュシエンヌ、そしてルフェーヴルも交えて話をせねばならないな。


 ファイエット邸にいる息子と娘に向けて手紙を書くために、ベルナールはペンを手に取る。


 ……さて、どうやって奴らを捕まえるか。


 ベルナールは他にもいくつかの手紙を書き、息子達へ送るものとは別の封蝋をして側近を呼び、手紙を届けるように頼むのだった。






* * * * *

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― 新着の感想 ―
なんか変なの湧いて出た〜•́ε•̀٥ と思ったら速攻で王様にバレてて安心しました。
[一言] 採らぬ狸の皮算用。司祭もバカですね。公爵家みたく情報収集していれば破滅に向かわなかったのにね。画策した時点で終わりですね。知ったルルが後顧の憂いなしに対処しそうですね。
[一言] 愚かな妄想としか思えない・・・。ルルを出し抜いてリュシーを手に入れるとか無理すぎるやろ。読んでいてつっこんでしまいました。神様めざしてるのか?と。更新ありがとうございます。今話も楽しく読ませ…
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