洗礼(1)
ファイエット邸に来て五年。
わたしは一週間ほど前に無事十歳を迎えた。
後宮で暮らしたのと同じ年月をファイエット邸で過ごしたのかと思うと感慨深いものがある。
前世を思い出す前の記憶はつらいもので、思い出しても良いことはないが、あそこで暮らした五年の方が長かったような気がする。
小さかった体は十歳の子供よりやや大きいくらいまで成長し、あの頃は傷んでいた髪も今はサラサラふわふわで、肌もビックリするほど白くて綺麗になった。
顔立ちも前は可愛いだけだったものが、今はどちらかと言うと美人だけど可愛いという感じで、大人に成長しつつあった。
そして顔立ちはやはり原作のリュシエンヌのようなきついものではない。
リニアさんとメルティさんからは「垂れ目が柔らかな印象でお可愛らしいです」「でも最近は大人の色気も出てきて、きっと社交界に出たら引く手数多ですよ」と絶賛されている。
わたしも、我ながら整った顔だと思う。
自画自賛になってしまうが、前世の記憶から比較してみてもリュシエンヌは美人である。
とっても女の子らしい可愛い外見のヒロインちゃんの対抗馬になるくらいなのでリュシエンヌの外見は良い。
原作ではつり目できつい顔立ちの美女だった。
でも今のわたしは垂れ目のちょっとおっとりして見える顔立ちで、原作のリュシエンヌみたいな高笑いは似合わないだろう。
身体中にあった大半の傷はほぼ消えて、跡が残るだろうとお医者様に言われていた背中と足の裏の傷も綺麗に治った。
お医者様には驚かれたが、リニアさんとメルティさんは傷跡が残らなかったことをとても喜んでくれた。
ルルは「傷がなくなって良かったねぇ」と言っていたが、もし傷跡が残っても気にしていないようだった。
そうしてお兄様は十二歳を迎え、正式に王太子となり、公務のために王城へ出掛けることが増えた。
いっそ王城に住めば行き帰りの手間がなくなるのだが、お兄様はファイエット邸に住んでいる。
わたしが一人になるのを心配してくれているらしい。
忙しくて会えない日もあるが、それでも出来る限り一緒に食事を摂ろうと時間を調整しているそうだ。
それから時折寝込む日もあった。
何でも王族として毒に慣らしておく必要があるそうで、微量ずつだけど、毒を服用してその毒に耐性をつけるためらしい。
寝込んでいるお兄様は苦しそうで、そういう時にはそっとお見舞いに行って、眠るお兄様の傍にいる時もある。
わたし自身、お兄様を実の兄のように思っている。
リュシエンヌに対する様子から見ても、もう彼はリュシエンヌを憎み、疎んでいた原作のアリスティードではない。
今は良き兄妹になれていると思う。
ロイドウェルは相変わらず頻繁にやって来る。
あれから二年経ったけれど、わたしはまだ警戒心を解いていない。
相変わらずわたしを見る目にはこれといった感情がなく、それどころか探るような視線が多く、時々顔を合わせて話もするが、それもお兄様が同席している間だけだ。
わたしに警戒されていると気付いているらしく、ロイドウェルはあまりわたしに無理に話題を振らない。
それと彼はどうやらルルが苦手らしい。
ルルと目が合うと微かにロイドウェルの顔が強張るので、多分、間違いないと思う。
お兄様はわたしとロイドウェルのこの微妙な関係を分かっていて、あえて口を挟まずにいるようだ。
ロイドウェルと仲良くしてほしいと言われても困るので、お兄様が静観してくれているのはありがたい。
ガタゴトと少し揺れる馬車の中を見る。
わたしの向かい側にお父様とお兄様がいて、わたしの横にルルがいる。
この顔ぶれで外出するのは初めてだった。
何より、国王であるお父様は忙しい身なので、きっと今日のために何日も前から予定を組んで時間を空けてくれていたのだろう。
「緊張しているか?」
目が合ったお父様に訊かれる。
「いえ、大丈夫です」
今、わたし達が向かっているのは教会だ。
それも王都で一番大きい場所だ。
この国の人間は十歳になると教会で洗礼という名のステータス確認が行われる。
そこで自分の魔法の素質やスキルなどが分かるのだ。
貴族の子供は早い段階から魔法を学ぶため、魔法の素質については理解しているので、どちらかと言うとスキルやステータスの確認が目的らしい。
わたしの場合は魔力がないので魔法の素質に関しては全くないことはもう分かっている。
だから今日はスキルとステータスの確認だ。
……何かいいスキルがあると嬉しいんだけど。
ちなみにお兄様は二年前に洗礼を済ませ『威圧』『身体強化』『心眼』と非常に稀な三つのスキル持ちであることが判明した。
後でこっそり教えてくれたのだ。
スキル内容についての公表はないが、お兄様のスキルが三つであるということは話題になった。
三つもスキルがあることにお兄様はとても嬉しそうだったし、お父様も「心眼は王として大事なスキルだ」とどこか誇らしげに言っていた。
心眼はその言葉通り、物事の本質や真実を見抜くというものらしい。
お兄様いわく常時発動スキルではないそうだ。
それでもやがて王となるお兄様にはとても心強いスキルとなるだろう。
威圧も次期王としては良いものかもしれない。
身体強化は常時発動らしく、小さいうちから騎士やルル達と木剣で打ち合っていてあまり怪我をしなかったのも、それが理由だと思う。
スキルを自覚して以降は意識して身体強化を行うことで、以前よりも更に剣の腕が上達している。
さすがメインヒーローである。
「でもわたしはスキルがあるでしょうか……。魔力もないのに……」
ただでさえ魔力がないのに、スキルがない、もしくはあっても大したことのないものや一つだけだったら結構つらい。
王女としても威厳がないだろう。
ルルが慰めるようにわたしの頭を撫でた。
お父様が首を傾げた。
「スキルは魔力を消費せずに使えるものだ。たとえ魔力がなくとも、スキルの有無には関係ないだろう。何より旧王家と伯爵家の血を引いている以上はスキルが一つもないということはないと思うが」
お父様の言葉にお兄様も頷いた。
「そうだぞ、リュシエンヌも良いスキルを持っているはずだ。スキルがない者というのも聞いたことがないしな」
二人の励ましに頷き返す。
……スキルがない人はいないのか。
しかし魔力についても、当たり前にみんなが持っているのにわたしには全くない。
幸いスキルの使用に魔力は必要ないから、スキルがあるのに魔力がなくて使えないということにはならないはずだ。
「そうですね」
リュシエンヌは旧王家と伯爵家の血筋だ。
魔力はなかったが、血筋的に見れば、それなりに良いスキルに恵まれている可能性もある。
ただし今までスキルの存在を感じたことはないが。
「もしかしたら私と同じで三つあるかもしれないぞ?」
「そうしたら兄妹でお揃いですね」
お兄様の言葉に笑みが浮かぶ。
王太子となり、公務に出るようになって、お兄様は一人称を「僕」から「私」へ変えた。
ただでさえ似ている親子なのに、口調や一人称まで同じになり、尚更お父様とお兄様は似てきた。
きっと二十年くらい経ったらお兄様はお父様にそっくりに成長するのだろう。
公務で貴族の子息令嬢達と関わる機会も増えて、特にご令嬢達からは既に秋波を送られているようだ。
子息達は次期王の側近になろうと、そこまでいかずとも縁を繋ごうと、そちらはそちらで声をかけられるそうだ。
王族としての役目に集中したいお兄様はそれらが少し鬱陶しいらしく、毎日手紙の山を見て眉を寄せていた。
……わたしも公務が始まったらああなるのかな。
鬱陶しく思いながらもきちんと返事を送るお兄様の真面目さは素直にすごいし、尊敬する。
「もしスキルがなかったとしても、お前が王女であることに変わりはない。それにスキルは基本的に隠すものだ。わざわざ自分から吹聴しなければ誰も分からない」
「だからそう気負うな」とお父様が苦笑する。
……それもそうか。
言わなければ分からない。
スキルは個人の情報なので、本人の同意なく誰かに教えたり広めたりすれば、罪に問われる。
だからわたしが言わない限りは大丈夫だ。
そう思うと安心する。
馬車の揺れが弱まり、最後に小さく揺れて停まる。
少しして馬車の扉が開き、ルル、お兄様、お父様の順番に降りて、最後にルルの手を借りてわたしが降りる。
大聖堂の前に停められた馬車の前には、老齢の男性とやや太った中年の男性が二人おり、どちらも司祭の服を身にまとっている。
「国王陛下、王太子殿下、王女殿下にご挨拶申し上げます。本日はようこそお越しくださいました」
老齢の男性が穏やかに腰を折る。
その横にいた中年の男性も頭を下げた。
「国王陛下、王太子殿下、王女殿下にご挨拶申し上げます。この度は王女殿下の洗礼とのこと、是非、祝辞を述べさせていただきたく──……」
「ハロルド殿」
喋り出した中年男性を老齢の男性が窘めた。
中年男性は不愉快そうに眉を寄せたけれど、お父様やお兄様の冷たい眼差しに気付くと焦ったように上げた頭をもう一度下げた。
「失礼いたしました。教会に属しておりますと、王族の方々と接する機会も少なく、間近で高貴な皆様を目にして興奮してしまったようです」
老齢の男性が深々と頭を下げる。
お父様がそれを手で制した。
「良い、気にしていない」
老齢の男性が安堵した様子で顔を上げた。
中年の男性はどこか不満そうなままで、謝るべきなのはそちらなのに、何で他人に謝らせて平然としているのだろうか。
お兄様は無表情だったけど、眉がピクリと動いたので、恐らくお兄様も似たようなことを思ったのだろう。
「ご温情ありがとうございます。申し遅れましたが、私はこの大聖堂の大司祭を務めさせていただいております、エイルズ=マッカーソンでございます」
「司祭を務めておりますハロルド=フリューゲルと申します」
老齢の男性の方が教会内での地位が高いらしい。
「立ち話はこのくらいにして、さあ、どうぞ中へ」
大司祭様が手で促し、先頭に立って進む。
その後ろをお父様、お兄様、わたしとルル、司祭様、そして護衛の騎士達が順についていく。
背中に感じる視線には気付かないふりをした。
大聖堂は石造りで、華美さはあまりなく、それ故に厳かな雰囲気を感じられた。
毎日丁寧に掃除しているのか内部は綺麗で、床に敷かれた絨毯や控えめに置かれた調度品などが長い年月をここで過ごしていることが分かる。
廊下にはいくつもの絵画が飾られていた。
それらは授業で習った女神信仰のこの宗教らしいもので、どの絵画にも美しい女神が描かれている。
世界を創造する女神。
人や動物を生み出す女神。
人々に手を差し伸べ、魔法を与える女神。
様々な絵画があったが、描かれている女神は柔らかな新緑の髪をしているが、目は閉じられたままだった。
それによく見ると女神様の耳は尖っている。
……女神様というか、エルフっぽい。
前世のファンタジー漫画や小説、ゲームなどでよく出る森の民と呼ばれるエルフに似てる。
そちらでは金髪とされていたが、長く尖った耳に新緑の髪、非常に整った美しい姿はそれを思い起こさせた。
わたしとお兄様が絵画を見ていることに気付くと、大司祭様とお父様が立ち止まってくれた。
「大司祭様、何故女神様はいつも目を閉じていらっしゃるのですか?」
わたしの質問に大司祭様が目尻を下げて微笑んだ。
「女神様の瞳には大きな力が宿っており、その瞳で見つめられた生き物はその力に耐え切れないため、女神様は我々が傷付かぬように常にその瞼を閉じてくださっておられます」
「それでは女神様はこの世界を見ることが出来ないのではありませんか?」
「いいえ、女神様は瞼を閉じていてもこの世界の全てを見通すことが出来るのです。目を開ける必要はないのでしょう」
大司祭様はわたしが興味を持ったことが嬉しいのか、まるで孫を見るような穏やかな笑みを浮かべて教えてくれた。
「では女神様の瞳の色は誰も知らないのですか?」
それに大司祭様が小さく頷いた。
「はい、そうです。ですが、女神様が自らを模して最初に生み出した人間の子孫と言われていらっしゃる各国の王族や高位貴族の皆様に琥珀や金の瞳が多いのは、もしかしたら女神様もそのようなお色をお持ちなのかもしれませんね」
歴史の授業で確かにそれは習った。
この世界にある国の王族は皆、女神様が最初に生み出した二人の男女の人間の子孫と言われている。
そして平民はその二人の男女とその子供達に仕えるために生み出された人間達の子孫であり、貴族は最初の人間と後の人間の間に生まれた子供達の子孫であるという伝承のような話だ。
「他に御質問はございますか?」
「いいえ、ありません。教えてくださりありがとうございます」
「いえいえ、こうして女神様に興味を持っていただけてとても嬉しいです。また何か疑問がありましたら、お訊きください」
そうしてまたわたし達は歩き出す。
いくつかの扉を抜けると一つの部屋に通された。
護衛の騎士達は部屋の外で待機することになった。
室内に家具や調度品はなく、ただ中央に小さな泉があり、その泉の中に美しい女神の石像が安置されている。
昼間だというのに薄暗く、天井から最低限の光が差し込んで、部屋全体は淡い青色で満たされていた。
寒々しいが、どこか美しい。
そんな部屋に入り、扉の前で大司祭様が振り返る。
「それでは洗礼についてご説明させていただきます」




