初めての誕生日
ルドヴィクが生まれて、今日で丁度一年になる。
夏の盛りで暑いけれど、ルドヴィクは相変わらず元気いっぱいで、さっきまで部屋の中を駆け回っていた。
今日は使用人達もルドヴィクのお祝いをしたいと使用人用の広い食堂に飾りつけをしてくれたそうで、ルルがルドヴィクを抱え、みんなで階下に向かっているところだ。
「ぃーう!」
ルドヴィクが興奮した様子でルルの腕を叩く。
今日が自分の誕生日だとは分かっていないようだけれど、屋敷全体が今日は少し賑やかな空気なのを感じ取っているのだろう。朝からご機嫌だ。
「ぱぁ、ぱぁ!」
ちなみに『パパ』という言葉ではなく、単に声が出ているだけである。
腕を叩かれたルルが「はいはぁい」と返事をする。
「今日は良いことがあるかもね〜」
「いーう?」
「それが何かはこの後のお楽しみだよぉ」
わたしがよくルドヴィクに話しかけるからか、ルルもこまめに話しかけてくれる。
……今は言葉の意味が分からなくても、声かけは大事だよね。
そのうち、言葉をちゃんと理解して話す日がくるだろう。
使用人用の食堂前に着くと、クウェンサーさんがいた。
「ようこそ、奥様、旦那様、そしてお坊ちゃま」
それにルドヴィクが「あーぃ」と声を上げる。
声をかけられたらこう返すものだと思っているらしい。
クウェンサーさんが「良いお返事ですね」と微笑んだ。
「準備はどーぉ?」
「既にできております」
「じゃあ中に入ろうかぁ」
クウェンサーさんが扉を叩くと、中からガチャリと開かれる。
両開きの扉が内側に開けられ、パッと紙吹雪のようなものが撒かれる。
「ルドヴィク様、お誕生日おめでとうございます!」という使用人達の声が響いた。
当のルドヴィクは意味が分からないのかキョトンとしたものの、舞い散る紙吹雪が嬉しいのか手を伸ばしてキャッキャと笑った。その楽しそうな様子にみんなが目尻を下げる。
「どうぞ、こちらの席に」
クウェンサーさんの案内でテーブルに移動し、席に着く。
ルルとわたしが並んで座り、ルドヴィクはルルの膝の上だ。
「こちら、坊っちゃま用のケーキとなります」
使用人の一人が大きなケーキを持ってきた。
一目見た感じは普通のケーキのようだけれど、それにしてはクリームを絞ってはいない。
まだルドヴィクに生クリームは食べさせていないのだが……。
「蜂蜜やバターを使っていない、いつものサンドイッチ用の白パンに果物を細かくして入れてあります。外側の白い部分はヨーグルトなので、坊っちゃまでも安心してお召し上がりいただけます」
「そうなんですね。良かったね、ルド。みんなで一緒に同じケーキが食べられるね〜」
かなり大きいので切り分ければ全員で食べることができるだろう。
初めて見る大きなケーキにルドヴィクが手をばたつかせた。
「まんまんまぁ!」
「はいはぁい。……全員分に切ってくれる〜?」
「かしこまりました」
料理人が来て、大きなケーキナイフで切ってくれる。
ルドヴィクの灰色の目がキラキラと輝きながら食い入るように見つめている。
一番大きく切られたケーキがルドヴィクの前に置かれ、よく飲むリンゴジュースも用意してもらった。
可愛い灰色の大きな目はケーキに釘付けである。
自分の指をしゃぶっているルドヴィクだが、ルルが色々と教え始めたようで、用意している最中に手を伸ばすことがない。
使用人から受け取った布でルドヴィクの手を拭いた。
それから、小さな手に子供用の先が尖っていないスプーンを握らせた。
「食べていいよぉ」
ルルがポンとルドヴィクの頭に触れると小さな手が動き出す。
それにルルがお皿を近づけ、ルドヴィクがケーキにスプーンを突き刺した。
ルドヴィクには大きいので持ち上げることはできなさそうだ。
握り拳でスプーンを持ったルドヴィクがケーキにザクザクと何度も突き刺し、スプーンについたヨーグルトとパンの欠片を口に入れ、目を輝かせた。
「美味しい?」
わたしが訊くとルドヴィクが「あーぃ!」と返事をした。
ルルがルドヴィクの手を自分の手で包み、上手に砕けた部分をスプーンで掬い、口元に移動させる。
ルドヴィクが大きな口を開けてそれを食べる。
大きな口といっても一歳なので、まだまだ小さくて可愛い。
口の周りをヨーグルトで汚しながら、ルルに補助してもらいつつ一生懸命に食べる姿をみんなが微笑ましいという表情で見守っている。
「今日は特別だよぉ。好きなだけ食べて、飲んでいいよぉ」
と、ルルが言えば使用人達の表情がより明るくなる。
それから、別のテーブルに用意してあった料理を使用人達が各々で取り分け、立食形式の小さなパーティーが始まった。飲んでいいと言ったものの、お酒はないようだ。
わたしもケーキを一口、食べてみる。
柔らかな白パンにヨーグルトの優しい風味、細かく切って混ぜられた果物のほのかな甘さと酸味が食べやすい。これならルドヴィクでも問題なく食べられる。
ルドヴィクに食べさせているからか、ルルはまだ食べていない。
一口分を切り分け、フォークで刺してルルに差し出す。
「ルル、あーん」
ルルが嬉しそうに口を開けた。
「ん……まんま見た目通りの味だねぇ」
「そうだね、優しい味で美味しい」
「コイツにとってはご馳走だろうねぇ」
ぺろ、とルルが自分の唇を舐める。
ルドヴィクがジッと見上げてきたものの、ルルが言う。
「リュシーの『あーん』はオレ専用だよぉ」
それにルドヴィクが「ぶぁ」と言い、スプーンをケーキに突き刺す。
柔らかく作ってあるからルドヴィクの力でも簡単に崩せるし、食べられる。
ルルが手を添えて、また食べさせる。
「はぁい、ぐちゃぐちゃケーキがお口に入りまぁ〜す」
ルルが言うとルドヴィクが口を開けた。
その言い方に近くにいた使用人達が苦笑する。
ルドヴィクがケーキをモグモグしながら両手を叩く。
この癖は相変わらずあって、好きな味が分かりやすい。
「坊っちゃま、お気に召していただけましたか?」
料理人が来てルドヴィクに声をかけると、ルドヴィクが「まんまんまぁ!」と言う。
それにルルが「美味しいみたいだよぉ」と付け足せば、料理人が嬉しそうに微笑んだ。
「ぶーぶ! ぱぁ、ぱぁ!」
「はいはぁい、食べようねぇ」
もっと食べたいというふうにルドヴィクがルルの手を叩き、またルルの補助でケーキを食べる。
そのご満悦な表情を見れば、ルドヴィクがどれほど喜んでいるか伝わってきた。
ルルがルドヴィクにケーキを食べさせ、わたしがルルにケーキを食べさせるという謎の図にはなっているけれど、ルルもルドヴィクもなんだかんだ楽しそうだ。
食べる度にルドヴィクの口の周りがヨーグルトまみれになり、ルルがこまめに拭く。
……ルルって意外と『良いお父さん』なんだよね。
ルドヴィクのお世話も率先してやってくれて、わたしは授乳以外はあまり手をかけていない。
メルティさん達が入ったのも大きいけれど、それでも、ルルが子育てに積極的なのが嬉しい。
「ルドヴィクも一歳……早いなあ」
あんなに痛くて苦しい思いをして産んだのが一年前の出来事とは思えない。
あの時に抱いたルドヴィクの小ささをまだ覚えている。
それがもう、これほど大きく成長した。
「こうやって慌ただしく過ごしている間に何年か経ちそうだよぉ」
「うん、でも、ルドヴィクが成人する頃なんて想像もつかないかも」
「確かにあと十五年は長いねぇ」
ルドヴィクはケーキに夢中になっている。
食べ物への執着が強いのか、それとも食べることが好きなのか。
ルルが好き嫌いを許さないこともあって、ルドヴィクはすくすく育っていく。
メルティさんの話によれば、この年齢の一般的な子より大きいらしい。
ルドヴィクが健やかに育ってくれていることにホッとした。
「まんま!」
ルルの手が止まるとすぐにルドヴィクが抗議の声を上げる。
視線をルドヴィクに向けたルルがいつも通りのゆるい笑みを浮かべた。
「あーぁ、もうちょっと綺麗に食べなよぉ」
ぐちゃぐちゃのケーキをスプーンで掬わせ、ルドヴィクの口に運ぶ。
「ルドって意外と自分のことは自分でやりたがるよね」
「色々なことに興味があるんだろうねぇ」
食事も離乳食に慣れてきたところで食べ掴みを始めたし、話によると入浴時に自分の体を洗うような仕草もするらしい。着替えの時にボタンが留められなくて泣いたこともある。
わたし達が話しているとルドヴィクが見上げてきた。
「はぁー、え」
と、ルドヴィクが言う。
「どうしたの、ルド? まだケーキはあるよ?」
「はぁーえ、はぁーえ!」
同じ言葉を繰り返すので首を傾げていれば、ルドヴィクの手がスプーンを離し、わたしのドレスを掴んだ。
「はぁーえ!」
そうして、もう片手でルルの腕を掴む。
「ちぇーえ!」
わたしとルルは意味が分からず首を傾げてしまう。
ルドヴィクはまたわたしを見て「はぁーえ」と、ルルを見て「ちぇーえ」と繰り返す。
唐突にルルが傾げていた首を戻した。
「あ、もしかして『母上』と『父上』ってことぉ?」
驚いてルドヴィクを見る。
ルドヴィクのお世話をしているメルティさん達は、わたし達について話をする時にルドヴィクの前では『お父上』『お母上』と言っている。
もしかして、それを覚えているのだろうか。
ルルが自分を指差した。
「父上?」
「ちぇーえ!」
そして、今度はわたしを手で示す。
「母上?」
「はぁーえ!」
ルルの予想が当たったのか、ルドヴィクが嬉しそうに手足をばたつかせる。
……ルドがわたし達を『父上』『母上』と呼ぶなんて……!
思わずルルごとルドヴィクを抱き締めた。
「そう、母上だよ、ルド……!」
「はぁーえ!」
ルドヴィクがキャッキャと笑う。
まだ一歳なのに、もう言葉を理解し始めているのだろう。
「ちぇーえ、まんまんま!」
それにルルが「分かったよぉ」と言い、ルドヴィクの手を動かしてケーキを食べさせる。
ルルにはある程度、ルドヴィクの言葉が分かるらしい。
見ているとルルがわたしの視線に気付いて軽く肩を竦めた。
「『まんまんま』は『食事』か『食べたい』か『美味しい』って意味だよぉ。よくそういう時に使ってるからねぇ。美味しくない時は何も言わないしぃ」
「まんまんま!」
「ほらねぇ」
ケーキを頬張ったルドヴィクが言う。
「ちなみに『あーぃ』はちゃんと返事のつもりで言ってるみたいだよぉ」
「ちゃんと理解してるんだ……」
「コイツ、頭は良いのかもねぇ」
最後の一口までケーキを食べたルドヴィクの口を、ルルが拭いた。
リンゴジュースを飲むと満足したのか、ルドヴィクがこちらに手を伸ばしてくる。
「はぁーえ」
わたしも手を伸ばして、ルドヴィクを引き取って抱える。
ずっしりと重いけれど、座っていれば問題ない。
この調子で成長していくならあと一、二年もしたら抱えられないかもしれない。
「ケーキ美味しかったね」
「あーぃ」
ルドヴィクがわたしに寄りかかり、ウトウトし始める。
使用人達のうるさくはないけれど、ほどほどに聞こえる話し声が逆に心地良いのだろう。
小さな頭を撫でればフワフワの柔らかな茶髪がピョンと跳ねる。
寝てしまったルドヴィクを見て、ルルが空間魔法から膝掛けを出すとかけてくれた。
「お腹いっぱいになったらすぐ寝るとか、まだまだ動物っぽいよねぇ」
「やっと一歳だからね」
ルドヴィクをしっかり抱え、膝掛けを肩までかけてやる。
小さな口が指をしゃぶる。
ルルが自分のケーキを切り分け、食べた。
「あんまり甘くないねぇ」
ルルは甘いほうが好きだから、これだと物足りないのだろう。
ぼやくルルの前に新しいお皿が置かれた。
顔を上げればクウェンサーさんだった。
「奥様と旦那様はこちらもどうぞ」
それは普通のケーキだった。
小さなホールで、生クリームを使ったショートケーキである。
「坊っちゃまが寝ておられるなら大丈夫かと」
「珍しく気が利くじゃん」
「珍しく、は余計ですよ」
ルルが渡されたケーキナイフで等分に切っていく。
一口大のケーキは食べていたけれど、こうして一ピース食べるのは久しぶりだ。
ルルがお皿に取り分け、味見をしてから、一口分を切り分けてわたしに差し出した。
ぱくりと食べれば、生クリームにしては控えめな甘みと果物の甘酸っぱさ、スポンジ部分の柔らかくてしっとりとした食感と優しい甘さが口の中に広がる。
「美味しい……」
「このケーキもあんまり甘くないねぇ」
わたしに食べさせながらルルが言う。
「授乳中はあまり砂糖を沢山使ったものは良くありませんので」
ヨーグルトケーキもほのかな甘みがあって美味しかったが、これもそれなりに甘みがあって美味しい。しかし、子供の舌だとこれでも味が濃いのだろう。
ルルはわたしに食べさせつつ、合間に自分も食べている。
「ルドヴィクが一歳の誕生日を迎えられて良かったね」
「そうだねぇ。原因も分からないのに突然死ぬってこともあるらしいからぁ。まあ、でもコイツは元気すぎるくらい元気だしぃ、簡単には死ななそうだよぉ」
「ふふ、ルルが言うならそうなのかも」
二人でケーキを食べながらのんびりと過ごす。
腕の中で眠るルドヴィクは幸せそうに笑っていた。
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ミスリルの活躍とアルフリードへの愛あふれるお話ですので、是非お楽しみいただけますと幸いです( ˊᵕˋ* )




