??? / 確信
* * * * *
深夜、パチリと目を覚ます。辺りを見回しても誰もいない。
以前はよく起きていたけれど、最近は夜通し寝ているからか使用人も下がっているようだ。
起き上がり、転がってベッドの柵を掴み、立ち上がる。
両親の寝室、その一角に置かれたベビーベッドの柵の隙間からもう一度室内の様子を伺う。
……よし、今なら大丈夫そうだ。
「だう」
試しに声を出してみる。
大きなベッドには母が眠っているが、起きる気配はない。
元々眠りの深い人らしく、こちらが泣かない限りは起きてこないだろう。
暗いけれど、カーテンの隙間から漏れる月明かりで微かに物の陰影が見えている。
やっと一人の時間ができたことが嬉しくて、つい握った拳を振り上げてしまった。
……ここまで長かった……!
元の世界で死んで神様の計らいで異世界に転生したが、当然生まれたばかりなので赤ん坊で、美人の母と美形の父の子になっていた。二人の子なら、将来かっこよくなれそうだ。
幸い性別は男のままだったが、赤ん坊の生活はあまりに暇だった。
寝て、起きて、お乳をもらって──……とにかく寝るか飲むかしかない。
もうすぐ一歳を迎える。ようやく庭先で遊べるようになったのは嬉しかった。
でも、もっとやってみたいことがあった。
この世界にはなんと魔法がある。
……ファンタジー世界最高! 魔法を極めれば無双できるかも!
使用人や両親の話から、我が家は伯爵家で、母は元王女、父は暗殺者らしい。
……いやいや、貴族なのに暗殺者ってどういうことだよ!?
色々と突っ込みたいけど、どうやら我が家は訳ありみたいだ。
何はともあれ、成長すれば爵位を継ぐことになりそうだ。
さて、話を戻すが、やっと一人の時間を得た。
ずっとやってみたかった魔法の練習ができる。
母は優しくて、穏やかで、美人だけど可愛くて、よく本を読んでくれる。
子供向けの話も多いが同じくらい、魔法の話もしてくれるのだ。
母は魔力がないから魔法を使えないものの、魔法についてはとても詳しいようで、分かりやすく魔法について教えてくれる。
……まあ、まだ理解できてないと思ってるだろうけど。
魔法とは『詠唱』に『魔力』を込め、言葉として発することで『精霊』に魔力を捧げ、それによって精霊が使用者の望む現象を具現化する。
……詠唱、魔力、精霊……ファンタジーって感じがする!
詠唱については知っている。
父や使用人達が魔法を使う際に言っているから。
ただ、聞き取ることはほとんどできない。
特に父の詠唱が全く聞き取れなくて、しかも長いことが多い。
逆に使用人達が普段使う詠唱は短くて、似たようなものが多い。
小さな火を出すとか、水を出すとか、そういう簡単なものは詠唱が短くてもいいらしい。
目を閉じて体の中に意識を集中させれば、魔力の流れを感じる。
父や使用人達も魔力を持っており、いつも、それを感じていた。
……魔法を使う時は、魔力を言葉に込める。
母の説明ではこの世界にはいくつもの言語があるようだけど、魔法を使う時はどの国の言葉でも問題ないそうだ。
部屋の中で出しても問題ないものにしておこう。
……火……はダメだな。水も突然どこかが濡れてたら怪しまれる。
「あーあぅ、ばぅあ……」
少し風が吹くくらいなら気付かれないだろう。
詠唱が聞き取れなくても、大体、ファンタジー系の小説には詠唱が書かれている。
それを真似ればなんとか使えるかもしれない。
魔力を言葉に込めるというのは分からないが、練習すれば理解できる……と思う。
「ばぅあ、だーぁうぶぶうぉ、おーえばぅぶぉーぇ」
掌を上に向けて待ってみる。何も起きない。
やっぱりただ詠唱するだけでは何も起こらないようだ。
言葉に魔力を込める……魔力を外に出すということだろうか。
試しに適当に声を出してみる。
「あーぅ、ばば、だうぇーい……『あぶ』」
……おお、今のはそれっぽい気がする!
「だう、あぅ……ぶ、『ばぁば』『ぶぶ』……『だ!』」
段々と言葉に魔力を込めるのに慣れていく。
初めての挑戦なのに、こんなにあっさりできるなんて。
母は魔力がないけれど、父は魔法に優れているそうなので、父親似なのかもしれない。
……まあ、色合いも父親そっくりだしな。
鏡で見た自分は父親そっくりの色味で、成長したら見た目もそっくりになるのだろうか。
母は父親似であることを望んでいるみたいだが、父は「リュシーに似たかわいい女の子が良かったんだけどねぇ」とぼやく時がある。さすがに性別が変わるのは嫌だ。
……って、そんなことはどうでもいい。
「あう、あぶぶぅ」
気合いを入れて、言葉に魔力を込める。
「『ばぅあ、だーぁうぶぶうぉ、おーえばぅぶぉーぇ』」
ふわ、と風が揺れた。
そして、手の上に空気が流れ込んでくる。
……えっ、ちょ、強すぎ……!!
慌てて止めようとするけれど、魔法の止め方が分からない。
風でベッドの天蓋から流れるカーテンが揺れる。
まずい、このままだと母が起きてしまう。
それなのに魔法は止まらず、風が強まっていく。
……どうする!? ああ、どうすれば──……!!
これ以上風が強くなれば、部屋の物が落ちるだろうと思った瞬間、体が硬直した。
強い魔力を感じ、自分が起こした風よりも強い風が一瞬吹いて、こちらの風を包み込んだ。
次の瞬間には風は止んでいた。
「──……やっぱりねぇ」
静かで、緩い声にドッドッドッドッと心臓が早鐘を打つ。
恐る恐る振り向けば、いつの間にか父がベビーベッドのそばに佇んでいた。
黒い衣装に赤いマフラーのようなものを首元に巻いて、顔は隠している。
服同様に黒い手袋に覆われた手が伸びてくる。
逃げ場もなく、あっさり抱き上げられた。
「ちょ〜っと、オハナシしよっか?」
有無を言わせない声音だった。
* * * * *
仕事を終えて戻ると子供が起きていた。
気配を消し、スキルを使って姿を隠していると、子供が何やらぼやいている。
何を言っているのかは分からないが、普段よりもよく喋る。
そして、子供が声に魔力を込めた。
……へぇ?
何度か言葉に魔力を込める練習をした後、長く何かを言い、小さな手に向かって風が動く。
……風魔法を使った?
だが、恐らく初めての魔法だったのだろう。言葉に込めた魔力量が多かったようだ。
このままではリュシエンヌが起きてしまうからとルフェーヴルは割り込み、己の風魔法で子供の風魔法を包み、相殺する。幸いリュシエンヌはぐっすり眠っていて起きなかった。
子供を抱き上げ、転移魔法の詠唱を行い、庭に移動する。
腕の中の子供は硬直したままだ。
この年齢の子供が魔法を使うなどありえない、ということくらいはルフェーヴルにも分かる。
ずっと、ルフェーヴルは疑念を感じていた。
侍女の話で聞く赤ん坊よりも世話がしやすくて、あまり泣かず、こちらの言葉を理解している。
そして、魔法を行使した。どう考えても普通ではない。
固まったまま見上げてくる子供に、ルフェーヴルは言った。
「オマエ、転生者でしょ?」
子供の目が丸く見開かれる。
ただでさえ大きな目が、見開かれるとこぼれ落ちてしまいそうだ。
「あ〜、言っとくけどぉ、オレは違うからぁ」
また子供がまじまじと見つめてくる。
ルフェーヴルはとりあえず、立っているのも暇なので歩き出した。
「『はい』なら頷いて、『いいえ』なら首を横に振って〜。あ、適当に分からないふりした場合はこのまま落とすからねぇ? 痛い思いをしたくなかったら正直に話したほうがいいよぉ」
子供を落として怪我をさせても、治癒魔法で治せば痕跡は消せる。
……いくらオレの子とは言っても、中身によっては生かしておけないからねぇ。
またあのオリヴィエ=セリエールの中にいた存在のように、ルフェーヴル達を邪魔する者であったなら躊躇わずに殺す。自然死にみせかけておけばリュシエンヌは諦めるだろう。
子供が何度も頷く。やはり言葉を理解できているようだ。
「もう一度訊くけどぉ、オマエは転生者〜?」
子供が一度頷く。
「オレやリュシーのこと、知ってる〜?」
それには首を横に振った。不思議そうに目を瞬かせている。
魔力や呼吸に乱れがないので嘘ではないのだろう。
転生者だが、リュシエンヌが言っていた乙女ゲームとやらは知らないということか。
知らないのであれば、こちらの邪魔をしてくる可能性は低い。
「この世界はさぁ、乙女ゲームってヤツに似てるらしいよぉ」
そこから、ルフェーヴルは子供に説明した。
母親──……リュシエンヌも転生者であること、ゲームの中では悪役王女であったこと。
ルフェーヴルは隠しキャラとかいう、特別な登場人物で本来はリュシエンヌと関わりがないこと。
これまでのことも大雑把に話し、そしてリュシエンヌには女神の加護があることも伝えた。
中身が子供でないなら、隠してもどうせそのうち気付かれるのだ。
……それならいっそ、早いうちにコッチに引き込んだほうがいいよねぇ。
「──……まあ、色々あってオレとリュシーは結婚して、オマエが生まれたってわけぇ」
子供が眉を寄せて難しい顔をしている。
子供らしくないその表情にルフェーヴルは小さく笑った。
「もうゲームの原作の話は終わったらしいからぁ、オマエが気にすることないけどねぇ」
「だう……」
子供が『分かった』というふうに頷いた。
「で、問題はココから〜。オマエは転生者だってリュシーに気付かれないようにすること」
子供が不思議そうな顔をする。
「オレはねぇ、リュシーだけが大事なんだよぉ。リュシーがかわいくて、好きで、愛おしくて……それ以外なんてどうでもいい。だからリュシーの心がオレ以外に向くのは許せないんだぁ」
子供の短い首に手を当て、そっと握る。
全力で握れば簡単に骨を砕けそうなほど、柔らかい。
「オマエが自分と同じ転生者だって知ったら、リュシーはきっとオマエに心を向けるだろうねぇ?」
そのままニコリと笑えば、子供が慌てた様子で何度も大きく頷いた。
「絶対、リュシーに気付かれないようにしてよぉ?」
「あう!」
子供が小さな手を上げる。
「それとぉ、爵位を継ぐとしてもオマエに暗殺術は叩き込むから〜」
ピタリと子供が動きを止めて「あう、あぶぶぅ……」と呟く。
不安そうに見つめられたが、微笑み返す。
「オレ、これでも闇ギルドのランク一位の暗殺者なんだよねぇ。後継者がいないと困るしぃ、オレも師匠から継いだ技術を廃れさせるのは勿体ないしぃ。まあ、オレの子として生まれたのは運が悪かったって思って諦めてよぉ」
子供が複雑そうな顔をする。
どんな反応をされても、嫌がられても、暗殺術は叩き込むつもりだ。
「仕方ないでしょぉ? オマエは旧王家の王女だったリュシーの子なんだから、書類上は養子って言ってもオレに似てるんじゃあすぐバレちゃうんだしぃ。自分の身くらい守れないとぉ、あっという間に政治的に利用されるよぉ? それでもいいわけぇ?」
そう言えば、子供は眉を寄せたまま首を横に振った。
「オマエに何かあればリュシーが悲しむからさぁ、訓練も頑張ってもらうよぉ」
暗殺術を教えることや訓練に関して、リュシエンヌは口出しをしないと言っていた。
その辺りはルフェーヴルの領域であり、リュシエンヌなりに素人があれこれ言うべきではないと分かっているのだろう。
そういう割り切りというか、理解の早いところもリュシエンヌの長所である。
この小さな体の中にある魂が何歳の人間だろうと、異世界の人間だろうと構わない。
リュシエンヌとルフェーヴルの子で、邪魔をしてこなければルフェーヴルも何もしない。
「ちなみにリュシーが転生者だって知ってるのはオレだけだから〜。オマエについても知ってるのオレだけだしぃ、言っても意味は通じないから黙っておいたほうがいいよぉ」
子供が小さく頷き返した。
「最後に、五歳までは魔力制御用の魔道具を着けさせるからねぇ」
「あぶーぅ?」
「さっきみたいに勝手に魔法を使ってリュシーに何かあったら困るからぁ、五歳までは魔法の使用は禁止だよぉ」
「ぶぇ!?」
衝撃を受けた様子で子供が見上げてくる。
「オマエはオレと同じくらい魔力があるんだよぉ。子供にしてはありすぎるくらいでさぁ、魔力制御に慣れてないのに大きな魔法を使ったらどうなると思う〜? 屋敷吹き飛ばしたらさすがにオレも許さないからねぇ?」
殺気を向ければ、子供が「あう!」と手を上げて返事をした。
……魔道具はピアスがいいかねぇ。
アリスティードかアサドに声をかけて制御用の魔道具を急ぎ、手に入れないと。
子供を抱え直し、ルフェーヴルは足を止めた。
「あ、そぉそぉ、オレの名前はルフェーヴル=ニコルソン。リュシーはリュシエンヌねぇ。オレ達は愛称で呼び合ってるけどぉ、オマエは呼ばないように〜」
「ぶぁ?」
「呼ぶなら『父上』『母上』だよぉ」
「だあう、あーう」
まだ子供の口では発音できないらしい。
「リュシーに転生者だってバレないこと。リュシーには逆らったり傷付けたりしないこと。リュシーを喜ばせること。オレの弟子として暗殺術の訓練を受けること。そういうのだけ守ってくれれば後は好きにしていいよぉ」
「う?」
「爵位を継いでもいいしぃ、暗殺者になってもいいしぃ、オレみたいにその両方でもいいかもねぇ」
ルフェーヴルはスッキリした気分でまた歩き出す。
感じていた疑念が解消されて、不安要素はまだ残るものの、今はこれでいい。
「ただ、オレが死ぬ時はリュシーを殺してから死ぬから、オレ達がいつ死んでもいいように覚悟だけはしておいてねぇ。……暗殺者ってのは死と隣り合わせの仕事だからさぁ」
子供は黙って頷いた。小さな手がルフェーヴルの衣服を握る。
……オレもそう簡単に死ぬつもりはないけどねぇ。
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