家庭教師について
仕立て屋をお屋敷に呼んでから二週間。
わたしはその間にルルから更にいくつか教わった。
一般常識や貴族の常識の他に、南方語も始まって、今は大体読み書きが出来るようになった。
ちなみに南方語は英語みたいなものだった。
前のわたしは外国語が苦手だったのだけれど、原作の影響なのか、それとも単にリュシエンヌ本来の学習力の高さのおかげなのか、あっという間に南方語も覚えられた。
ただ発音に関してはまだまだだけれど。
南方語が出来るようになったら、次は西方語、北方語、そして東方語と教えてくれるそうなので頑張ろう。
お兄様は公用語の他に南方語、北方語、西方語はもうほぼ完璧らしい。
「だけど東方語が難しくてな……。他の言語に比べて使う文字が格段に多いのと、発音が独特で苦労してる」
とのことだった。
原作では学院内で最優秀の成績を取るお兄様ですら苦戦するということは相当難しいのだろう。
それを人に教えられるくらい書いて読めて話せるルルは更に優秀ということか。
……いやでも、ルルが何歳で覚えたかによるよね。
そう思って聞いたところ、正式に勉強をしたのは八歳くらいだけど、その時にはどの国の言葉も日常会話くらいなら読み書き出来たし、話せたそうだ。
「どうやったらそんなに覚えられるの?」
わたしの疑問にルルは笑って「周りに色んな国の人間がいたからねぇ」と言った。
……何それ英才教育?
色んな国の人が周りにいたにしても、それだけで簡単に話せて読み書き出来るようになるわけがない。
きっと周りの人はルルに教えてくれただろうし、ルルも覚える努力をしたのだろう。
……原作のゲームってどの攻略対象も頭良かったっけ。隠しキャラのルルもやっぱりそうなんだろうな。
対抗馬としてのリュシエンヌもそれなりに優秀な人間でないと張り合いがないということか。
このまま勉強を真面目にしていると恐らくヒロインちゃんと同じ成績上位者の特選上級クラスになる。
……いっそ学院では手を抜こうか?
しかしそうすると第一王女としての威厳も落ちるし、旧王家の血筋云々とか言われそうで、それも何だか面白くない。
とりあえず勉強は真面目にしておこう。
もし同じクラスになってもヒロインちゃんには関わらないようにすればいい話だ。
それにヒロインちゃんが攻略対象と恋仲になったら応援すればいいのだ。
敵意がないと示しておけばバッドエンドは避けられる、はず。
まあ、まだ十年もあるのだし、その辺りは追い追い考えるとしよう。
注文したドレスもこの二週間のうちに合わせたり調整したりと何度かお屋敷にオルガさんがお針子と一緒に訪れていたが、今日から出来上がり次第、順次届けられるそうだ。
今日は二着届いているが、まだ着ていない。
明日、お兄様の家庭教師が正式にわたしの家庭教師にもなるらしい。
そうなれば嫌でも毎日ドレスを着ることになるので、今日くらいは気楽なワンピースドレスで過ごしたかった。
わたしの部屋にお兄様が来ており、のんびりとティータイムを楽しむ。
後から知ったのだけれど、わたしが食べているお菓子には野菜もいくらか使われているそうだ。
食事量の少ないわたしのために、料理長とメイド長が話し合って、野菜入りのお菓子を考案してくれている。
一度、お礼を言いに行ったら驚かれたけど。
貴族や王族がわざわざ自分の足でお礼を言いに来ることはないそうで、普通は食事後などに呼びつけるものらしい。
でも、喜んでくれていた。
それに作ってくれる人達の顔を知っていた方が、食事やお菓子を食べる時に、もっと感謝の気持ちが湧く。
お兄様がクッキーを食べる。
「ん? もしかしてこれ、ニンジン入りか?」
鮮やかなオレンジ色のジャムが乗ったクッキーだ。
お兄様が目を瞬かせて食べかけのそれを見ると、リニアさんが頷いた。
「はい、ニンジンとオレンジ、リンゴを使っております」
「そうか、ニンジンもこうすると美味しいな」
そう言って、お兄様は残りのクッキーも食べる。
もしかしてニンジンが苦手なのだろうか。
確かにここにあるお菓子はわたしが野菜を無理なく食べられるように、野菜独特の苦味や味を抑えてくれている。
体に合わせて味覚も変わっているわたしにはありがたい。
子供の味覚だと野菜って青臭さや苦味の方を強く感じてしまって、それで野菜本来の甘みや味が分かり難いのだ。
でも食事に出る野菜はきちんと食べている。
ちょっと苦手だなと思う野菜もあるけれど、それでも後宮にいた頃のことを思うと食べるのは苦にならない。
「おにいさまはニンジンがきらいですか?」
わたしが問うと困ったような顔をされた。
「嫌いではないし、食べられるが、あの青臭さはちょっと苦手だな。……そういえばリュシエンヌはいつも残さず食べていたな?」
頷き返す。
「わたしも苦いのはイヤです。でも、ここの食事はおいしいので、お野菜もがんばって食べます」
「リュシエンヌはいつも頑張ってるな」
「がんばる以外できることないから」
お父様やお兄様達に返せるものもないし。
今は何でも努力してみることにしている。
勉強も真面目に学ばないと、わたしが何か出来なかった時に、お父様が教育を満足にさせなかったからだと言われるかもしれない。
それが嫌で積極的に勉強している節はある。
だけどこの世界を知るのも楽しい。
だから勉強するのもつらくない。
「そんなことないよぉ。リュシーは毎日幸せそうに笑っていれば、それでいいんだからねぇ」
ルルが横に座ってクッキーを差し出してくる。
わたしの一番好きなラズベリーとクリームを挟んだクッキーを選ぶのがルルらしい。
それにそっとかじりつく。
前みたいにパクッと食いつくのはもうしない。
「そうだな、リュシエンヌが無理をする必要はない。つらいことや苦しいことがあったら、我慢せずに言うんだぞ」
お兄様がルルの言葉に頷きながら、また同じジャムの乗ったクッキーを口にする。
……気に入ったのかな?
帰る時に残ってたら、ハンカチで包んで部屋に持って帰ってもらおう。
「それで、家庭教師について知りたいんだったな」
クッキーを飲み込んで訊いてくるお兄様に頷く。
「はい、どんな人なのか知りたいです」
この二週間で前よりもしっかりと喋れるようになったと思う。
前はほとんど人と話すことがなくて喋るという行為そのものに慣れていなかったけれど、ここに来て人と話す時間が増えたからだろう。
まだたまに言葉に詰まることもあるが、舌がしっかりと動いて、口調がハッキリした。
……前は小声だったしね。
今もそんなに大きな声ではない。
でも以前の呟くような喋り方は卒業しつつある。
「僕の家庭教師をしてくれているのはミハイル=ウォルト先生だ。ウォルト辺境伯の三男で、歳は二十七歳だったかな」
なるほど、七歳の子に二十七の先生か。
親子くらい歳が離れてるから険悪な雰囲気にはならなさそうだし、それくらいの年齢なら、子供が走り回っても追いつけそう。
お兄様はそんなことしないだろうけど。
「奥さんも子供もいないんだっけぇ?」
「ルフェーヴル、ミハイル先生は妻子はいないけど付き合っている女性がいるそうだ。本人から聞いた」
「そっかぁ、なら安心かなぁ」
ルルとお兄様が話してる。
……さすがに五歳と二十七歳はないかな。
取られたくないと思ってくれるのは嬉しい。
だからわたしはいつもルルに言うのだ。
「わたしが大好きなのはルルだけだよ」
そう言えばルルが喜んでくれる。
そう言えばルルは安心してくれる。
それならいくらでも好きだって言おう。
ルルの手を握ると、ルルも握り返してくれる。
こほん、と咳払いがした。
「あー、ミハイル先生は学院での成績も優秀で常に上級クラスだったそうだ。性格は僕が見た限りは穏やかで真面目な人だと思う。使用人にも丁寧な態度で接しているし、家庭教師以外でも普段は僕の側について色々と教えてくれるんだ」
お兄様がそこまで言うなら悪い人ではないのだろう。
……それにお兄様ってちょっと人の好き嫌いがハッキリしてるところがある。
あんまり好きじゃない人には必要以上関わらないし、逆に気に入った人にはかなり関わろうとする。
七歳だから別にそれくらい普通だと思ったけど、原作のアリスティードも自分が好いてるヒロインちゃんにはすごく甘くて、嫌いな義妹のリュシエンヌにはものすごく冷たかった。
既にこの頃にはその片鱗があったということだ。
「そばにいて? おやしきにいるんですか?」
「家庭教師だからな」
「……?」
……どういうこと?
思わず首を傾げるとルルが教えてくれた。
「貴族の家庭教師ってねぇ、客人と使用人の中間みたいな立場なんだよぉ。雇われた先の家に住み込みで働くんだけどぉ、家の人間からしたら使用人で、使用人からしたら客人だから、微妙な立場なんだよねぇ」
「ああ、そうか、リュシエンヌは知らなかったのか」
ルルの言葉にお兄様が納得した風に頷く。
家庭教師は住み込みなのか。
……でも、そっか。
貴族に勉強を教えるなら相応の教育を受けた人でなければいけないし、そうなるとどうしても貴族などになるし、使用人からしたら同じ主人に仕えると言っても同僚とは言い難いだろう。
「だがミハイル先生はうちの使用人達とも上手くやれているみたいだ」
お兄様の言葉にルルが「ふぅん」と呟く。
「というか、お前、屋敷の中をうろついてるなら見たことくらいあるだろう?」
「ん〜、見たことはあるかもねぇ。そのセンセーの外見的特徴は〜?」
「銀灰色の髪に青い瞳で、モノクルをかけている」
「……あ〜、あの人ねぇ。なるほどぉ」
ルルは見たことがあるらしい。
「ルルから見て、やさしそう?」
別にお兄様を疑っているわけではない。
ただ、ルルの方がその仕事柄、人の本質を見抜く力に長けているんじゃないかと思うのだ。
「優しそうというかぁ、ちょっと気弱そう? ん〜、みんなが想像する貴族の魔法士らしい魔法士って感じかなぁ」
「みんなのそうぞうするまほうし?」
「線が細くてぇ、剣はあんまり得意じゃなさそうでぇ、魔力が多くてぇ、あんまり日に焼けてなくてぇ、顔立ちがいい魔法士?」
……ああ、そういうこと。
静かな文系の人みたいな感じか。
「まほうしはけんを使わないの?」
使えた方が良さそうな気はする。
「全く使えない人はないと思うよぉ。単純に得手、不得手があるって感じぃ? 剣も人並みに扱えるけど魔法の方が得意みたいな。剣も魔法も使えないと困るからねぇ」
……それもそうか。
「絵本みたいなまほうしはいないの?」
「魔法だけでも十分戦えるって人はいるよぉ。宮廷魔法士なんかはそれに近いんじゃないかなぁ」
「そうなんだ」
……家庭教師の先生、魔法見せてくれるかな。
でも人の魔法についてあれこれ聞くのは良くないし、見せてとお願いするのも、失礼かもしれない。
リニアさんやメルティさんも魔法を使える。
生活魔法と呼ばれる、日常の暮らしの中で役立つ魔法がいくつかあって、二人はそれを使えるようなのだ。
けれども今まで使っているところを見たことがない。
ルルに聞くと「あの二人はよく使ってるよぉ」と言われるが、それらしいものを目にした記憶はない。
……まあ、そのうち見られるよね。
魔法の勉強もしているのだ。
その機会はきっとこれからもあるはずだ。
「確かミハイル先生には僕くらいの姪がいるとかで、リュシエンヌのことを話したら是非会ってみたいって言ってた。きっと良くしてくれるさ」
お兄様が立ち上がってこちらに手を伸ばし、安心させるようにわたしの頭を撫でる。
今後は家庭教師の下で色々な方面を学んでいくことになるだろう。
ちょっと不安もあるが楽しみだ。
お兄様と一緒に授業を受けられるくらい学びたい。
学院では二つ上のお兄様とは学年が違うため、一緒に勉強することは出来ない。
きっと机を並べられるのは今だけだから。




