ハイハイ / 余談
ルドヴィクが生まれてからもうすぐ八ヶ月。
お座りと這いずりに慣れたのか、ルドヴィクはよく絨毯の上に座っている。
ボールや玩具を追いかけて這い回っているものの、お気に入りなのかルルの足にしがみつく遊びは相変わらず続いている。最近はルルも諦めたのかルドヴィクをくっつけたまま歩き回っている。
他の使用人も随時ルドヴィクの周りにつき始めた。
遊び相手や護衛が増えて、以前より賑やかになった。
特に遊び相手が増えた。メルティさんとランドローさん以外にも、護衛騎士のイヴェールさんとラファランさんがルドヴィクについてくれる。
護衛は二人で交代制なのだが、大体この五人で相手をしてくれるため、ルドヴィクは毎日楽しそうだ。ちなみにイヴェールさんは男性で、ラファランさんは女性である。
ルドヴィクは人見知りどころか、むしろ人懐っこく、みんなに愛想を振り撒いている。
「ルドヴィク様、こちらですよ」
「はい、一、二、一、二〜。速いですね〜」
ランドローさんとメルティさんが手を叩いてルドヴィクを誘導している。
最初は坊っちゃま呼びだったけれど、ルドヴィクに自分の名前を覚えてほしいので、名前で呼んでもらうようにお願いした。そのほうがきっとルドヴィクも嬉しいだろう。
絨毯の上でルドヴィクがずりずりと這いずってそちらに向かう。
そんな様子をわたしとルルがソファーで眺める。
みんなが構ってくれることもあって、最近はルルと過ごす時間も増えてきた。
「リュシー」
ルルに呼ばれて顔を上げる。
「なぁに、ルル?」
ちゅ、とキスされて目を瞬かせていれば、ルルが微笑んだ。
「もう一人、欲しい〜?」
それが子供についてだと分かって、わたしは悩んだ。
ルドヴィクはとても可愛い。ルルとの子は、わたしにとって特別だ。
でも、一度産んで育てるだけでも大変で、いくらリニアお母様達が手伝ってくれているといっても積極的にもう一人欲しいという気持ちはなかった。
ルドヴィクも元気に育っているし、この子で十分な気がする。
「ううん、二人目は要らないかな。もし二人目も男の子だと、どっちが家を継ぐかの争いになりかねないし、わたし自身ももう一人産むのはつらいかも」
ルルとの赤ちゃんは可愛くて、愛おしくて、大切で、素晴らしい存在だ。
だが、それはルドヴィクだけでいいとも思う。
この世界にたった一人の大切なわたし達の子供。
わたしの言葉にルルが頷いた。
「だよねぇ。オレも出産の様子見て、二人目は要らないなぁって思ってたよぉ。妊娠中もその後もリュシーの負担が大きすぎるしぃ、今以上にリュシーを誰かと共有する気もないしねぇ」
ルルの反応にホッとする。
「じゃあ今後は、オレが避妊薬飲むから〜」
「避妊薬……」
「また妊娠しちゃったら堕ろすのは精神的にも身体的にもつらいでしょぉ? オレも別に子孫を残す必要はないしぃ、リュシーの体は出産で弱ってるしぃ?」
「うん、分かった」
望まないのに妊娠して堕ろすのも、産むのも、無責任だ。
それならルルは最初から薬を飲んで避妊しようと言いたいのだろう。
ルルに抱き着き、ギュッと体を寄せる。
「ありがとう、ルル」
わたしが避妊薬を飲むこともできるだろうけれど、弱ってる体を気遣ってくれたのだ。
「どういたしましてぇ。一応、義父上とアリスティードにも伝えとくねぇ」
「そうだね、そのほうがいいと思う」
ルルもギュッと抱き締め返してくれる。
二人で身を寄せ合って、視線をルドヴィクに戻せば、また手足を使って体を持ち上げていた。
座る時はいつも、一度あの体勢になる。膝を曲げてお尻を床につけ、そこから座った。
座ってからも手足を動かしている。
ここ数日は座っている状態で足を動かす仕草をよく見るようになった。
座った状態でルドヴィクが足を後ろに動かす。
また這いずるのかと眺めていれば、絨毯に両手をついた。
そして、お尻を上げる。
「あ」
それは誰の声だったのか。もしかしたら全員が思わず漏らしたかもしれない。
ルドヴィクが四つん這いになり、片手を前に出した。
よち、よち、と少し危なっかしい動きでルドヴィクが前進する。
「わ、ハイハイした!」
わたしが声を上げれば、ルドヴィクの前にいた三人と壁際に控えていたイヴェールさんが拍手をした。
「おめでとうございます、ルドヴィク様」
「すごいですね」
「ルドヴィク様、そのままこちらに」
「お上手です」
拍手が楽しいのか、ルドヴィクがメルティさん達のほうによちよちと四つん這いで移動する。
初めてだからゆっくりとした動きだけれど、しっかり手足で体を支えている。
ルルがルドヴィクを眺めていた。
ふとルドヴィクがこちらに向くと、方向転換をして、よちよちこちらに向かってきた。
そのお尻をみんなが微笑ましそうに見つめている。
「う、う、う」
歩きながら声が漏れているところが可愛い。
足元までくるとルドヴィクがルルの足にしがみついた。
ルルが面倒くさそうに足を上げ、張りついたルドヴィクを持ち上げると手を伸ばして抱えた。
「あぅぶ、う」
「ってわけでぇ、オマエは一人っ子だよぉ」
「あう、ぱぁ!」
「ん? それは初めて聞く音だねぇ」
ルドヴィクとルルが会話する。
こうして顔を寄せて話す二人を見ていると似ている気がした。
……わたしの遺伝子は負けちゃったかなあ。
でも、ルル似の息子というのは嬉しい。
ルルがルドヴィクを絨毯の上に下ろすと、今度こそメルティさん達のほうに行く。
みんなが微笑みながらルドヴィクが来るのを待ち、メルティさんの前でちょこんと座った。
また拍手が起こり、ルドヴィクが手を上下にぱたぱた振る。
柔らかな茶髪に包まれた後頭部は小さい。癖っ毛でふわふわしている。
……ルルが赤ちゃんの時もこんな感じだったのかも?
一度ハイハイを覚えたルドヴィクは絨毯の上を縦横無尽に動き回る。
元気な子だと思っていたけれど、とても体力があるようだ。
「赤ん坊のわりによく動くよねぇ」
「確かに。赤ちゃんってこんなに元気なんだね」
わたし達が話しているとメルティさんが言う。
「ルドヴィク様は体力がありますね。私の弟や妹とは全く違います」
「そうなんだ? こんなに小さくても、もう個性とか体力とか違いがあるのかな?」
「あると思います。人見知りもしませんし、ルドヴィク様は社交的に育つかもしれませんね」
絨毯の上を動き回っていたルドヴィクがぽてりと座り込んだ。
そのままウトウトし始めたのでランドローさんが抱え上げ、ベビーベッドに移動させる。
元気だけど、体力の配分はできないので全力で遊んでいきなり疲れて眠ってしまうのだ。
メルティさんとランドローさんがそばで見守り、他は退室していった。
「そうだといいなあ」
ルドヴィクが伯爵位を継ぐなら、社交界に出ることになるだろう。
……どんな子に育ってもいい。
ただ、健やかに、幸せに生きてほしいと思う。
* * * * *
「遊びに来たよぉ」
王城にある国王の政務室。夜とはいえ、堂々と扉を開けてルフェーヴルは入った。
室内にいたアリスティードと義父が呆れた顔をする。
ルフェーヴルは気にせず、政務机に腰掛けた。
「二人揃って相変わらず仕事漬けだねぇ」
「これでも回せるものは他の者に任せている」
「ふぅん?」
アリスティードの言葉を聞きつつ、ルフェーヴルは適当な書類を一枚手に取り、目を通した。
しかし、興味のない内容だったのですぐに書類を元の位置に戻す。
「お前が遊びに来るとは珍しいな」
義父に声をかけられ、ルフェーヴルは「うん」と頷いた。
「ちょっと今後の話がしたかったからねぇ」
「今後の話?」
「オレ、避妊薬を飲むことにしたんだぁ」
そう言えば、アリスティードと義父がそっくりな表情で「そうか」と呟いた。
感情が入り交じった複雑そうなその顔に、ルフェーヴルは小さく噴き出す。
「ぷっ、あははっ。そんな顔しないでよぉ。別にオレもリュシーも気にしてないしぃ? 今回のリュシーの出産と体調を見て、二人目はもういいや〜ってなったから飲むだけだよぉ。それに二人目は琥珀の瞳の可能性もありえるし〜。わざわざ危険を冒す必要はないからさぁ」
妊娠、出産、そして子育て。その様子を見て決めたことだ。
ルフェーヴルもできる限り妊娠中にリュシエンヌの世話を焼き、子育てをしているが、それでも、リュシエンヌにかかる負担は心身共に大きかった。
普段は大胆なところのあるリュシエンヌが、子のことになると少し神経質になる。
そして、それがリュシエンヌにはあまり良くないように思えた。
精神的苦痛耐性というスキルを持っているリュシエンヌだが、心労を感じないわけではない。
「リュシエンヌとルフェーヴル、二人が決めたことならば口出しはしない」
「そうですね、ルドヴィクがいるだけでも十分でしょう」
義父とアリスティードが頷いた。
「そのうちまた孫の顔を見に行きたいんだが、いいか?」
義父に問われて、ルフェーヴルは少し考えた。
「リュシーが嫌がらなければいいよぉ。明日の夜にでも通信魔道具でコッチにかけてくれる〜?」
リュシエンヌは屋敷の使用人に対しては特に反応を見せないものの、使用人が街に外出して戻ってくると絶対に子供に触らせない。屋敷の外に子供を連れ出すのも嫌がる。
「ああ、分かった。リュシエンヌとルドヴィクの様子はどうだ?」
「どっちも元気だねぇ。まあ、リュシーは階段を自力で上がってもある程度は息切れしなくなったかなぁ。ルドヴィクのほうはちょ〜っと元気すぎるっていうかぁ、起きてる間はハイハイで動き回ってるよぉ」
「そうなのか」
子供が動き回っている様子を想像したのか、義父がおかしそうに笑う。
「世話役と護衛をつけたんだけどぉ、大変だよぉ。赤ん坊って意外と動きが速くて、体力もあるんだねぇ。小さいから捕まえにくくて、今は絨毯の周りを子供用の柵で囲って、その中で遊ばせてる〜」
だが、その柵が不満らしく、よく柵を叩いたりかじりついたりする。
赤ん坊の力でどうにかなるようなものではないため、好きにさせているが。
「立ち上がって歩くようになったらもっと活発になるだろうな」
「そういえば、リュシエンヌも昔は木に登ったり訓練場で木剣を振り回したり、活動的でしたよね」
「そういうところはリュシエンヌに似たのかもしれない」
義父とアリスティードが和やかに笑う。
……どうだかねぇ。
ルフェーヴルは少し、引っかかることがあった。
しかし、それについてはまだ確信を持てていないので誰にも言っていない。
もう少し様子を見て判断するつもりだ。
「何にしろ、将来が楽しみじゃないか」
アリスティードに笑いかけられ、ルフェーヴルも笑みを浮かべる。
「そうだねぇ。魔力量だけならオレと同等くらいありそうだしぃ、鍛えたらそれなりに遊べる相手になりそうだよぉ。たまにはオレも全力を出したいからさぁ」
「いや、お前に全力を出されたら大抵は死ぬ」
「そりゃあそうでしょぉ。暗殺者の全力って言えば殺しにかかってるんだから〜」
「息子を殺す気か?」
呆れた様子で小さく息を吐くアリスティードにルフェーヴルは口角を引き上げた。
「そうでもしないと鍛錬にならないからねぇ。爵位を継いで伯爵になるか、それとも暗殺者の道か、どっちを選ぶにしても技術を叩き込んでおいて損はないでしょぉ?」
「それはそうだが……可哀想に……」
「何言ってるのさぁ。リュシーを害そうとしない限りオレはアイツを殺すつもりはないしぃ、ランク一位の暗殺者が味方なんて一番安全じゃん」
「……なるほど」
何より、あの屋敷はほぼ全員が戦闘要員でもある。
屋敷の全員がリュシエンヌとルドヴィクを守護対象として見ている以上、使用人達は己の命を投げうってでも侵入者と戦う。そういう契約で雇い入れているのだから。
たとえリュシエンヌやルドヴィクが害されるようなことがあれば、その相手は決して許さない。
いっそ殺してくれと懇願するほどの苦痛と恐怖、絶望を相手に刻み込み、それでも殺さずに生かし続けることで精神すら破壊し、永遠に後悔させる。
そこまで考えて、ルフェーヴルは笑いが込み上げてきた。
……リュシーはともかく、ルドヴィクもオレの特別なのかねぇ。
いまだに我が子という存在について理解しがたいところがあった。
我が子だから可愛いとか、我が子だから愛しいとか、そういう感情は湧いてこない。
しかしリュシエンヌとの子であり、二人の絆をより深く結びつけ、リュシエンヌがルフェーヴルから離れられないようにするには都合の良い存在ということは強く感じている。
初めてルドヴィクを抱いた時の涙も、感情も、ルフェーヴルにとっては分からないことばかりだが、子のいる生活というのも案外面白くて興味深い。
「まあ、リュシーが悲しむから、オレ達が生きている間は殺さないけどねぇ」
義父とアリスティードが苦笑する。
「ルドヴィクは長生きしそうだな」
「あまり息子をいじめるなよ」
それにルフェーヴルは軽く肩を竦めて立ち上がる。
「覚えてたら、気を付けるよぉ」
そうして転移魔法の詠唱を行い、二人に手を振った。
「またねぇ」
義父とアリスティードも手を上げて返してくる。
それを見届けて、ルフェーヴルは転移魔法で屋敷に移動した。
* * * * *




