重み / 初めての寝返り
* * * * *
「リュシーの許可も出たしぃ、そろそろ仕事戻るよぉ」
とルフェーヴルが言えば、アサドが困ったように眉尻を下げた。
「お子様のほうは大丈夫ですか? 子育ては大変でしょう?」
「まぁね〜。でも侍女もいるしぃ、オレじゃないと出来ないことはないからさぁ。これから金もかかるから、出来るだけ稼ぎたいんだぁ」
「あなたが良ければいいのですが……」
「仕事は夕方から夜にやれそうなヤツでヨロシク〜」
アサドが頷き、書類の中からいくつかを引き抜き、ルフェーヴルに差し出した。
内容を確認すれば簡単に終わりそうな暗殺や密偵、拷問などの仕事だった。
どれもそれほど難しくないし、ルフェーヴルならば問題なく行える。
「うん、コレでいいよぉ」
詳細を確認していれば、アサドに声をかけられる。
「お子様はいかがですか?」
「ん〜? 生まれた時の倍以上にでかくなってるよぉ。最近は声もよく出すしぃ、手足もばたつかせるしぃ、かなり元気だねぇ。あと笑うと顔いっぱいしわくちゃになるんだぁ」
それが可愛いかと訊かれるとまだよく分からないが。
視線を感じたので顔を上げれば、アサドが小さく笑っていた。
「ちょっとぉ、何で笑うのぉ?」
「すみません。……あなたの表情が『父親』だったのでつい、微笑ましくて」
「オレは父親だけどぉ?」
リュシエンヌが妊娠して、子供が生まれて、父親になった。
「そうなのですが……夫人以外に興味のなかったあなたが、赤ん坊の世話をしていると思うと少しおかしくて。意外と良い父親になれるかもしれませんね」
「だからぁ、オレはもう父親だってばぁ」
アサドの言葉にルフェーヴルは首を傾げた。
「そうですね。ですが、世の中には『良いとは言えない父親』もおりますから」
「子供からしたらオレも『良くない』かもねぇ。嫌がったとしてもぉ、オレは自分の技術を全部叩き込むつもりだしぃ、優しく接するとか難しいしさぁ」
「生きていくなら『強さ』は大切なことですよ」
「確かにねぇ」
ルフェーヴルはもう一度手元の書類に視線を落とし、最後まで読み終えるとアサドに書類を返す。
「とりあえず、ソレ全部受けるよぉ」
「分かりました」
「報告は通信魔道具でするよ〜。仕事には戻るけどぉ、家で過ごす時間は確保したいからさぁ」
「ええ、構いませんよ」
そうして、ルフェーヴルはアサドに手を振り、ギルド長室を後にした。
……さっさと済ませて早く帰らないとねぇ。
* * * * *
もうすぐ日が昇る頃、ルフェーヴルは寝室にそっと足を踏み入れた。
仕事を終えて入浴を済ませてからリュシエンヌの下に行くのが習慣になった。
リュシエンヌはまだ体調が万全ではないため、極力、外の汚れを持ち込まないようにしなければいけない。入浴しない時でも着替えたり手を洗ったりして、とにかく身綺麗にしてからにしている。
寝室には兄弟弟子がいて、ルフェーヴルを見ると静かに椅子から立ち上がった。
軽く手を振れば、一礼して下がっていく。
ベッドの中を見下ろすと子供と目が合った。
……起きてたんだねぇ。
泣く様子は見られないが「あー」とルフェーヴルに小さな手を伸ばしてくる。
ルフェーヴルは子供を抱き上げ、背中を優しく叩く。
「リュシーが起きちゃうから静かにねぇ」
腕の中で子供がジッとルフェーヴルの顔を見つめてくる。
髪もだいぶフサフサになってきたが、やはりルフェーヴルとよく似た柔らかな茶髪に灰色の目をしており、顔立ちもあまりリュシエンヌに似ていない気がするが──……赤ん坊の顔立ちの違いはルフェーヴルには分からなかった。
ただ、リュシエンヌだけでなく侍女達も『可愛い』と言うので、多分、整った顔立ちなのだろう。
生まれてすぐに抱き上げた時よりもずっしりと重い。
……不思議だねぇ。
つい先ほど、ルフェーヴルは暗殺者として仕事を遂行してきた。
やり慣れているといえばそうなのだろうが、これまで誰を殺しても、何度人を殺しても、心動かされることはなかった。それがルフェーヴルの仕事で、日常で、当たり前のことだった。
けれども、こうして人を殺した後に子供を抱くと、何故か重く感じられる。
柔らかくて、か弱くて、ルフェーヴルが床に叩きつければ一瞬で死んでしまうような生き物。
ルフェーヴルは思わず、子供の首に触れた。
「オマエを殺したら、この変な感じもなくなるのかなぁ」
しかし、子供は小さな両手でルフェーヴルの手に触れた。
「あーぁ、うー」
「何言ってるか分かんないよぉ」
抵抗するというよりかは、ルフェーヴルが遊んでいると思ったのか、ルフェーヴルの指に小さな口がかじりついた。まだ歯が生えていない口でチューッと吸われる。
「なぁに〜? お腹減ったのぉ?」
ルフェーヴルが訊くと子供は指から口を離し、自分の親指を咥え直す。
背中を叩いてやれば、うとうとと灰色の目の瞬きがゆっくりになっていく。
だが、寝たくないのか「うー……」とぐずるように唸った。
「まだ夜だから寝てなよぉ」
妊娠中、段々とリュシエンヌの腹が大きくなっていくのを見守った。
生まれたばかりの子供を抱いた時の重みも覚えている。
……確かに、コレがオレくらいになると思うとビックリだよねぇ。
たった三月ほどで体重が倍以上になって驚いたが、今後の成長を考えれば納得する。
あとどれくらい月日が経てば自分と同じくらいになるのだろうか。
数年、十数年先だと思うと、酷く長い時間のように感じた。
リュシエンヌと共に過ごす時間はとても早く過ぎていくが、子供の世話は別の意味で流れが早い。
……手がかかるんだよねぇ。
あれをやって、これをやって、こうしてと手を焼いている間に時間が過ぎる。
この間生まれたと思っていたのにもう三月が過ぎた。
ふと気付けば、腕の中で子供が寝息を立てている。
起こさないよう慎重に子供用ベッドに下ろす。
下ろしたはずなのに、まだ腕に子供の重みが残っているような気がした。
昔、誰かが『命の価値は皆、平等だ』とルフェーヴルに言った。
それが誰の言葉か覚えていないのは、当時のルフェーヴルにとってはどうでもいい相手から言われたことだったから。そのことだけは覚えている。暗殺者に『人の命の尊さ』について語るなんて、鬱陶しいことこの上なかった。
今でもルフェーヴルは『命の価値は平等』だとは思わない。
「……そんなの、個人の感じ方で変わるじゃん」
当時のルフェーヴルも同じ言葉を相手に投げ捨てた。
ルフェーヴルにとって一番価値のある命はリュシエンヌだけだ。
そもそも、暗殺の依頼で支払われる金はどうなのだろうか。
暗殺を依頼する側にとっては『その値段で殺せる人間』という認識であり、ギルドもそれを仲介し、ルフェーヴルが請け負う。支払い額に差が出る時点で価値は平等ではない。
たとえ銅貨一枚の価値の命だろうと、金貨数百枚の価値の命だろうと、ルフェーヴルの前では等しく『暗殺対象』なのだ。
ベッドに向かって歩き出し、考え直す。
……んん? そういう意味ではオレの中ではリュシー以外は『平等』なのかねぇ。
だが、それすらルフェーヴルにはどうでも良かった。
考えていたことを頭の端に追いやり、ルフェーヴルは静かにベッドに向かう。
もうすぐ夜明けだが、少しくらいは休めそうだった。
* * * * *
ルドヴィクが生まれて四ヶ月になる。
ルルは夕方から夜に仕事をして、昼間は出来る限り家にいてくれる。
久しぶりにルルに膝枕をしたら喜んでくれた。
妊娠が発覚してからは疲れてしまうからと膝枕はやめていたので、ルルはわたしが膝を叩いてみせるといそいそと横になった。明らかに嬉しそうなところがかわいい。
リニアお母様に抱かれていたルドヴィクが「あー」とこちらに手を伸ばす。
それにルルがちょいちょいと指先を曲げて呼び寄せた。
寝転がったルルがルドヴィクを受け取り、自分のお腹の上に仰向けに寝転がらせた。
ルルは目を閉じたが、その手はルドヴィクが転がらないように添えられており、指先でこちょこちょと小さなお腹をくすぐって遊んでやっている。
ルドヴィクがルルのお腹の上で「あー、うー!」と手足をばたつかせた。
……この扱い慣れた感、すごいなあ。
わたしでもまだルドヴィクの扱いには気を遣うのだが、ルルは慣れたらしい。
ルルの頭を撫でるとパチリと灰色の目が開いた。
「リュシー、ルドヴィクと同じ匂いがするねぇ」
「授乳で何度も抱っこしてるから。変な臭い?」
「いんやぁ、悪くないよぉ」
ルルがまた目を閉じたので、ルルの頭を撫でる。
そのお腹でルドヴィクが暴れている。本当に元気な子だ。
様子を眺めているとルドヴィクの体が左右に動く。
……ん?
いつもと違う動きに注視すれば、ルルも気付いたのか目を開けた。
ルルの手が添えてあるものの、ルドヴィクが手を伸ばし、体を横向きにする。
そうして、驚いているうちにあっさりルドヴィクはコロリと寝返りを打った。
「あっ」
「へぇ」
ルルが落ちないように止めているが、うつ伏せになったルドヴィクがじたばたと手足を動かし、興奮した様子で声を上げる。
それにルルがルドヴィクを抱き上げ、またお腹の中心に戻す。
そこは寝返りがしやすいらしく、ルドヴィクがまたコロリと寝返った。
「わあっ! ルドが寝返りした!」
「偶然じゃないみたいだねぇ」
ルルが元の位置に戻す度に、ルドヴィクは右だったり左だったりするが、寝返りを打つ。
本人も楽しいらしく、手足をばたつかせて喜んでいた。
うつ伏せになるとルルの体を小さな手が力いっぱい叩くのだけれど、叩かれているほうは平気そうだ。
ただ、あまりにコロコロと転がるので途中でルルが面倒臭くなったのかうつ伏せでお腹よりやや下に移した。足の付け根ということもあって、ルルの足に邪魔され、転がれないようだ。
リニアお母様がルルのお腹の上に積み木を置いた。
シャンシャン以外にも興味を持ち始めたルドヴィクのために、用意していた積み木を与えたのだが、どうやら積み木もお気に召したらしい。口に入る大きさではないので触らせても大丈夫だ。
「ちょっとぉ」
ルルの上に並べられた二つの積み木のうち、一つをルドヴィクが手を伸ばして掴む。
そして腕を振ってポイとルルの顔のほうに投げた。
飛距離がないので胸元に当たり、積み木が元の位置に転がって戻る。
その動きが面白かったようで、ルドヴィクは積み木を掴むとまた投げた。
今度は逸れてルルの胸元から脇に転がり、ルルが面倒臭いという顔をしながらも拾って元の位置に戻す。
ルルが目を閉じてもルドヴィクは積み木を掴んでは投げ、転がってきては掴んで投げを繰り返し、たまに脇に落ちるとルルが拾ってやった。新しい遊びを見つけたルドヴィクはご機嫌だ。
……涎がルルのシャツを濡らしてるけど。
十分ほどそうして遊ばせていたけれど、さすがに鬱陶しくなってきたのかルルが目を開けた。
チラリとルルがリニアお母様を見上げ、リニアお母様が頷き、ルドヴィクを回収する。
「ルドヴィク様、そろそろお昼寝しましょうね」
リニアお母様が抱き上げたルドヴィクの背中を優しく叩きながら、ベビーベッドに向かう。
ルルはお腹に積み木を乗せたまま、用は済んだとばかりに目を閉じた。
初めての寝返りに驚いたが、あんなにすぐにコロコロと転がるものなのだろうか。
他の赤ちゃんと比べることが出来ないので分からないものの、あまり転がりすぎて怪我をしてしまわないか心配だ。
「リニアお母様、ベッドの柵に柔らかい布か何か、巻けないかな?」
「ルドヴィク様が頭をぶつけたら大変ですからね。余っている布がないか探しておきます」
すぐにリニアお母様が返事をしてくれた。
ルドヴィクは眠ったようで、リニアお母様が腕の中の小さな体をベビーベッドに下ろし、そばの椅子に腰掛けた。
ルルもようやく静かに寝息を立て始める。その様子からして結構眠かったのだろう。
それでもルドヴィクの相手をしてくれていたのだと思うと、父親らしさを感じた。
昼間もルドヴィクの世話をして、夜は仕事に行って、ルルはすごい。
これで夜に帰ってきた時もルドヴィクが起きているとあやしてくれるので、わたしの睡眠時間が増えて、授乳中の居眠りもなくなった。
気持ち良さそうに膝の上で眠るルルを眺めていると自然と笑みが浮かぶ。
二人で過ごしていた時のような自堕落な生活は出来ないが、これはこれで毎日、何かしらルドヴィクの発見や成長を見ることが出来て面白い。
宮廷魔法士の仕事は妊娠発覚後から休んでしまっているのは気にかかるけれど、他にも新人の魔法士達が魔道具の検査はやってくれるそうなので大丈夫とのことだった。
……それにしても、初めての寝返りをルルと見れて良かった。
これからもルドヴィクの成長をルルと共に見守りたい。
そして、いつかルルの横に並んで立つルドヴィクを見たい。
……きっとわたしより大きくなるんだろうなあ。




