未知の生き物 / 偽装
* * * * *
生まれてきた子供は、ルフェーヴルにとって未知の生き物であった。
赤ん坊なので会話での意思疎通も出来ないし、ほとんどの時間は授乳されているか寝ているかで、その前後ではしばらく起きていることもあるが、ルフェーヴルの知る『赤ん坊』にしてはあまり泣かない。
侍女の話ではこれから『魔の三週間』というのが来て『泣きが酷くなる』らしい。
とりあえず生まれた子供を観察し、世話をし、リュシエンヌの負担を減らす。
……まあ、見ててもそんなに飽きないしねぇ。
見下ろした先、子供用ベッドの中で寝ている子供は自分の指を咥えている。
生まれたばかりはしわくちゃだった顔も少しはマシになった。
リュシエンヌはよく「可愛いね〜」と微笑みかけているが、まだルフェーヴルにはどこが『可愛い』のか分からなかった。
だが、非常に興味深い存在ではある。
ルフェーヴルに比類するほど多い魔力量は、今後の成長が楽しみだ。
これを鍛え、ルフェーヴルの暗殺技術とリュシエンヌの魔法知識を叩き込めば、もしかしたらルフェーヴルよりも優秀な人間になるかもしれない。
最近は自分より強い者がいなくて少しつまらなかったのだが、強い相手を育てるというのもなかなかに愉快だろう。そう思えば子供の世話もその前段階と言えよう。
だからこそ、ルフェーヴルはこの小さな存在を注視し続けた。
そうして、一つ気付いたことがある。
……コイツ、多分コッチの言ってることや状況を理解してるっぽいんだよねぇ。
侍女の一人が『あまり泣かなくてお世話しやすい』と言っていた。
この二週間、そう感じさせる場面がいくつかあった。
子供用ベッドにいる時は手足を動かしてばかりいるのに、抱えると暴れないし、ナイフやフォーク等の『危険なもの』を見せた時だけは手を伸ばさない。持たせようとしても持とうとしない。それ以外のものは率先して手を伸ばすので、物自体に興味がないわけではないのだろう。
おしめを替える時も寝転がったまま全く動かないので取り替えやすいが。
他に、昼間は声を上げることが多いのに夜はあまり騒がない。
まだ朝夕の判断などつかないはずなのだが、夜は静かだ。
一度、おしめが汚れて夜に泣いた時があった。
『リュシーが起きちゃうから静かにね〜』
と思わず声をかけたら泣き止んだのだ。
偶然かもしれないが──……それ以降、赤ん坊が夜に大声で泣いた記憶はない。
夕方から夜にかけてぐずることは多いものの、基本的には機嫌が良い。
ジッと小さなベッドの中にいる子供を眺めていれば、もぞもぞと動き、ぼんやりと目が開く。
主治医の話ではまだこれくらいの赤ん坊は目の焦点が合わず、はっきりと物を見るためにはかなり近づけないといけないらしい。
ルフェーヴルは体を曲げ、手を伸ばし、起きた子供を抱き上げた。
初めて出会った頃のリュシエンヌよりも柔らかくて、弱々しくて、脆い生き物なので扱いは慎重にしなければいけない。これが自分と同じくらいに育つかもしれないと思うと人間とは面白いと思う。
授乳は少し前にしたばかりなので空腹ではないだろう。
試しにおしめを触ってみたが湿りもない。
単に目が覚めてしまっただけのようだ。
ベッドではリュシエンヌがぐっすりと眠っていた。
以前は一度寝入るとなかなか起きなかったリュシエンヌが、子供が生まれてからは、これが泣くと飛び起きるようになった。
冗談ではなく本当に飛び起きたので、最初はルフェーヴルも驚いて飛び起きた。
あの時は普段はのんびりしているリュシエンヌがこれほど素早く反応出来るのかと、驚きと感心を覚えた。
ルフェーヴルとよく似た灰色の、けれども明るい場所でよく見ると金粉を僅かにまぶしたような煌めきが混じっている瞳がジッと見上げてくる。頭にうっすら生えている髪もルフェーヴルそっくりの柔らかな茶色だ。
「オマエ、このままだとオレそっくりになるんじゃなぁい?」
眉毛をなぞると、ふやぁ、と笑う。
気の抜けるような笑顔で、顔全体で笑うのでしわくちゃになる。
「面白いけど、どこが『可愛い』んだかねぇ」
頬をつつくと小さな手に指を掴まれ、小さな口で噛みつかれた。
まだ歯が生えていない口がルフェーヴルの指を甘噛みする。
赤ん坊特有のほのかに甘い匂いがした。
毎日、出来る限りルフェーヴルが入浴させているが、生まれてから体重が減った。
しかしこれは普通のことらしく、これから成長していくから問題はないそうだ。
「そんなに噛んでも何も出ないよぉ?」
試しに胸元に顔を寄せさせてみると指が解放され、小さな両手で突っぱねられた。
……やっぱり分かってるよねぇ。
子供を抱え直し、ゆらゆらとゆっくり揺らしてやる。
落ち着かせるにはゆったりと揺らし、寝かせるには一定の速度で優しく背中を叩いてやるのが効果的だとこの二週間でルフェーヴルは分かっていた。
リュシエンヌは平気だと言っていたが、少し寝不足になっているようだった。
夜はルフェーヴルのほうが起きていることが多いため、こうして、目を覚ました子供を構って過ごす。
そういえば昼間に子供の新しい玩具が届いたと聞いた。
もう一度小さなベッドの中を見れば、角に小さなヌイグルミが座っていた。
「ほら〜、オトモダチだよぉ」
ヌイグルミを掴んで子供に見せてみる。
ゆっくり近づければ、目の焦点が合っただろうところで子供が両手を伸ばす。
そのまま渡して顔にヌイグルミが乗るのはまずいので、子供の手が触れる位置で持ち、左右に動かしてみる。子供が顔いっぱいに笑ってヌイグルミを叩いた。
……結構、力があるんだよねぇ。
小さく声を上げる様子からして、これはお気に入りらしい。
木製の玩具とヌイグルミが好みのようだ。それとオルゴール。
オルゴールはリュシエンヌの腹にいた時から聴かせており、その度に中から蹴った。
オルゴールを聴かせると喜んで体を動かすので、恐らく一番好きなのだろう。
しばらくヌイグルミで遊んでいたが、疲れたのか子供が手を下ろす。
ルフェーヴルもヌイグルミをベッドに戻し、子供の背中を叩いてやる。
そうすれば、子供はあっという間に寝てしまう。
起きて、飲んで、出して、寝て。赤ん坊というのは本当に自分では何も出来ない生き物だ。
しっかり眠ったことを確認してから子供用のベッドに戻す。
子供の体温は高いので、抱えている間にじんわりと汗をかいてしまった。
シャツの前を軽く引っ張り、汗を乾かしつつ小さなベッドを見る。
起きる様子はなさそうだ。
ルフェーヴルは足音を消してベッドに戻り、靴を脱ぎ、中に入る。
熟睡しているリュシエンヌを抱き寄せ、起こさないようにその額に口付ける。
それから、ルフェーヴルもしばしの休息を取ることにした。
* * * * *
数日後、ルフェーヴルは貴族の装いに着替え、近くの街に馬車で出かけた。
貴族らしく供に女たらしを引き連れており、護衛の騎士達もいる。
あくまで『普通の貴族らしく見えるようにするため』に連れているだけだが、意外とこういう細かな点を整えておかないと疑念を持たれやすくなる。
馬車の中で女たらしが言う。
「本当によろしいのですか?」
これから、ルフェーヴルは己の息子を孤児院に捨てるのだ。
実際は書類上だけの話だが、出自不明として子供を孤児院の籍に一度入れてから養子として引き取る。そうすれば子供はルフェーヴルとリュシエンヌの実子ではなく養子となる。
子供の髪や瞳の色から考えれば実子だと気付かれるだろうけれど、公的書類上で『ルドヴィク』がルフェーヴルとリュシエンヌの実子ではないとされていれば良い。
「別に書類上は〜って話なだけで、オレとリュシーの子ってことに変わりはないからねぇ」
「それはそうですが……」
「子供のためでもあるんだよぉ。公的に旧王家の血筋と認められているのと、そうじゃないのとでは色々違うからねぇ。また国内で混乱が起こっても、子供が狙われても困るでしょぉ?」
あえて王都の孤児院ではなく、地方の孤児院を選んだのには理由がある。
王都内の教会や孤児院は整備されていて、そういった書類上の問題についても人目に触れやすく、貴族に割り当てられているので情報が漏れる可能性もあってやりにくい。
それなら、王家直轄領の中で王都から少し離れた町の孤児院というのは便利である。
どこから子供が入っても不思議ではないし、金銭的に苦しいので多額の寄付を行えば融通が利く。
下調べをして丁度良さそうな孤児院も見つけた。
町中をゆっくりと走っていた馬車の速度が落ちて、目的地に到着する。
やや大きい教会だが、見た目からして古く、あまり裕福そうではない。
教会の中に入る。古いが綺麗に掃除がされている。
「ようこそ、お越しくださいました」
老齢の女司祭に出迎えられる。この教会と孤児院の責任者である。
教会の応接室に通された。
「茶は結構。必要な話を済ませたら、すぐに出ていく」
「かしこまりました」
ルフェーヴルの言葉に女司祭が頷き、ソファーを勧められ、ルフェーヴルは腰掛けた。
先に一度、女たらしを遣わしてある程度の話をしておいたからか、テーブルの上には必要な書類が既に用意されていた。
「教会の前に捨てられていた子を引き取る、というお話でよろしいでしょうか?」
「ああ、名前はルドヴィクといって生まれたばかりの男児だ」
女司祭が書類の必要事項を記入していく。
書類の最後に署名がされ、テーブルの上にそれが差し出される。
女たらしが書類を取り、ルフェーヴルに手渡した。
受け取ったルフェーヴルが内容を確認し、頷く。
「これで構わない。……それと、五、六年後にもう一人、男の子供を使用人として引き取る予定だ。それについては近くなったら改めて使いの者を送る」
ルフェーヴルが手を振ると騎士の一人が持っていた小箱をテーブルにおいた。
中には金貨と銀貨が半分ずつ収められている。
ルドヴィクの情報を偽装するための寄付金だ。
ルフェーヴルは書類に署名をして、数枚の書類のうち控えの分は折りたたんで懐に仕舞い、残りを女たらしに渡し、それが女司祭の手に渡る。
立ち上がったルフェーヴルは言う。
「もしどうしても金銭的に苦しくなったら、町のギルド支店にこれを出せ」
女たらしが小さな紙を取り出し、女司祭に渡す。
それはアサドへの紹介状のようなものだが、裏にルフェーヴルの名前の頭文字が書かれており、ギルド経由でルフェーヴルの下に連絡がくる。
「一度だけなら、また手助けをしてやろう。……ただし、少しでも情報が漏れたら地図から消える。平穏に暮らすか、苦難に落ちるか、どちらを選ぶかはそちら次第だが」
そうして、ルフェーヴルは応接室を出た。
馬車に乗って教会を後にする。
町を出てから、女たらしが口を開いた。
「あっさり終わりましたね」
「こんなもんでしょぉ? まあ、しばらくは司祭の動きを監視しておいてぇ」
「かしこまりました」
これで、息子はルフェーヴルとリュシエンヌの実子という立場を失った。
そのことで今後は不利益を被ることもあるだろうが、また旧王家の血筋を旗印にしたがる愚か者が出ないとも限らないので、こういったことは先に手を打っておくほうがいい。
馬車の窓枠に頬杖をつき、ルフェーヴルは車窓の外の景色を眺めた。
……書類上だけの話だしぃ。
息子の血筋が変わるわけでも、親が変わるわけでもない。
リュシエンヌもこれは了承していて、義父やアリスティードからの理解も得ている。
それなのに、少しだけ面白くないと感じるのは何故なのか。
リュシエンヌの顔が見たい。抱き締めて、口付けたら、この感情は落ち着くのだろうか。
「旦那様、ご機嫌があまりよろしくないようですね」
女たらしの言葉にルフェーヴルは視線を馬車の中に戻す。
「坊っちゃまを手放すのがお嫌でしたら、やめれば良かったのでは?」
「旧王家の血筋だと狙われるじゃん」
「では旦那様の婚外子にするというのは?」
それにルフェーヴルが思わず殺気が漏れた。
「は?」
……リュシーしか愛してないのに、婚外子?
たとえ書類上だけのものだったとしても己がリュシエンヌ以外の女と成した子など、ありえない。
それならば今のまま、孤児の養子ということにしておいたほうがずっとマシだ。
「冗談ですよ」
女たらしが降参とでもいうかのように両手を上げる。
「本気で言ってたら殺してる」
「分かっております。旦那様は奥様一筋ですからね」
フン、とルフェーヴルはまた車窓に顔を向けた。
何より、婚外子にするくらいならリュシエンヌの実子のままにする。
リュシエンヌに対するルフェーヴルの気持ちを疑われるのも不愉快だし、そんなことをすればリュシエンヌが怒る。悲しむのではなく、絶対に怒るし、反対するだろう。
「子供の出自なんてオレ達が分かってればいいんだよぉ」
女たらしが一つ頷く。
「そうですね。皆も坊っちゃまに会えるのを楽しみにしておりますよ」
「生まれて一月くらいはあんまり外出させないほうがいいらしいから、もう少し先だねぇ」
まだ面白くないとは思うものの、先ほどよりかは幾分、気持ちが晴れた。
それでも帰ったらリュシエンヌに甘えよう。
きっと、リュシエンヌは笑って抱き締めてくれる。
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