賭けの話 / その花の名は
* * * * *
主人夫婦の子供が生まれて数日後。
使用人達は全員、何故か使用人用の食堂に集められていた。
集合をかけたのは家令のクウェンサー=スペラードであったが、珍しく、その横には使用人達の雇い主である伯爵が立ち、手を叩いて注目を引いた。
「はぁい、注目〜」
全員が静かに注目すれば、主人のルフェーヴル=ニコルソンは満足そうに口角を引き上げる。
そのまま、主人は両手の指で隣にいるクウェンサーを示した。
コホン、とクウェンサーが小さく咳払いをして口を開く。
「えー、これから名前を呼んだ者はこちらに来るように」
それから、クウェンサーが使用人の名前を呼んでいく。
一人ずつ呼ばれた順にクウェンサーのそばに来て、待機するというのを繰り返す。
その間、主人は暇そうに欠伸をこぼし、途中から使われていない椅子を引っ張ってきて、背もたれを前にして跨るようにして座ると、その背もたれに両肘を置いて──……一言で言えば行儀が悪い。
しかしクウェンサーは気にせず使用人の名前を呼び続ける。
結果的に使用人の半数よりやや少ないくらいの人数が呼ばれた。
「次に呼んだ者は立って待つように」
そこから更に何名かの名前が呼ばれ、呼ばれた者はその場に立って待機する。
それが終わると、クウェンサーのところに来た人数よりも少ない数の使用人が席に着いたまま残された。この状況の意味が分からずに全員が内心、首を傾げていた。
ようやく分け終わると主人がニッと笑う。
この主人が楽しそうに笑う時は大抵、良いことはない。
主人が魔法の詠唱らしきものを行うと、座っている使用人達の前にパッと何かが現れた。
それはデザート用の器に山盛りに盛られた黄色いジャムのようだった。
「オレの子は『男』だったよぉ。ってわけでぇ、外れたヤツはソレ食べ切ってねぇ?」
器に盛られているのは使用人達にとってはここ最近で見慣れた『敗者の味』──……つまりは非常に酸味が強いレモンジャムであった。
一口でも堪らないほど酸っぱいのに、小さいとはいえ器いっぱいに盛られている。
主人が楽しそうにニコニコしているのはそのせいだった。
「ああ、立っている者は座っていい」
クウェンサーの言葉に座り直した使用人の一人が、隣にいる使用人の肩を励ますように叩いた。
その使用人の前にはレモンジャムがある。しかし、慈悲はない。
「この日のためにレモンと砂糖を沢山買ったんだぁ。料理人が頑張って作ったから、残さず食べるんだよぉ? ……あ、おかわりならあるからねぇ」
目の前に置かれたレモンジャムはご丁寧にスプーンが刺さっている。
見た目は涼しげで今の時期に出されたら美味しそうだが、これが強烈な酸味を持つことを誰もが知っていて、見ているだけでも酸っぱさを思い出すのに、ほのかなレモンの香りが余計に口の中の唾液を増やした。
軽い気持ちで賭けに参加したが、その代償は大きかった。
使用人の一人が意を決してジャムを一口食べたが、ブルリと体を震わせる。
今まで食べてきたレモンジャムの中で一番、酸味が強かった。
無言で耐えるその使用人の姿に、他の使用人達は一瞬躊躇ったものの、逃げられる雰囲気ではなかったため、それぞれが覚悟を決めて食べ始めた。
食堂内に声にならない悲鳴が広がった。
「ソレすっごく酸っぱいよねぇ。味見したけどぉ、今までで一番酸味がきついらしいよぉ」
それは先に言ってほしかった、と食べた使用人達は内心で思う。
けれどもジッと主人に監視されているので、放棄は出来ない。
結果、使用人達は酸味を耐えながらジャムを食べることとなった。
「さぁて、賭けに『勝った』ソッチにはご褒美があるよぉ」
クウェンサーのそばで待機していた使用人達が顔を見合わせる。
「オレの子に『仕える権利』をあげる〜。もちろん、今のままがいいってヤツもいるだろうからぁ、ソコは選んでいいよぉ。世話役、護衛、遊び相手……教育に関してはオレとリュシーがするからナシで〜。まあ、やりたい『役』があればだけどねぇ」
使用人達はもう一度、顔を見合わせる中、一人が勢いよく手を上げた。
「坊っちゃまのお世話をしたいです!」
それは女主人の侍女の一人だった。
メルティ=ラスティネルは女主人が幼い頃から仕えている使用人で、今も女主人につき、子育てを手伝っているはずだが、嬉しそうに手を上げて『やりたい』と主張する。
主人は笑って頷いた。
「もうやってるでしょぉ?」
「ですが、奥様付きと坊っちゃま付きは違います! 今は奥様付きですが、いずれ坊っちゃまが大きくなられた際には坊っちゃまにもお仕えしたいです!」
「まあ、そんなにやりたいならいいよぉ」
「やった!」
メルティが拳を握って喜ぶ横で、もう一人、今度は男の使用人が手を上げた。
「俺も坊ちゃんの世話役に立候補します」
主人は男の顔を見て、納得したふうに頷いた。
「あ〜、オマエかぁ。……うん、いいよぉ。世話役は男も女もいたほうが子供が困らないよねぇ」
男はティエリー=ランドローといい、メルティの恋人でもあった。
主人は使用人のことをそれなりに評価しているようだが、ティエリーが子供に接するのを許可したことが意外で、全員の視線が一瞬だがティエリーに向く。
当のティエリーは気にした様子もなく手を下ろした。
その後、何名かが護衛や遊び役に手を上げ、主人がそれを承認するというやり取りが続いた。
この主人は使用人達に対して興味がないくせに、使用人全員の情報を頭に入れているらしい。
子供の周囲につく使用人が決まると主人はまた満足そうに頷く。
「必要になったら声かけるからヨロシク〜」
そうして、前に顔を戻すと目を細めた。
「ほらほらぁ、早く食べてよぉ。残したら勿体ないでしょぉ?」
と言った主人はやはり楽しそうだった。
* * * * *
子供が生まれた翌日、庭師が苗木を植えたいと言った。
ルフェーヴルはその植物の名を聞き、少し考えたが許可した。
それをリュシエンヌに伝えると目を輝かせて笑みを浮かべた。
「ルドヴィクが生まれた記念の植物? そういうのすごくいいね」
そうして数日後、庭師から植える予定の植物を手に入れたという報告が上がってきた。
植え替えるのはもう少し先になるが、今、花が咲いているらしい。
「この前話してた記念の植物が届いたってぇ」
「そうなの? 見てみたい!」
とリュシエンヌは言うが、その花を屋内に──……安全面を考えるとリュシエンヌのそばに近づけたくはないので、部屋まで持ってくることは出来ない。
そうなると見に行くしかないのだが。
ルフェーヴルはしばし考え、遠目ならまあ大丈夫だろう、と判断を下した。
「遠目で見るだけならいいよぉ。外にあるからぁ、オレが抱えて一階まで下りるねぇ」
「わたし、もう歩けるよ?」
「でも階段は負担が大きいでしょぉ? 心配なんだよぉ」
出産から数時間後、リュシエンヌは普通に歩いていた。
それを見たルフェーヴルは驚いたし、動いて大丈夫なのかと心配もしたし、いくらリュシエンヌの体が女神の加護によって健康を保っていたとしても負担がないわけではない。
出産後はそういった不安があるため一階の食堂は使わず、住居区画の三階で過ごしている。
「外は暑いしぃ、少し見たら戻って来ようねぇ」
「うん、分かった」
そういうわけで、植物を見に行くことにした。
夏場とはいえ、リュシエンヌに薄手の上着を羽織らせてから、ルフェーヴルは妻を抱き上げた。
妊娠中にも抱き上げていたが、出産後は子供の重さの分だけ軽くなっており、改めてリュシエンヌの華奢な体つきを実感した。これで子供を妊娠・出産したのだから驚きだ。
「でも、どうして遠目に見るだけなの? 棘があるとか?」
階段を下りているとリュシエンヌが問うてくる。
「棘はないよぉ。でも植物全体に毒があるんだぁ」
「えっ、毒!? そんなの植えて、ルドヴィクが触っちゃったら危なくないっ?」
「周りに柵をつける予定らしいよぉ」
庭師が植えたいと言った植物は毒性の強いものだった。
何でそんなものをと思ったが、この時期に花が咲く植物で、ルフェーヴルの子供の役に立ちそうな植物と考えた時にそれが出てきたようだ。
……暗殺者向きといえばそうだけどねぇ。
綺麗な花を咲かせるが、毒があり、殺しに使える。
ルフェーヴルはそれを『面白い』と思った。
庭師は、子供が将来それを使うことを前提に選んだのだ。
観賞用としても綺麗で、手をかければ比較的育てやすく、実用的でもあった。
一階に下り、侍女が開けた扉から庭に出る。
植える予定の場所には置いてあるそうだが、そこは普段の散歩道から外れており、あまり人が来ない場所だ。使用人棟に近いので、もしかしたらリュシエンヌはほとんど来たことがないかもしれない。
ルフェーヴルはその植物が視界に入ると立ち止まった。
「ほら、アレだよぉ」
声をかければ、ルフェーヴルの視線を辿ったリュシエンヌがその植物を見る。
「……本当に毒があるの?」
白い五枚の花弁を持つ、可愛らしい花が咲いている。
小さな植木鉢に入っており、全体的にほっそりした印象だった。
毒々しさはなく、むしろ白い花は清楚さすら感じられるが、あの植物は触れるだけでも毒性によって害を受けるため、ルフェーヴルも見かけたら近づかないようにしていた。
「あるよぉ。触っただけでも炎症になるくらい毒があるからぁ、リュシーは近づいちゃダメ〜」
「……植えないほうがいいんじゃない?」
「ん〜、まあ、将来子供の役に立つかもしれないからねぇ」
リュシエンヌの微妙な表情から、言いたいことは何となく伝わってきた。
ルフェーヴルとしても別に子供が使わなければそれで構わないのだが、庭師なりに息子のためになるものを植えようと考えたのだろう。そこで実の成る木や薬草ではないところは暗殺者の仕事を理解しているのかもしれない。
「使うかどうかはルドヴィクが決めればいいことだよぉ」
ただ、庭師の判断は間違ってはいない。
この植物は色々な方法で標的を殺すことが出来るため、扱いにくいが扱いやすくもある。
「みんなにも毒があることは共有しておいてね?」
「うん、そうするよぉ。柵はあるけどぉ、うっかり触ったら大変だからねぇ」
リュシエンヌはやはり何とも言えない顔をしていた。
しかし花は気に入ったらしく、その場に留まり、しばらくの間眺めて過ごしたのだった。
その後はリュシエンヌを抱き抱えて最上階に戻る。
階段を上がりながら、リュシエンヌの軽くなった体にルフェーヴルは改めて不思議な感覚を抱いた。
この細い体から赤ん坊が生まれたのだ。
あの小さいくせに持ち上げるとずっしりと重い子供。
それをこの体の中で育て、産むという、その現象がとても不可思議なもののように感じられる。
「リュシー、つらくなぁい?」
ルフェーヴルの問いに、腕の中でリュシエンヌが頷いた。
「大丈夫。ルルこそ、わたし、重いでしょ?」
「リュシーは軽いよぉ。前にアリスティードを屋根まで持ち上げた時は重かったねぇ」
「お兄様は男性だし、わたしより背も高いんだから重いよ」
クスクスとおかしそうに笑うリュシエンヌに釣られてルフェーヴルも笑う。
女装したアリスティードをリュシエンヌにも直に見せてやりたかったが、アリスティードにそれを言ったら「私は見世物ではない」と断られた。乗り気で女装していたくせに。
ルフェーヴルより背が低いとはいえ、アリスティードもそれなりに筋肉質な体つきなので、細身に見えても重さはある。
……今でも鍛錬は欠かしてないみたいだしねぇ。
抱えた時に触れた体つきからそれは分かった。
「元々軽かったのに、こんなに軽くなっちゃって心配だよぉ」
踊り場で立ち止まり、リュシエンヌを抱え直す。
「ルドヴィクの分、軽くなったからね」
「最初にリュシーを抱き上げた時も『かっる!』って思ったなぁ」
「ルル、それ言ってたよ」
「そうだっけぇ?」
そういえば言ったような気もするが。
あの頃の自分のことを思い出しても『結構身勝手なクソガキだったな』という印象しかなく、当時、何を言っていたかまでは細かく覚えていない部分も多い。
「そうだよ。その時、あのビスケットをくれたよね」
「リュシー、アレ好きだよねぇ」
「ルルが最初にくれたものだから」
安いビスケットだが、リュシエンヌにとっては思い出深い大切なものらしい。
居間に戻り、リュシエンヌをソファーに降ろす。
侍女が用意したレモン水で水分補給をしていたリュシエンヌがふと問いかけてくる。
「ところであの植物、何ていう名前なの?」
ルフェーヴルはそれに小さく笑うと、リュシエンヌの耳元に囁いたのだった。
後日、地に植え替えられたその植物は秋口近くまで綺麗な花を咲かせ、時々ルフェーヴルやリュシエンヌの目を楽しませたが、庭師以外が近寄ることはなかった。
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