招待
妊娠七ヶ月目に入り、もうかなりお腹が大きくなった。
足元は見えないし、体は曲がらないし、腰や背中が痛くなることもある。
背中や腰が痛い時はルルがマッサージをしてくれて、そのまま手足もやってくれるのでありがたいことに浮腫みはそれほど酷くなっていない。
お腹や胸周りもしっかり保湿しているおかげか皮膚が裂けることもなかった。
体調が良い時は散歩も出来るが、日によってはお腹が張ったり気持ち悪かったりして安静にしていなければいけないこともあって、毎日、体調に何かしらの変化があって少し落ち着かない。
それでも、お腹の中から元気に蹴られると嬉しくて笑顔になる。
今日は少しお腹が張っているような気がするので、散歩は控え、部屋でのんびりと過ごす。
でも、今日はいつもと違うことがある。
先日お父様が退位し、お兄様が戴冠式を行い、新国王となった。
お兄様は目が回りそうなほど忙しいようだけれど、お父様は引き継ぎを済ませて少し身軽だというので、屋敷に招待しようという話になったのだ。
ルルとしても転移魔法で連れてくるだけなので問題ないらしい。
ソファーに座り、ハンカチに刺繍をして過ごしていれば、居間の扉が叩かれた。
「どうぞ」
声をかければ、ルルが顔を覗かせた。
「ただいまぁ。義父上、連れて来たよぉ」
別室に転移して、手洗いなどを済ませてから来たのだろう。
ルルが扉を開けると、その後ろにお父様が立っていた。
「お父様!」
「待て、立たなくていい。……今日は招いてくれてありがとう、二人とも」
立とうとしたが制され、お父様が近づいてくる。
そうして、わたしのそばに膝をつくと大きくなったわたしのお腹を見た。
リニアお母様が刺繍道具を片付けてくれる。
「ああ……もうこんなにお腹が大きくなったんだな」
どこか感動した様子で呟くお父様に頷き返す。
「はい。それにとっても元気で、よく蹴るんです」
「触れてもいいか?」
「もちろん。……ほら、おじいちゃんが来たよ」
わたしがお腹に声をかけ、お父様がそっとわたしのお腹に触れる。
お腹の膨らみから中の子の大きさを確かめるように、優しく、お父様の手が撫でた。
色々な感情の交じった目で、わたしのお腹をお父様は見つめている。
既にお兄様とお義姉様の間にはアルベリク君が生まれているが、その嬉しそうな表情から、この子の存在を喜んでくれていることが感じられる。
ルルもわたしの横に静かに座り、お父様とわたしのやり取りを見守っている。
「お父様、この辺りを優しく叩いてみてください」
お腹の上のほうを示すと、お父様が見上げてくる。
「そんなことをして大丈夫なのか?」
「はい、お腹の中に軽く振動が伝わる程度の力なら大丈夫です」
お父様が恐る恐るわたしのお腹を、ポンポン、と叩く。
すぐに、それに反応するようにお腹の中から、ポコン、と元気な蹴りが返された。
お腹に手を当てていたお父様が目を丸くした。
「今のは……」
「この子、こうして遊ぶのが好きなんです。……よく出来ました。偉い、偉い」
お腹の下のほうを撫でながら褒めてあげる。
お父様がもう一度、軽くお腹を叩くと、やはり内側から蹴り返される。
それにわたしがまた子供を褒めているとお父様はまじまじとお腹を見つめた。
「驚いた。……こういうこともあるのだな」
「お義姉様のほうはないんですか?」
「胎動はあるようだが、外の刺激に反応したというのは聞いていない」
「もしかしたら、もう性格があるのかもしれませんね」
この子はオルゴールを鳴らしたり歌を聴かせたりすると、もう一回というふうに蹴ることが多く、たまにリニアお母様達の声に反応するような時もあり、遊びたい時は中から蹴ってくる。主にわたしとルルの声に反応するが、何もない時は意外と静かだ。
しかも不思議なことに、わたしが寝ている時や気分が悪い時は胎動がない。
まるでわたしの様子が分かっていて、そういう時は静かにしてくれているみたいである。
……ルルに似て、気遣いの出来る子だなあ。
「リュシエンヌに似ても、ルフェーヴルに似ても、利発な子だろう」
「わたしはルルに似た男の子がいいんですが……そうそう、使用人のみんなが生まれてくる子の性別で賭けをしていて、当たった人の中から、子供の使用人を決めるということにしたんです」
お父様がそれに小さく笑った。
「面白い賭けだ。外れたら何かあるのかい?」
「とても酸っぱいレモンジャムを食べてもらいます。お義姉様からレシピをいただいたジャムなんですが、みんなは苦手みたいで……屋敷の使用人のほとんどが賭けに参加してるから、子供が生まれる前にレモンと砂糖を沢山買うことになりそうです」
「ははは、あれか。私も食べたが、酸味が強すぎてつらかったな」
立ち上がったお父様に、ヴィエラさんが椅子を用意してくれた。
すぐそばにその椅子を置き、お父様が腰掛ける。
「子の名前はもう決めたか?」
「いえ、まだ……でも、そろそろ決めようとは思っていて、ルルと二人で考えるつもりです」
「それがいい。子供にとって、名前とは親からもらう最初の贈り物だ。よく考えて、良い名前を決めてあげなさい。子供の部屋もそろそろ用意して……男の子でも、女の子でも使える色合いで必要最低限まとめておいて、生まれてから更に必要なものを揃えていけばやりやすい」
「なるほど」
この世界では生まれてくるまで子供の性別は分からないので、確かにそうしたほうが良さそうだ。
子供の部屋も用意しようという話をしていたから、ありがたい助言である。
「ルフェーヴル、子供部屋の用意はお前も手伝ってやれ」
お父様の言葉にルルが「ええ〜?」と不満そうな顔をする。
「使用人に任せればいいじゃん」
「こういう時は夫が率先して動くものだ。それに、子供の部屋を用意するというのは、お前自身に父親としての自覚を持たせるためだ。手間をかけて動くことで、これから本当に子供が生まれてくるのだと実感も湧く。あと、子供用品を見て、その小ささに先に慣れておけ」
「魔力の気配で大きさは何となぁく分かってるよぉ」
「実際に抱いてみると、小さいのにずっしりと重くて驚くぞ」
お父様が懐かしそうな穏やかな表情で微笑む。
それか、ルルが赤ん坊を抱く姿を想像したのか。
「ふぅん? まあ、準備を手伝うくらい、いいけどねぇ」
ルルがわたしのお腹に触れて、慣れた様子で撫でる。
その様子にお父様が微笑ましげな顔をしていた。
* * * * *
ベルナールは、目の前の娘夫婦を見ながら懐かしく感じていた。
アリスティードも来たがっていたが、新国王としての公務や政務に追われてなかなか自分の子供に会う時間も取れていない有様で、もうしばらくすれば落ち着くだろうが──……もしかしたら二人目の子供が生まれるくらいまでは忙しいかもしれない。
……それにしてもルフェーヴルは柔らかくなったな。
リュシエンヌの腹部に手を添えて、ルフェーヴルがリュシエンヌと話している。
その手は子供の存在を確かめるためなのか。それとも、無意識にそこを守ろうとしているのか。どちらにしても、ルフェーヴルは子供に関心を持っているようだ。
リュシエンヌが妊娠したと聞いた時、最初に心配したのは『ルフェーヴルの反応』だった。
リュシエンヌ関連には気を配るが、基本的には己の命すら無関心なところのあるルフェーヴルが、リュシエンヌの時間と心を奪う子供の存在を許すのか。己の子供だからと愛せるのか。もしかしたら殺してしまうのでは。
そんな心配をベルナールは抱いたが、予想に反してルフェーヴルは子供の存在を受け入れていた。
それどころか、こうして関心を向け、リュシエンヌだけでなく子供の安全にも配慮している。
「お父様は男の子と女の子、どちらが生まれると思いますか?」
先ほどの聞いた、使用人達の賭けの話の件だろう。
リュシエンヌの腹部を軽く叩いた時、思いの外、強く蹴り返されて驚いた。
アリスティードが妻・ヴィヴィアの中にいた時でさえ、あれほど強い胎動はなかった。
そう思うと、不意に生まれたばかりのアリスティードを抱き上げた時のことを思い出した。
疲れ切った妻の腕の中に抱かれたアリスティードはあまりに小さく、これで生きていけるのかと心配になるほどであった。しかし、促されて抱いてみると見た目よりもずっと重く、けれどもそれが命の重みだと思うと小さな命がとてもかけがえのないものに感じられた。
この腕に収まるほど小さかったアリスティードが、先日戴冠し、国王となった。
王冠を被り、堂々たる姿で貴族達の忠誠を受け取った姿をベルナールは一生忘れないだろう。
「……多分、男の子だろうな」
ベルナールが言うと、リュシエンヌがおかしそうに小さく笑った。
「メルティさんも同じでした」
「そうか、侍女も同じ予想をしたのか」
リュシエンヌを引き取った時から娘に仕えている侍女の一人がそう予想したのであれば、ベルナールのこの予想も当たるかもしれないという気になった。
「お父様はどうして男の子だと思ったのですか?」
「昔、アリスティードがまだ生まれてくる前にも妻に触らせてもらっていたんだが、アリスティードよりも胎動が元気だったから、きっと元気な男の子だろうと思ったんだ」
「ふふっ、確かに。この子、何かある時はすぐに蹴るんです。でもわたしが疲れていたり、寝ていたりすると全く蹴らなくて……生まれる前からすごく親孝行な子なんです」
「そうなのか」
愛おしそうに自分の腹部を撫でるリュシエンヌの表情に、妻の姿が重なった。
……ああ、リュシエンヌも母親になるのだな……。
ベルナールにとって、リュシエンヌはいつまでも小さくて幼い、可愛い娘だった。
成長しても、結婚しても、たとえ妊娠してもリュシエンヌはベルナールの娘だが、ルフェーヴルという狭い世界しか望んでいなかったリュシエンヌが母親になれるのかという不安もあった。
リュシエンヌも、ルフェーヴルも、ベルナールからすればまだ幼く感じていた。
だが、こうして親の顔をする二人を見て、安心もした。
……生まれてくる子は不幸にはならないだろう。
きっと二人から愛情を受けて育つ。
その愛情の与え方は他とは少し異なるかもしれないが、二人なりに子供を愛し、育て、その成長を見守る間は生きていてくれるだろうと、そう思いたい。
「もし良ければ、出産の際、私も屋敷に来ても構わないか?」
手伝えることはないが、せめて娘のそばでその命と生まれてくる小さな命の無事を願いたい。
リュシエンヌがルフェーヴルを見て、ルフェーヴルが頷いた。
それにリュシエンヌが嬉しそうな表情を浮かべてこちらを見る。
「はい、お父様にも生まれてきたこの子を見てほしいです」
「どうせ宮廷医官を迎えに行くことになるしぃ、その時に一緒に来ればいいんじゃなぁい?」
二人がそう言ってくれたことにホッとした。
「ありがとう」
ベルナールが感謝の言葉を述べると、二人がキョトンとした顔をする。
そうして、リュシエンヌが小さく笑った。
「感謝をするのはわたしのほうです。この子の誕生を楽しみにしてくれて、ありがとうございます。……良かったね。生まれたらすぐにおじいちゃんにも会えるからね。お兄様……伯父ちゃんにもそのうち会えるといいね」
リュシエンヌが自身の腹部を撫でながら、そこに話しかける。
それにルフェーヴルがおかしそうに笑った。
「アリスティードが『伯父』かぁ」
「わたし達だってアルベリク君からすれば叔母と叔父だよ?」
「そうだけどさぁ、アレはオレ達のこと『妖精』とか『精霊』って思ってるからねぇ」
リュシエンヌ達が会いに来ていることを隠すために、アリスティードの息子のアルベリクには二人のことを『妖精』とか『精霊』という呼び方で教え込んでいるらしい。
アルベリクはもう二歳になって「ないない」「じじ、よーちゃ、きた!」とよく喋る。
いつアルベリクが名前を言ってしまうか分からないため、そうしているのだが、ある程度大きくなり、分別がつくまではこのままだろう。
最近は走る速度も上がり、侍女達が大変なのだとか。子供の成長は一瞬である。
「アルベリクにとっても、これから生まれてくるそれぞれの子にとっても、頼れる存在が多いのに越したことはない。何かあった時に信じられる家族がいるのは大切だ」
「オレの子はそんな柔に育てないけどねぇ」
「厳しさは必要だが、常に厳しくするのは子の成長に良くないぞ」
「分かってるよぉ。訓練では厳しくしても他は自由にさせるつもりだしぃ、飴と鞭は上手く使い分けて……そもそもリュシーが飴なんだから、オレが鞭で丁度良いくらいだってぇ」
……そういう問題ではないのだが。
アリスティードがよくルフェーヴルに言い返すのも分かる気がした。
ルフェーヴルの横でリュシエンヌが苦笑している。
たとえリュシエンヌ似の女の子が生まれてきたとしても、その性格はルフェーヴルに似てしまうかもしれない。一抹の不安はあるが、あまり口出しをして良いものなのか悩むところである。
「ほどほどにな」
ベルナールに言えるのは、それだけだった。
* * * * *




