年末年始 / 歪な夫婦
悪阻で苦しみながらも、何とか過ごしているうちに年越しを迎えた。
夜、ルルとわたし、リニアお母様達とメルティさんの四人で小さなお茶会を開いた。
とは言ってもわたしに合わせて、みんな、紅茶ではなくレモン水やオレンジジュースなどである。
テーブルの上に並んでいる食べ物もそうで、果物を中心に、野菜を潰したクッキーやバターを使っていないオレンジピールの入ったカップケーキなど、わたしが拒絶せずに食べられるものばかりだ。
ちなみに悪阻中はチョコレートもダメだった。
ルルは残念そうにしていたけれど、匂いが全くしないので恐らく食べていない。
「今年は色々ありましたね〜」
と、メルティさんが言い、頷き返す。
「ヴェデバルド王国との戦争に、偽者騒動に、ドランザークとファイエット侯爵領にも行ったし。何より、わたしもこうして妊娠して……あっという間の一年だったね」
「偽者の件は迷惑だったけどねぇ。……ったく、リュシーと引き離されるしぃ、首輪はめられるしぃ。そもそもリュシーの王女時代の振る舞いを知ってて疑うとか、不愉快だよねぇ」
行儀悪くテーブルに頬杖をついたルルが、不満そうな顔をする。
ルルは偽者に対してだけでなく、わたしを疑った貴族に対しても怒っているようだ。
うんうん、とリニアお母様とメルティさんも頷く。
「仕方ないよ。それだけ旧王家の記憶が残ってて、その印象が強かったんだろうね。お兄様に報告した貴族とは関わりもなかったし、わたしについてはお父様も情報に制限をかけてるから余計に勘繰っちゃったのかもしれないし」
本音を言えばショックだったが、それくらい旧王家の圧政は人々の記憶に刻まれているということで、こればかりは時間が経って記憶が薄れていくのを待つしかない。
「リュシーは優しすぎるよぉ」
ルルが差し出すクッキーを食べながら、わたしは苦笑した。
「だってルルが怒ってくれるからね。わたしより、ルルやお兄様が怒ったほうが怖いでしょ?」
「大らかだなぁ」
それに、旧王家の血筋のわたしはどんなに腹立たしい時でも、きっと感情的に怒ることは許されない。少しでも権力を振りかざせば人々は『やはり旧王家の血筋は横暴だ』と思うだろう。
お父様やお兄様の弱点にはなりたくないし、大勢から責められるのも嫌だ。
だから、わたしはルルやお兄様、お父様に任せる。
三人なら、絶対にわたしのために怒ってくれると分かっているから。
「リュシエンヌ様は怒るとか怒らないとか以前に『相手に関心がない』という気もしますけど」
「うーん……まあ、そうかも?」
今回の偽者の件も『悪役の王女』として利用されかけて、これまでの努力を潰されそうになったのは腹立たしかったけれど、その後、あのカサンドラという女性がどうなったのかは聞いていない。
もう関わりたくなかったし、王族の名を騙った彼女は処刑は免れないし──……何より、今は自分のことで精一杯だ。
「わたしは、わたしの大切な人がそばにいてくれればそれでいいの」
ルルを見れば、頬杖をやめたルルがわたしを抱き締めた。
肘が触れ合うくらい椅子をくっつつけていたのでルルの体に寄りかかった。
「オレはリュシーのそばにいるよぉ」
「うん」
「子供が生まれても、その後もずっと……ずーっとねぇ」
ルルの手がわたしのお腹に触れる。
ようやく二ヶ月を過ぎたところなので、まだお腹は膨らんでいないが、それでも妊娠してからルルは頻繁にわたしの腹部に触るようになった。
わたしには分からないがルルは子供の魔力を感じているらしく、いつも決まった位置に手を置く。
もしかしたら子供の持つ魔力の量を確認しているのかもしれない。
ルルから魔力をもらうようにしてから、魔力欠乏症の症状は落ち着いた。
むしろ悪阻も軽くなり、体調も良くなり、恥ずかしいことを除けば良いこと尽くしである。
大きな手の上にわたしも手を重ねる。
「うん、ずっと一緒」
お腹の中の子は生まれて、育ち、いつか自分の道を行くだろう。
……でも、ルルはずっとわたしと一緒にいてくれる。
今生でも、生まれ変わっても、きっと。
だからわたしは寂しくない。
「来年も、再来年も、こうして年越ししようね」
わたしは孤独にはならないし、必ず、最後はルルの腕の中に戻る。
「そうだねぇ」
「来年の年越しはシナモンとカスタードクリームたっぷりの、リンゴのタルトが食べたいなあ」
妊娠してからシナモンを含め、強い匂いのものがダメになってしまった。
でも、嫌いなわけではないので出産を終えたらまた食べられるようになるだろう。
「また辺境伯から買ってくるよぉ」
笑うルルに釣られて、わたしだけでなくリニアお母様やメルティさんも明るく笑った。
ふと時計を見れば、日付けが変わり、新しい年を迎えていた。
「ルル、リニアお母様、メルティさん……今年もよろしくね」
……あなたも、よろしくね。
そっとお腹を撫でて、そこにいるわたし達の子供にも心の中で声をかけた。
* * * * *
「美味しい〜?」
「美味しい」
食堂のテーブル、その一角に料理が並べられている。
どれもあっさりとした味付けで作られているそれを、兄弟弟子が少しずつ奥様に食べさせていた。
ヴィエラは壁際に控え、置物のように静かに気配を消して待機する。
この主人達が屋敷に居を移してからもうすぐ五年になる。
最初はあまりにべったりで、怠惰で、甘い雰囲気の二人に呆れたし、主人達の仲睦まじい様子に『またか……』と呆れたりもしたが、それもこの五年で慣れた。
……そう思っていたのだが、ヴィエラは目の前の光景に呆れてしまった。
奥様の妊娠が発覚し、休暇を取った兄弟弟子は奥様のそばから離れない。
お手洗いと入浴の時以外はずっとついていて──元からそうではあったが──、食事の際はスプーンですら持たせず、兄弟弟子が一口ずつ様子を見ながら食べさせる。最近は本を持たせるのも嫌がり、よく兄弟弟子は奥様に読み聞かせをしている。
主治医から『重いものを持たせてはいけない』とは言われたが、ここまでする必要はないのではとヴィエラを含めた使用人達は皆、疑問を感じているが、どこまでの重さなら安全なのかも分からないため、誰も指摘しない。
過保護な兄弟弟子の行動を奥様は「ルルがそう言うなら」と素直に受け入れている。
……心が広いというか、こだわりがないというか……。
正直、兄弟弟子の過保護さは異常だ。
まだ腹が膨らんでいないのにこうなのだから、子供が育ち、腹部が大きくなったら奥様を歩かせないようにしてしまうのではという心配もある。
「こうしてると懐かしいね」
「ん?」
「後宮を出て、侯爵邸で過ごし始めたばかりの時のこと。あの頃は食器の使い方も分からなくて、ルルが食べさせてくれたよね。それを見たお兄様に『自分で食べれないのか』って言われて、ルルが庇ってくれたの」
「あ〜、そんなこともあったねぇ」
奥様に仕えるために、その生い立ちや立場についてはヴィエラも知っていた。
幼い頃のつらい記憶を思い出してしまったのではと心配したが、後ろから見えた奥様の横顔は嬉しそうだった。
「あの頃に戻ったみたい」
「リュシーは何食べても『美味しい!』って喜んでたよねぇ」
兄弟弟子が奥様を見て、懐かしそうに目を細めた。
それに奥様も兄弟弟子を見て、笑う。
「美味しかったのは事実だけど、ルルに食べさせてもらうのが嬉しかったの。ルルと出会うまで、あんなに誰かがわたしの世話をしてくれることはなかったから、本当に嬉しかった」
明るい笑顔で幸せそうに言う奥様に、兄弟弟子が小さく息を吐いた。
「あー……あの頃のオレがココにいたら、一発殴りたいなぁ」
「どうして?」
「オレも若かったからさぁ、今よりすっごく自分勝手で、当時はリュシーのこと『面白い生き物』みたいな感じで構ってたんだよねぇ。捨てられた犬猫を気紛れに拾った〜みたいな? このままオレに執着して、依存して、綺麗なまま壊れちゃえば良いのにって思ってたしねぇ」
……今でも十分、自分勝手なのでは?
とヴィエラは内心で突っ込んでしまった。
この兄弟弟子が殊勝な態度を取るのは奥様だけで、それ以外には相変わらず自分勝手で気紛れで、容赦がないし、歳を取るうちに人を揶揄うことを覚えたので余計に質が悪い。
ただ、若い頃に比べると人間らしさはある。
申し訳なさそうに眉尻を下げて、兄弟弟子が奥様を見る。
もしかしたらそれは形だけの反省かもしれないが、昔の兄弟弟子は誰かに対して罪悪感や後めたさを感じることすらなかっただろうから、奥様と共に過ごす中で人間的には成長したのだ。
同時に、奥様の前でのみ『可愛いふり』をすることも覚えたようだが。
奥様が手を伸ばし、兄弟弟子の頭を撫でた。
「知ってたよ」
奥様の言葉に兄弟弟子が固まった。
ここまで露骨に驚いて、硬直しているのは初めてかもしれない。
兄弟弟子が目を丸くする。
「……怒らないのぉ?」
「怒らないよ」
子供にするように奥様が兄弟弟子の頭を撫で続ける。
奥様は優しく微笑んだ。
「それでもいいから、一緒にいたかったの」
兄弟弟子が腕を伸ばし、奥様を抱き締めた。
「今は違うから。リュシーのこと、ちゃんと愛してる」
「知ってる。でもやっぱり『面白いなあ』って思ってるでしょ?」
「…………うん」
叱られた子供みたいに項垂れている兄弟弟子の背中に奥様が腕を回した。
「それでいいんだよ。関心がなければ愛は生まれないんだから。ルルがわたしに関心を持ってくれることが嬉しい。ありがとうね、ルル」
……奥様のほうがよほど大人ね。
兄弟弟子は体を離すと、奥様の額に口付ける。
「オレのほうこそ、ありがとうねぇ」
この自分勝手でなかなか大人になれない兄弟弟子には、奥様のような人が必要なのだろう。
食事を終えると、主人達は寝室に戻った。
食後はすぐに眠くなってしまう奥様に配慮してのことだ。
寝室には極力、立ち入らないか長く滞在しないようにしているため、奥様がベッドに座ったことを確認して、ヴィエラは一礼して部屋を出た。
ベルを鳴らされるまでは控えの間で待機する。
今頃、いつも通り兄弟弟子がせっせと奥様の手足をマッサージしているだろう。
妊娠してお腹が大きくなってくると浮腫みやすくなると聞いた兄弟弟子は、まだ奥様のお腹が目立っていないのに、もう毎日のようにマッサージをやっている。
そのついでに時々、子供に魔力を与えているのかもしれないが。
控えの間にはメルティがいた。
「お疲れ様」
「ありがとう。メルティもお疲れ様」
リニアは今日は休日である。近くの町に出かけると、今朝言っていた。
メルティがティーカップを用意してくれて、そこに紅茶が注がれる。
奥様には申し訳ないが、ヴィエラ達は普段通り、紅茶を飲んでいた。これに関しては奥様も「匂いは気にならないからいいよ」と言ってくれたので助かっている。
差し出されたティーカップを受け取り、紅茶を飲む。
……相変わらず良い茶葉よね。
奥様が王女時代だった時から飲んでいるものらしく、高価な茶葉だろうに、兄弟弟子はいつもこの茶葉を買うように指示してくる。
メルティが小瓶から黄色いジャムを取り出し、自分のティーカップにそれを入れた。
「それ、もしかしてレモンジャム?」
思わずヴィエラが問えば、メルティが頷いた。
「そうよ。酸っぱいけど、その酸っぱさが癖になっちゃって」
「食べすぎると太るわよ? 奥様だって食べる量は気を付けているんだから」
「分かってる。ジャムってビックリするくらい砂糖使うよね」
笑いながら、メルティがティーカップの中でジャムと紅茶を混ぜ、一口飲む。
そうして『酸っぱい!』という顔をする。
「……奥様は旦那様に不満を感じないのかしら?」
「え? 突然、何?」
食堂でのことをメルティに説明すると、メルティが小さく笑った。
「ああ、そういうこと。多分、リュシエンヌ様は旦那様に不満とか怒りとか、そういうのは持たないわ。旦那様が何をしても受け入れるんじゃないかしら」
「一つもないなんて、おかしいわ」
「普通ならね。でもリュシエンヌ様にとっては旦那様が『第一』なのよ。そもそも、旦那様はリュシエンヌ様が本気で嫌がることはしないし、嫌われるようなこともしないもの。自分のために行動してくれて、気遣ってくれて、絶対に嫌なことはしないっていう信頼があるのよ」
メルティが懐かしそうに目を細める。
「少なくとも、わたしがお仕えした時からずっとそうだったわ。……だけどリュシエンヌ様自身もとても寛容というのは事実ね。旦那様は心が狭いから、釣り合いが取れていいじゃない」
おかしそうに笑って紅茶を飲むメルティに、ヴィエラは不思議と納得した。
自分勝手な兄弟弟子には、確かに奥様くらい寛容な人でなければ付き合えないだろう。
向かいの席でやっぱり酸っぱそうな顔をするメルティは、二人のことをよく分かっている。
……それは当然ね。
あの夫婦の今までをそばで見守ってきたのだから、もしかしたら本人達よりも、メルティやリニアのほうが二人を理解して、その関係を分かった上で仕えているのかもしれない。
ヴィエラはもう一度、ティーカップに口をつけた。
主人達について考えるのをやめて、使用人が飲むには高級な茶葉の味を楽しむことにした。
どうせ、しばらくは呼ばれないだろうから。
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