覚悟と報告
ルルとの子供が出来て嬉しい。
──……でも、産んでもいいのだろうか?
無事に子供を産んだとしても、その子は……。
──……もしも琥珀の瞳を受け継いでしまったら?
わたし自身、まだちゃんとした大人とは言えないのに。
──……本当に子供を育てられるのだろうか?
悩んでいるうちに俯いてしまっていたようで、ルルに名前を呼ばれる。
「リュシー」
その声にハッと顔を上げれば、ルルと目が合った。
わたしの内心を見透かされてしまいそうな、まっすぐなルルの視線に息が止まった。
「リュシーが望むなら産んでもいいよ。一番負担がかかるのはリュシーだから、オレが決めることじゃないし、リュシーだけで決められることじゃないってのも分かってる。それでも、多分、一番大事なのはリュシーが『どうしたいか』だと思う」
……わたしがどうしたいか……。
ルルがわたしの手を握り、主治医が話してくれる。
「もし堕胎をお望みであれば薬を用意しますが、二度と妊娠出来なくなる可能性もございます。妊娠しても、途中で流れてしまったり、早産で赤ん坊が死んでしまったり……出産の際も、奥様と赤ん坊のどちらかが命を落とすかもしれません。妊娠中は気を付けなければいけないことも多くあります」
「そう、ですよね……」
この世界は治癒魔法があるため、現代に比べて医療技術はあまり発達していない。
治癒魔法の効かないわたしの出産となれば、より難しくなるだろう。
わたしの身の安全を考えるなら堕ろしたほうがいいのかもしれない。
……でも、それで本当にいいの?
まだとても小さかったとしても、このお腹の中にはわたしとルルの血を受け継ぐ子がいて、もしもこの子が無事に生まれてくれれば伯爵家の跡継ぎになれる。
もう一度ルルを見れば、ギュッと手を握り返される。
「金銭面の問題はないし、書類上の話になるけど子供は孤児院から引き取ったってことになるからオレとリュシーの子だって公には出来ないし、琥珀の瞳を受け継いでいたらまた話は変わってくる」
「ルルは自分の子供のこと、どう思う……?」
「正直に言えば、よく分かんないや。赤ん坊なんて全然関わったことないし、オレの子だって言われても『父親』がどういうのかも分からない。……オレも混乱してるのかも」
ルルが嘘偽りなく今の気持ちを教えてくれる。
「弱点が増えるのも、リュシーの気持ちがオレ以外に向くのも面白くはないけど、いつか、オレも師匠みたいに弟子は取るだろうし、それが自分の子供でもいいんじゃないかって気はする」
それを聞いているうちに、ふっと頭の中に情景が浮かんだ。
わたしとルルの子供がいて、その子にルルが暗殺者としての技術を教え、わたしが貴族としての常識や作法を教えて、そばにはリニアお母様達もいて──……魔力を感じるということは、この子はわたしと違って魔力を持って生まれてくる。
この子が暗殺者の道を選んでも、貴族の道を選んでも構わないし、アルベリク君とも仲良くなれるかもしれない。
そこまで考えて、ああ、と笑みが漏れた。
……もう、わたしの中で答えは出てたんだ。
「ねえ、ルル」
「うん」
「わたしは、ルルとわたしの子を、ルルが抱いている姿が見たいよ」
「うん」
「出産まで色々大変で、ルルにもみんなにも迷惑をかけるだろうし、もしかしたら流れちゃうかもしれないし……出産もどうなるか分からないけど、でも、ここにある命を捨てたくない」
うん、とルルがまた返事をする。
……ルルとわたしの愛の証を、わたし達の子を、諦めたくない。
「わたし、この子を産む」
ルルが口を開いた。
「もし、リュシーと子供の命どちらかしか救えない時は、オレは迷わずリュシーを選ぶ。オレはリュシーが何よりも大事だから。それでもいい?」
「うん、それでいいよ」
そっと、柔らかくルルに抱き締められる。
「……産んでもいい?」
「いいよ」
即答だった。ルルが体を離して微笑んだ。
「リュシーに似てたらいいねぇ」
「ルルに似てる子がいいなあ」
ルルとわたしの言葉が重なり、思わず二人で笑ってしまう。
男の子でも女の子でもいい。健康で生まれてくれればそれで十分だ。
わたし達の話がまとまったからか、リニアお母様達が「おめでとうございます」と声を揃えて祝福の言葉をかけてくれた。それが嬉しくて笑顔で頷き返す。
これから十月十日──正確にはもう妊娠しているので少し短いかもしれないが──、大騒ぎだ。
「それでは、妊娠中の注意点についてお話をさせていただきます」
主治医が妊娠中にしてはいけないこと、食べてはいけないもの、気を付けなくてはいけないことを説明していく。わたしとルルだけでなく、リニアお母様達もメモを取って話を聞いた。
……妊娠中ってダメなことがいっぱいあるんだ……。
お酒もそうだけど紅茶も飲んではいけないし、生ものは口にしてはいけないし、激しい運動も控えなければいけない。体調も崩しやすいのでルシール=ローズとしての仕事も控えたほうがいいこと。つわりが始まると気持ち悪くなったり、お腹の調子が悪くなったり、意味もなく苛立つことも増える。
「とにかく安静にして体に負担をかけないことです。規則正しい生活を心がけて、食べられるならきちんと食事を摂ってください。大事なことですが、長時間立ち続ける、重い物を持ったり落としたものを拾ったりという動作はしないように。それらは必ず侍女に頼んでください。感情が不安定になりますが、あまり気が昂るとお腹の子に良くありません」
ルルとリニアお母様達が大きく頷く。
「それから、妊娠中の夜の夫婦生活は控えたほうがいいでしょう。安全面を考えるのであれば、口付けなども。旦那様は仕事で外出されますので、病の原因を持ち込む可能性があります。口付けや行為によってそれが奥様に移ってしまうかもしれません。旦那様も帰宅後は必ず入浴して、外の汚れを落としてから奥様にお会いになられてください」
「……分かった」
ルルとの触れ合いに制限がかかってしまうのは正直寂しい。
ルルも少し不満そうだったが、一度決めたことは覆さない人なので、頷いていた。
妊娠初期なので朝食後に必ず診察を受け、その日の過ごし方を決めることとなった。
「妊娠すると血の気のあるものが食べたくなります。肉は特にそうで、妊娠中はお子様の分の栄養も摂らなければいけないので、奥様が食べたいと思うものを食べさせるようにします。逆に匂いだけで気持ち悪くなってしまうものもありますので、様子を見ながら食事内容を決めていきましょう」
「はい。……その、みんなに伝えてもいいでしょうか?」
「これは周知させるべきです。何かあった時は人手も必要になりますし、料理人には絶対に伝えなければいけませんから。ただ、陛下と王太子殿下にお伝えするかは奥様と旦那様のご判断にお任せいたします」
「分かりました」
「最後に、転移魔法も馬車も含めて遠方への外出はおやめください。特に転移魔法は魔力を大量に消費する魔法です。お腹の子に何か影響を及ぼすかもしれません」
なるほど、と頷いていればルルと目が合った。
「だって、リュシー。子供が生まれるまでは外出禁止だよぉ?」
そう言ったルルは少し嬉しそうだった。
とりあえず、すぐにクウェンサーさんを呼んで事情を説明する。
クウェンサーさんもお祝いの言葉をかけてくれて、使用人達に周知させ、妊婦となったわたしへの対応や使用人の注意点なども主治医と共に話し合って動いてくれるらしい。
何はともあれ、わたしはルルとの子を産む。
まだ不安も心配もあるけれど、今はこの喜びを噛み締めておこう。
「今のうちから、おくるみやおしめ、赤ん坊用のベッド、玩具も用意しないと……ああ、他に必要なものは何かしら? 近くの町で揃えられるといいのだけれど……」
「子供に必要なものを知ってそうな人間にアテがあるから、今度聞いてくるよぉ。そういうのは王都で揃えたほうがいいでしょぉ?」
「そうですね、お願いいたします」
リニアお母様とルルの言葉に、まだ気が早いんじゃないかな、なんて思ったのは秘密である。
* * * * *
「──……というわけで、妊娠しました」
翌日の夜、通信魔道具でお父様とお兄様に連絡を取った。
緊張しながらの説明だった。
わたしの子供は旧王家の血筋で、下手をすれば国の混乱を招きかねない。
だから、わたしの子供の取り扱いは慎重にならざるを得ないのだが──……。
【おめでとう、リュシエンヌ、ルフェーヴル】
【二人ともおめでとう。ついに私も『伯父さん』になるのか】
と二人は笑顔で祝福の言葉をかけてくれた。
「いいのですか? わたしの子供が生まれると、その、色々と面倒では……?」
【確かに問題が起きる可能性もあるが、生まれてくる子に罪はない。何より『子は授かりもの』というだろう? 二人の下に子が出来たのは、それを女神様がお許しになったということだ】
【そもそも、子がダメだというのであればリュシエンヌかルフェーヴル、もしくは双方に避妊薬を飲ませている。私も、父上も、二人の間に子が生まれるのは良いことだと思っている。伯爵家の存続という意味でもな】
お父様とお兄様の言葉が嬉しかった。
じわりと滲む涙を手で拭い、笑顔で頷いた。
「ありがとうございます、お父様、お兄様」
……この子はみんなから祝福されて生まれてくる。
それがとても嬉しくて、ホッとした。
【しかし、まさか時期が被るとはな……】
お兄様の言葉に首を傾げる。
「時期?」
【実はエカチェリーナの妊娠が分かってな】
それに驚き、そして更に嬉しくなった。
お兄様の子とわたし達の子は同じ歳で生まれるということだ。
琥珀の瞳でなければきっと学院にも通えるだろうし、そうなれば、そこで子供達同士の交流が出来る。子供達が仲良くなってくれたらいいなと思う。
「まあ、二人目おめでとうございます、お兄様!」
「へえ、おめでと〜」
【ありがとう、二人とも】
お兄様も二児の父親となる。
王太子となるだろうアルベリク君がいるので、二人目が男の子でも女の子でも何も言われないはずだ。
……きっと、アルベリク君を妊娠していた時はストレスがあっただろうなあ。
普通の貴族ですら『跡継ぎ』については繊細な話題だし、男児が生まれないと周囲からあれこれ言われる。王太子妃となったお義姉様が妊娠した時は当然、周囲は男児を望んだだろうし、そういった話をされてお義姉様は期待と重圧で相当なストレスを感じただろう。
そういう意味ではアルベリク君が生まれた時の安堵感は大きかったと思う。
【そうだ、出産の際に宮廷医官をそちらに向かわせようか? 時期的にエカチェリーナの出産後にリュシエンヌもとなる。医者の手は多いほうがいいのではないか?】
「そうだねぇ、転移魔法で連れてくるから経験のあるヤツを頼んでいーぃ?」
【ああ、話を通しておこう】
そうして、お兄様が小さく笑った。
【お前が父親になるのか。……なんだか、違和感がすごいな】
「酷くなぁい? オレも三十越えてるんだしぃ、おかしくないでしょぉ?」
【そう言うなら、もう少し年齢に見合った行動をしろ】
「してるってぇ」
【いいや、してない】
お兄様とルルのいつも通りの掛け合いに笑いが漏れる。
そんな、普段と同じ何気ないことにすごく安心する。
【リュシエンヌ、次の時はエカチェリーナも一緒に話そう。初めての妊娠で分からないことも多いだろうし、今後どうなっていくか先輩に聞いたほうがいい。それにエカチェリーナも会いたがっている】
「わたしもお義姉様にお会いしたいです」
【ああ、そう伝えておこう】
そして、そろそろ通信を切る頃合いになった。
【リュシエンヌ、子供も大事だが、自分の体と命も大切にしなさい】
お父様の言葉に頷いた。
【ルフェーヴルも、父親になるなら仕事中はよりいっそう気は抜かないようにな】
「分かってるよぉ。そもそも気を抜けるのはリュシーのそばくらいだしねぇ」
【それもそうか】
お父様が小さく笑い、お兄様が苦笑する。
【それでは、また。おやすみ、二人とも】
【リュシエンヌ、ルフェーヴル。おやすみ。また今度】
お父様とお兄様にわたしとルルも返事をする。
「おやすみなさい、お父様、お兄様」
「お疲れぇ」
そうして、通信が切れた。
静かになった部屋の中、暖炉の薪がパチッと小さく爆ぜる。
ルルが通信魔道具の蓋を閉じて片付け、戻ってくる。
優しく抱き締められてルルに寄りかかった。
「……オレが父親かぁ……」
ぽつりと呟くルルの声には、どこか不思議そうな響きがあった。
お兄様に言われた時には言い返していたけれど、自分でも少し違和感があるのだろう。
「わたしだってまだ実感が薄いんだし、ルルは尚更、分かりにくいかもね」
そっと、ルルの手がわたしのお腹に触れた。
いつも通りの膨らんでいないお腹だけど、しばらくすれば目に見えて膨らんでくるだろう。
……出来るだけ、ルルにお腹を触ってもらおう。
段々と大きくなるお腹を見て、触って、確かめていけば、少しは何か感じるかもしれない。
ルルもそう思ったのかわたしのお腹を優しく撫でる。
「毎日触って確かめないとねぇ」
ルルも、自分なりに子供という存在を受け止めようとしている。
「きっと大丈夫。だってみんな最初は『初めて』なんだから。……この子が生まれるまでにゆっくり『お母さん』と『お父さん』になっていけばいいんだよ」
「……オレ、そのうち『父上』って呼ばれるのかぁ」
ルルはやっぱり、しっくりこない、という顔をしていた。
何でも器用にこなすルルけど、もしかしたら『父親』は向いていないかもしれない。
そうだとしても、わたし達なりの家族の在り方を模索していけばいい。
「一緒に『お母さん』と『お父さん』になっていこうね」
幸せな毎日に、新しい命が増えるのだから。
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是非「音」でもルルリュシをお楽しみください(*^-^*)




