帰宅
わたし達はその後、リールリーヴの街を出立した。
オールディン様は転移魔法を知っているので何も言わなかったが、日が沈んでいたので外壁の門番に「もう暗いのに危ないですよ」と心配されつつ、とりあえず街を出た。
街が見えなくなってから街道を外れ、人目につかない場所で転移魔法を使う。
慣れた浮遊感と共に視界が移り変わって、わたし達の家に帰ってくる。
ルルはあらかじめ手に持っていた小瓶のコルクを親指で器用に開けて、魔力回復薬を飲んだ。
落ちたコルクをヴィエラさんが少し呆れた顔で拾う姿も、もう見慣れた。
ルルが騎士達が全員揃っているか確認する間に、屋敷からリニアお母様とクウェンサーさんが出てきて「お帰りなさいませ」と声をかけられる。
思わず、わたしはリニアお母様に駆け寄って抱き着いた。
突然のことにもかかわらず、リニアお母様は優しく抱き締め返してくれた。
「ファイエット侯爵領にも行かれたそうですね。海はいかがでしたか?」
「とっても広くて、綺麗で、魚も貝も美味しかった。……それに、お父様とお兄様と四人でお母様のお墓参りもしたの。オールディン様が、わたしを恨んでない、って」
感情がごちゃ混ぜになっているわたしの、要領を得ない話にリニアお母様が頷く。
「海を楽しめたようで何よりです。……大奥様もきっとリュシエンヌ様がお墓参りに来てくれて、喜んでおられるでしょう。オールディン様のお話を聞けて良かったですね」
リニアお母様の言葉にわたしは大きく頷いた。
体を離し、リニアお母様を見る。
「お母様もいて、リニアお母様もいて……わたし、お父様に引き取ってもらえて本当に良かった。ファイエット侯爵家の娘になれて幸せなの」
「その言葉は是非、陛下にお伝えください。とても喜ばれますよ」
「……うん、そうする」
最後にわたしの背中を優しく撫でて、リニアお母様が体を離した。
すると、後ろからギュッとルルに抱き締められる。
「オレのことも忘れないでよぉ?」
と、少し拗ねたように言うルルの腕の中で向きを変え、ルルにも抱き着く。
「忘れてないよ。ルルもありがとうね」
「どういたしましてぇ」
それから、ヴィエラさんと話し終えたクウェンサーさんが近づいてくる。
「奥様、鉱山でのお土産をありがとうございます。皆も喜ぶでしょう」
「ブローチ、大丈夫ですか?」
「はい、その程度であれば問題ないと思いますよ」
荷馬車からメルティさんが綺麗な箱を取り出した。
荷物を下ろしている他の使用人に、メルティさんが「鉱山のお土産ですよ」と声をかければ、使用人達は小さく頷いたが、反応はそれだけだった。
……みんな、あんまり表情に出さないからね。
でも、新婚旅行のお土産も全員もらってくれたそうなので、今回もきっと使ってくれるだろう。
屋敷に帰ってきてホッとしたのか欠伸が漏れてしまった。
「リュシー、そろそろ中入ろっかぁ」
「うん」
ルルに促されて屋敷の中に入る。
……やっぱり我が家が一番だなあ。
リニアお母様の手を借りて入浴し、居間に戻ると先に入浴を済ませたルルが暖炉の前に寝転がっていた。
こちらに気付くと起き上がって自分の横を叩くので、わたしも暖炉の前の毛足の長い絨毯に移動して、ルルの横に座る。
暖炉が暖かいなあと思っていると、隣に座るルルがわたしを抱き寄せた。
「海、綺麗だったねぇ」
「うん、それに海って独特の匂いがしたよね」
「あ〜、磯の香りってヤツかなぁ」
ルルと二人で今日のことについて話をする。この穏やかな時間が好きだ。
「……あのね、ルル。お墓参りに行ったでしょ? あの時、帰る前に振り返ったら、お母様の墓石のところに女の人がいたの。お母様そっくりの、多分、生きてない人が……」
こんなことを言っても信じてもらえないだろうが。
でも、ルルには隠し事はしたくないから、ちゃんと話しておきたかった。
「わたしの見間違いかもしれないけど──……」
ルルの指がわたしの唇に触れ、言葉を止めさせる。
「信じるよぉ」
「……本当?」
「オレは見たことはないけどぉ、リュシーが『見た』っていうなら信じるしぃ、幽霊がいるかどうかなんて証明出来ないんだから『いない』って断言するのも変でしょぉ?」
「信じてくれてありがとう、ルル」
ルルに寄りかかれば、ギュッと抱き締められる。
パチッと暖炉の中で小さく薪が爆ぜた。
「もしかして、泣いたのもそれが理由〜?」
さすがルル、察しがいい。
「うん、お母様の姿を見た時、すごく優しい表情で笑いかけてくれたの。その後にオールディン様の話を聞いて、ずっと心の奥にあった棘がなくなって、お母様に娘として認めてもらえたような気がして……感情が昂っちゃって」
「そっかぁ」
大きな手によしよしと頭を撫でられる。
実はまだ、思い出すと色々な感情で胸が震える。
「リュシーにとって今回は良い機会だったんだねぇ」
ルルの言葉に、わたしは強く頷いた。
今回、ファイエット侯爵領まで足を伸ばさなければ、きっとわたしは以前のままだった。
わたしはお父様の娘で、お兄様の妹で、でもお母様の死の原因は実の父親にあって、それがずっと心に引っかかっていた。後ろめたさといえばいいのか──……申し訳なさがあった。
しかし、お母様はわたしに微笑みかけてくれた。
オールディン様から『恨んでいない』と言ってもらえた。
嬉しいというのとはまた違う、安堵に近いような不思議な感覚に包まれる。
わたしには実の父親と母親がいたけれど、どちらも記憶はなく、どちらもこの世にいない。
わたしにとっての父はお父様で、兄はお兄様で、これからは母はお母様とリニアお母様で、ルルがいて、メルティさんや使用人のみんなもいる。沢山の家族がいる。
……そしてここが、わたしの居場所。
「……ルル」
安心したからか、眠くなってきた。
ルルが「なぁに〜?」と優しく訊き返してくる。
ルルの腕の中は他人から見れば、籠の鳥に感じるかもしれない。
それでも、わたしが世界で一番安心出来るのはここだけだから。
「……死ぬ時も、ずっと……一緒だよ……」
わたしはルルを残して死にたくないし、残されるのも嫌だから。
* * * * *
腕の中で、リュシエンヌの体から力が抜ける。
昼間はリールリーヴで観光をして、墓参りに行き、心身共に疲れたのだろう。
リュシエンヌの額に口付けてから、起こさないよう慎重に抱き上げる。
立ち上がったところで居間の扉が叩かれ、兄弟弟子が入ってきた。
眠っているリュシエンヌを見て、無言で扉を大きく開けた。
ルフェーヴルが寝室に向かうと静かに付き従ってくる。
「お土産はいつも通り、食堂に置いておきました。皆、取りに来ていましたよ」
「ふぅん」
使用人への土産について、ルフェーヴルは興味がなかった。
ただ、リュシエンヌが『お土産を買いたい』と言ったのでその願いを叶えただけである。
それで使用人達が喜んでも、喜ばなくても、ルフェーヴルにはどうでもいい。
……ん〜、いや、どうでも良くはないかぁ。
リュシエンヌは大らかだが、繊細な面もあるため、使用人達が土産を喜ばなければ悲しむだろうし、喜んでもらえなかったのは自分の選んだものが悪かったと考えるだろう。
「リュシーの前では『喜ぶように』って言っといて〜」
たとえ安物のブローチであったとしても、リュシエンヌが選んで贈ったものをルフェーヴル以外の人間が身に着けるというのは不愉快だった。
だから、ルフェーヴルはあの露店のブローチをわざと全部買った。
そうすれば、リュシエンヌが選んだものではなくなるから。
それにこのブローチには意味があった。
鉱山で危険が近づくと鳴いて知らせる鳥。
この屋敷の使用人は似たような役目を担っている。侵入者があれば排除し、危険が近づけば知らせる。そのためにルフェーヴルは彼らを雇ったし、使用人達もそれを十分承知していた。
「そのような命令をなさらずとも、皆、土産を喜んでいますよ」
兄弟弟子が少し呆れたような声で言う。
「そうかもしれないけどさぁ、嬉しそうなリュシーが見たいじゃん?」
怒っていても、悲しんでいても、喜んでいても、リュシエンヌはかわいい。
だが、一番かわいいのは嬉しそうな笑顔の時だ。
「それにしても、あのブローチは皮肉のおつもりですか?」
兄弟弟子に問われ、ルフェーヴルは笑った。
「まぁね〜」
「相変わらず性格が悪い……」
「うるさいなぁ」
溜め息交じりに呟く兄弟弟子が寝室の扉を開け、ルフェーヴルは中に入った。
背後で「おやすみなさいませ」と抑えた声がして扉が閉まる。
ベッドにリュシエンヌを寝かせ、途中で暖炉の前にリュシエンヌの室内履きを置きっ放しにしたままだと気付いたが、ルフェーヴルは『まあいっか』と思う。
代わりに自分の室内履きを脱いで、リュシエンヌ側のベッド縁の下に置いていく。
ヒンヤリとした床の上を歩き、ルフェーヴルも反対側に回ってベッドに潜り込む。
やはり『家』はいい。この屋敷に来てから、ルフェーヴルは気を抜くことを覚えた。
睡眠時間は変わらないけれど、ぐっすり眠れるので以前よりも体が軽いし、気分も良いし、何よりリュシエンヌとどれだけべったりしても誰からも文句を言われない。
好きな時に好きなことをしてリュシエンヌと過ごす。
暖炉の前でリュシエンヌとチョコレートを食べて、何もせずに過ごすのは贅沢な時間だった。
「……幽霊かぁ」
ルフェーヴルは幽霊の有無について興味がない。
死んで何も出来ない存在が現れたところで、何の影響もないからだ。
だが、リュシエンヌはファイエット侯爵夫人の姿を見たという。
リュシエンヌがそう言うなら、そうなのだろう。
それが本物であっても、幻視であっても、その存在でリュシエンヌの心が軽くなるなら、ルフェーヴルはその存在を否定するつもりはない。
……リュシーは女神の加護があるしなぁ。
ファイエット侯爵夫人の霊も、もしかしたら本当にあの場にいたのかもしれない。
リュシエンヌを抱き寄せれば、腕の中でもぞもぞと身動いだ。
居心地の良い位置を見つけるとルフェーヴルにくっついて、リュシエンヌは静かに寝息を立てる。
「本当に良かったねぇ、リュシー」
リュシエンヌがファイエット侯爵夫人の話題を避けていたことを、ルフェーヴルは気付いていた。
その存在を『お母様』と呼ぶのも最低限で、恐らく、リュシエンヌの中で葛藤があったのだろう。
実の父親の行いにより間接的だが死んだファイエット侯爵夫人を『母』と呼んでいいのか悩み、それでも義父やアリスティードの前ではそう呼んでいた。
ウェディングドレスを着た時、リュシエンヌは喜んでいたが、複雑な気持ちを抱えていたのかもしれない。
けれども、今回のファイエット侯爵領の訪問でリュシエンヌの悩みは消えた。
ルフェーヴルであっても、完璧にリュシエンヌの内心を知ることは出来ない。
……昔から『自分の痛み』を隠すのが上手い子だったしなぁ。
まだリュシエンヌが後宮にいた頃、前王妃やその子供達から虐待を受けてもリュシエンヌはルフェーヴルに笑いかけたし、自ら『怪我が痛い』と言うことはなかった。
つらくても、苦しくても、痛くても、それらを隠すことに慣れている。
こうなることを予想していたわけではないが、結果的に行って良かったとルフェーヴルも思う。
……義父上とアリスティードにも恩を売れたしぃ?
もちろん本人達に言った通り、また転移魔法を使用したいなら次からは『仕事』として請け負うことになるが、あの二人にとっても今回の墓参りは大きな意味があっただろう。
次にあの二人がファイエット侯爵領に行く時には、国王と王太子ではなく、相談役と国王になっているはずだ。
……アリスティードが国王、ねぇ。
リュシエンヌをそばで見守る中で、次に関わりが大きかったのがアリスティードだ。
ルフェーヴルの仕事を知っても、性格を知っても、変わらなかった数少ない人間。
アリスティードのことは正直『口うるさいヤツ』と思っているが鬱陶しくはないし、リュシエンヌに関することについては誰よりも信用出来る。たまに揶揄うと面白い。
ただ、何となく不思議な気分にはなる。
出会った頃はリュシエンヌの部屋に押しかけたり、態度が悪かったりしたあの子供が、王になる。
……それだけオレも歳取ったってわけだけどねぇ。
あとどれだけリュシエンヌと共にいられるかも分からない。
暗殺者の仕事は出来るだけ続けたいが、体が動かなくなってきたら辞めるしかない。
そうして、最後はリュシエンヌと共に死ぬ。
暗殺者は孤独に死に、誰にも悟られずに消えていくものだと思っていたが、リュシエンヌと出会ってからルフェーヴルの孤独は消えた。
「……死ぬ時も、生まれ変わっても、ずっと一緒にいるからねぇ」
リュシエンヌの額に口付け、囁く。
それは何があろうとも守るべき、絶対的な誓いだった。
* * * * *
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