ファイエット侯爵領(1)
ドランザークの街を出立した翌日の昼前頃、わたし達はリールリーヴの街に到着した。
石造りの外壁には、他の街と同様に門があり、そこで身分確認を受ける。
けれども、先にお父様の手紙を送っていたからか、街の騎士が先導してくれて、迷うことなく領主の館に行くことが出来た。
わたし達が着くと、大勢の使用人達に出迎えられた。
馬車から降りれば、お父様よりやや歳上くらいに見える男性が一歩前にでた。
前髪を中央で分けたダークグレーの髪に赤い瞳をしたその男性が一礼すると、使用人達も揃って礼を執る。
「お初にお目にかかります。ファイエット侯爵家の代官を務めております、グレイル=オールディンと申します。陛下とは乳兄弟でして、そのご縁でこうしてお仕えさせていただいています」
それに、なるほど、と思う。
共に育ってきた仲なら、お父様も安心して任せられるだろう。
わたしとルルも礼を執った。
「初めまして、オールディン様。リュシエンヌ=ニコルソンと申します。この度は急なご連絡であったにも関わらず、このように歓迎していただき、感謝の念に堪えません」
「リュシエンヌの夫、ニコルソン伯爵家の当主ルフェーヴル=ニコルソンです。短い間ではありますが、お世話になります」
オールディン様が優しく微笑んだ。
「陛下のご息女は私にとっても姪のようなものです。それに、ここは奥様のご実家でもありますので、どうぞごゆるりとお寛ぎください」
そうして領主の館に通される。
……見覚えがあると思ったら、タウンハウスとそっくり。
きっと、王都のタウンハウスはこの領主の館に似せて建てたのだろう。
初めて来た場所なのに懐かしく感じるのはそのせいか。
建物内部も、わたしが覚えている王都のファイエット侯爵邸と瓜二つだった。
「王都のタウンハウスとそっくりで驚きました。とても懐かしくて、なんだかホッとします」
わたしの言葉に、前を行くオールディン様が嬉しそうに返事をした。
「そうなのですね。私はタウンハウスに行ったことはありませんが、陛下はこの屋敷も、街も、とても愛しておられるので、王都にも同じものを建てたのでしょう」
応接室の一つに通され、わたしだけソファーに座った。
ルルがオールディン様に声をかける。
「陛下と王太子殿下を呼んでもよろしいですか?」
「はい。是非、お願いいたします」
それに頷き、ルルが空間魔法から通信魔道具を取り出して蓋を開けると、通信を繋げた。
しかしすぐに通信を切ってしまう。
数秒の後、ルルの持っている通信魔道具が震え、ルルが蓋を閉じた。
「少しだけおそばを離れますが、すぐに戻ってまいります」
ルルがそう言ってわたしの額にキスをしてから、転移魔法を発動させた。
室内にはヴィエラさんと護衛の騎士達もいるし、ここでわたしが襲われる理由もない。
オールディン様が消えたルルに目を丸くする。
けれども、一分も経たずに同じ場所が光り、お父様とお兄様を連れてルルが戻ってきた。
「ただいま戻りました」
ルルはお父様とお兄様から離れて、わたしの横に座った。
「お帰りなさい、ルル」
お父様とお兄様が室内を見回したが、オールディン様が二人に歩み寄る。
それにお父様とお兄様も明るい、けれどどこか懐かしそうな表情で笑みを浮かべた。
「グレイル、久しぶりだな」
「陛下、またお会い出来て光栄です……!」
「はは、私のことは今まで通り『ベルナール』でいい。お前と私の仲じゃないか」
お父様とオールディン様が握手を交わし、もう片手で互いの肩に触れる。
そして、オールディン様はお兄様にも顔を向けた。
「王太子殿下も成長されましたね。……若い頃のベルナールを思い起こさせます」
「グレイル、私のことも昔のように『アリスティード』と呼んで接してくれ。私にとってグレイルは家族の一員だ。離れていた時間は長くても、あなたは今でも私の『尊敬しているおじさん』だ」
「ありがとう、アリスティード」
三人の楽しそうな様子から、きっと昔もこんなふうだったのだろうと容易に想像出来た。
そっとルルの袖を引っ張り、顔を寄せてきたルルに耳打ちする。
「お父様とお兄様に提案してくれてありがとう。二人が嬉しそうで、わたしも嬉しい」
「どういたしましてぇ。まあ、あの二人にはワガママ通してもらってるところもあるしぃ、たまにはちょ〜っとくらい気を回してやってもいいかなぁって思ってねぇ」
二人でコソコソと話していれば、お父様が振り返る。
「リュシエンヌとルフェーヴルは観光でもしてくるといい。オールディン、案内に騎士を一名つけてやってくれるか? リュシエンヌは海を見たことがないんだ」
「かしこまりました」
「それとルフェーヴル、ここでは普段通りにしても問題ない」
と、お父様が言い、ルルがニッと口角を引き上げて雑に手を振った。
「りょ〜かぁい。んじゃ、オレ達は海でも見に行こっかなぁ」
ヒョイと立ち上がったルルに引き上げられて、わたしも立つ。
お兄様が何かを思い出したふうにわたしを見た。
「日傘でなく、ボンネットを被っていったほうがいい。海辺は風が強いから、傘だと危ない」
「分かりました」
「昼食はどうする?」
「えっと、わたし達の分は要りません。海の魚や貝を食べてみたいので、屋台で買います」
わたしの言葉にお兄様が懐かしそうに笑って頷いた。
お父様も微笑ましいという表情で「気を付けて行ってきなさい」と言う。
それにルルと二人で頷き、一足先に客室に案内してもらい、外出の準備をする。
……っていってもドレスはこのままでいいから、ボンネットを着けるだけなんだけど。
メルティさんが髪をまとめて、ボンネットを被らせてくれる。
頭全体を覆って顎の下でリボンを結ぶので、風が吹いても飛んでいくことはまずないだろう。
日傘だと風の影響を受けやすいし、壊れてしまうかもしれない。傘は大抵ルルが持ってくれるけど、風に煽られたら危ないので使わないほうがいいのは確かだ。
準備を整えて、馬車に乗って街に出る。最初の目的地は海だ。
案内人の騎士が教えてくれる。
「今日は天気も良く、比較的、波も穏やかで海も綺麗だと思いますよ」
「波打ち際を散歩しても大丈夫でしょうか?」
「ええ、問題ないでしょう。港の立ち入りは禁止ですが、少し離れた浜辺は街の人々もよく散歩しています。今朝、大型船が到着したそうなので、きっと見ることが出来ますよ」
「大型船!」
わたしが今生で乗ったことがあるのはウィルビレン湖の小船だけなので、大型船を見るのは初めてだ。この世界の船は恐らく木造だと思うが、前世では見る機会がなかったから余計に楽しみだ。
街を抜け、木々の間を馬車が走る。多分、防風林なのだろう。
木々の間を抜けると一気に視界が広がった。
砂地の手前で馬車が停まり、ルルの手を借りて降りる。
顔を上げれば綺麗な青い海と空が遠くまで広がっていた。
「うわぁ……!!」
前世でわたしが住んでいた場所より、ずっと綺麗な海だった。
思わずルルに振り返る。
「海、すっごく広いね! それに綺麗〜!」
「うん、広くて綺麗だねぇ」
「ね、ね、もっと近づいてもいいっ?」
「いいけどぉ、一緒に行こうかぁ」
ルルと手を繋ぎ、波打ち際まで進む。
足元に感じる砂の感触と沈み込みが面白い。ブーツの底が沈む感覚が新鮮だ。
二人で波打ち際まで行ったが、パッと見たところ貝殻が落ちている様子はない。
少し小枝が流されてきているものの、浜辺は綺麗である。
「貝殻ないね……?」
辺りを見回すわたしに、ルルが小さく笑った。
「空の貝殻が流されてくるって滅多にないんじゃなぁい? 多分、街の土産物屋とかにあるヤツも、食べた後のものだと思うよぉ」
「なるほど」
中身は食べて、外側はお土産などにして売るのだとしたら無駄がなくていい。
ルルに促されて港に向かって波打ち際をゆっくり歩く。
お兄様が言う通り少し風があり、海らしい、潮風独特の匂いがした。
ザザン……ザザン……と寄せては引いていく波の音が穏やかな気持ちにしてくれる。
「アレが大型船だねぇ」
ルルが指差したほうを見れば、港のやや奥のほうに大きな船がいた。
その手前には小さな船がいくつも並んでいたが、それらよりも明らかに大きくて驚いた。
「あんなに大きいのに、全部木造なのかな?」
「見た感じだとそうみたいだねぇ」
「すごーい!」
出来れば近くで見てみたいところだが、港は立ち入り禁止だから仕方がない。
でも、遠目からだと全体を眺めることが出来て圧巻だ。
「あの船、どこから来たのかなあ。水平線の向こうに大陸とか国とかがあって、そういうところからも来てたりして?」
「ん〜、あれはそんな遠くじゃないと思うよぉ。大きさ的に荷物を積んだら、そんなに食料まで積み込めなさそうだしぃ。海って陸地がなくなると方向が分からなくなるから、他の海岸沿いの国や街から貿易しに来たんじゃないかなぁ」
「そっか〜。風だけであんなに大きな船、動くんだね」
「魔法で後ろから風を送れば好きな方向に行けるだろうしねぇ」
……魔法って便利だなあ。
沖のほうに鳥が飛んでいるのが見える。カモメか何かだろう。
しばらく歩いてみたけれど、残念ながら貝殻を拾うことは出来なかった。
馬車に戻ると昼をだいぶ過ぎていたので、今度は屋台や露店の並ぶ通りに行くことにした。
その通りは港に近いほうにあるそうで少し馬車を走らせるとすぐに到着した。
通りは人であふれている。街の人だけでなく、旅行で来たらしい人々もいて賑やかだ。
護衛の騎士やヴィエラさんが周りを固め、ファイエット家の騎士の案内で通りを歩く。
「通りの右手側が食べ物を扱う屋台で、左手側がお土産などを扱う露店です。ここは港のそばなので、他国や他の領地から入ってきたものや海で採れたものも多く売られています」
話を聞いていると魚の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
どことなくウィルビリアの街を思い起こさせるが、潮の香りという違いもある。
匂いを辿って屋台に近づくと、恰幅の良い中年の女性が笑顔で話しかけてきた。
「いらっしゃい、今日獲れたばかりの魚さ! しかも今年は当たり年で脂がのってて美味しいよ〜!」
「じゃあ一匹だけもらえる〜? 観光で来たから、他にも色々食べてみたいんだぁ」
「そうかい、そうかい、買ってくれてありがとね! この通りなら三軒先の『焼き貝屋』がオススメだよ! 運試しも出来るから、楽しめるしね!」
女性が話しながら大きめの焼き魚を一匹ルルに渡し、ルルがお金を払う。
そのまま、ルルが魚を一口かじった。
確かめるように食べて、うん、と頷いてわたしに差し出す。
わたしも差し出された魚にかじりつくと、焼いているのにフワッとした食感と脂の旨み、でも意外とくどくない味が口の中に広がった。シンプルな塩焼きだが、そこがいい。
「美味しいねぇ」
ルルの言葉に何度も頷く。
焼き魚の屋台の女性が嬉しそうに笑った。
ルルはヴィエラさんや騎士達の分の焼き魚も買って振る舞った。
そうして、女性が薦めてくれた三軒先の焼き貝屋にも行ってみることになり、歩き出す。
わたしは魚をもう一口もらったものの、残りはルルが食べる。
人通りが多くて立ち止まる時もあり、でもこういうところは滅多に来ないから渋滞なのになんだか楽しい。
ルルが魚を半分ほど食べたところで焼き貝屋に着いた。
お店にいた少し痩せ気味の初老の男性はルルの持っている焼き魚を見て心得た様子で笑う。
「焼き魚のところからかい? あそこは焼くのが上手いから美味しいだろう?」
「そうだねぇ、貴族に出してもいいぐらいだよぉ」
「はははは! それは褒めすぎだ!」
笑いながらも男性はそばに置かれた炭火に団扇みたいなもので風を送っている。
こちらには大きな四角いバケツがあり、そこには水が張ってあって、沢山の貝が沈んでいた。
大きくて平たくて丸い、わたしが想像する『食べるほうの貝』そのものだった。
海辺で探していたのは法螺貝のイメージだったが、つい、食べる貝と思うと二枚貝を想像してしまう。サザエのような貝もあるけれど、わたしの中の『食べる貝』はやっぱりこっちである。
「値段は大きさによって違うよ。好きなものを選んでもらってから焼くんでね、少し時間がかかるけど、うちの貝もなかなかに美味しいよ」
「運試しが出来るって聞いたんだけど、どういうことぉ?」
「ああ、それかい。この貝は真珠を作る貝でね、小さいけれど稀に入っていることだあるんだ。真珠入りが『当たり』で、もちろん、入っていた真珠は持ち帰ってもらって構わないよ」
……なるほど、それで『運試し』なんだ?
水の中に沈む貝は多少の色味はや大きさは違うけれど、どれも同じ貝だから、どの貝が美味しいのかも真珠が入っているかも分からない。
少し迷ったが、色合いの濃いものを選ぶことにした。
「わたしはこれでお願いします」
「じゃあオレはこっち〜」
ルルは少し離れた場所にいた貝を選んだ。
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