説明とこれから(2)
子爵の言葉に管理官が思案顔で目を伏せた。
けれども、ややあって管理官が顔を上げる。
「……分かりました。あなた方にこのような嘘を吐く理由もないでしょう。伯爵夫人が『女神様の加護』を持つことについても、確かに秘匿すべきものです」
管理官が信じてくれたことに安堵の息が漏れる。
「信じていただき、ありがとうございます」
「いえ、私のほうこそ疑ってしまい申し訳ありませんでした。……夫人に加護があったと知った今は、あの不思議な現象についても理解出来ます」
わたしが感謝を伝えると管理官がメガネのツルを押し上げて言う。
普段は神経質そうに感じられるその仕草が、今はどことなくバツが悪そうな雰囲気になっていて、子爵とドルッセルさんがそんな管理官に声もなく小さく笑った。
そこで、ドルッセルさんがパンッと自分の膝を叩いた。
「ってことは、俺達は『女神様の奇跡』を見れたってことか! 良いことがありそうだ」
また豪快な笑い声を響かせるドルッセルさんに、子爵と管理官が苦笑する。
「じゃあ本格的に調査が入る前にもう一度鉱脈について確認させてもらいたい。調査団に夫人の話を説明するわけにはいかんだろうし、手柄を取っちまうが『鉱夫が見つけた』ってことにしたほうがいいんじゃないかい?」
「そうですね。わたしは特に気にしていないので、そうしてくださると助かります」
「でしたら、リュシエンヌ様にはもう一度鉱山に入っていただき、ドルッセル殿に確認してもらってから元に調査団が調べるというのが良いでしょう」
ドルッセルさんの提案にわたしとロイド様が頷いた。
ホッとしていればルルがわたしの手を取り、ニコリと微笑む。
それにわたしも微笑み、手を握り返した。
「明日からでも大丈夫かい?」
と、ドルッセルさんに訊かれて頷いた。
「はい、大丈夫です」
「僕も同行します」
「私も管理官として立ち会わせてください」
セクストン子爵は執務があるので、明日は来ないらしい。
けれども、管理官やドルッセルさん、ロイド様──……何よりルルがいるから問題ないだろう。
そういうわけで、改めて調査を行うこととなったのだった。
* * * * *
そうして翌日の午後。調査のため、わたし達はもう一度鉱山の入り口に立っていた。
調査に最低でも一週間ほどはかかると見越していたそうで、本日の午後を休みにしても、鉱夫達から文句は出なかったようだ。
急に仕事を休ませてしまって申し訳ないけれど、それを伝えるとドルッセルさんが笑った。
「気にするこたぁないさ。みんな『昼間から酒が飲める!』って喜んでるくらいだ」
どうやら、調査でお休みになってもその日の給金の半額がもらえるらしい。
働かなくてもお金がもらえて、昼間からお酒が飲めるから、鉱夫達には良い休日になっているのだとか。今頃、街の酒場はどこも大賑わいだろう、とのことだった。
マスクを着けて、魔道ランタンをわたし以外の全員が持つ。
それから、一昨日と同様に一列になって鉱山内部に足を踏み入れる。
今回はドルッセルさん、ロイド様、わたし、ルル、管理官の順だ。鉱山の内部構造が分かったからか、ルルは今度はわたしの後ろについた。他四人が明かりを持っているので、わたしは何も持たなくても十分、足元や周りが見える。
静かな通路に五人分の足音が響く。
途中、ドルッセルさんが「頭上に注意してくれ」「足元が濡れてるから気を付けてくれ」と教えてくれる上に、一度入っているので前回よりも短い時間で目的地に到着したと思う。
……鉱山の中って時間の感覚が分からなくなりそう。
景色の変化がないので、この中は時間が止まっているかのような雰囲気があった。
前回と同じやや広い空間に出るとドルッセルさんが立ち止まり、振り返る。
「夫人が壁に触れて、光り出したら魔道ランタンは邪魔だから消してほしい」
「分かりました。……あの光り具合なら明かりがなくても問題ないでしょう」
ドルッセルさんに言われてロイド様と管理官、ルルが頷いた。
ルルが魔道ランタンを消して、右手を繋いでくれる。
それに安心しながら左手でそっと壁に触れた。
触れたところから伝染するように光が壁全体に広がっていく。
「夫人はここにいて、壁に触れていてくれ。俺は採掘に良さそうな場所に印をつけてくる」
「僕も行きます」
「この先は狭いが、大丈夫か?」
「ええ、問題ありません。それに僕も調査団の責任者として、確認しておいたほうがいいでしょう」
と、ドルッセルさんとロイド様が近くの通路に入っていった。
管理官はここに残り、光る壁を調べている。
……もしかしてわたし達のために残ってくれたのかな?
管理官は鉱山内部を念入りに確認しているものの、わたし達の視界から外れることはなく、別の通路に入っていくこともない。
手袋越しに壁のゴツゴツとした感触が伝わってくる。
前世ではトンネルなんて当たり前にあったけれど、こうして岩肌に触れると、自分が山の中にいるという実感が湧いて不思議な気持ちになる。
圧迫感はあるが、特に怖いとも思わないし、不快感もなかった。
それよりも魔法が存在するとはいえ、こんなに硬い岩石を毎日、毎年、とても長い時間をかけて掘っていき、出来上がったこの通路のすごさに感動した。
……前世には機械があったけど、昔の人は手作業で掘ったんだよね。
地層は何年、何百年というその地の歴史の積み重ねだが、鉱山の場合は、この通路の広さや長さこそがここで生きた鉱夫達の歴史なのだろう。その歴史にわたしは今、触れている。
魔法があっても、機械があっても、命懸けの仕事には変わりない。
「……何か……何だろう……すごく、すごいね」
あまりに語彙力がなくて自分で笑ってしまう。
横にいたルルが首を傾げた。
「何がですか?」
近くに管理官がいるからか、貴族モードのルルに訊き返される。
「この鉱山全体が、かな。最初はただの山だったのに、それを掘って、こうして道が作られたんだよね? 大勢の鉱夫達が何年、何百年とかけて掘った道に立っているのって、何か、すごく……こう、感動するっていうか……ああ、人ってすごいなあって思うの」
暗くて、狭くて、きっといつ崩れるかも分からない恐怖と戦いながら、鉱夫達は掘ったのだ。
……ううん、今だってそうなんだよね。
魔法の発展とか、先代達の経験から受け継がれた知識とか、そういうものがあっても採掘が完璧に安全になるわけではなくて、それでも鉱夫達は掘り続ける。
「鉱夫のみんなが、この仕事を好きな理由が分かったかも」
大きな山の内部をこれほど掘るなんて、簡単なことではない。
「こんなすごい場所に関わることが出来て、誇らしいんだね」
そしてわたしも、こんなすごい場所と人々の歴史に触れる機会を得ることが出来て嬉しい。
今回の立ち会い調査に来て良かった。
前世で鉱山が観光地になる理由も分かった。
鉱山には、これまで関わってきた鉱夫達の人生が詰まっている。
この感動は上手く言葉で表せないが、鉱夫達に深い尊敬の念を抱いた。
ただ、ルルは特に何も感じないようで「そうかもしれませんね」とだけ言った。
その表情は『よく分からない』というものだったが、それでも、わたしの気持ちや感動について否定しないでいてくれるルルの対応は嬉しかった。
「リュシーは想像力が豊かで、共感力も高いですよね」
ルルの言葉に、今度はわたしが小首を傾げてしまった。
「うーん? ……そうかも? 余計なことまで考えちゃうかもしれないけど……そういうルルだって気が利くし、人の動きを先読み出来るし、魔法についても柔軟な考え方をするよね?」
「私はあくまで『予想する』だけで、相手の感情を察しても共感はしませんので」
「なるほど」
確かにルルは相手の感情の変化には敏感だけど、それに共感したという話は聞かない。
「もし、私が共感出来る相手がいるとしたら、リュシーだけでしょう。あなたが喜べば嬉しいし、あなたが悲しめば腹立たしい。それすら本当の意味での共感ではないのかもしれませんが」
困ったように僅かに眉尻を下げるルルの手を握り返す。
「そうだったとしてもルルがわたしに心を傾けてくれることが嬉しいし、寄り添おうとしてくれる気持ちがきっと大事だから……ルルはルルで、わたしはわたし。同じ人間じゃないから共感出来なかったとしてもそれはおかしなことじゃないと思うよ」
「ありがとうございます、リュシー」
ルルが近づき、額にキスされる。
しかし少し離れたところから、コホン、とわざとらしい咳払いがした。
管理官がこちらに背を向けて壁を見ている。
……あ。
思わずルルと顔を見合わせ、声を出さないように笑った。
「管理官殿。妻が立ったままだと疲れてしまうので、椅子を出したいのですが、この辺りの地面に置いても良いでしょうか?」
「椅子を? ……問題ないとは思いますが……」
管理官の返事を聞き、ルルがわたしから手を離すと空間魔法から椅子を取り出した。
木製で四つ足の角張ったシンプルなデザインの椅子だが、鉱山の中で使うには違和感が強い。
こういう場所なら木箱のほうが似合いそうだと思っていると、ルルが取り出した椅子をわたしのそばに置いた。どうぞ、と手で促されてお礼を言い、壁から手が離れないように注意しつつ座った。
外敵の危険性がないと確信が持てたらしく、ルルは椅子の背もたれに寄りかかる。
わたしはロイド様達が入っていった鉱山の奥の道に向いて、壁際に座る形になった。
「こちらも使ってください」
空間魔法から取り出されたクッションが背中に挟まれる。
最後にルルの左手が、わたしの左肘を支えるように下から掌で包む。
ずっと左腕を壁に触れさせているのは意外と疲れるので、支えてもらえるのはありがたい。
「……ロイド様達が戻ってきた時にビックリしそう」
鉱山に似つかわしくない椅子とクッションに驚くだろう。
わたしが小さく笑うと、背後でルルも微かに笑う気配がした。
「それにしても、椅子なんていつの間に入れたの?」
「かなり前ですよ。屋敷の椅子が余っていたので、それを入れておきました」
「ルルの空間魔法って何でも入るよね」
空間魔法の収納の広さは魔力量に比例するという。魔力量が多ければ内部の空間は広く、魔力量が少なければ小さく、人によって入れられる量が異なる。
……ルルの魔力量って聞いたことがないけど、絶対すごく多いよね。
魔力の消費が激しい転移魔法を『便利だから』と頻繁に使っている様子からも、魔力量の多さは窺えた。
「『何でも』は入りませんよ」
なんてルルは言うが、恐らく『大抵のもの』は入るのだろう。
ルルが必要と思ったものしか入れないから『何でも』でないだけだ。
わたしが椅子に座り、その背もたれにルルが寄りかかっていると、周囲の調査を終えた管理官が戻ってくる。
「壁は光っているものの、他に異常はありませんでした。……それにしても神秘的な光景ですね」
管理官が小さく息を吐いて、頭上を見上げた。
壁だけでなく天井も光っており、よくよく見ると足元もほんのり光を帯びている気がする。
淡い金色に輝く鉱山の中は確かに神秘的だった。
温かくて柔らかなものに包まれる感覚は今回もあり、心地好い。
「まるで夜空の中にいるような気分になります」
ロマンチックな喩えにわたしも天井を見上げた。
「わたし達しか見ることが出来ないのが残念ですね」
「ええ、本当に。……皆にもこの美しい光景を見せられたら良かったのですが」
その後は、管理官から鉱山についての話を聞いて過ごした。
しばらく経って戻ってきたロイド様とドルッセルさんは、椅子に座るわたしにやっぱり驚いて、そしてドルッセルさんは豪快に笑った。
「鉱山に持ち込むには良い椅子だな!」
予想外すぎて面白かったらしい。
ロイド様は色々と察したのか苦笑していた。
「っと、もう手を離していい。ある程度の目印はつけてきたから、後でそれを確認するだけだ」
ドルッセルさんが言いながら魔道ランタンの明かりを点ける。
わたしが壁から手を離せば、スイッチを切ったように光も消えた。
暗い中で、ルルとロイド様、管理官も魔道ランタンを使用して、白い光に照らされる。
立ち上がるとルルが手早くクッションと椅子を空間魔法に仕舞い、わたし達は元来た道を辿って外に戻った。
外はかなり日が傾いており、わたしが思っていたよりも時間が経っていた。
ボタ山に関しては『全部の土を調べればいい』そうで、そちらの確認は不要なのだとか。一昨日の時に山全体がぼんやりと輝いていたため、鉱山と違い、少しずつ土を崩して鉱物を取り出していくそうだ。
「良い経験をさせてもらった」
と、喜ぶドルッセルさんとその場で別れ、わたし達は馬車に乗った。
……座ってるだけなのに疲れたなあ。
領主の館に戻った後、湯浴みをしてすぐにわたしはソファーで寝てしまったらしい。
食事を食べた記憶もなければ、ベッドに移動した記憶もない。
でも、目が覚めた時にはベッドにいて、朝になっていた。
「おはよぉ、リュシー」
「……おはよう、ルル……わたし、寝た記憶がないのに寝てた……」
呆然とするわたしを見て、ルルがおかしそうに笑っていた。
王女時代は時々こういうことはあったが、久しぶりだったので驚いてしまった。
昼食の席でみんなに謝罪したけれど、全員が「疲れていたんでしょう」と笑って許してくれたのは幸いだった。
立ち会い調査も終わりだそうで、お父様とお兄様に報告をして話がまとまれば、わたし達は帰っていいようだ。予想外のことは起きたものの、この数日間は楽しかった。




