温泉(2)/ 騎士の呟き
「リュシーはかわいいねぇ」
ルルが手でお湯を掬うとわたしの肩にかけた。
お湯は柔らかくて、滑らかというか、普通のお湯とは違う感じがする。
「ルルは他の人に知られるの、嫌じゃない?」
「知られることに関しては何も思わないけどぉ、男が想像するのは許せないかなぁ」
ギュッと抱き寄せられ、素肌が触れ合う。
「リュシーはオレのものだから、たとえ想像でも、リュシーのかわいい姿は見せたくないよねぇ」
そういえば、以前もそのようなことを言っていた。
「女性はいいんだ?」
「そこまで言うと侍女とか困るでしょぉ?」
「確かに」
触れ合った素肌は温かく、細身ながらもがっしりとした筋肉の感触が性差を感じさせる。
何度触れても、何度経験しても、ドキドキしてしまう。
それでも、そっとルルの胸元にある隷属魔法の魔法式に手を触れる。
「くすぐったいよぉ」
と言うものの、ルルが動く気配はない。
……これがわたしとルルを永遠に繋ぐ証。
そう思うととても愛おしい。
そのままルルに寄りかかる。半身浴だが、温泉ということもあって体はほどよく温かい。
「……ルル、連れてきてくれてありがとう」
「うん」
「前世にも温泉があって、家族旅行で行ったことがあったの。……だからルルと来られて嬉しい。まだちょっと照れるけど、こうして一緒に入るのも嬉しい。ルルはわたしの夫で、家族だから」
返事の代わりに、わたしを抱き締める腕に少しだけ力がこもる。
……ルルなら、ずっと一緒にいても飽きることなんてない。
いつだって一緒にいたいし、そばにいてほしいし、わたしだけを見てほしい。
ルルと結婚して屋敷に移ってから、前世について思い出すことが減った。
原作の時間軸が過ぎたのも理由の一つかもしれないが、ルルと夫婦になって、ここに『わたしだけの家族がいる』という安心感が深まったからかもしれない。
ルルはわたしに寂しいとか、不安とか、そういう気持ちを感じさせないから。
……何を置いてもわたしが呼べば、ルルはきっと来てくれる。
その絶対的な信頼感が安心に繋がっているのだろう。
「ルル、大好き。……愛してる」
顔を上げ、ルルにキスをする。
ルルはそれを嬉しそうに受け入れてくれた。
「……ずっとこのままでいたいなあ」
気が抜けるような温かく、優しい湯船に揺蕩いながら、ルルと寄り添っていたい。
その意味をルルも分かっているだろうけれど、微かに笑いを含んだ声がする。
「ふやけちゃいそうだねぇ」
ルルの手がわたしの頬に触れ、もう一度、今度はルルからキスされる。
「……体が冷えちゃうから、そろそろちゃんと浸かろっかぁ」
ルルがわたしを抱き上げ、慎重に階段を下りて、床に下ろす。
わたしの肩がギリギリ出るくらいの高さなので、ルルの肩はしっかりと出てしまった。
冷えてしまわないようにルルの肩にお湯をかけると、ルルがニコリと笑う。
「領主の館のほうも広いけどぉ、ここはもっと広いねぇ」
ルルがスイ〜ッと湯船の中を泳ぐ。
お風呂では泳いではいけません、と言おうとしたけど、ついルルをまじまじと見てしまった。
「ルル、泳げるんだ?」
「ん? うん、泳げるよぉ?」
「濡れるの嫌がってたから、てっきり泳げないのかと……」
「師匠に泳ぎも叩き込まれたからねぇ。暗殺者が泳げなくて死んだ、なんて恥ずかしいでしょぉ?」
……ルルにも『恥ずかしい』と思うことってあるんだ。
ちょっと意外だった。
湯船の中をスーッと泳いで、満足したのかルルが戻ってくる。
足音もそうだけど、泳ぐ時でもあまり音が立たないのはすごい。
戻ってきたルルがわたしを自分の膝の間に入れて、座った。
背中を丸めてわたしを後ろから抱き締め、わたしの肩に顎を置く。
窮屈だろうにルルはこうするのが好きだ。
わたしも、ルルとこうして過ごすのは好きだ。
……明るいところなのはちょっと恥ずかしいけど。
「ルルはいつも完璧だから、出来ないことがあってもかわいいと思うよ?」
「そ〜ぉ?」
「うん。かっこいいルルも、かわいいルルも好き」
「そっかぁ」
機嫌良さげにルルが返事をして、わたしの首に額をこすりつけてくる。
……わたしがかわいいって感じてるの分かっててやってる時もあるよね。
でも、そんな大きな犬か猫みたいな仕草をするルルはやっぱりかわいかった。
けれども、お腹に回ったルルの手に少し力がこもる。
「オレはリュシーにかっこいいって思っててほしいんだけどなぁ」
ルルがそのようなことを言うのは初めてだ。
「かわいいは嫌?」
「ん〜、なぁんか『可愛い』って頼りなさそうじゃなぁい?」
「そうかな? ルルは最強の暗殺者で、かっこよくて、かわいくて、最強の限界値突破しちゃうよ」
わたしの言葉に、肩口でルルが小さく噴き出した。
「何それぇ」
笑いのツボに入ったらしく、触れ合ったところから微かに振動が伝わってくる。
「オレが最強だとしたら、ご主人サマのリュシーは無敵だねぇ」
うっかり誰かのことを『嫌い』とか敵認定とかしたら、ルルが暗殺してくるかもしれない。
ルルが暗殺者として仕事をするのは構わないが、わたしのわがままでルルの手を汚すのは嫌だ。
それはルルの仕事に対する誇りを軽んじているような気がするから。
「そうだとしても、わがままでルルの手を煩わせたくないなあ……」
「リュシーは真面目だねぇ。まあ、でも、そういうリュシーだからオレは好きなんだけどぉ」
肩から顔を上げたルルが、ちゅ、とわたしのうなじの下辺りにキスをした。
体がピクリと反応してしまう。
ちゅ、ちゅ、とキスがうなじをゆっくり上がっていく。
落ち着いていた鼓動がまた早鐘を打つ。
ルルがわたしの耳をかぷりと甘噛みした。
「そろそろ上がって、もっとイイコトしよ?」
と耳元で囁かれて、わたしは頷くことしか出来なかった。
「……っ、うん……」
「今夜もいっぱい愛し合おうね」
低く掠れたルルの声が脳に直接注ぎ込まれたような感覚に陥る。
息苦しいくらい、ドキドキしている。
かっこいいやかわいいだけでなく、ルルは色気もすごかった。
……わたしの旦那様、色々な意味で危険すぎる……!
* * * * *
テラ=フィルバークはリュシエンヌ=ニコルソン伯爵夫人付きの騎士の一人である。
今日は主人達がドランザークの街中にある温泉宿に泊まるということで、テラも護衛のために宿に来ていた。セクストン子爵家からもそれなりに騎士を借りているが、全員女性だった。
何故女性だけなのかは聞いていないが、テラを含めたニコルソン伯爵家の騎士は誰もがその理由を察している。
伯爵家の当主、ルフェーヴル=ニコルソンは妻に対して非常に執着し、独占欲を抱き、使用人であっても極力『リュシーと関わるな』と平然と命令するような人物だ。
それでいて『リュシーから話しかけられたらきちんと対応するように』とも命令をしている。
ただ、実際に奥様が使用人に話しかけると、それとなく圧をかけるのはやめてほしい。
ほとんどの使用人は闇ギルドから雇用されているが、それでも、牽制の殺気に反応していた。
皆、反応はそれぞれだけれど……伯爵の執着心の強さは困ったものである。
浴室の外の廊下にテラともう一人の騎士、そして侍女が一人待機している。
侍女は赤髪に緑の瞳をした、浅黒い肌の異国を思わせる容姿だ。
なんでもニコルソン伯爵もこの侍女も同じ師を持つらしい。
侍女が不意に顔を上げた。扉が内側からコンコンと叩かれる。
いや、蹴ったというべきか。低い位置から音がした。
侍女が扉を開けると、主人達がいた。
伯爵はきちんと服を着ていて、でも、その腕の中にいる奥様は下着にガウンを羽織っただけのようだ。
この宿には現在、女性しかいないので見られても困る格好ではないが……。
「ドレスだけ片付けておいてぇ」
と言って伯爵が歩き出す。
侍女が一礼し、その場に残り、テラ達は伯爵の前後に分かれて警護を行う。
伯爵が横抱きにしているから、奥様の色白で華奢な足が惜しげもなくさらされている。
湯上がりということもあってほのかに色づいていた。
宿を貸切にして、宿の主人である男性すら追い出したのは確かに正解だったかもしれない。
こんなあられもない姿を見せるわけにはいかないだろう。
前方を行くテラはわざと足音を立てて、他の騎士達に合図を送った。
前方の通路にいた警備の騎士の気配が遠ざかっていく。
そうして、部屋に到着し、テラは部屋の扉を開けた。
もう一人の侍女は控え室にいるらしく、室内は無人で、誰も潜んでいないことを目で確認すると扉から離れて道を空ける。
伯爵が夫人を抱えたまま、中に入ったので、テラは空気を読んですぐに扉を閉めた。
これからしばらくは扉の前で警備に立つこととなる。
もう一人の騎士も奥様が王女殿下の頃からの付き合いなので、察しているだろう。
互いに視線だけで頷き合い、扉の両脇に立つ。
宿はそれなりに壁が厚いようだが、中から魔力が広がる気配を感じた。
防音魔法を使ったのだと、容易に想像がつく。
少しすると、先ほどの赤髪の侍女が戻ってきた。
手にはドレスが抱えられていて、扉の前に立つテラ達を見て、全てを察して隣の控え室の扉を静かに開けた。職業柄なのか、音を立てずに開ける様子はいつ見ても感心する。
目が合い、テラが頷けば、その侍女も頷き、控え室に入っていった。
廊下が静まり返る。
「……奥様、いつご懐妊されても不思議はないわよね」
もう一人の騎士がぽつりと呟いた。
テラは頷き返した。
「むしろ、あれだけ仲が良いのに授かっていないほうが不思議です」
「子は女神様からの授かりものというし、仕方ないけどね」
ただ、伯爵の性格を考えるとどうなのだろうかとも思う。
子供が出来た時に喜ぶのか、それとも心配するのか。
妻との時間が減るとか子供に取られたくないとか、言いそうである。
正直にいうと子煩悩な伯爵が想像出来ないので、奥様が妊娠した時にどのような反応をするのか予測がつかず、それが恐ろしくもあった。
「だけど、お子がお生まれになったら、私達の仕事に張り合いが出そうだわ」
基本的に屋敷の警備ばかりで、主人達の護衛の仕事はあまりない。
あの屋敷の使用人達は戦える者ばかりで、奥様の一番近くには誰よりも強い伯爵がいる。
だからこそ、主人達の子が生まれたら、その子の護衛や遊び相手という仕事が増えるだろう。
テラとしては王女時代から仕えているので主人達には幸せになってもらいたいし、ニコルソン伯爵家が続いてくれたら嬉しい。主人達の子に仕えるという栄誉も捨てがたいのだ。
「奥様にも旦那様にも、それは言わないほうがいいですよ」
「ええ、そうね。旦那様はあまりお子を望んでいないようだし」
「奥様を取られるのが嫌なのでしょう。何より、奥様の場合は文字通り命懸けの出産となります。……伯爵は奥様の身に危険が及ぶのをとても嫌いますから」
奥様は生まれつき魔力がなく、魔法も使えず──……それ故に治癒魔法が効かない。
もし妊娠しても、出産の際に治癒魔法をかけられないので本当に命懸けだ。
伯爵がそれを受け入れるかどうか、難しい話だろう。
思わず、テラももう一人の騎士も押し黙った。
「……お二人のお子を見たい、その方にもお仕えしたいと思うのは私達のわがままですね」
子供は女神様からの授かりもの。
主人達の子が見られるかどうか、授けるか決めるのは女神様だ。
「でも、絶対生まれてきたお子は美しい容姿よね」
「それは……まあ、それはそうですね」
主人達の整った容姿を受け継ぐなら、どちらに似たとしても整った容姿になるのは確実だ。
……だけど、一つだけ叶うなら。
琥珀の瞳を受け継がないでほしいと思う。
旧王家という鎖に縛られない、自由な立場で生きてほしい。
ずっと近くで奥様を見てきたからこそ、余計にそう感じる。
旧王家の血筋と琥珀の瞳に縛られ、奥様は常にその言動を注視され続けた。
良き王女として努力し、気を遣い、振る舞う姿はどこか息苦しそうだったから。
「……出来れば、瞳の色だけは奥様に似ないといいですね」
テラの言葉にもう一人の騎士が深く頷いた。
「確かに」
向こうも同じような気持ちなのだろう。
真剣な表情でもう一度頷いている。
「とは言っても、私達が悩んだってどうしようもないことよね」
「そうですね」
「とりあえず、今夜は誰も部屋に近づけないようにしよう」
もう一人の騎士の言葉に、テラは大きく頷いた。
「そうですね」
もし誰かを通したり、不用意に近づけたりしてしまったら後が怖い。
テラは腰に下げてある剣の柄を触って確認し、気を引き締める。
今夜は何があってもこの扉を死守しなければならない。
テラともう一人の騎士は今度こそ口を閉じて、警備に集中したのだった。
* * * * *
別作品【『聖女様のオマケ』と呼ばれたけど、わたしはオマケではないようです。~全属性の魔法が使える最強聖女でした~】のコミカライズがコミックアース・スター様にて連載開始しました!
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