加護 / 温泉(1)
領主の屋敷に戻り、ルルと過ごして待っているとロイド様が部屋を訪れた。
わたしの膝枕で寝転がったまま、ルルがロイド様に入室を促し、防音魔法を発動させた。
「ニコルソン伯爵は既に気付いているようですね」
「まぁね〜」
わたし達のいるソファーの向かいにロイド様が座る。
それでもわたしの膝の上から頭を離さないルルに、ロイド様が苦笑する。
「アリスティードと通信魔道具を繋げていただきたいのですが……」
「分かってるよぉ」
寝転がったまま、ルルが空間魔法から通信魔道具を取り出し、パカリと開ける。
魔力を通して呼び出しをすると、ややあってお兄様の姿が映し出された。
「オレだよぉ、オレ〜」
【ルフェーヴル? ……何をやっているんだ?】
「リュシーに膝枕してもらってる〜」
呆れた顔のお兄様に、ロイド様が声をかけた。
「アリスティード、急にごめんね。鉱山の立ち会い調査でちょっと問題があって、目的の鉱物は採れそうだけど……リュシエンヌ様が鉱山の壁やボタ山に触れたら、金色に輝いたんだ」
ロイド様が簡単に鉱山での出来事を説明すると、お兄様が思案顔で目を伏せた。
【輝いた? それはまさか……いや、なるほど、そういうことか】
何やら納得した様子で頷き、お兄様が顔を上げる。
「その場にセクストン子爵と管理官、鉱夫のまとめ役が一人いてね、リュシエンヌ様について説明しなければ話が進まなくて。出来れば夜のうちに陛下からご許可をいただきたいんだ」
【分かった。すぐに父上に訊いてみよう。返事はロイドの通信魔道具に入れる】
「うん、そうしてもらえると助かるよ」
お兄様とロイド様はそれだけで話が通じたようだ。
「じゃあ、そういうことで〜」
と言うルルに、お兄様が返事をする。
【せめて起き上がってから繋げ】
「ええ〜? だってオレが話すわけじゃないしぃ」
ソファーからはみ出た足をルルがぶらぶらと揺らす。
お兄様には見えていないだろうけれど、体の動きで何となく伝わったらしい。
【まったく、伯爵家当主という自覚はないのか? もう少し威厳というものを──……】
「名前だけの伯爵だからいいんだよぉ。話は終わったんでしょぉ? じゃあね〜」
【人の話を──……!】
お兄様が喋っている途中で、ルルがパチンと通信魔道具の蓋を閉めて強制的に通信を切った。
それにロイド様が困ったように微笑んでいる。
「ルル、たまにはお兄様の話を聞いてあげてもいいんじゃないかな?」
「どうせ説教だからいいんだよぉ。アリスティードって義父上に見た目はそっくりだけどぉ、真面目すぎるんだよねぇ。義父上ならこれくらい笑って流すのにさぁ」
通信魔道具をポイと空間魔法に投げ入れ、わたしの手にルルが頭をこすりつけてくる。
……もう、かわいい仕草で誤魔化そうとして。
それでもルルがかわいいのは事実なので、その頭を撫でる。
ふわふわで触り心地の良いルルの髪を手櫛で撫でつつ、ロイド様に訊く。
「それで、ロイド様もお兄様も何が分かったんですか? わたしが触った壁やボタ山が突然光り出したあの現象……魔法というわけではないですよね?」
たとえ魔法式があったとしても、魔力のないわたしが触れても魔法は発動しない。
「うん、魔法ではないよ。……リュシエンヌ様は女神様の加護を授かっているよね?」
「はい」
「多分だけど、今回の光はそれが原因じゃないかと僕は考えているんだ。たとえば、女神様がリュシエンヌ様の鉱山に記念硬貨を作るために必要な鉱物があると、あの光で教えてくださった……なんてこともありえると思わない?」
ロイド様の言葉を否定する要素はどこにもなかった。
あの時の感覚は、初めて洗礼を受けた時やルルと婚姻した際に受けた祝福の時と同じだったから。
……ああ、そっか。ロイド様には加護の話はしてあるんだっけ。
随分前にお兄様から「教えてもいいか?」と訊かれ、頷いた覚えがあった。
お兄様の側近であり、右腕でもあるロイド様は知っておくべきことだ。
「オレもそう思うんだよねぇ。さっき、女神サマの気配を感じたしぃ?」
「女神様の気配、ですか……?」
「そぉそぉ。オレが隷属魔法でぶっ倒れた時に感じたのと、同じ気配がしたんだよねぇ」
ロイド様が一瞬、押し黙った。
「色々と訊きたいことがありすぎて、何から問えばいいのか……」
「別に気にしなくていいよぉ。それより、アレは女神サマが気を利かせて教えてくれたんじゃなぁい? 調査が楽になって良かったねぇ」
「いえ……調査団にはさすがに伝えられないので、普通に調査はすることになるでしょう」
「あ〜、まあ、それもそっかぁ」
頭が痛いといった様子のロイド様に対し、興味がなさそうにルルは自分の爪を眺めている。
わたしが壁に触れた時に光ったのは女神様の加護に関係するかもしれない。
そうだとしたら、確かにセクストン子爵や管理官、ドルッセルさんには勝手に説明出来ないだろう。
……だからお兄様経由でお父様に許可を求めたんだ。
「説明のためとはいえ、セクストン子爵達に加護の話をすることになってしまうけど、リュシエンヌ様は大丈夫? もちろん説明する時は全員、誓約書に同意してもらうと思うよ」
「お父様とお兄様が問題なしと判断するなら大丈夫です」
「……リュシエンヌ様は相変わらずおおらかだなあ」
ロイド様が苦笑して、ルルが小さく笑う。
「そこがリュシーの良いところだよぉ」
「確かにそうかもしれませんね」
二人のどこか含みのある言葉に、わたしは首を傾げた。
「だって、わたしが一番大事なのはルルですから」
お父様もお兄様も大好きだし、リニアお母様やメルティさん、屋敷のみんなも好きだけど。
でも、わたしにとっての一番はいつだってルルだから。
「ルルと一緒にいられるなら何だっていいです」
* * * * *
ロイド様が出ていった後、わたしの膝からルルが起き上がり、少し乱れた髪を手櫛で整えた。
それから、首を左右に動かして体を解す。
ルルは髪を短くしてから、時々、確かめるように大きな手で自分のうなじを触れる。
その仕草を見ているとルルと目が合い、フッとルルが笑う。
「リュシー、この後、出掛けよっか?」
「うん……?」
今日のルルは随分と一緒に出掛けたがる。
それはとても嬉しいが、なんだか今は妙に機嫌が良い。
ヴィエラさんとメルティさんが動き、外出の用意を手伝ってくれる。
何故かメルティさんが旅行カバンの一つを抱えて出ていった。
「出掛けるって、どこに行くの?」
「ん? あ〜、今日だけ外泊しようと思ってねぇ」
「街の宿に泊るってこと?」
「そうだよぉ。でも、これ以上は秘密〜。全部教えちゃったらつまらないからねぇ」
唇に人差し指を当て、ルルが微笑む。
その楽しそうな表情に、それ以上訊くことは出来なかった。
ルルのエスコートで玄関に向かい、外に停められた馬車に乗り込む。
馬車は街に出て、領主の館から離れ、鉱山に近いほうにある大きめの建物の前に停まった。
ルルの手を借りて馬車から降りて建物の中に入る。
なかなかに綺麗な宿だが、とても静かだった。
「予約していたニコルソン伯爵だ」
ルルが受付で声をかけると、宿の従業員だろう女性が一礼し、鍵を一つ差し出した。
それをルルが受け取り、そのままヴィエラさんに渡してしまう。
そうして、ヒョイとルルに抱き上げられる。
「わっ?」
ルルの首に腕を回して掴まれば、ルルがニコリと微笑んだ。
受付にいた女性が「ごゆっくりお過ごしください」とだけ言った。
顔を動かしたルルが何かを見つけたように視線を止め、そして、歩き出す。
背が高いからか、ルルは一歩が大きいので歩くとなかなかの速度がある。
後ろにメルティさんがついてきて、ルルが両開きの扉の前で立ち止まり、メルティさんが扉を開けた。
ふわりと漂ってくる不思議な匂いを嗅いでいるとルルが笑った。
中に入るとメルティさんが外から扉を閉めた。
椅子に降ろされて、周りを見回す。
「……浴室?」
「うん。ここは温泉が引かれてる宿なんだってぇ」
「えっ、温泉!?」
思わず顔を上げればルルに頷き返される。
「前に来た時、入りたいって言ってたでしょぉ?」
領主の館には広い浴室と風呂があるものの、温泉ではなかった。
なので、今生初の温泉である。
ルルがわたしの足から靴を脱がせる。
「せっかくだから一緒に入ろ〜?」
「うん、入る!」
ルルの手を借りてドレスを脱いで、下着になってから、ルルも自分の服を脱ぐ。
下着も脱いでタオルみたいな大判の布を体に巻く。
ルルも腰回りに、わたしが使っているものより小さい布を巻いた。
服を脱ぐと筋肉質な体がよく分かる。ルルの背中を見るのが実は好きだ。
振り向いたルルが目を細めてニッと笑った。
「リュシーっていっつもオレに見惚れてるよねぇ」
「ルルがかっこいいから仕方ない」
「オレの奥さんもすごく綺麗だよぉ」
手を繋ぎ、二人で隣室に続く曇りガラスの扉を開けた。
大きな円形の浴槽が床にあり、掛け流しの湯が流れている。
領主の館の浴室に似ているが、丸い天窓があって、そこから柔らかな夕日が差し込んでくる。
温泉独特の硫黄のような匂いがして温かな空気に包まれる。
「コッチで体洗ってからだねぇ」
促されて、ルルについていく。
陶器の小さな椅子が二つあり、二人でそれぞれに腰掛ける。
掛け流しの湯が木製の軽い桶に常に流れ落ち、なかなかに贅沢だった。
ルルが空間魔法から、いつも屋敷で使っている髪洗い用の石鹸などを取り出した。
「オレが洗ってあげる〜」
と言われ、ルルに任せた。
目を閉じると髪にお湯がかけられ、丁寧に髪を洗い、髪洗い用の石鹸をルルが泡立てる。
……いつも思うけど、ルルって石鹸をすごく泡立てるんだよね。
面白がっているというのとは何か違うようだが。
「ねえ、どうしてそんなに石鹸を泡立てるの?」
わたしの質問にルルがキョトンとした顔をする。
「え? 泡立てたほうがリュシーの髪とか肌が傷付かないって、侍女達が言ってたからだけど〜?」
「……それにしては泡立てすぎじゃない?」
ルルの手の中にある泡の塊を見れば、ルルも自分の手を見下ろした。
「リュシー、ふわふわ好きでしょぉ?」
「うん、好き」
「ふわふわで気持ちいいほうがいいじゃん? ……髪洗うよ〜」
言われて、ルルに背中を向ける。
頭にもふっと泡がつけられる感触があった。
その泡で丁寧に、優しく、髪や頭皮が洗われる。
わたしは髪が長いから大変だろうに、ルルは毛先までしっかりと洗ってくれた。
「お湯かけるよぉ」という声に両手で顔を覆うと、優しくお湯が頭にかけられる。
そうやって頭を洗った後、慣れた手つきで髪がまとめられて、布で頭を覆われる。
次に顔や体用の石鹸を同様にすごく泡立て、まずは顔、それを流したら布を外して体というふうに順に洗われていく。わたしはドキドキするのに、こういう時のルルは結構真面目で、そういう雰囲気にはならない。
よく分からないが、ルルの中で何かしらの線引きがされているのだろう。
手や足の指の間まで丁寧に泡で洗い、お湯で流す。
布をもう一度巻くとルルが頷いた。
「先にお湯に入ってて〜。オレも洗ったらすぐ行くからぁ」
という言葉に頷き、足元に気を付けながら浴槽に向かう。
まず屈み、浴槽の縁に手を置きつつ滑らないように注意しながら縁に座り、お湯に足を浸す。
それから、ゆっくり腰を動かして湯船に入る。
縁は階段上になっていて、二段あり、一段目に座ると太ももが浸かるくらい、二段目でお腹と胸の間くらい。最後の床に座ると多分、肩まで浸かれるのだと思う。
とりあえず、のぼせてしまわないように一段目に座り、半身浴を楽しむ。
ルルを見れば、手早く髪や体を洗っていた。
……髪が短くなってからは洗うのも楽そうだなあ。
最後にザバァッとお湯を頭から被り、少し頭を振って、前髪をかき上げる。
この時くらいしかルルのオールバックは見られないので貴重である。
腰に布を巻き直したルルが振り向き、立ち上がってこちらに歩いてきた。
わたしの横にルルが座る。
「ルル、珍しいね。お屋敷以外では無防備になるの、嫌がるのに」
「まぁね〜。今日はこの宿を貸し切ったしぃ、子爵夫人にオネガイして女性騎士だけ集めてもらったからさぁ、宿の警備がかなり厳重だよぉ」
「そうなんだ? ……なんで女性騎士だけ?」
ルルに腰を抱き寄せられる。
「リュシーのかわいい声を他の男に聞かせたくないからねぇ」
……それって、つまり、そういうつもりで宿に泊まるってこと!?
多分、子爵夫人はそれを理解して女性騎士を集めてくれたはずだ。
そう思うと顔から火が出そうなほど気恥ずかしく感じた。
「リュシーはいつも恥ずかしがるよねぇ。夫婦なら普通のことなのに〜」
「それは……そうだけど……だって、そんなこと、他の人に知られるのは恥ずかしいよ」
「だから、今日は男騎士達には夕方以降は休暇を与えたんだよぉ」
……いつの間に。
ルルは行動力があるから、何か思い立つとすぐに実行する。
そういうところは尊敬するし、行動して成功させちゃうところもすごいし、それをわたしに悟らせないように出来るのが驚きだ。ほぼ一緒にいるはずなのに。




