療養所 / 味見
ルルとシャーベットを食べてゆっくり過ごした後、わたし達は療養所に向かった。
前回同様、馬車が街外れに出て、それなりの大きさの教会に到着する。
辺りは相変わらず静かで、馬車から降りて教会を訪ねるとすぐに年嵩の司祭様が出てきた。
わたし達を見ると司祭様は深々と頭を下げる。
「お久しぶりでございます。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
司祭様の表情は以前より、少し穏やかになっていた。
病気の原因が分かったからだろうか。
「子爵様よりお話は伺っております。さあ、こちらにどうぞ」
と促されて、教会に併設された療養所に行く。
…………?
療養所に近づくにつれて、何かが微かに聞こえる。
それは人の話し声のように感じられるが……。
司祭様が扉を開け、療養所に入ると、その声は更に大きくなっていく。
コンコン、と司祭様が扉を叩き、それからゆっくりと扉を開けた。
途端に賑やかな声が聞こえてきた。
「俺の上がりだな」
「またお前の一人勝ちかよ」
「あははは、お前達が弱すぎるんだ!」
「おい、もう一勝負するぞ!」
以前来た時は誰もがベッドに横たわり、動く気力もなく、静寂に包まれていた。
しかし、扉の向こうでは、鉱夫だっただろう老齢の男性達が楽しそうにカードゲームに興じたり、お喋りをしたり、楽しそうに過ごしている。
それに司祭様が苦笑した。
「皆さん、あまりご無理をすると体に良くありませんよ」
「大丈夫だって、ちゃんと休む時は休んでるさ」
「むしろ、動かないほうが体に悪いだろ?」
明るい表情の彼らに司祭様が「ほどほどにしてくださいね」と言う。
わたしが呆気に取られていたからか、司祭様が扉を閉めた。
「……あの、今の方々は以前……」
……寝たきりだった人達、だよね?
わたしの言葉に司祭様が頷いた。
「ええ、彼らは原因不明の病に体を蝕まれていました。しかし、鉱山から出る有害物質によって体調を崩していることが分かり、少しずつ、治療についても変わってまいりました」
司祭様の話では、治療と言ってもあくまで『苦痛を和らげるだけ』らしい。
鉱山から出た有害物質を体に取り込んで、体の内側から傷付き、内臓の機能などが落ちてしまっているのは治癒魔法でももうどうしようもない。
ただ、体から有害物質を取り除き、口にする食べ物や飲み物に気を付け、痛み止めの薬や治癒魔法を使うことによって彼らの苦痛が減り、動けるようになったそうだ。
以前は静かだった療養所も、今では毎日賑やからしい。
耳を澄ませば、他の扉からも人の話し声らしきものが聞こえてくる。
「確実な治療法はまだ見つかっておりませんが、それでも、彼らは最後まで人としての尊厳と喜びを感じながら余生を過ごすことが出来るようになりました。動くことも出来ず、ただ苦痛の中で死を待つ……そんな絶望がここからは消えました」
司祭様に促され療養所の応接室に案内される。
他の部屋とは少し離れているからか声は聞こえないけれど、以前来た時に感じていた陰鬱で重苦しい空気はなくなっていた。
ソファーにルルと共に座れば、司祭様も向かいのソファーに腰掛ける。
「治療についてはセクストン子爵様だけでなく、国からも優秀な医師を派遣していただき、この療養所もこのように明るい声の響く、穏やかで良い場所となっております」
「そうなのですね……」
……でも、治療方法はまだ見つかってない。
あんなに楽しそうにしていた人達も、有害物質によって傷付けられた体は治らない。
思わず俯いたわたしに、司祭様の優しい声がかけられる。
「奥様、そのようなお顔をなさらないでください。……苦痛の中でただ死を待つよりも、ああして最期の時まで自分らしく過ごすことが出来る。彼らにとってそのことは救いとなるのです」
「……つらく、ないのでしょうか……?」
「人はいつか死ぬものです。この街の者達からすれば鉱夫の病は身近な存在であり、鉱山で働くことで寿命が短くなると知っていて──……それでも、彼らは己の仕事に誇りと責任を持っています」
横にいたルルに抱き寄せられる。
「本人達も同情なんて望んでないよぉ。それより、自分達が掘り出した宝石とかを見て誰かが感動したり、大事に使ったりしているほうが嬉しいんじゃなぁい?」
「ええ、ええ。その通りです。皆が命を懸けてこの世に送り出したものですから。たとえ己が死んだとしても、彼らが掘り出した宝石や金銀はいつまでも残り、彼らがいた証となるでしょう」
ルルの言葉に司祭様が微笑み、頷いた。
……鉱夫の命は拾った金貨よりも軽い。
しかし、その命を懸けてこの世に送り出したものは長く残る。
それが鉱夫にとっての誇りなのだろう。
たとえ自分が死んでも、自分が生きた証はこの世界のどこかに残る。
だから鉱夫達は命を懸けるのだと言われると、ロマンがある。
わたしのこの気持ちは『可哀想』というもので、でも、彼らからすればそれは誇りを傷付けられるようなものかもしれない。誰かの傷に寄り添うことと、同情することは違う。
「……それは素敵ですね」
ルルが言う通り、鉱夫となるのを選んだのは彼らだ。
だから『可哀想』と思うのはわたしの自己満足な考えなのかもしれない。
「リュシーは気にしなくていいんだよぉ」
ルルの言葉に、わたしは顔を上げて頷いた。
「うん……分かった」
わたし達の選んだ道があるように、鉱夫達にも選んだ道がある。
それに、今の彼らは確かに幸せそうだった。
最期まで自分らしくいられることが、きっと嬉しいのだろう。
「それでも、彼らがああして笑顔を取り戻せたのは、ニコルソン伯爵夫妻が原因を見つけ出してくださったおかげです。この街に生まれた者の一人として感謝いたします」
深々と頭を下げ、そして顔を上げた司祭様の表情はとても穏やかなもので。
わたしを気遣ってくれる優しさを感じた。
「こちらこそ、ありがとうございます。皆様の明るい声を聞けて……今回、ここにまた来ることが出来て良かったです」
今はそれだけで十分だと思うべきだ。
* * * * *
療養所からセクストン子爵邸に帰る馬車の中。
ルフェーヴルの腕の中で、リュシエンヌが車窓に目を向けている。
療養所までの道ではどこか気落ちした様子だったけれど、鉱夫の姿を見て、司祭と話をして、リュシエンヌの中で上手くこの件の折り合いがつけられたらしい。
午前中はどこか陰のあった横顔も今は普段通りに戻っていた。
「リュシー」
名前を呼べば、リュシエンヌがすぐにこちらに顔を向ける。
「なぁに、ルル?」
見上げてくるリュシエンヌに口付ければ、間近で琥珀の瞳が煌めいた。
……やっぱり綺麗な色だねぇ。
この国の歴史の中で長く受け継がれてきた琥珀の瞳は、金ともオレンジとも異なり、美しい。
初めて出会った時のどこか陰を感じさせる瞳も嫌いではなかったが、リュシエンヌには笑顔が似合うし、この瞳が光に当たって煌めくほうがより綺麗だった。
ルフェーヴルが突然口付けても、リュシエンヌは素直に受け入れている。
警戒どころか、驚きで緊張することもなく、琥珀の瞳が瞼の裏に消える。
安心した様子で身を預けてくるリュシエンヌがかわいい。
唇を離せば、甘えるように頭を擦りつけてくる。
馬車の中には兄弟弟子がいるけれど、目を閉じて気配を消していた。
「……ルル、嬉しいけど、あんまりされると色々、ぶわーってきちゃうから……」
リュシエンヌの言葉にルフェーヴルは首を傾げた。
「ぶわーってなぁにぃ?」
時々、リュシエンヌはこういう表現をする。
感覚的すぎて、適切な言葉で表せないのかもしれないが、それが少し面白い。
俯いているリュシエンヌの顎に触れ、顔を上げさせれば、頬が赤くなっている。
間近にある琥珀の瞳は少し潤んでいた。
その琥珀の瞳が視線を泳がせ、キュッと目を閉じる。
「ル、ルルに触りたいし、触ってほしいって思っちゃうから……!」
言いながら、リュシエンヌは耳までほんのり赤くなっていく。
……オレの奥さん、かわいすぎる。
思わず、リュシエンヌにもう一度口付けた。
「……ルルの意地悪……」
唇が離れると赤い顔でリュシエンヌが呟く。
潤んだ琥珀の瞳に見つめられると、ルフェーヴルも色々と感じるものがある。
……なるほど、これが『ぶわーってくる』ってやつ〜?
リュシエンヌの頭を、髪を乱さないように気を付けながらよしよしと撫でる。
ムッとしていたリュシエンヌだが、頭を撫でるとへにゃりと嬉しそうな表情に変わった。
リュシエンヌはアリスティードや義父に頭を撫でられるのも好きだったが、ルフェーヴルが撫でた時が一番嬉しそうな顔をするので、つい何度でも撫でたくなる。
「ごめんごめぇん、リュシーがすっごくかわいいからさぁ」
「もう……わたしが我慢出来なくなって、ルルを襲っちゃったら困るでしょ?」
思わずその光景を想像して『むしろそれはご褒美では?』とルフェーヴルは思った。
恥ずかしがり屋なリュシエンヌが積極的になったら、ルフェーヴルは喜んで受け入れるだけである。
「ええ〜? オレは全然困らないしぃ、嬉しいけどなぁ」
そう返せば、威嚇のつもりなのかリュシエンヌが両手を上げ、指を少し曲げてみせる。
「襲っちゃうぞー! がおー!」
「わぁ、オレ襲われちゃう〜」
「食べちゃうぞー!」
と、その両手で抱き着いてくるリュシエンヌを抱き締め返し、二人で顔を見合わせて笑う。
向かいの座席にいる兄弟弟子から呆れた気配を感じたが、ルフェーヴルは気付かないふりをして、リュシエンヌをギュッと抱き締める。
「リュシーになら、いつ食べられてもいいよぉ」
それが比喩表現であったとしても、言葉通りであったとしても構わない。
リュシエンヌが望むならどんなことでもしたいし、叶えてあげたい。
ルフェーヴルに抱き着いていたリュシエンヌが少し体を離すと、ルフェーヴルの手を取った。
そうして、ルフェーヴルのその手首にかぷりとかじりつく。
驚くルフェーヴルを見て、悪戯が成功した子供のようなあどけない表情でリュシエンヌが笑う。
「ちょっとだけ味見しちゃった」
それに、ルフェーヴルはリュシエンヌにかじられたほうの手で顔を覆った。
……うちの奥さん、ほんと、かわいすぎて困る。
はあ……と深い溜め息が漏れる。触れている自分の顔が少し熱っぽい。
顔から手を外してリュシエンヌを見下ろした。
不思議そうな顔をしているリュシエンヌには、今、ものすごくルフェーヴルの欲望を煽ったという自覚はないのだろう。
暗殺者として己の感情を抑制する方法も、表に出さない訓練も、身に付けてきたというのに。
リュシエンヌといるとルフェーヴルはいつだって新しい自分に驚かされる。
……でも、それがまったく嫌じゃないんだよねぇ。
他の誰かに感情を揺さぶられるのは不愉快だが、リュシエンヌだと愉快で心地好い。
リュシエンヌがかじりついた己の手首にルフェーヴルも口付ける。
目を丸くするリュシエンヌに顔を寄せ、唇が触れるか否かの距離で囁く。
「味見だけでいいの?」
煽り返すとリュシエンヌの顔がブワリと赤く染まる。
顔を離せば、物欲しそうな視線が追ってくる。
リュシエンヌを引き寄せ、ドレスの襟を少し捲って肩に噛み付いた。
わざと跡が残るくらいのやや強めな力で噛めば、柔らかい肌には簡単にルフェーヴルの歯形が残る。普通にしていれば見えない場所だが、脱げば確実に見える。そんな位置だ。
「オレはもっと欲しいけどね」
だが、リュシエンヌの気持ちも分かる。
セクストン子爵家に泊まっているので、夫婦の営みを行えば、当然だが部屋を整える使用人達には気付かれる。子爵夫妻にもそれは伝わるかもしれない。
屋敷に引っ越した当初は使用人達──侍女達は別だが──に汚れたシーツなどを見られるのを恥ずかしがっていたから、今回も同じような理由なのだろう。
そういうところが、やはりかわいい。
ちゅ、と歯形に口付け、ドレスの襟を整えてやる。
「でも、午後のことを考えたらオアズケかなぁ」
既に予定が決まっており、ここでリュシエンヌを抱き潰せば予定が崩れる。
その理由を伝えなくてはならないし、そんなことになればリュシエンヌは恥ずかしさのあまり不機嫌になってしまうかもしれない。不機嫌なリュシエンヌもかわいいが本気で嫌がることはしない。
……それに、立ち会い調査の後には『ご褒美』もあるしねぇ。
今すぐリュシエンヌを可愛がりたい気持ちはあるが、時と場所を考える必要があった。
コホン、と兄弟弟子がわざとらしく咳払いをする。
「これ以上はお控えになったほうがよろしいかと。もうすぐ子爵邸に到着いたしますので、奥様の様子がおかしいと勘繰られる可能性がございます」
「分かってるよぉ」
リュシエンヌの額にそっと口付ける。
「続きはまた改めて、ね?」
赤い顔で、どこかぼうっとした様子のリュシエンヌが小さく頷いた。
その無防備な姿に、今すぐ可愛がれないのが残念だった。
* * * * *




