久しぶりの鉱山へ
お父様達と通信をしてから一ヶ月後。
そろそろ涼しくなり始めた秋の頃、お兄様から、ロイド様を含めた調査団がドランザークに出立したと連絡があった。
それから、わたし達も数日分の旅行の準備を整えた。
ルルも「仕事はとりあえず休みにしたよぉ」というわけで、いつでも行けるようにしていた。
それからまた一週間ほど後の夜、ロイド様から通信魔道具で連絡が入った。
いつもの通りルルが反応し、すぐあとに通信魔道具が震え、ルルがそれを手に取った。
「もしもしぃ? オレだけどぉ」
という、相変わらずな応答にロイド様の声が返事をした。
【ニコルソン伯爵……ですよね?】
どこか自信のなさそうなロイド様の声にルルが小さく笑う。
「そうだよぉ。ウェデバルドとの戦争の時も使ってたのに、なんでそんなに不安そうなわけぇ?」
【すみません、あの時に比べてかなり距離が開いているので本当に繋がるのか心配で……とにかく、繋がって良かったです】
通信魔道具越しでも、ロイド様が安堵しているのが伝わってきた。
「お久しぶりです、ロイド様。お元気でしたか?」
そう声をかけると通信魔道具から明るい声が返ってくる。
【久しぶりだね。僕もミランダも元気でいるよ。声の感じからして、リュシエンヌ様も元気そうで良かった。アリスティードから時々、話を聞くことはあったけど、こうして声を聞くと安心するね】
「そうですね。わたしもお兄様から時々、ロイド様のお話はうかがっています」
【今回は久しぶりにリュシエンヌ様に会えるから楽しみで……ミランダには羨ましがられたよ】
ロイド様の穏やかな声は幸せそうで、原作の腹黒さはかなり薄くなっているように感じられる。
……本当にみんな違う道を進んでいるんだあ。
それがなんだか嬉しかった。
【僕達は今日、ドランザークに到着したよ。問題なければ明日か明後日、こっちに来られるかな?】
ルルを見上げれば頷き返されたので、返事をする。
「わたし達も準備は済んでいるので、明日の午前中に向かいます」
「街から少し離れた場所に馬車ごと転移してから行くよぉ」
【分かりました。……それじゃあ、また明日】
「はい、また明日」
そうして、あっさりと通信が切れる。
ロイド様の魔力量だとこれが限界らしい。
ドランザークは王都から離れているため、仕方がないのだろう。
明日にはきちんと会えるので、それを楽しみにしておけばいい。
「リュシー、オレ達も今日は早めに寝よっかぁ?」
通信魔道具を片付けながら言うルルに、わたしは頷いた。
「そうだね。寝坊しちゃったら、ロイド様が困るし」
「リュシーは真面目だねぇ」
立ち上がり、戻ってきたルルと共に寝室に向かう。
……でも、きっと寝坊はしないかな。
久しぶりにドランザークの街に行けるのが楽しみだった。
* * * * *
翌日、朝食後に少し休んでからドランザークに出発となった。
護衛の騎士達の中には、以前も同行してくれたドランザークの街出身の人もいる。
……どうせ行くなら里帰りも出来たほうが嬉しいよね。
「あっ、セクストン子爵夫妻とバックル管理官にお土産を持って行ったほうがいいよね? どうしよう……今から王都に行ってお土産を買ってきたら時間がかかっちゃうかな……」
セクストン子爵はドランザークの街周辺の領地を任されている貴族だ。
ほんの少ししか関わる時間はなかったけれど、穏やかな子爵と物静かな夫人は優しく、前回行った時にはとても良くしてもらった。
「手土産なら用意してあるよぉ」
ルルが空間魔法から細長い箱を取り出し、わたしに差し出した。
受け取って「開けていい?」と訊くとルルが頷いたので、リボンを解いてフタを開ける。
そこには綺麗な琥珀色のペンが収められていた。
手に取ってみると、従来の羽ペンではなく、万年筆に近い。
「最近王都で流行ってるペンで、中にインクを入れて使えるんだってぇ。ペン先が折れやすいから扱いはちょ〜っと難しいらしいけどぉ、リュシーは書き物の時に何度もインクをつけてて面倒そうだったから買ってきちゃったぁ」
「……これ、わたしがもらっていいの?」
「もちろん。リュシーのために買ったんだよぉ。オレも揃いのやつ、持ってるしぃ」
と、ルルが空間魔法からもう一本ペンを取り出した。
そちらは淡い灰色をしていて、互いの瞳の色に合わせてあるのだと分かる。
「揃いのペンを夫婦で持つのが流行りらしいよぉ」
「そうなんだ。……ありがとう、ルル。大事に使うね」
「ペン先は交換出来るからぁ、傷んできたら言ってねぇ」
「うん……本当にありがとう。ルル、大好き」
箱をテーブルに置き、ギュッとルルに抱き着く。
ルルはペンを空間魔法に仕舞ったのか、両腕で抱き締め返される。
「ってわけだからぁ、心配しなくて大丈夫だよぉ。子爵達も管理官も手紙とか仕事とかでペンを使うだろうしぃ、こういう実用的なものなら嫌がられないと思うんだよねぇ」
「いつも思ってたけど、ルルはすごく気が利くよね」
「まあ、仕事柄ってやつかなぁ」
そんな話をしているとヴィエラさんに「準備が整いました」と声をかけられる。
ペンを机の引き出しに大事に仕舞ってから、ルルと共に屋敷の玄関に向かう。
ここから転移して行くとはいえ、表向きはドランザークまで旅をして到着したというふうにするため、馬車と荷馬車で向かう。荷馬車は食料品を少なくして、いかにも旅の間に減りました感を出すらしい。
そんな細かなところまでと思うが、ルルを含めた全員が『そうしたほうがいい』と言った。
ルルいわく「人間って細かな違和感ほど気付きやすいんだよぉ」だそうで、玄関から出ると停めてあった馬車はあえて少しだけ汚してあった。護衛の騎士達も鎧を磨かないでわざと『それっぽさ』を出している。
今回ついて来てくれる侍女はメルティさんとヴィエラさんだ。
クウェンサーさんとリニアお母様が見送りに出てくれる。
「リュシエンヌ様、ごゆっくりなさってきてください」
「うん。リニアお母様やみんなにお土産買ってくるね」
新婚旅行でのお土産はメルティさんに選んでもらったけれど、屋敷のみんなは喜んでいたらしい。
ドランザークの街なら、装飾品の類がお土産としていいかもしれない。
みんな、動きが制限されることを嫌うから、お土産についてはルルと相談しよう。
「それは楽しみです。奥様からいただけるものでしたら、どんなものでもこのクウェンサー、ありがたく頂戴いたします」
クウェンサーさんがわざとらしい仕草で胸に片手を当て、ニコリと微笑んだ。
ルルが何かを言う前に、ヴィエラさんの鋭い平手がクウェンサーさんの頬を打った。
音は派手だが、それほど力を入れていなかったようで、クウェンサーさんは全く痛がる素振りを見せずに叩かれたほほに手を当て──……なんだかちょっとだけ嬉しそうな顔をしている。
「まったく、あなたもいい加減にしたらどう? ……奥様、これに土産など不要でございます」
「もしかして嫉妬したのかい? 心配しなくても俺の一番は君だけだよ」
「私は奥様の御前を血塗れにしたくなかっただけよ」
ヴィエラさんが冷たく返すが、クウェンサーさんはニヤけている。
……何年経っても、この二人のやり取りはよく分からないなあ。
ルルも呆れた顔でクウェンサーさんに声をかける。
「どうでもいいけどぉ、屋敷のことは任せたよぉ」
「かしこまりました。……旦那様、奥様、行ってらっしゃいませ」
クウェンサーさんの言葉にわたし達は頷いた。
「リュシエンヌ様、一人で動き回ってはダメですよ? ……お気を付けて行ってらっしゃいませ」
心配そうなリニアお母様にわたしは笑った。
「うん、大丈夫。必ず、ルルかヴィエラさんと一緒にいるよ。それじゃあ、行ってきます」
「行ってくるねぇ」
わたしは馬車に乗り、その馬車のそばに立ったルルが転移魔法の詠唱する。
いつもより落ち着いた低い声に耳を傾けているうちに、馬車の下や馬に乗った騎士達の足元に大きく魔法式が浮かび上がる。
クウェンサーさんとリニアお母様がこちらに手を振ってくる。
わたしとルルも軽く手を振り、足元が光ると一瞬の浮遊感と共に視界が移り変わる。
森の中、街道から少し逸れた場所だろう。馬車の外には木々が生い茂っている。
ルルの下に騎士が来て、少し話をした後にルルが馬車に乗り込んできた。
「ここから少し走ればドランザークだよぉ」
だそうで、ルルがわたしの横に座った。
外では騎士達も馬に乗り、馬車がゆっくりと走り出す。
「ルル、お疲れ様」
ルルに抱き寄せられ、寄り添いながら車窓の外の景色を眺める。
それから一時間もしないうちに、本当にドランザークの街に到着した。
そこそこ高い外壁に囲まれた街だが、鉱山に繋がる辺りは外壁がなく、門で身分確認をするために扉を開けるとルルが小さく「相変わらず鉄臭いねぇ」と呟いていた。
わたしにはよく分からないが、ルルには感じ取れるらしい。
門を越えて街中に入り、馬車がゆっくりと街の中央にある領主の屋敷に向かう。
……以前よりも、街に活気が出てる気がする。
前に街を訪れた時、この街の人々は鉱毒によって苦しんでいた。
鉱山で働く人々だけでなく、街の人々までが水に含まれた鉱毒物質のせいで体調を崩し、命を落とすこともあった。原因が分かってからは、お兄様やお父様の主導で国内の鉱山やその周辺を調査し、少しでも被害を減らすように動いてくれた。
お兄様を通じて、定期的にセクストン子爵とバックル管理官からの手紙が届いており、少しずつだが鉱毒による被害は軽減し、鉱毒の被害者に対する治療なども行なっているという。
自分達の体調不良の原因が判明し、対策が取られたのだから、人々の表情が明るいのも当然だ。
……鉱夫の命は金貨よりも軽い、なんて言葉もいつか消えるといいな……。
馬車が屋敷に着くと、先に知らせを受けていたのかセクストン子爵とバックル管理官、そしてロイド様が出迎えてくれた。
大柄だけど物腰おだやかなセオドア=セクストン子爵と細身の静かなツェーダ夫人で、子爵はややくすんだ赤髪にくすんだ緑の瞳。夫人は金に近い柔らかな茶髪にダークブラウンの瞳だ。
その横に濃い灰色の髪に青い瞳をした痩せた男性──管理官が立っていた。
相変わらず神経質そうな顔立ちでメガネを押し上げている。
更にその横に、ロイド様がいた。久しぶりに見たロイド様は学院を卒業した時よりもずっと大人っぽくなり、でも、馬車から降りて目が合うとニコリと微笑み返してくれた。
その笑みは学院にいた頃と同じもので懐かしさが込み上げてくる。
「ニコルソン伯爵、伯爵夫人。ようこそ、お越しくださいました。お久しぶりでございます」
子爵の言葉にルルが頷いた。
「お久しぶりです。子爵も夫人も、管理官殿もご健勝そうで何よりです」
「全てはお二方のおかげです。鉱山問題について尽力してくださったおかげで、街はこうして活気を取り戻し、民の表情に希望の光が灯りました。私も妻も、以前にも増して体調が良くなり、毎日健康がどれほど素晴らしいことか痛感しております」
「私達は問題を見つけただけで、全ては陛下と王太子殿下の采配ですよ」
そう言って子爵と笑い合うルルの姿を、ロイド様が目を丸くして見ていた。
わたしは夫人と管理官と挨拶を交わし、視線をロイド様に向ける。
……もう、みんな原作よりも成長したんだなあ。
どこか感慨深く感じていれば、ロイド様が微笑む。
「リュシエンヌ様、お久しぶりですね。お二人の結婚式以来ですが、またお会い出来て嬉しいです」
「わたしもまたお会い出来て嬉しいです。先の戦争の際は夫が大変お世話になりました」
「いいえ、むしろ我々のほうがニコルソン伯爵に助けていただきました。……こうして、伯爵と夫人が並んでいる姿を見ると学生の頃を思い出しますね」
どうやらロイド様も懐かしい気持ちになっていたようだ。
それから、子爵に促されて屋敷の中に通され、応接室に案内してもらう。
ルルがいるからか、ヴィエラさんはついてこなかった。
応接室のローテーブルを囲むように置かれたソファーに、皆で腰掛ける。
「今回は新たな硬貨を作るために鉱物調査を行うとのことで、伯爵と夫人に立ち会いをお願いいたしたく思います。一応、私も立ち会いますが、最終的な判断は夫人にありますので」
「管理官として私も立ち会います」
子爵と管理官も立ち会うなら安心だ。
鉱山や鉱物について、わたしは全くの素人なので鉱山の状況などを聞いた上で判断したい。
ロイド様がわたし達のほうを向く。
「今回の流れについてはある程度の話はまとめてあります。鉱山内部は狭いので、まずは最低限の人数で確認を行い、その後に調査団が入ります。鉱物の採掘が見込めそうであれば夫人と子爵、管理官の同意を得て、硬貨に必要な鉱物の採掘もドランザークに任せる形になりますね」
「分かりました」
管理官がメガネを押し上げる。
「確認は明日の午後で問題ありませんか?」
「はい、大丈夫です」
「では明日の午後、よろしくお願いいたします」
「それまで、伯爵夫妻はごゆっくりお寛ぎください。ただ、街に出る際は警備にお気を付けください。……皆、お二方が体調不良の原因を突き止めてくださったことと知っているので、少し騒がしくなってしまうかもしれません」
苦笑した子爵に、ルルと共に頷き返す。
……午前中は街に出て、お土産を見て回りたいな。
それに療養所のことも気になっていた。
「街の皆さんの元気な姿を見たいので、そのほうが嬉しいです」
ここに来るまで、通りで見かけた人々の表情を思い出す。
あの明るく、幸せそうな表情がいつまでも続けばいいと思った。




