記念硬貨について
偽王女事件から少し経ち、わたしは二十一歳になった。
お父様とお兄様とは変わらず連絡を取っていて、最近は時々、お兄様の離宮にお義姉様も来て、一緒に話すこともある。
お義姉様にも通信魔道具を渡そうという話も出たけれど、お義姉様自身がそれを保留にした。
「そのような魔道具があると毎日のように連絡をとってしまいますわ。……それではお二人の邪魔になりますもの」
ということだそうで、お義姉様は通信魔道具を持っていない。
その代わり、たまにお兄様の離宮に来て、魔道具を使う時に顔を合わせている。
今日も、話している最中にルルがふと顔を上げた。
その仕草ももう見慣れたもので、ルルが立ち上がるのと、魔道具が震えるのはほぼ同時だった。
ルルが魔道具を手に取り、蓋を開く。
魔道具の上にお兄様の姿が半透明に浮かぶ。
「やっほ〜」
それに声をかけながらルルが戻ってきて、わたしの隣に腰掛けた。
【こんばんは、二人とも】
「こんばんは、お兄様」
社交シーズンになり、忙しいようで、お父様やお兄様からの連絡の間隔が以前より少し空いている。
でも、思ったよりか顔色が良くてホッとした。
【今日は父上も交えて話がしたくてな。時間は伝えてあるから、そろそろ連絡が来ると思うが──……】
お兄様が言っていると、また魔道具が震える。
ルルが魔道具の魔石に手をかざすと、上に向いていた光が二つに分かれてお兄様の横にお父様の姿も現れた。
【ああ、もうアリスティードは始めていたか】
と、お父様が微笑む。
【私も今かけたところです】
【そうか。……リュシエンヌとルフェーヴルは体調を崩していないか? ここ数日は特に夜も暑いから、昼間の散歩もほどほどにな】
「はい、暑くなってからは夕方にしています。お父様とお兄様も体調に気を付けてくださいね」
わたしが言うと二人が頷く。
【今日は大事な話がある。……来年、私は退位する】
お父様の言葉にハッと息を呑む。
まだお父様は四十代前半で、国王として退くには年齢的にも早い気がした。
【私があまり長く居座っていると、その分、アリスティードの在位期間が短くなってしまう。それに、私はクーデターを首謀した簒奪者だ。いつまでも国王の座にいるとしがみついているように見えるだろう】
お父様は国や民のためにクーデターを起こしたが、国王になりたかったわけではない。
元より、お父様はクーデターの後処理と国の立て直しをある程度済ませたら、お兄様に王位を譲る予定だったそうだ。
だからこれは予定通りのことなのだ。
【そうは言っても、王位を譲ってから数年は王都に残るつもりだ】
王位を手放すというのに、お父様は嬉しそうだ。
【父上が早く領地に戻れるよう、努力します】
【ああ。戴冠式もそうだが、お前が国王として公務に立つ姿を楽しみにしている。しばらくは相談役として過ごすが、アリスティードが国王の政務に慣れたらファイエット侯爵領に戻ろうと思う】
お父様の表情を見て、本当はファイエット侯爵領に帰りたかったのだろうと気付いた。
ファイエット侯爵夫人……お母様のお墓は侯爵領にあるそうで、お父様もお兄様もこれまでお墓参りに行けなかったらしい。
ちなみにファイエット侯爵領はわたしが所有する、ドランザーク鉱山からさほど離れていないから、いつか一度くらいは行けたらと思っている。
「お父様は今までとても頑張っていましたから、侯爵領に戻ったらゆっくり出来ますね」
【そうだな。あちらは代官に任せきりだったし、余生はのんびり領地で過ごしたいものだ】
お父様もそれを想像したのか表情は穏やかだ。
国王として、その重責に耐えるために努力し続けたのだろう。
けれども、その終わりが見えたことで少しホッとしているらしい。
お兄様の表情も柔らかい。
【譲位に合わせて、記念品を作ろうという話になってな】
確かに、お父様からお兄様に譲位するこのタイミングで何か出すのはいいだろう。
「記念品、いいですね」
「二人の像でも広場に建てるのぉ?」
ルルの言葉に想像してしまう。
広場にお父様とお兄様の像があって、通る人々が見上げていく。
……それはそれで悪くないかも?
しかし、お父様とお兄様は苦笑した。
【必要以上に像を設置するのは恥ずかしいな】
【確かに、像は少し恥ずかしいですよね】
旧王家の像を壊した後、いくつかの場所にお父様の像が設置された。
恐らく、お兄様が即位したら、その像も建てられるのだろう。
「何を記念に作るかもう決まっているんですか?」
わたしの問いにお兄様が頷く。
【ああ、記念硬貨を作る予定だ。まあ、かなり価値の高い硬貨になるから、平民の手には渡らないが】
「木製の価値のない飾り硬貨を安く売ったらいかがですか? 平民も手に入れられますし、来年だけ販売ということになれば飾り硬貨はお土産としてもよく売れると思います」
【……ふむ】
お父様が考える仕草をする。
木製なら、間違えて使うこともないし、本物より軽いので色を付けたところで触れば偽物だとすぐに分かる。
腐らないし、かさばらないから地方から来た人達もお土産にしやすいし、家に飾っておくのも話題になるだろう。
お父様が顔を上げた。
【それは良いかもしれないな】
【そうですね。高価なものだけでは民達の手には入りませんし、木製のものなら王都内の複数の店に許可証を出して作らせればいくつかの業種で雇用も収入も増えます】
【この案を採用しよう】
お父様とお兄様が頷き合う。
話が落ち着いたところでルルが口を開いた。
「それで〜? 譲位と記念硬貨の話をするために連絡してきたのぉ?」
ルルが肘掛けに頬杖をつく。
興味がないようで、その表情は暇そうだった。
【ああ、いや、この話が主ではないんだ】
お兄様がそう言い、お父様が本題に入る。
【記念硬貨を作るにあたり、その硬貨を作るための金属がほしくてな。国内の鉱山全てに調査官を派遣したいのだが、ドランザークの調査を許可してもらえるか?】
「はい、もちろん構いません」
【ありがとう】
お父様が微笑む。
【予定では私が大金貨、アリスティードが白金貨にするつもりだが、白金貨に使う複数の金属が採掘出来るか確認をさせてもらう。もし採れる場合はきちんと適正価格で買い取る】
それなら、鉱山側の不利益にはならない。
お兄様が【調査官だが……】と言う。
【ドランザークには、ロイドを派遣しようと考えている。出来れば鉱山所有者、つまりリュシエンヌに初期調査だけでも立ち会いをしてもらいたい。そうなると他の者では色々問題もあるだろう?】
「そうですね。ロイド様でしたら、わたし達のことも知っているので良いと思います」
出来れば、今は他の貴族に会いたくない。
結婚後のことをあれこれ訊かれるのも嫌だし、わたしと会ったことを吹聴されるのも嫌だ。
だが、そういう点ではロイド様なら安心だ。
……ロイド様に会うのは結婚式以来だなあ。
お兄様の離宮に行った時も会うことはなかった。
警戒していた最初の頃が懐かしくて、思わず笑みが浮かんだ。
「ロイド様と会うのは久しぶりなので嬉しいです。ミランダ様のこともお聞きしたいですし──……確か、お二人の間にはお子様がいらっしゃるんですよね?」
【そうだ。アルベリクと同じ歳の……いや、それ以上はロイドから聞くといい。妻子を溺愛しているからな。一言訊けば百返ってくるくらいの勢いだぞ」
「ふふっ、それは楽しみです」
お兄様の言葉に笑ってしまう。
ウェデバルドとの戦争で、ルルはロイド様とも会っているけれど「あいついたよぉ」程度の話で流されたので、実は気になっていた。
当初はルルも警戒していたけれど、今はもう気にしていないようだ。
ただ、ロイド様はちょっとだけルルが苦手らしい。
それを気付いた上でルルはロイド様をからかっていたが。
「じゃあ、あっちにも通信魔道具を持たせておいてよぉ。調査団がドランザークに到着したら通信魔道具でこっちに連絡入れてくれれば、転移魔法で行くからさぁ」
【分かった。……ロイドをあまりいじめるなよ?】
お兄様の言葉にルルが左右に小さく体を揺らす。
「ええ〜? オレは結構優しく接してるつもりなんだけどなぁ」
【お前のロイドに対する接し方は、猫がネズミで遊んでいる時のそれに近く見えるが?】
「さあ、どうだろうね〜?」
体を揺らし、楽しそうにしているルルにお兄様とお父様が呆れた顔をした。
……ロイド様、ルルのオモチャにされないといいけど。
学院の頃のルルとロイド様を思い出すと、お兄様の言葉を否定出来なかった。
* * * * *
義父とアリスティードとの通信を切った後、通信魔道具を片付ける。
ルフェーヴルはリュシエンヌと共にベッドに移動して、二人揃って寝転がった。
「……お父様とお兄様の記念硬貨、欲しいなあ……」
ぽつりとリュシエンヌが呟く。
「義父上とアリスティードなら、喜んでくれると思うよぉ」
「それはそうかもだけど……大金貨も白金貨も大金だよ? さすがに『欲しいです』『じゃああげます』とはならないと思う。……両替とかしてくれるかな?」
「オレは『二人とも渡してくる』に賭けよっかなぁ」
と言えば、リュシエンヌがおかしそうに笑った。
「賭けにするの? 当たったご褒美は?」
「『リュシーの一日独占権』をもらおうかなぁ」
「それだといつも通りだよ?」
リュシエンヌが小さくまた笑う。
ルフェーヴルは体を動かしてリュシエンヌのほうに向く。
「いつも通りがいいんだよぉ」
そのまま、リュシエンヌの額に口付けた。
本業を再開してから、最近、よく考えることがある。
もしも仕事の途中で自分が反撃され、殺されかけたとしたら、屋敷まで転移魔法で戻ってきてからどうやってリュシエンヌを殺すか。
リュシエンヌは細身だが健康体だ。
女神の加護のおかげもあり、風邪一つ引かないし、いつも元気で精神的にも強い。
以前リュシエンヌに話して用意した毒も、もしかしたらあまり効かないかもしれない。
どうすればリュシエンヌを苦しませずに殺せるか。
仕事の最中、ふとした瞬間にそんなことを考える。
別にリュシエンヌに死んでほしいと思っているわけではなく、暗殺者の己があと何年生きられるかと思った時に、そのことに思考が至るのだ。
出会った当初に『ルフェーヴルがリュシエンヌを殺す』と約束し、その後『ルフェーヴルが死にそうになったら先にリュシエンヌを殺す』と約束した。それは二人の何よりも大事な契約である。
隷属魔法をかけているが『裁きの首輪』をルフェーヴルが着けられたということは、今、胸に刻まれているこの魔法は本来の隷属魔法とは異なるものになっているのだろう。
かけたルフェーヴル自身、この魔法が一体何になったのか理解出来ていないが、大切なのは『これでもし互いに生まれ変わったとしても、ルフェーヴルはリュシエンヌが分かる』という点だけだ。
十六年も共に過ごしたのに、いざという時に頼れるのはたった一つの魔法しかない。
そう思うと出来るだけ長生きしたいような気がしてくるのだから、人生というのは不思議なものだ。
リュシエンヌを抱き寄せれば、ぴたりと身を寄せてくる。
「そうだね、いつも通りが一番いいね」
すり寄ってくるリュシエンヌがかわいい。
「でもさぁ、像はヤダって言ってたけど、硬貨も似たようなものだと思わなぁい? だって全員の手元に自分の肖像画があるようなもんでしょぉ?」
銅貨などの価値の低い硬貨にはないが、金貨には昔の偉人の横顔が描かれている。
大金貨と白金貨も恐らく、ベルナールとアリスティードの横顔となるだろう。
像を建てるより、硬貨のほうがルフェーヴルは落ち着かない気がした。
「でも、意外とお金を使う時ってそんなにまじまじとは見ないよね? 大きさとか色とかで大体判別して、そのままペイッと出しちゃうと思うけど……うーん……」
リュシエンヌが金に触ることは、これまでほとんどなかった。
まだ幼い頃に金の使い方を教えるために街に出て、その時に触れたものの、それ以降は数えるほどしか触っていない。ほぼ、ルフェーヴルが金を預かっていた。
リュシエンヌの場合はスリに遭っても気付かなさそうだから、という理由だった。
リュシエンヌ自身も「大金を持つのは怖い」と言って持ちたがらなかった。
「大金貨と白金貨は額がでかいから、そうはいかないんじゃなぁい? それに木製のやつは完全に飾り目的なんでしょぉ? かなり、まじまじ見ると思うよぉ」
「あ、そっか……」
納得した様子の相槌の後、ふあ……と欠伸の音が聞こえた。
最近は暑いので毛布は使っていないが、それでも、体を冷やすと良くないので薄手の上掛けをリュシエンヌごと自分にかける。
「とりあえず、今日はもう遅いし寝よっかぁ」
「うん……おやすみ、ルル……」
腕の中で既に眠そうなリュシエンヌの声がする。
リュシエンヌはどこでも眠れるし、寝付きもとてもいい。
その背中を優しく撫でながらルフェーヴルは返事をした。
「おやすみぃ、リュシー」
今夜も良い夢を、と願いながら目を閉じる。
ややあって、腕の中から聞こえてきた規則正しい寝息を子守唄に、ルフェーヴルも眠りについた。
* * * * *
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします( ˊᵕˋ* )
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