それぞれの思惑
* * * * *
ベルナール=ロア・ファイエットは息子のアリスティードと共に、グラスを傾けていた。
息子と酒を飲むことが出来るというのは、父親にとって嬉しくもあるのだが、今回はそれにじっくりと浸る気分にはなれなかった。
アリスティードもそうらしく、グラスの中身を一息で飲み干している。
それほど強い酒ではないが、一気に飲めば酔いが回るのも早いだろう。
「あまり飲みすぎるなよ」
ベルナールの言葉にアリスティードが頷いた。
「泥酔するほどは飲みません。でも、酔いに任せてしまいたい気分なのです」
「まあ、その気持ちは分かる」
今回の偽王女騒動でベルナールも色々と痛感した。
偽者の仕業だと分かっていても、それが娘であっても、国王として対応しなければならない歯痒さと苦悩。
リュシエンヌ本人は気にした様子はなかったが、牢に入れられて平気な者のほうが少ない。
アリスティードもルフェーヴルもどこか殺気立っており、解決したから良かったが、もしもリュシエンヌの疑いが晴れなければどうなっていたか。
何より『旧王家の血筋』の危うさは厄介だ。
クーデターより約十五年。
それだけの月日が流れても、旧王家の行いはいまだ多くの人々の記憶に傷跡を残している。
そして、良くも悪くも影響力が高い。
こんなことはあり得ないが、もしもリュシエンヌが『正統な血筋による王家の復権』を望めば、それに賛同する者と反対する者とで争い、内乱が起こるだろう。
民の大半は反対するだろうものの、貴族の中に己の利益や野心を優先して旧王家を支持する者が出ないとは限らない。
しかも、今回のようにファイエット王家を崩そうと考えた際、王家としても、ベルナールやアリスティードという個人としても、リュシエンヌは確実な弱点だ。
しかし、だからといってクーデターの時に殺すことは出来なかった。
リュシエンヌは旧王家の血筋を引き継いでいるものの、同時に旧王家の被害者でもあり、何の罪もなく虐げられ続けた幼い少女であった。
後に禍根を残すと理解していても処刑するのは躊躇われたし、琥珀の瞳を持つ以上は旧王家直系の血筋であることは明白で、どこかの家に預けるのも難しい。
虐げられ、人の温もりも知らないまま、幼い少女を幽閉するのも良心が痛んだ。
そしてルフェーヴルの申し出は、ベルナールからしても悪くない話だったのでリュシエンヌを引き取り、ルフェーヴルを婚約者としたが。
「リュシエンヌのためにも、新王家のためにも、これからも『リュシエンヌ=ラ・ファイエット』の名が表に出ないよう配慮しなければな」
ベルナールの言葉にアリスティードも頷いた。
「ええ、闇ギルドのほうにもその件で後日出向くつもりです。今後、リュシエンヌの名を騙る者やその情報を得ようとする者がいれば、こちらに連絡を取るよう頼みます。……下っ端とは言え、ギルド所属の者達も今回は関与しているので、そこをつつけば断られることはないかと」
「ヴァルグセインはあれでなかなかに計算高い男だ。国からの要請を拒絶して敵対するよりも、王家に貸しを作ったほうが得策だと分かっているさ」
闇ギルドの長、アサド=ヴァルグセインとベルナールはクーデター以前に何度か顔を合わせて話す機会があり、その後も実は手紙のやり取りは続いている。
そもそも、ベルナールはルフェーヴルの雇用主という立場を完全に失ったわけではない。
ルフェーヴル自身の許可を得て、その行動は大まかにだが定期的にギルドから報告を受けているため、ギルド長とは必然的に繋がりがある。
アサド=ヴァルグセインは断らないだろう。
第一、ルフェーヴルも今回の件で同じことをギルド長に要求するだろうから、あちらにとっては報告先が一つ増えるだけ。さほど手間ではないはずだ。
「リュシエンヌの名を汚そうとした者達はどうしますか?」
アリスティードの問いにベルナールは答えた。
「処刑は当然だ。公には出来ないため非公開だが、他の貴族達がおかしな考えを持たないように厳しく裁く予定だ。最低でも犯罪奴隷に落とし、労役を課した後に──……最終的な処罰を下す」
「甘い対応をすれば、第二、第三の似たような考えを持つ者達が出てくるかもしれませんからね」
アリスティードは情に厚いところがある。
しかし、今回は情けをかけないと決めたようだ。
いずれはこの国の王となる以上、時に非情な判断も下さねばならない時もあるが、その点に関して問題はないだろう。
「裁きについては父上にお任せします」
「ああ。貴族達がリュシエンヌを利用しようなどと思わないよう、こちらの意図が伝わるよう、きっちりやるさ」
クーデターにより王族達を処刑したが、まるで呪いかと思いたくなるほど、旧王家の影響力は残っている。
……それが消える日は来るのだろうか。
少なくとも、旧王家により家族や親族などを失った者達が生きている間は、民達の記憶から消えることはない。
そして、ファイエット王家は旧王家と違い、善良であることを心掛けなければならない。
リュシエンヌほど厳しい目は向けられないが、常に民はベルナールやアリスティードの行いを見ている。
……王となり、国のために尽くすと誓ったが。
ベルナールが願う国の未来にはまだほど遠い。
「それにしても、この酒は美味しいですね」
と、アリスティードが場を和ませるためか言う。
それに頷きながら、ベルナールもグラスに口をつけた。
ベルナールの代で望む国となれずとも、アリスティードや孫のアルベリク、そのまた子供達がベルナールの願いを引き継いでくれる。
国の行く末を思う気持ちはあるが、不安や心配などは感じなかった。
* * * * *
アサド=ヴァルグセインは通称『闇ギルド』と呼ばれ、表向きは何でも仕事を請け負う『便利屋ギルド』として活動するやや特殊なギルドの長を務めている。
他国にも闇ギルドがあり、そちらにも長がいるけれど、ファイエット王国内のギルドの最も上の立場なのはアサドであった。
本日はこの国の王太子、アリスティード=ロア・ファイエットがお忍びで来る予定だ。
恐らく、偽王女の件についての話だろう。
所属しているとは言え、ほとんど街のゴロツキのような荒くれ者達が今回の件に関わっていた。
場合によっては国と対立する可能性もあった。
アサドはファイエット王家と対立するつもりはないし、それによりルフェーヴル=ニコルソンという優秀な暗殺者の機嫌を損ねる気もない。
むしろ、王家とは良き関係を築きたいと思っている。
だからこそ王太子には誠心誠意、謝罪をしなければならない。
闇ギルドの本意ではなかったこと、王家と対立する気がないこと、今後は王族に関わる情報の取り扱いなど、話さなければならないことは多い。
コココン、と外から扉を叩く音がした。
アサドは机の上のベルを鳴らして立ち上がる。
一拍の後に外から扉が開かれる。
護衛のゾイが開けた扉から、王太子が入って来た。
護衛騎士はつけていないのか、それとも廊下に待機しているのか、どちらにせよ王太子が一人でこのような場所に来る度胸には感服する。
初めて顔を合わせた時は側近がいた。
しかし、今回は重要な話だから誰も連れていないのだろう。
こうして改めて見ると、王太子もなかなかの手練れだというのが分かった。
そして、足運びやふとした動きにルフェーヴルに似たものを感じるところからして、王太子はルフェーヴルとよく手合わせをしていたのかもしれない。
王太子の背後で扉が閉まる。
「お越しいただき恐縮です、殿下」
アサドが移動してソファーを勧めれば、王太子は一つ頷いて腰を下ろした。
その向かいのソファーにアサドも座る。
「まず、報告からしよう。偽の王女による誘拐事件は解決した。奴隷商の紹介と情報提供、感謝する」
「事件が解決したこと、私個人としても嬉しく思います。ルフェーヴルと伯爵夫人の疑いが晴れて何よりです。奴隷商と情報につきましては当然のことですので」
アサドは背筋を伸ばすと深く体を倒し、頭を下げた。
「当ギルドの者が偽の王女に加担したこと、申し開きもございません。全てこちらの監督不行届きです」
まさか、末端の末端がこのような大きな事件に関わっているとは思いもしなかった。
偽者であっても『王女』の情報について、もっと気を配り、ギルドに所属する者達の動きに目を光らせるべきだった。
……最近、気が緩んでいたのか。
今一度、ギルド内部の規律の乱れを正さねばならない。
「それに関しては私も似たようなものだ。貴族達から進言されるまで気が付かなかった。……頭を上げてくれ」
王太子の言葉にアサドはゆっくりと体勢を戻す。
内心で小さく息を吐いた。
アリスティード=ロア・ファイエットは情に厚く、民思いで真面目な王太子だと民の間では有名だが、やがて王位を継ぐ人間だ。優しいだけでは王は務まらない。
時には厳しく、しかし寛容さも必要で。
「今回はヴァルグセインに……いや、ギルド長に提案があって来た。まあ、わざわざ言わずとも貴殿なら察しているだろうが」
そういった部分をこの王太子は持っている。
アサドは微笑み、頷いた。
「王家は当ギルドとの協力関係を望んでおられるのですね」
「ああ、その通りだ」
王太子も頷き、足を組む。
肘置きに頬杖をつく姿は既視感を覚えた。
「具体的には王族に関する情報の収集と報告、王女リュシエンヌを含めた王族の情報管制、そして必要な時に必要な人材の供与。もちろん、これらにかかる費用だけでなく、仕事として報酬も支払おう」
その姿は国王ベルナール=ロア・ファイエットを思い起こさせた。
クーデター以前に何度か顔を合わせていたが、互いに歳が近いということや組織の長ということもあり、アサドは国王に親近感を持っていた。
国王とギルド長では身分も責任も異なるけれど、それでも、多くの者の命を預かり、率いていくという点では似たようなものではないか。
……次代の王家も安泰だろう。
簒奪者という汚名を被り、永遠に歴史に名を残すと理解した上で国王は行動を起こした。
その覚悟、国や民への献身は賞賛されるべきものだ。
「ああ、それから、そちらの事業についてはそのまま継続して構わない。王家や国の不利益とならない限り、我々は余計な口出しはしない。……どうだ?」
王太子は問いかけてくるが、答えは分かりきっていた。
「喜んでご協力いたします。当ギルドも私も、王家に叛意はございません。……必要とあればいつでも望むものをご用意させていただきます」
ギルドとしてもこれは良い機会である。
王家と繋がりを持つことで、表は王家が、裏は闇ギルドが仕切る形が王家の理解を得た状態で維持される。
「そうか」
王太子が満足そうに口角を引き上げた。
「話は変わるが、あれからルフェーヴルは来ているか?」
王太子の問いにアサドは首を横に振った。
「いえ、通信魔道具で『夫人と過ごしたいから最低でも半月は休む』と連絡はありましたが……」
「『休ませてくれ』ではないところがルフェーヴルらしいな」
どこか呆れたふうに王太子が苦笑する。
アサドとしてはルフェーヴルのそういった部分はわりと昔からあることなので、特に気にはしていない。
「彼は当ギルドの稼ぎ頭の一人ですから、ある程度は融通を利かせられますので。元より仕事を溜め込む質ではありませんし、復帰したらすぐに仕事をこなしてくれるでしょう」
優秀なルフェーヴルならさっさと仕事を終えて、空いた時間は妻と過ごそうと考えるだろう。
期日までに仕事が終わるのであれば、アサドが何か言うこともない。
「ルフェーヴルを信用しているのだな」
「ええ、彼とは長い付き合いですので」
「あいつにとっても信頼出来る相手がいるのは良いことだ」
王太子はルフェーヴルのことを気にかけているらしい。
妹が嫁いだからというだけでなく、もしかしたら、王太子にとってルフェーヴルはもう身内なのかもしれない。
……そうだとしたら、少し嬉しいものだ。
まだ十二歳だったルフェーヴルと初めて出会った時、彼はこの世の全ての人間を信用していない様子だった。
ルフェーヴルはいつだって一人で、誰かに頼ることもなく、心を許すこともなく過ごしてきた。
時が経つと少し性格は丸くなったものの、王女と関わるようになってからはより穏やかになり、他者との接し方も変わった。
「これからもよろしく頼む、ヴァルグセイン」
王太子が差し出した手に、アサドも己の手を重ねた。
その言葉は王家との件だけでなく、ルフェーヴルのことも示しているような気がした。
「こちらこそよろしくお願いいたします、殿下」
互いにしっかりと握手を交わす。
王太子が国王となる未来はきっと、そう遠くない。
この国がこの王太子の下でどうなっていくのか、アサドは楽しみであった。
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