リュシエンヌとリュシエンヌ?
貴族用の牢は思いの外、不便ではなかった。
窓がないのは少し窮屈さを感じるものの、トイレも浴室もあり、隣の部屋にはリニアお母様やメルティさんがいてくれるので不安はない。
ただ一つわがままを言えるのなら、ルルに会いたい。
触れて、抱き締めて、キスをして、ルルの温もりを感じたい。
そんなことを考えていると手が止まり、気付けばペン先から紙に大きくインクが滲んでしまっていた。
慌てて紙からペン先を離してももう遅い。
……ルル、今頃どうしてるのかなあ。
ペンを置き、書き損じの紙をぼんやり眺める。
しばらくそうしていたけれど、このまま魔法についてあれこれ考えることも出来なくて椅子から立ち上がった。
「体操でもしよっ!」
こういう時は体を動かしたほうがいい。
背筋を伸ばしているとコンコンとノック音がした。
振り向けば、隣室に続くガラス窓からお父様がこちらを覗き込んでいた。
「リュシエンヌ、アリスティードとルフェーヴルが偽者を捕縛した。これから貴族達と共に報告を聞く。リュシエンヌが本物であると皆に理解させるためにも、来てもらえるか?」
「はいっ!」
手櫛で髪を整え、ドレスのシワを直して扉に向かう。
外から扉が開けられて久しぶりに貴族牢を出た。
お父様が手招きをする。
「さあ、行こう。司祭も来てくれ。……ああ、侍女達はリュシエンヌの荷物をまとめておくように」
「かしこまりました」
リニアお母様達に見送られ、お父様と司祭様、それから騎士達と共に久しぶりに部屋を出た。
どうやら応接室の一つに向かっているようだ。
お父様が何も言わないので、わたしも黙って歩く。
……荷物をまとめておくって……。
色々と訊きたいこともあるけれど、それはルルやお兄様からの報告を聞いた後のほうがいいだろう。
応接室に着くとお父様が扉を叩いた。
中から「どうぞ」と声がして、お父様が扉を開けて応接室に入る。
わたしもその後に続くと、室内にはルルとお兄様、それから貴族達が数名いた。
貴族達からの視線を強く感じた。
そして、今すぐにでもルルに触れたかった。
お父様とお兄様を見れば頷き返され、迷わずルルに駆け寄り、抱き着いた。
「ルル……!」
「リュシエンヌ様」
ギュッとルルが抱き返してくれるのが嬉しい。
ルルの頬に手を伸ばし、その顔をしっかりと見る。
同じようにルルもわたしの頬を両手で包み、確かめるように、そっと額を合わせてくる。
触れ合った場所から伝わる感触や温もりに、安堵の溜め息が漏れた。
「リュシエンヌ様、少し痩せましたか?」
貴族達もいるからか、言葉遣いが他所行き用だ。
心配そうにルルに問われて苦笑した。
「そんなに変わってないと思うよ」
「そうですか? でも、いつもより手が冷たいですね。……あなたにまた触れることが出来て良かった」
「わたしも、ずっとルルに触れたかった……」
お互いにギュッと抱き締め合う。
お父様がわたし達の様子に苦笑しつつ、ソファーに腰掛ける。
「それでは、報告を聞こう」
お父様の言葉にお兄様が「はい」と返事をした。
「はい。まず、事の発端は各地で起った子供達の誘拐事件です。皆からの進言によりそれを知り、その調査を行うために──……」
貴族達から、子供の誘拐事件に王女が関わっているかもしれないと聞き、お兄様が主体となって調査を行った。
お兄様は変装し、奴隷商を通じて犯人だろう者達と接触を図る。
そして、わたしの偽者がいることを確認した。
そこから、あえて取引相手のふりをして会い、約束を取り付け、昨夜、もう一度接触した。
取引場所には攫われただろう子供達がおり、偽の王女もいて、わざと取引を行って罪が明白になったところで捕縛したそうだ。
それが大まかな流れらしい。
「この調査の間、ここにいる本物の王女はずっと貴族牢におり、司祭殿の監視の下で外界との接触は断たれていた。そして夫のニコルソン伯爵も、皆の知る通り『裁きの首輪』により私の支配下にあり、こちらも常に司祭殿が監視を行っていた」
わたしを抱き締めたまま、ルルが首元を見せた。
そこには確かに首輪が存在し、ルルの監査役だったのだろう司祭様とわたしの監視をしていた司祭様も同意するように頷いた。
教会という第三者がいる以上、貴族達も疑う気はないようだ。
「ニコルソン伯爵は私から一定以上の距離は離れられず、王女も誰とも連絡を取れない。つまり、王女とニコルソン伯爵が誘拐を主導するのは不可能に近い」
お兄様の説明に異議を唱える者はいなかった。
それから、貴族の一人が口を開いた。
「昨夜の捕縛作戦には私も同行しましたが、確かに、あの場には王女殿下と似た姿でその名を騙る者がおりました」
貴族達がジッとわたしを見た。
……わたしは王城の貴族牢にいた。
見つめ返すと、視線が合った彼らは礼を欠いたのを恥じるように目を伏せた。
「捕縛したのは偽者です。……これにつきましては説明をするよりも、実際に偽者を見ていただいたほうが早いかと思います」
「そうだな」
最初に口を開いた貴族の言葉にお兄様も頷いた。
それから、部屋の扉がノックされる。
お兄様が「入れ」と声をかけた。
扉が開き、騎士達と宮廷魔法士が誰かを連れて入ってくる。
その人物を見て、ハッと息を呑んでしまった。
チョコレートのようなダークブラウンに、金とは異なる琥珀の瞳。化粧のせいか性格がきつそうな印象を受けるものの、美人だと思わせる。前髪は真ん中で分け、後ろへ髪を流していた。
華やかなドレスと装飾品に身を包んだその人物は、わたしと似た顔立ち、年齢、背格好をしている。
……原作のリュシエンヌ!?
そこにいるはずのない人物がいた。
本物のリュシエンヌはわたしと同化し、わたし達は一人のリュシエンヌとなったはずだ。
一瞬、わたしは混乱してしまった。
……そんなはずない。わたしの中にリュシエンヌはいる。
だがそれは相手も同じだったらしい。
騎士達に引っ立てられて入って来たリュシエンヌは、わたしを見て驚愕の表情を浮かべた。
「そんな、どうして……っ?」
リュシエンヌの口元が戦慄いた。
「原作と全然違うじゃない……!!」
その言葉に体が強張った。
……まさか、この偽者も転生者なの……?
呆然としているとお兄様が言う。
「この通り『本物』と『偽者』は顔立ちや背格好などは似ているが、全く違う」
貴族達はわたしと偽者とを交互に見た。
いくらあまり関わりがないと言っても、自国の王族の顔くらいは覚えているだろう。
そして、わたしと偽者は似ていても、雰囲気や目付きなどが明らかに異なっていた。
わたしと関わりの少なかった貴族でも見比べれば、どちらが本物かは一目で分かる。
宮廷魔法士がリュシエンヌに手を翳し、魔法を発動させると、その手がネックレスの前で止まった。
「幻影魔法が付与された魔道具を所持しています」
「外せ」
「かしこまりました」
騎士達に拘束されているリュシエンヌの首から、宮廷魔法士が赤い宝石のネックレスを外した。
すると、リュシエンヌの姿がぼやけ、ドレスを着た別の女性が姿を現した。
やや赤みのあるブラウンの髪を緩く首の後ろでまとめており、赤いつり目の、気の強そうな顔立ちの女性だった。
見覚えのない顔にわたしは戸惑った。
この国の貴族の夫人や令嬢を全て知っているとは言えないが、王女としてそれなりに顔は広いつもりである。
けれども、全く記憶にない人物だった。
少なくとも、わたしの知り合いではない。
お兄様も女性を見て眉根を寄せた。
「貴様は何者だ?」
しかし、女性は唇を噛み締めて押し黙る。
お兄様が小さく息を吐くと宮廷魔法士に声をかけた。
「『裁きの首輪』の用意を」
それに女性が顔を顰め、口を開いた。
「私には既に隷属の魔法がかけられている。……話せることなど、何もない」
隷属魔法はかけた本人の魔力、もしくは血がなければ解除することは出来ない。
恐らくだが、隷属魔法の主人のことも、何故このようなことをしたのかも話さないだろう。魔法によって口外することを禁止されている可能性が高い。
「そうでなかったとしても話すつもりはない」
それにお兄様だけでなく、お父様や貴族達も難しい顔をした。
ふとルルが動かないことに気付いて見上げると、ルルは女性をジッと観察するように眺めている。
女性も、ルルの視線に気付いて顔を上げたが、目が合うと逃げるように視線を逸らした。
理由は分からないがルルのことが苦手らしい。
わたしに気付いたルルがふっと微笑んだ。
「少し離れてもよろしいでしょうか?」
「あ、うん」
そっとルルがわたしを解放した。
そうして、ルルがお兄様に歩み寄る。
「隷属魔法でしたら何とか出来るかと」
「何? では、解除出来るか?」
「それは難しいですね。殿下もご存じの通り、隷属魔法の解除には、主人の魔力か血が必要です。しかし──……」
ルルが女性に振り向く。
大股で近づき、その頭を手でわし掴みにした。
「上書きは可能なのですよ」
ルルが詠唱を行い、女性が逃げようと暴れたが、騎士達が両側から押さえて動けないようにした。
女性が呻き、膝をつくと、足元に魔法式が展開される。
ルルの胸に刻まれている魔法式に似ているものの、それよりももっと複雑で、どこか禍々しい。
魔法式が輝き、女性が叫んだ。
「あぁああああっ!!?」
痛みのあまりといった様子の声が響く。
ルルは微笑んだまま魔法を続け、そして手を離した。
光が収まると女性の体からぐったりと力が抜ける。
「上書きが出来ました」
「どうやってそんなことが……?」
お兄様の問いにルルは何てことないふうに言う。
「隷属魔法は、それをかけた者よりも魔力量の多い者が重ねがけすると、より魔力量の多い者のほうに命令権や所有権が移るのです。以前、隷属魔法を解析したことがあるのですが、その時に気付きました」
……それってすごい発見では!?
荒い息をする女性の顎を掴み、上を向かせると、その首には刺青のように黒い魔法式が描かれていた。
しかし、恐らくこんなことはルルにしか出来ない。
隷属魔法をかける際、本来ならば複数人の魔法士で行うらしく、今のように一人で隷属魔法を使用出来るほどの魔力量を持つ者はまずいない。
複数人で隷属魔法を使用するのは、対象より必ず魔力量が多くなければかけられないか、かけても解除されてしまう可能性があるからだろうか。
ルルが女性の顎から手を離して『命令』する。
「『自死を禁ずる』」
女性が顔を上げてルルを睨んだ。
けれども、ルルはその視線を全く気にしなかった。
「何故、偽の王女となって子供達を誘拐した?」
「……」
お兄様の問いに女性がまた唇を噛み締めた。
「『王太子殿下の問いに正直に答えよ』」
ルルの『命令』に女性が「ぐ……っ」と息を詰める。
だが『命令』のせいで口を閉じ続けることは出来なかった。
隷属魔法による強制力で女性の口が無理やり開く。
「ファ、ファイエット王家の信頼と、貴族、民の支持を失わせる……ため……っ」
「その理由は? 貴様は何者だ?」
「っ……、っ……!」
お兄様の問いに、女性が唇を強く噛み締める。
血が滲むほどの必死さだった。
それでも、ルルはその抵抗を許さなかった。
「『抵抗するな』」
女性の首の魔法式が淡く光り、騎士達の手から離れて苦しげに床に倒れた。
枷のついた手が首に刻み込まれた魔法式を掻き毟ったものの、それを傷付けたところで隷属魔法が消せるわけではない。
自死が禁じられているため、途中で体が硬直し、自傷行為すら制限される。
苦しむ女性を、ルルはただ見下ろしていた。
最初からその笑みは変わらない。
……きっと、ルルにとってはどうでもいいから。
抵抗するのをやめたのか、女性が大きく咽せて、荒い呼吸を繰り返す。
お兄様は眉根を寄せて、お父様は無表情で、貴族は顔色を悪くしながら女性を見ている。
「『お前は何者だ?』」
ルルが訊けば、床に倒れたまま女性が口を開く。
「……私は、ヴェデバルド王国、元王太子レーヴェニヒ=ルエル・ヴェデバルド殿下の影、でした……」
乱れた髪で女性の表情は窺えなかったが、その言葉を言った後にギリリと歯を噛み締めていた。
女性の言葉に貴族達は驚いていたけれど、ヴェデバルド王国が関わっているかもしれないと予想していたのか、お兄様とお父様は特に反応を示さなかった。
ヴェデバルド王国の元王太子とは、先の戦争であちらの軍を率いていた人物である。
あまり詳しい話は知らないが、あの戦争で負けた責任を取らされて王太子の座を剥奪されたらしいとはお兄様から聞いた。
その後、元王太子がどうなったかは分からない。
お兄様が言わなかったということは、わたしは知らなくていいことなのだろう。
ルルが更に問いかける。
「『誰の指示で動いていた?』」
「……指示も、命令もない……私が申し出て、陛下は『関知せず』とおっしゃられた。……私達の独断だ……」
そうして、何故このようなことをしたのか女性は語り出した。




