束の間の再会
* * * * *
偽リュシエンヌと会った翌日だが、ルフェーヴルは朝から機嫌が良かった。
今日は本物のリュシエンヌに会える。
午前中はアリスティードの執務室で過ごし、午後は約束通り、リュシエンヌのいる牢へ向かう。
その足取りも自然と軽くなる。
アリスティードも心なしか表情が柔らかい。
司祭と護衛騎士もついて来て、ルフェーヴルはアリスティードと共にリュシエンヌがいる牢に到着した。
ルフェーヴルが扉を叩けば、誰何の声がする。
それにアリスティードが答えると、中から扉が開けられた。
そこにはリュシエンヌ付きの侍女の片方が立っており、ルフェーヴル達を見ると扉を大きく開けて横に避けた。
室内にはもう一人の侍女と司祭、警備の騎士達がいた。
「リュシエンヌの様子はどうだ?」
アリスティードの問いに、侍女の片方が苦笑交じりに口を開く。
「お元気に過ごされておられます」
そうして、手で隣室に繋がる窓を示した。
位置的に中は見えないが、反射したガラスの向こうからリュシエンヌの声が聞こえてくる。
「いっちにー、さんっ、しー、ごー、ろく、しちっ、はちっ!」
随分と気の抜ける明るい声だ。
ルフェーヴルは思わず、アリスティードと顔を見合わせた。
二人でそっとガラスを覗き込めば、向こうの部屋でリュシエンヌが先ほどと同じかけ声をしながら変な動きをしている。
部屋の中央に立ち、両腕を伸ばした状態でやや仰け反るように腕を上に回したかと思うと、腰から折るように今度は下に回し、上半身で円を描くように腕を振り回す。
机の上には沢山の紙束があり、恐らく着替えた後のものだろう簡素なドレスが椅子の背に乱雑にかけられていた。
室内は荒れてはいないものの、少し生活感がある。
「腕を大きく振って〜! いっちにー、さんっ、しー、ごー、ろく、しちっ、はちっ!」
何だかよく分からないがとても楽しそうだ。
侍女達を見ても無言で首を横に振られた。
誰かがあの謎の動きを教えたわけではないらしい。
……前世の記憶かねぇ?
リュシエンヌには生まれる前の、リュシエンヌとなる前の記憶があり、たまに思いも寄らない言動を取ることがある。
こちらに気付かないまま謎の動きを続けている。
そんなリュシエンヌの姿を見たら、ルフェーヴルは気が抜けてしまった。
「……リュシー……?」
ルフェーヴルが名前を呼ぶと、リュシエンヌが両腕を上げた状態で動きを止めて顔だけで振り向いた。
ルフェーヴルを見た瞬間、その表情がパッと明るくなる。
「ルル!」
腕を下ろして駆け寄って来る。
反射的に伸ばした手がアリスティードに掴まれた。
「触れ合いは禁止だと言っただろう」
ガラスの前に来たリュシエンヌが肩を落とす。
ルフェーヴルが手を下ろせば、アリスティードも掴んでいたルフェーヴルの手を解放した。
騎士の一人が気を利かせて、椅子をもう一つ、ガラス窓の前に用意する。
ルフェーヴルとアリスティードが並んで座れば、リュシエンヌも向こうの部屋にある椅子に腰掛けた。
「やっと会えたねぇ、リュシー。さっきは何してたのぉ?」
「体操だよ。運動する前に色々な筋肉を動かして体を解す動きなんだけど、軽く体を動かしたい時にもいいから。ずっと座ってばっかりだと良くないし」
牢で過ごす人間は大抵、気落ちするか神経質になるかだが、リュシエンヌからはそのような気配は感じられない。
狭く、簡素で、圧迫感のあるこの部屋で過ごすことは、リュシエンヌにとってそれほど苦ではないのだろう。
痩せたりやつれたりしていない姿に安堵した。
……そういえば、こういう子だったっけぇ。
初めて後宮で出会った時も、酷い環境の中でも悲観せず、自分に出来ることをして過ごしていた。
後宮を出てからは王女として静かにしていただけで、リュシエンヌは元から行動力も度胸も忍耐力もある子供だった。
「解決したら、それオレにも教えてくれる〜?」
「うん、いいよ。……ルルは元気? ちゃんと食事を摂って寝てる? 無理してない? ルルは頑張りすぎちゃうから心配だよ」
リュシエンヌの手がガラスに触れる。
そのガラス越しにルフェーヴルも手を重ねた。
冷たいガラスだが、少しでも熱が伝わればとルフェーヴルはしっかり手を合わせた。
「大丈夫だよぉ。アリスティードにも侍従がいるからさぁ、オレはあくまで形だけだしぃ? 仕事もないよぉ。まあ、本職やってる時より安全だしねぇ」
「そっか……」
リュシエンヌがホッとした顔をする。
それから、リュシエンヌはアリスティードを見た。
「今回の件について気になりますが、詳しいお話は聞けませんよね……?」
「ああ。一応、まだリュシエンヌは容疑者という立場だ。調査の内容を話すことは出来ない。……すまない」
「謝らないでください。わたしに話せないのは当然だと思います。それより、こうしてルルと一緒に会いに来ていただけて嬉しいです。この前はお父様も来てくれました」
「やはり父上も来ていたか」
アリスティードが小さく笑った。
ベルナールとアリスティードは親子だけあって見た目だけでなく、思考や言動もよく似ている。
あえて言うとしたら、ベルナールは必要ならば非情な判断を下すことが出来るが、アリスティードはまだそこまで冷徹になりきれないところがあった。
だが、それは生きてきた経験の差だ。
やがてはベルナールのように、時に慈悲深く、時に冷徹に、民のために己の手を汚すことに躊躇いなどなくなるだろう。
ルフェーヴルは他者に興味などないが、ベルナールの信念と覚悟、そして己の選んだ道に後悔しない姿を評価している。
……絶対に言ってやらないけどねぇ。
それよりも、ルフェーヴルは今の状況をあまり面白くないと感じていた。
ルフェーヴルはこんなにリュシエンヌと離れて苛立っているのに、リュシエンヌは平気そうで、少しばかりそのことが嫌だった。
自分と同じくらいリュシエンヌも寒いと──……寂しいと思ってほしかった。
* * * * *
ルルとお兄様が会いに来てくれた。
新しい魔法を作ろうと思い、連日机に向かっていたけれど、それもあまり上手く進まない。
いつも新しい魔法を考える時はルルがそばにいた。
そして、いつだってルルが相談に乗ってくれた。
……わたしだけじゃ新しい魔法は作れない。
魔法式を組み立てることや展開した時の結果について想像することは出来ても、魔力なしのわたしには作った魔法を試してみることが出来ない。
所詮、机上の空論でしかないのだ。
ルルが相談に乗ってくれて、二人で魔法式を組み立てて、安全を考慮しながらルルが試してくれる。
試してみなければ見つからない欠陥もある。
ルルはわたしの考えが至らない点に気付いて指摘してくれるし、どうしたら問題を解決出来るか一緒に考えて、解決策を見つけると自分のことのように嬉しそうに笑ってくれた。
……わたしはルルがいないとダメだ。
ガラス越しに重なる手。触れることは許されない。
今、掌に感じる体温はわたしのものか。それとも、ガラスに伝わったルルの体温か。
後者だったらいいな、と思うのは夢見がちすぎるだろうか。
「お兄様、ルルと一緒にいるのはどうですか?」
「私はルフェーヴルと行動を共にし続けるのは難しいらしい。こいつが好き放題するから困っている」
溜め息交じりのお兄様に訊き返した。
「……先の戦争でも一緒に行動していたんですよね?」
その時も、お兄様はルルと行動していたはずだ。
けれども、お兄様は苦笑した。
「馬車での移動や会議などでは共に過ごしていたが、今ほど長く一緒にいたわけではない。あと、今回はルフェーヴルがピリピリしているせいでロイドも私も落ち着かなくてな」
お兄様の言葉に、ルルがお兄様を軽く肘でつついた。
だが、お兄様は小さく肩を竦めるだけで話を続けた。
「まあ、今だけだから我慢している」
「それはコッチのセリフだよぉ。オレだって我慢してるしぃ、リュシーならともかく、朝から晩までアリスティードの顔ばっかで見飽きちゃったぁ」
「私もお前と同じ時間、お前の顔を見ているが?」
「アリスティードは他にも貴族とか騎士とかの顔を沢山見てるでしょ〜?」
「そういう問題ではない」
ルルとお兄様がぽんぽんと言い合っている。
……二人とも、やっぱり仲良いなあ。
多分ルルもお兄様も認めないと思うけれど、基本的に他人を信用していないルルが片手を使った状態で、手の届く距離にお兄様が座っていても嫌がらないのは気を許している証拠だ。
肘でつつくという行動も珍しい。
他人に触れるのも、触れられるのも、ルルは好まないから。
お兄様もルルと話す時は少し気を抜いている感じがする。
……仲良しなのはいいことなのに。
ルルの首にある首輪を見ると、モヤモヤした気持ちが胸に貯まる。
今すぐ、ルルの胸元に刻まれた魔法式が見たかった。
ルルがわたしのものだという証を確認したい。
「……やはり寂しいか?」
お兄様に問われる。
ガラス越しに手を重ねたままなのと、わたしがぼんやりしてしていることに気付いたようだ。
頭で考えるより先に口から言葉が飛び出した。
「寂しいです」
ルルが分かりやすく反応する。
先ほどまではちょっと不機嫌そうだったけれど、わたしが『寂しい』と言った途端にルルは嬉しそうな雰囲気を滲ませた。
そういえば、お父様から『ルルが寂しがっている』と聞いた。
……もしかして、それが原因?
ルルはわたしより歳上だけど、子供っぽいところがある。
「でも、ここでわたしが泣いたり騒いだりしても、みんなを困らせるだけですし、わたしはルルとお兄様、お父様を信じています。……第一、わたしは無実ですから」
ルルは、わたしにも寂しさを感じてほしかったのかもしれない。
自分がそう感じているように、わたしも『ルルがいなくて寂しい』と、一人ではダメだと感じてほしいのだろうか。
ルルの灰色の瞳と視線が合うと、ジッと見つめられる。
こんなことを思うなんておかしいが、ルルがそう望んでいたとしたら、とても嬉しい。
「ルル」
名前を呼べば、すぐに返事がある。
「なぁに? リュシー」
ガラスに額を押し当てる。
「わたし、待ってるから」
「……リュシー」
こつりとルルもガラスに額を押しつけた。
たったガラス一枚なのに、触れ合えない。
努めて明るく笑う。
ルルが心配して無茶をしないよう、大丈夫だと分かるよう、いつも通りに笑った。
「ここから出たら、ルルに触れたい」
でも、自分の気持ちは伝えておこう。
ガラスに顔を寄せれば、ルルも顔を寄せてくる。
「愛してるよ、ルル」
何も言わなくても伝わることもある。
ガラス越しのキスは冷たくて、ルルの温もりが恋しくて、離れがたい。
「……オレも愛してるよ、リュシー」
その言葉があれば、わたしは耐えられる。
* * * * *
カツ、コツ、と廊下に複数の足音が響く。
前を行くアリスティードの後頭部で揺れるまとめ髪を見ながら、ルフェーヴルは微かに口元を緩めた。
リュシエンヌが『寂しい』と言った。
自分と同様にリュシエンヌも寂しがっていると分かり、ルフェーヴルの中にあった苛立ちの波も今は不思議なほど凪いでいる。
しかしまだ寒いままだ。
むしろリュシエンヌと会って、触れられないことを理解したら余計に強く寒さを感じる。
それでも同じ気持ちだというのが嬉しかった。
窓から差し込む日差しが少し眩しい。
リュシエンヌのいた部屋は窓がなく、燭台はあったが薄暗かった。
……あそこはリュシーに似合わないねぇ。
あの子は明るい日差しの下が似合うとルフェーヴルは思うし、リュシエンヌの横に立つ自分の姿も簡単に想像出来た。
「少しは気は紛れたか?」
前を向いたまま、アリスティードが言う。
その言葉が誰に向けられたものかルフェーヴルはすぐに分かった。
「ええ、ありがとうございます」
「……早く出してやらないとな」
ベルナールもアリスティードも、リュシエンヌを牢に入れたことに引け目を感じているらしい。
今回については仕方のないことだ。
思いの外リュシエンヌは元気そうだったし、牢に入れられたこともあまり気にしていない様子であったし、外界から遮断されたあそこはある意味では安全な場所だ。
「そうですね」
立ち止まったアリスティードが振り返り、右手で作った拳を軽くルフェーヴルの胸に当てる。
害意がないと確信していたから避けなかった。
「私の顔は見飽きただろうが、もうしばらく付き合ってもらうぞ」
口角を引き上げ、ルフェーヴルを見るアリスティードの表情は自信と決意に満ちていた。
必ずリュシエンヌの疑いを晴らす。
そして、リュシエンヌをこの腕に抱き締める。
「かしこまりました」
ルフェーヴルは礼を執る。
リュシエンヌを守るという点において、アリスティードは最も信用に足る人物であった。
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