誘拐犯は…… / 裏側の話
* * * * *
エイベルは今年十歳になったばかりの平民の少年だった。
作物を売りに行くという父親について行き、妹と共に村を出たのは良かったものの、街中で父親とはぐれたのが悪かった。
人混みに流されて人気のない路地に辿り着いたエイベルと妹は、見知らぬ男達に囲まれ、あっという間に攫われてしまったのだ。
攫われて、檻に入れられてから四日が経つ。
まだ五歳の妹も、状況をよく分かっていなくても、自分が危険な場所にいるのは分かるらしい。
最初は父親と離れたことが不安で泣いていたが、エイベル達を攫った男達に「うるせぇ!」と怒鳴られ、檻を蹴られたことで泣き止んだけれど、怯えすぎたのかそれ以降何も喋らない。
「大丈夫。兄ちゃんがついてるからな、ケイト」
そう声をかけて抱き締めると、小さな手がギュッと縋るようにエイベルの服を強く握る。
他にもいくつか同じ檻があり、他にも似たような状況だろう子供達が声を殺して泣いたり諦めた様子で項垂れていたりしていたが、エイベルはまだ諦めていなかった。
……おれ達がいなくなって、父さんは警備隊に行ってるはずだ。
エイベル達は、もし迷子になったら街の警備隊の詰め所に行くよう言われていた。はぐれた後に父親が警備隊に行ったなら、今頃は警備隊が探してくれているかもしれない。
……でも、ここまで来てくれるかな……。
捕まってすぐに檻ごと馬車に載せられてどこか別の場所に移動してしまった。
一日かけて移動したから、もしかしたらここはもう別の街なのかもしれない。
檻がある部屋は窓がないので外が見えない。
今が昼なのか、夜なのかも曖昧で、空腹になってくると硬い黒パンと水が出るだけだ。
それを食べない子供もいるが、エイベルは食べたし、妹にも食べさせている。いざという時、空腹で動けないのが一番良くない。
ガチャリと扉の開く音にエイベルは顔を上げた。
開いた扉から数人の男達と、それよりやや背の低い若い女が入ってくる。男達は皆、荒くれ者のように見えたが、女だけは貴族だと一目で分かった。
華やかなドレスに宝石を使った装飾品、艶のある髪、全く荒れていない美しい手。どれも平民にはないものだ。
ダークブラウンの髪の女が視線を巡らし、エイベル達を見ると動きを止め、近づいて来た。
女の目は金に似ているが、それよりも綺麗で、不思議な輝きのある色だった。
「あら、銀髪を見つけたの? 彼女、銀髪を欲しがっていたからきっとこれらを買うわね。顔は少し不細工だけれど、健康そうだし……高値で取引出来るかしら」
女が何を言っているのかエイベルには分からないところもあったが、自分達が誰かに『買われる』というのは理解出来た。
食べ物などを売るなら分かる。
でも、人間を買ったり売ったりすることは禁止されていると、以前父親が話していた。
人間の、奴隷を買ったり売ったりするのは国が管理していて、その奴隷も大体は犯罪者だと聞いた。
普通の人を奴隷にして売ってはいけない。
「っ、そんなことすれば警備隊に捕まるぞ!」
国には法律という決まりごとがある。
それについてエイベルはよく知らないが、法律は守らなければいけない規則で、守らないと警備隊に捕まる。法律を守らないのは悪い人間だ。
父親はそう言っていた。
エイベルの言葉に、檻の向こうで女が笑った。
今まで見たことのない、嫌な笑顔だ。
「あら、威勢のいい商品だこと。でも、ただの警備隊がわたしを捕まえるなんて出来ないわ」
「なんでだよ! 警備隊は悪いやつを捕まえる、すごくて強い人たちなんだぞ!?」
女が口元を扇子で隠しながら、ふふふ、と笑う。
「ああ、そうね、あなたは知らないのね」
女が扇子を閉じて、それで自分の目を示した。
「この目の色が見えるかしら? これは『琥珀の瞳』と呼ばれて、この国の王族の中でも特別な色だったのよ。この瞳の者が王位を──……国の王となる。……わたしはこの国の正統な王女なのよ」
その言葉にエイベルは返事が出来ないくらい驚いた。
父親はよく「今の王様になってから暮らしが良くなった」と言っていたし、母親は「王女様が作った魔法のおかげで洗濯が楽になったわ」と喜んでいた。
前の王様や王族は悪い人ばかりだったと話しているのも聞いたことがある。
でも、自分が生まれる前のことに興味がなかった。
正統、という意味は分からないが、廊下から来た男が「リュシエンヌ様」と女を呼んだ。
母親が前に話していた、この国の王女の名前も確か『リュシエンヌ』だったはずだ。
目の前にいるのが王女だと理解した瞬間、エイベルは思わず叫んだ。
「嘘だ!!」
噂好きの母親は、たまに村を訪れる行商人達からよくこの国の王族の話を聞いていた。
今の王様は昔いた悪い王族をやっつけた人で。
次の王様はその王様の子供で、真面目で民思いで
王女は昔の悪い王様の子供だったけど、優しくて色々な魔法を作ってはみんなに広めていて。
母親は特に王女の話を好んでいた。
……母さんの話と全然違う!
「わたしはリュシエンヌ=ラ・ファイエット。この国の王女であるわたしを、平民の兵士が捕まえるなんてありえないわ。そんなことをすれば、不敬罪で処刑だもの」
残念だったわね、と女は楽しそうに笑いながら部屋を出て行った。
その背中をエイベルは見送るしかなかった。
王族は貴族より偉い人だ。
そして貴族は街の警備隊より偉い。
つまり、警備隊は王女を捕まえられない。
……助けはこない……?
呆然としていると弱々しい声がした。
「……おにいちゃん……?」
不安そうなその声に、エイベルはハッと我に返り、滲んでいた涙を袖で拭った。
警備隊が助けてくれないなら、自分達で何とかするしかない。
だが、エイベルが荒くれ者達に敵うとは思えない。
一人なら何とか逃げられるかもしれないが、妹を連れて、監視から逃げ切るのは難しい。
しかし妹を置いていくなんて絶対に出来ない。
大切な、たった一人の可愛い妹だ。
「……っ、大丈夫だ、ケイト」
そう言いながらもエイベルの中で不安が大きくなっていく。
……誰か……誰でもいいから、妹だけは助けてくれ……!!
目を閉じるとあの女の笑い声が聞こえた気がした。
抱き締めた小さな妹と共に、エイベルは檻の中で震えることしか出来なかった。
* * * * *
ティエリー=ランドローはニコルソン伯爵家の使用人だ。
今回、主人のルフェーヴル=ニコルソンと元雇用先であった闇ギルドとの連絡役兼雑用として実は連れて来られていた。
主人ほどの優秀さはないが、ティエリーは元暗殺者である。
伯爵家では表向きは使用人として働いているが、闇ギルド経由で雇われた者は皆、屋敷の警備のほうが本来の目的だろう。
主人はこのファイエット王国の王女を娶った。
色々と事情のある王女は政治的に狙われる可能性が高い。
そして、主人は己の妻に虫が近寄るのを嫌い、誰も侵入出来ないほど警備の厚い屋敷を用意して暮らしている。
屋根裏に身を潜めるのは久しぶりだと思いながら、ティエリーは寝転がっていた。
ティエリーは王太子の前に姿を現せるほどの身分も立場もないし、そうしたいとも思わない。
暗殺者とは目立つのを厭うもので、主人のように表に出るほうがこの世界では変わり者なのだ。
同じく屋根裏に控えている『黒騎士』と呼ばれる王家の影からの責める視線に、ティエリーは気付かないふりをした。
黒騎士はどうやら王族に厚い忠誠を捧げているようだ。
屋敷にも、主人達の結婚と共について来た王女付きの元黒騎士という者達が数名いるが、そちらも王女に対する忠誠心が高い。
……まあ、気持ちは分からなくはないけどな。
王女は本当に王族なのかと思うほど気さくで、使用人達に優しく、寛容で、それでいてほどよく無関心だった。
主人達は互いさえいればいいという、執着や依存といった類に見える関係性の夫婦だけれど、いつだって二人は幸せそうである。
元よりティエリーは主人達にさほど興味はない。
暗殺者として努力しても先が望めなかったから、自分の能力を生かしつつ、安定したこの仕事に就いた。
それに、どうせならギルドランク一位の暗殺者を近くで見て、その技術や力量を知りたいと思った。
……見たところで真似すら出来なかったが。
ルフェーヴル=ニコルソンは天性の暗殺者だった。
気配や足音の消し方、体の使い方、戦い方、性格や好み、忍耐力、判断力、体の頑丈さ、筋力や体力の高さ、危険に対する本能的な嗅覚、人間を殺すことへの抵抗感と他者への情の薄さ──……暗殺者として必要なほとんどの要素を有してる。
それでいて、妻にだけは異常なほど心を傾けている。
「……少しは真面目に働いたらどうだ」
初めて、黒騎士の声を聞いた。低い男の声だ。
ここに来てから何名かの黒騎士と屋根裏で過ごしたが、どの黒騎士も無口で、そのわりにティエリーの態度に非難の目を向けてきた。
「俺の仕事は基本、雑用だ」
「主人を守ろうという気概はないのか」
それにティエリーは小さく鼻で笑った。
「俺が出来ることなんて何もない」
盾になることは出来るかもしれないが、それは恐らく主人にとっては不要で、むしろ邪魔になる。
同じ暗殺者だから分かる。
敵との間に余計な障害物があったり、前に立たれて視界を遮られるのは行動を制限されるようなものだ。
そもそも格上である主人が避けられないほど速い攻撃が向けられた時、ティエリーが動いたところで間に合わない。
それなら主人の邪魔をしないほうが良い。
「そんなことより、王太子ってのは案外ノリがいいんだな。まさか女装するとは思わなかった」
黒騎士が押し黙る。
それに関しては黒騎士も予想外だったのかもしれない。
……なかなかの美女だったな。
ティエリーには恋人がいるが、今までの好みとは違う、明るくお人好しな歳上の彼女である。
以前は気の強い雰囲気の女性が好みだったものの、現在は恋人一筋だ。
「……殿下は柔軟な思考と寛大さを持つ。優しく、慈悲深くはあるが、必要な冷徹さもあり、民への情も厚い。やがてこの国の王となられるお方だ。……だが、年相応の感覚もお忘れではない」
「変わってるな」
「……それを言うならば、お前の主人も大概おかしい」
黒騎士が更に小さな声で呟く。
「あれは本当に人間か? 人並みまで抑えられているが、魔力量も、気配も、その実力も、只者ではない。……我らが束になってかかっても殺される未来しか想像がつかない」
ティエリーは否定しなかった。
主人と黒騎士達が戦えば、全滅するのは黒騎士だとティエリーも気付いている。
主人に戦いで勝てる相手はいないだろう。
「俺に訊くなよ。あんた達のほうが俺より長く、王太子の影として近くで見てきただろ? どうしたらあの高みへ至れるのか、こっちが知りたいくらいだ」
ティエリーと黒騎士の間に沈黙が落ちる。
「……王女殿下は、手綱を握っているか?」
「ああ、それについては心配ない。他の誰の命令は聞かなくても、奥様の言葉だけは必ず従っている。……あれに勝てるのは奥様だけさ」
戦闘での勝利という意味ではなく、比喩だ。
ルフェーヴル=ニコルソンは妻にだけ跪く。
妻の言葉や願いは絶対で、その存在だけが唯一で、多分、己の誇りや命よりも優先している。
崇拝の如き献身的な愛。
最強の暗殺者の手綱はその妻が握っていた。
「……そうか、王女殿下もご健勝か」
ティエリーの様子から色々と感じ取ったらしい。
……健康だし元気そうだが、まあ、あれだな。
かなり高頻度で怠惰な日もあることについては、あえて伝える必要はないだろう。
夫婦仲が良すぎて悪いというわけでもない。
ティエリーの恋人は、いつか主人達の子供を抱きたい、とは言っているけれど、その件についてティエリーは否定も肯定もしなかった。
暗殺者は毒に体を慣らすのが当たり前だ。
その過程で子孫を残せなくなることもある。
「気になるなら、牢を見に行けばいいだろう?」
「殿下ですらお会い出来ていないのに、我らが先んじるなど以ての外。……王女殿下のご様子を覗き見して、番犬に噛みつかれたくもない」
「はは、それもそうか」
互いの声が途切れた後、下で扉の開く音と微かな足音が響く。
この王太子の離宮で確認もせず扉を開けられるのは、ここの主人しかいない。
恐らく、浴室から出てきたのだろう。
これ以上のお喋りは控えた方が良さそうだ。
ティエリーはごろりと体を横向きに変え、黒騎士に背を向けると片腕を枕に目を閉じる。
眠るわけではないが体は休めておきたい。
黒騎士もそれ以上は何も言わなかった。
ただ、二人の間の空気は少しだけ、穏やかなものになっていた。
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