寂しさ
* * * * *
リュシエンヌが貴族用の牢に入って約一週間。
ベルナールは娘のことが気になり、リュシエンヌを見張っている司祭に確認を取ってから牢を訪れた。
他の部屋とは違い、味気ない真っ白な壁に囲まれた部屋にはリュシエンヌの侍女二名と司祭、そして監視役の黒騎士が常駐している。
ベルナールが入ると全員が礼を執った。
「良い、楽にしてくれ」
片手を上げてそう言えば、全員が顔を上げる。
「リュシエンヌの様子はどうだ?」
ベルナールの問いに侍女二人が互いにチラリと視線を合わせた。
どちらもリュシエンヌを引き取った時から仕えている侍女達で、ベルナールも信頼しており、その忠誠心に疑いはない。
そして、元はリュシエンヌの侍女長を務めていたリニア=ウェルズが答える。
「リュシエンヌ様はのびのびと過ごしでおられます」
どうぞ、と隣室に繋がる窓をリニアが手で示した。
ベルナールがガラス越しに隣室を覗くと、そこには机に向かって一心にペンを走らせている。
その机の上には文字が書き殴られた紙やグシャグシャに丸められた紙が所狭しと広がっており、足元にはまだ何も書かれていない紙が積まれていた。
「あれは何をしているんだ?」
「魔法の開発でございます。リュシエンヌ様はお屋敷でも、よくニコルソン伯爵と共に魔法の研究をしておられます」
よほど集中しているのかこちらには気付いていない。
昔から集中力が高い子だと教師達が言っていたものの、ベルナールはリュシエンヌが魔法の研究や開発をしている姿を見るのは初めてだった。
いつも完成した魔法をルフェーヴルと共に披露してくれたが、それらを作るまでにどのような苦労があったかをリュシエンヌもルフェーヴルも語ることはなかった。
もう一度、ガラスの向こうを見る。
「リュシエンヌ」
コンコン、と軽くガラスを叩く。
するとリュシエンヌが顔を上げ、不思議そうにこちらを向き、目を丸くした。
「……お父様?」
ベルナールが微笑めば、リュシエンヌがペンを置いて立ち上がった。
近づいて来て、向こうに置かれた椅子に座る。
ベルナールも窓の前に置かれた椅子に腰掛けた。
「もう七日も経つが、苦労はしていないか?」
幼い頃は酷い環境にいたとは言え、その後は王女として不自由なく暮らしてきたリュシエンヌが身の回りのことを自分でして過ごすのは簡単ではないだろう。
それにルフェーヴルと離れて不安なはずだ。
だが、意外にもリュシエンヌはしっかりと頷いた。
「はい、大丈夫です。服はリニアさん達が一人でも着られるものを選んで詰めてくれましたし、髪はさすがに難しい結い方は出来ないけれど、梳かすくらいなら問題ないです。部屋も綺麗でそれなりに広いので軽くなら体を動かせます。食事も美味しいです」
普通の貴族ならば三日もここにいると嫌になってしまうのに、リュシエンヌはこの味気ない部屋が気にならないらしい。
元々リュシエンヌは多くを望まないところがあるが、その目に諦めや我慢といった色はなく、本当に一人でも平気だという雰囲気だ。
……そういえば、リュシエンヌは昔から強い子だったな。
後宮の酷い環境で必死に生き延びていた。
「そうか」
思わずベルナールは手を伸ばしかけ、ガラスに阻まられていることに気付いて手を下ろした。
頭を撫でてやりたくてもそれは出来ない。
「無理だけはしないように。もし体調が悪くなったら、すぐに声をかけるんだ。季節の変わり目だから暖かくして過ごしなさい」
「はい。ご心配ありがとうございます、お父様」
リュシエンヌが嬉しそうに微笑んだ。
「お父様もご無理はなさらないでくださいね」
「ああ、気を付けよう」
それから、リュシエンヌは一瞬考えるような表情をした後に真面目な顔でベルナールに問いかけてきた。
「ルルはどうしていますか?」
ベルナールはその問いにホッとした。
リュシエンヌがすぐに恥ずかしそうに目を逸らす。
ルフェーヴルと離れても平気そうに見えたが、そう見えるように努めているだけで、実際は気になっていたのだろう。
そもそも、ルフェーヴルがリュシエンヌに仕えるようになって以降、この二人は一日以上離れているところを見たことがないし、そのような報告も聞いたことがなかった。
リュシエンヌの侍従であった間もルフェーヴルは本職の仕事を続けていたが、それですらルフェーヴルはリュシエンヌが眠っている時間に行っていた。
リュシエンヌからすれば、常にそばにいたルフェーヴルがいないのだから、何とも思わないはずがない。
「ルフェーヴルはアリスティードと共に、偽の王女について調査をしている。報告ではルフェーヴルはリュシエンヌに会いたがっているようだ」
ルフェーヴルはリュシエンヌから引き離された上に、行動が制限されてかなり苛立っているようだ。
話を聞きたそうな様子のリュシエンヌに、ベルナールは微笑んだ。
「昨日のアリスティードの報告になるが──……」
* * * * *
「おい、苛立つのは分かるが少し煩いぞ」
アリスティードはルフェーヴルにそう言った。
リュシエンヌと引き離されて腹立たしいのは分かるが、ルフェーヴルの靴の踵が苛立ち交じりに床を叩く音を一時間も聞き続けているのはさすがに疲れる。
執務室の中にいるロイドウェルも、どこか緊張した様子で息を押し殺していた。
殺気とまではいかないが、肌にピリリと感じる気配が続く。
司祭だけは変わらず微笑んでいるものの、気配も薄く、微動だにしない。
この室内でルフェーヴルに意見を言えるのはアリスティードしかいなかった。
一定の速度で床を叩き続けていたルフェーヴルの足が止まる。
「だってさぁ、リュシーとこんなに長時間離れたのは初めてだしぃ? なぁんか落ち着かないって言うかぁ、こう、ここにあったものがなくなっちゃったみたいでさぁ……寒いんだよねぇ」
ルフェーヴルが己の胸に手を当てる。
その口元に笑みが浮かんでいるけれど、遠くを見る目はどこか切なげだ。
その様子に、アリスティードは不意にそれが何であるのか気付くと酷く驚いた。
「ルフェーヴル、お前、もしかして寂しいのか?」
アリスティードの言葉にルフェーヴルが振り向いた。
その表情は『予想外のことを言われた』というものだったが、ややあって、肘掛けに頬杖をついたルフェーヴルが「そっかぁ」と呟く。
「オレ、寂しいんだぁ……」
寂しいと言いつつも、何故だか少し嬉しそうなルフェーヴルは幼く見えた。
……ああ、そうか。
ルフェーヴルの経歴についてはアリスティードも知っている。
娼館生まれで幼い頃はそこで過ごし、暗殺の術を師から教わり、その後も孤独が当たり前だったのだろう。
それは薄々分かっていたものの、ルフェーヴルは人と深く関わらないことで『寂しい』という感情を知る機会すらなかったのかもしれない。
頬杖をやめたルフェーヴルが体を左右に揺らす。
「寂しい……寂しいかぁ……リュシーに会いたいなぁ。オレ、リュシーがいないとダメかもぉ」
ルフェーヴルの顔がある方向へ向けられた。
……またリュシエンヌがいる方向を見ているのか。
実年齢のわりに若く感じるのは、ルフェーヴルの精神年齢が年齢よりも幼いからだろうか。
リュシエンヌと共に過ごすことで、出会った時よりも柔らかくなったように思っていたが、どうやら精神的な成長は途中だったらしい。
「お前は体は大きいが、中身はまだ子供だな」
「ちょっとぉ、何その顔ぉ? 何かキモチワル〜」
若干身を引きながら嫌そうな顔をするルフェーヴルであったが、すぐに姿勢を戻した。
「それにしても、寂しいって寒いんだねぇ」
執務室には暖炉があり、薪が燃えて室内は暖かい。
何となく、ルフェーヴルの言いたいことが理解出来た。
寂しい時、物足りなく感じたり、誰かに会いたくなったり、喪失感を覚えることもある。
ルフェーヴルの感覚でそれを表現するには『寒い』が最も近いのだ。
ふと立ち上がったルフェーヴルが隣の休憩室に続く扉を開け、その扉の枠の上へ手を伸ばした。
届いた上部の枠を掴むと、足を浮かせ、ぶら下がる。
そして、腕の力だけで自分の体を持ち上げては、ゆっくりと下ろすという動きを繰り返す。
ぽかんとするロイドウェルを横目にアリスティードは呆れてしまった。
……その寒さは体を動かしても消えないと思うが……。
もしかしたら、何かに集中することで気を紛らわせたいのかもしれない。
ロイドウェルから視線を感じ、アリスティードは「好きにさせておけ」と言い、手元の書類に視線を戻す。
「もう少し待て。今、リュシエンヌに会えるよう許可を取っているところだ。父上が問題ないと判断すれば会える」
返事はなかったが、肌に感じていたピリリとした感覚が消えたことで、ルフェーヴルの機嫌が直ったのが分かる。
その後は何事もなく仕事に集中出来たのだった。
* * * * *
ベルナールが話し終えると、リュシエンヌが嬉しそうに微笑んでいた。
「ルルも寂しいって思ってくれているんですね」
どうやら、自分とルフェーヴルが同じ気持ちを抱いていることが嬉しいらしい。
「数日中には面会の許可を出そう。……ただ、頻繁に会わせてやることは出来ないが」
「わたしが疑われている状況なので仕方がないと思います。ほんの一瞬でも会えるなら、それで十分です」
「……ルフェーヴルと会えなくてつらくないか?」
ベルナールの問いにリュシエンヌが困り顔をした。
「本音を言えば、すごく寂しくて、会いたくて、つらいです。それに今のルルは首輪をつけていますよね。……たとえ主人がお兄様だったとしても、ルルがわたし以外の誰かのものになっていると思うとすごく……言葉では言い表せないほど嫌なんです」
目を伏せたリュシエンヌが声量を落として言った。
「……わたし、お兄様に嫉妬してるんです」
リュシエンヌは兄であるアリスティードを大事に思い、慕い、尊敬もしている。兄妹仲もとても良い。
だが、それでも嫉妬してしまうというのなら、相当ルフェーヴルに感じている執着や独占欲は強いのだろう。
ルフェーヴルが自身の体に隷属魔法を改良したものを刻み込んだという話は、ベルナールもアリスティードも知っている。やり過ぎではと思ったが、リュシエンヌの様子を見る限り、そうでもないようだ。
「自分でもビックリしているんです。相手はお兄様なのに『ルルの主人はわたしだけなのに』って思って、羨ましくて、妬ましくて……でもお兄様のことも大好きだし、理由があってそうしているだけだって理解しています」
視線を落としたまま、リュシエンヌが言う。
「解決すればルルの首輪が外れると分かっているのに……」
ぽた、とリュシエンヌの目から涙が落ちる。
「……ルルはわたしだけのルルなのに……」
滅多に泣くことのなかったリュシエンヌだが、ルフェーヴルと離れたことで酷く不安定になってしまっているのかもしれない。
しかし、リュシエンヌはすぐに袖で涙を拭い、顔を上げる。
「泣いたこと、ルルとお兄様には秘密にしてください。……わたし、今回の件で自分がすごく弱いんだって気付きました」
こちらを見るリュシエンヌの表情に不安の色はない。
「わたしは何も出来ないけれど、せめてルルやお兄様、お父様のことは信じます。……信じて待ちます」
ベルナールはその言葉に大きく頷いた。
「ああ。アリスティードに調査は一任しているが、必ず偽者を捕え、リュシエンヌの無実を証明してくれる。私達もリュシエンヌを信じ、愛しているからな」
「はい。……わたしも、お父様とお兄様を愛しています」
ふわりと微笑んだリュシエンヌに、ベルナールはもう一度頷き返した。
横から司祭の「そろそろお時間です」という言葉にベルナールは立ち上がった。
「それでは、私はそろそろ戻る」
「お父様、お忙しい中ありがとうございます」
小さく手を振るリュシエンヌに、ベルナールも軽く手を上げて応える。
本当はもう少し一緒にいてやりたかったが、あまり長時間いるのは良くないし、ベルナールにも公務の予定がある。
侍女達と司祭、騎士達がいるので心配はない。
全員に「後は頼む」と声をかけ、ベルナールは部屋を出た。
……信じると言ってくれたが。
後宮での出来事ですら『つらい』と言ったことのなかったリュシエンヌが、今回は『つらい』と言って涙を流した。
魔法の開発に没頭していたのはルフェーヴルと離れている間、寂しさや不安、兄への嫉妬といった気持ちをそれで紛らわせようとしていたのかもしれない。
ルフェーヴルとアリスティードには秘密だと言っていたので、伝えることはしないが、早々に面会許可を出したほうがいいのは明白だった。
恐らく、許可を出せばルフェーヴルはすぐさまリュシエンヌに会いに行く。
……あの二人には、互いが最も必要な存在なのだろう。
自分が死ぬ前にリュシエンヌを殺してから死ぬ、とルフェーヴルは以前言っていたが、その理由がよく分かった。
ルフェーヴルが死に、もしもリュシエンヌだけが遺ったとしても精神的に耐えられず、狂ってしまうだろう。
そして、きっと初めからリュシエンヌはそうだったのだ。
ルフェーヴルになら殺されてもいいと、リュシエンヌがそう言ったとルフェーヴルが嬉しそうに話していた時から、あの二人は互いだけが世界の全てだと決めてしまった。
その重みをベルナールは今更になって思い知った。
「……娘達には長生きしてもらいたいのだが……」
暗殺者のルフェーヴルがあとどれほど生き延びられるのか、それはベルナールにも想像がつかないことである。
ベルナールは小さく溜め息を吐き、政務室へ戻ったのだった。
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