しばしの別れ(1)
翌日、予定の時間にわたし達は転移魔法でお兄様の離宮に移動した。
そこにはお兄様の侍従が控えており、慣れた様子で案内され、居間に通される。
まだお兄様とお父様は来ていなかったけれど、お茶の用意は既に整っていた。
「殿下と陛下がいらっしゃるまで、こちらでお寛ぎください」
と侍従が部屋の外に下がって行った。
「あの侍従さん、昔からお兄様に仕えているよね」
お兄様が王太子となってから見かけるようになった人だが、実はあの侍従の名前をわたしは知らない。
本人に訊ねても、お兄様に訊いても、名前は教えてもらえなかった。
男性で、お兄様よりいくらか歳上だろうことは──……。
「……あれ? 顔が思い出せない……?」
灰色の髪だというのは覚えているのに顔立ちが分からない。
それにルルが「ああ、アレね〜」と言いながら、わたしをソファーに座らせ、横にルルも腰掛けた。
「多分、オレみたいなスキルを持ってるんだと思うよぉ。でも完全に姿を隠すとか認識されないっていうより『相手に覚えられにくい』程度のものなんじゃなぁい? アイツ、多分黒騎士の一人だしぃ?」
「え、そうなの?」
黒騎士とは、旧王家時代から王家に仕えている『影』の人達のことだ。
クーデター後はお父様を主人として新王家に忠誠を誓っていて、わたしが王女だった時も警備として密かに見守ってくれていたが、最初の挨拶以外で顔を合わせたことはほとんどない。
主にお父様やお兄様の命令で情報収集を行ったり、密かに任務を遂行したりといったことらしいけれど、その内容を教えてもらったことはない。
「うん、表の人間にしてはちょ〜っと気配に違和感があるんだよねぇ。まあ、アリスティードが許可した上でスキルを使ってるんだろうしぃ、黒騎士は変装も得意だからスキルを切ってもそれが素顔かどうかも分からないしぃ、見えても見えなくても意味ないよぉ」
ということらしい。
名前を明かさないのも個を特定されにくくするため。
黒騎士は色々な姿、職業、性別でどこにでも潜入する。
だから必要な場によって容姿も性別も名前も異なり、いくつもの顔を持つのでどれが本人なのかは誰も知らない。
「義父上も黒騎士を侍従にしてるみたいだしぃ、アリスティードもそばに置くことでああいうのの使い方を覚える目的もあったのかもねぇ」
お父様やお兄様のことは色々と知っているつもりだったけれど、わたしが知らない話はまだ沢山あるのかもしれない。
そんなことを考えていると部屋の扉が叩かれる。
ルルがわたしを抱き寄せ、唇の前で指を立てて『静かに』という仕草をした。
頷き返し、黙っていれば、少しの間を置いて扉が開く。
先ほど出て行ったお兄様の侍従が開けた扉から、お兄様とお父様が入って来た。
それにルルが唇から指を離してわたしを解放する。
お兄様とお父様の視線がわたし達を捉えた。
「何度見てもお前のそれは慣れないな」
と、お兄様が苦笑する。
どうやらルルがスキルで一時的に姿を消していたようだ。
わたしには分からなくても、お兄様達からしたら、いきなりわたしとルルがソファーの上に現れたように見えるのだろう。
ルルのこの認識阻害のスキルはわたしには効かないので、どのように見えているか体験出来ないのは残念である。
お父様とお兄様もそれぞれソファーに座った。
壁際にお父様とお兄様の侍従が控える。
つい、ルルとの会話を思い出して侍従達へ視線を向けていると、ルルの手がわたしの頬に触れて優しく顔の向きを戻された。
何も言われなかったけれど、注意されたような気がして意識的に侍従達から視線を外す。
「さて、出来ればゆっくり家族で話をして過ごしたいところだが、今回はそうもいかないようだ」
お父様の言葉にお兄様が頷いた。
「ええ、今回の件は早急に解決するべきでしょう」
「リュシエンヌに汚名を着せようなどと許しがたいからな」
うんうん、と横でルルが同意の頷きをしている。
それからルルが空間魔法を展開させて、紙束を取り出した。
「コレが闇ギルドの調査結果だよぉ」
ルルが差し出したそれをお父様が受け取り、上にある数枚のまとめ報告書を素早く確認し、お兄様に渡す。
お兄様もそれに目を通すと書類をテーブルに置いた。
「この報告書の内容が正しければ、私に申し出た貴族達以外の領地でも同様の誘拐事件が起こっている、と……頭が痛い話だ」
お兄様が小さく溜め息を吐く。
「貴族の話通り、リュシーの偽物がこの事件に関わってるのは確かだけどぉ、理由が分からないんだよねぇ。旧王家派が何か企んでるとしてもクーデターの旗印になるリュシーの心象を悪くしたらやりにくくなるはずだしぃ、旧王家の血筋が許せないって話なら今更だしぃ?」
「そうだな、もし旧王家の血筋を憎んでいる者がいるとしても、リュシエンヌの立場を悪くするなら王女の時に問題を起こしたほうが確実に効く。降嫁して目立たなくなった今頃に行うのは愚策だ」
首を傾げて言うルルにお父様もそう返す。
クーデターが起きた後ならばともかく、今はお父様の手腕と努力により、国内の情勢も落ち着いている。
相手がどのような意図でわたしの名を騙っているのか、その理由も分からないし、何故このタイミングなのかも不明だった。
「犯人達の意図は読めないが、それは捕縛した後に訊き出せばいい。最優先は主犯達の捕縛と組織の取り締まりだな」
「引き続き私が調査を続けます」
「では、ある程度の公務は私が一時的に引き受けよう。そうすればアリスティードも調査により時間を割けるだろう」
お父様とお兄様が話している横でルルが軽く手を振った。
「アサド……闇ギルドのギルド長も協力するって言ってたよぉ。末端だけどぉ、ギルドに所属してるヤツらが勝手にギルドを通さない仕事で誘拐に関わってるからって〜」
それにお父様が考えるふうに視線を書類に向けた。
そうして、ふと顔を上げた。
「ルフェーヴル、お前、しばらく本職を休めるか?」
「休めるよぉ。これでもギルドランク一位だからさぁ、仕事選びも予定も結構好きに出来るんだよねぇ」
フフン、と珍しくルルが自慢げに言った。
そんなルルがちょっと可愛い。
お父様がルルとお兄様を交互に見る。
「事件が解決するまで、リュシエンヌは城に残り、ルフェーヴルをアリスティードの侍従にするのはどうだ?」
「はい?」
「はぁ?」
「え?」
お父様の言葉にお兄様とルル、わたしは驚いた。
……わたしを城に置いて、ルルがお兄様の侍従になる?
「父上、どういうことでしょうか?」
お兄様の問いにお父様が話を続ける。
「犯人を捕縛したとして、それがリュシエンヌにそっくりだった場合、誘拐事件を起こした者は偽物なのか本物のリュシエンヌなのか貴族達には判別が出来ない」
その疑念を晴らすために、本物の王女であるわたしは事件が解決するまでお父様の監視下──……つまり王城の一角で隔離しておく。
もちろん、それだけでは『王家が王女を庇っている』と思われかねないので、教会からも証人として司祭を呼び、監視中はついていてもらう。
そして、わたしの夫であるルルも事件に関わっていると疑われる可能性が高いため、ルルはお兄様の監視下で共に事件の調査を行う。
そうすれば事件解決後にわたしが疑われても『教会の証人という第三者』がわたしの無実を証明してくれる。
夫であるルルが『妻の疑いを晴らすために協力した』という体裁で調査にも参加出来る。
「それから、アリスティードの侍従でいる間、ルフェーヴルには『裁きの首輪』を着けていてもらう」
「うげ」
ルルが心底嫌そうな声を漏らした。これも珍しい。
「『裁きの首輪』って何ですか?」
聞いたことのない言葉にお兄様が苦笑する。
「逃亡の恐れがある罪人が逃げ出さないように使う魔道具だ。隷属の首輪を改良して作られたもので、重罪人が監視者から一定以上離れると首が締まったり体が痺れたりして動けなくなる。隷属の首輪と違って致死性はない」
「それをルルに着けるんですか……?」
思わず声が低くなってしまう。
ルルが痛い思いや苦しい思いをするのも嫌だが、ルルに首輪を着けるというのも凄くモヤモヤする。
たとえ一時的だとしても誰にもルルを渡したくない。
お父様が少し困ったような顔をした。
「そう怒らないでくれ。ルフェーヴルが『裁きの首輪』を着け、監視者をアリスティードに設定することで両者は一定距離以上は離れられなくなる。それは『ルフェーヴルが怪しい行動をしていない』という証明になる」
「それはそうですけど……」
わたしが無実の証明をしたとしても、夫を使って誘拐事件に関与したと疑われることもありえる。
その可能性を潰すためにもルルの無実の証明も必要だ。
ぐるぐると頭の中で思考が駆け巡る。
お父様の言う通りにするべきなのに『ルルがわたし以外の人から首輪を着けられる』という部分が、どうしても気持ち的に受け入れられない。
横を見れば、ルルが嫌そうに顔を歪めている。
ルルとわたしは顔を見合わせて押し黙ってしまった。
「……やはり嫌か?」
お父様の問いにわたしが答える。
「ルルが『わたし以外の人の首輪を着ける』のが嫌です」
「オレもリュシー以外の人間に首輪を着けられるのは嫌だねぇ。その間はアリスティードがオレの『主人』になるってことでしょぉ? しかも事件解決までずっと一緒に過ごすとか……」
「主人ではなく監視者だろう」
お兄様が即座に修正してくる。
「私だって一日中お前と過ごさなければならないと思うと、色々思うところはある」
ルルが抵抗感を覚えるように、お兄様もルルと長時間一緒にいることに抵抗を感じるらしい。
……ルルとお兄様ってそんなに仲は悪くないはずだけど。
「だが、ルフェーヴルが疑われるのも望んでいない」
はあ、とお兄様が大きな溜め息をこぼした。
他の人がルルに首輪を着けるよりかは、お兄様のほうがマシだが……。
「リュシエンヌ、ルフェーヴル、今回だけだ」
と、お父様が言う。
まだ感情は呑み込めないけれど、ルルを見る。
「…………ルルがいいなら……」
蚊の鳴くような声で呟くわたしに、ルルがぐしゃぐしゃと自分の頭を乱暴に掻き回した。
「分かったよぉ、ほんっとに今回だけだからねぇ?」
ルルが半ば吐き捨てるように言って、お父様が頷いた。
「もちろんだ」
「では、急いで教会に手紙を送り、司祭を派遣してもらいましょう」
「ああ、すまないが便箋とペンを借りても?」
「はい」
お兄様が手を振るとお兄様の侍従が動き、便箋などやペン、インクを用意する。
お父様が自分の侍従に声をかけた。
「それから『裁きの首輪』を一つ用意してくれ」
お父様の侍従が一礼して下がる。
わたしとルルはお互いに抱き合っていた。
ルルと離れるのも、ルルが首輪をつけるのもつらい。
だが、このままわたしの疑いが晴れないのも困る。
「今のうちにリュシエンヌは着替えなど必要なものを準備して来るといい。侍女も連れて来ても構わないが、隔離する際は侍女は別室に待機になるから気を付けてくれ」
「……分かりました……」
ルルと共に立ち上がり、転移魔法で一度お屋敷に帰ることにした。
見慣れた居間に着くと控えていたリニアお母様とメルティさんが近づいて来る。
「お早いお戻りですが、いかがされましたか?」
「それが──……」
二人に説明すると酷く驚かれた。
わたしを監視するために隔離することも、ルルが『裁きの首輪』を着けることも、解決するまでしばらくわたし達が帰って来られないことも。
わたし自身もまだ納得出来ていないが仕方がない。
リニアお母様はすぐに「準備をいたします」と言い、メルティさんは「執事に説明してきます」と言い、二人が部屋を出て行った。
ルルとソファーに座り、ギュッと抱き締め合う。
「……やっぱりルルに首輪なんて嫌だよ……」
「オレも嫌だよぉ」
二人で抱き合ったまま、ぐすぐずとぼやいてしまう。
そんなことをしているうちに部屋の扉が叩かれ、クウェンサーさんと話を聞いたのだろうヴィエラさんがやって来た。
固く抱き締め合うわたし達に二人が苦笑した。
「しばらく屋敷を空けるからヨロシク〜……」
ルルの声もあまり元気がないような感じがする。
「かしこまりました。お屋敷はお任せください」
「他の侍女二人は連れて行くからぁ、泣き虫はこっちにいていいよぉ」
それにヴィエラさんが頷き、クウェンサーさんと共に下がる。
黙ってルルと抱き締め合っていると準備を整えたリニアお母様とメルティさんが大荷物で戻って来て、ルルがその荷物を空間魔法に仕舞う。
クウェンサーさんもカバン片手に戻ってきた。
ルルの荷物のようだが、それも空間魔法に放り込まれた。
気だるそうにルルが立ち上がり、釣られてわたしも立つ。
「それじゃあ、行くよぉ」
ルルがそう言って転移魔法を発動させた。
わたし達とリニアお母様、メルティさんの四人でお兄様の離宮に戻れば、まだお父様とお兄様は居間にいた。
リニアお母様とメルティさんが礼を執る。
「早かったな」
お父様が言って立ち上がった。
「では、まずはリュシエンヌを隔離する」
しかし、わたしがそのまま行くと目立ってしまうため、ルルがお父様と先に向かい、場所を確認したらわたしを転移魔法で移動させるということになった。
お父様のそばに行き、ルルがこちらに小さく手を振ってから扉の向こうへ消えて行く。
「すまないな、リュシエンヌ」
お兄様が立ち上がって近づいて来ると、わたしの頭を撫でた。
「お兄様が悪いわけではありませんから」
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