国境戦十日目
十日目の昼過ぎ、ヴェデバルド王国軍より使者が訪れた。
前回、休戦を申し出るために来た使者と同じ者であったが、もう一人、それよりも年嵩の四十代半ばから後半ほどの貴族の男も共にいた。
どうやらその貴族の男が現在、ヴェデバルド王国軍を纏めているらしい。
使者も貴族も張り詰めた表情だった。
挨拶をしている間も両者の顔色は思わしくない。
「ヴェデバルド王国軍の決断を聞こう」
アリスティードはまだ二十代前半であるが、その堂々とした姿に使者も貴族も頭を垂れた。
「……我が軍はファイエット王国に降伏いたします」
そう告げた貴族は、今から斬首刑に処される罪人のような面持ちである。
横にいた使者も僅かに震えていた。
「それは国王の判断か?」
「はい。こちらは我が王からの書簡でございます」
貴族が取り出した手紙を使者に渡し、使者からロイドウェルが受け取ると封を切って危険なものが入っていないか確認し、アリスティードへ渡した。
アリスティードは素早く手紙の内容に目を通すと頷いた。
「分かった。降伏を受け入れよう。ただし、無条件でというわけにはいかない。こちらの提示する条件に従ってもらう」
貴族と使者の顔色が更に強張った。
その様子にアリスティードが言葉を続ける。
「そう心配せずとも非常識な条件は出さぬ」
それから、アリスティードは使者と貴族に条件を伝えた。
一つ、終戦宣言を行うことへの同意。
一つ、此度の戦争に対する賠償金の支払い。
一つ、捕縛した王太子と貴族の返還を求めるのであれば、その身代金の支払い。
一つ、今回争ったこの土地をファイエット王国領土と認め、周辺国へ公に宣言すること。
一つ、終戦宣言より最低でも二十年はファイエット王国と戦争を行わないこと。
一つ、ファイエット王国へ行き来する旅人、商人などに不当な課税を行わないこと。
細かい条件は色々あるが、大体、そのような感じだった。
ルフェーヴルは国のことなど何も知らないし、全く興味はないが、それでも戦勝国の条件にしては随分と平和的なものであった。
ヴェデバルド王国を属国にするとか、王族の誰かを人質にするとか、そういった要求は一切なかった。
人質を要求したところで、ヴェデバルド王国も王族の中で最も価値がないと判断した者を差し出してくるだろうから、ファイエット王国としてもそんな人物を受け取っても無意味だろう。
貴族は条件を聞き、静かに頷いた。
「……条件を受け入れます」
この貴族はかなりの裁量権を持っているらしい。
……まあ、ココで条件を拒否して全滅させられたら、それこそ最悪な状況なんだろうけどぉ。
貴族の返答にアリスティードは一つ頷いた。
「では、今の条件は改めて書面にして渡そう。そちらさえ問題なければ明日、もう一度場を設けて話し合いを行いたいのだが、どうか?」
「はい、問題ございません。……もしよろしければ、その際に我が国の王太子に会わせていただけたら幸いに存じます」
「ああ、構わん。貴国も王太子の安否を確認せねば落ち着かないだろう。王太子の身柄はきちんと保護している。そちらへ返還するまで命は保証しよう」
一瞬、使者の肩がピクリと反応した。
貴族のほうは顔色一つ変えず、頭を下げた。
「ご温情、感謝いたします」
そうして、貴族と使者はもう一度深々と頭を下げ、挨拶を済ませるとどこか安堵した様子で自軍へ帰って行った。
使者達が天幕を出て、ややあってからアリスティードが口を開く。
「ヴェデバルド王国の国王も、あの息子の父親だけはある」
アリスティードのどこか呆れた様子に、ルフェーヴルだけでなく、その場にいたロイドウェルや貴族達も小首を傾げた。
「と、申しますと?」
「ロイド、これを読んでやってくれ」
辺境伯の問いかけに、アリスティードが手紙をロイドウェルへ渡した。受け取ったロイドウェルが内容を読み上げる。
随分、長々と遠回しな表現を使われていたが、その内容は言い訳じみたものだった。
今回の戦争を行うと言い出したのは王太子である。
次代の王となるべく功績を挙げたいと言い出した王太子と、それに賛同した多くの貴族達の意見を退けることが出来ず、宣戦布告を行うことになった。
だが、戦争は国王の本意ではない。
今回の戦争は王太子と賛同した貴族達に非があること。
しかし、負けた以上はファイエット王国からの条件は受け入れ、捕虜となっている王太子と貴族達は身代金を払うので返してほしい。
その者達には王都へ帰還後、今回の戦争の責任を取らせる。
ファイエット王国が望むなら、どのような処罰も受けさせるので、これ以上の戦争の継続とヴェデバルド王国への侵攻はどうか考え直してほしい。
簡単に言えば、そのような内容であった。
最後に謝罪文と降伏するという言葉が入っていたものの、ヴェデバルド王国の国王は今回の戦争の責任は全て王太子達に押し付けたいらしい。
……まあ、国王が戦争ふっかけて負けましたは恥ずかしいんだろうねぇ。
それならば、我が儘王太子が暴走して始まった戦争ということにしてしまえば、自分の責任も回避出来る。
もしかしたら王太子は自国でも問題児扱いされていた可能性もある。
今回の戦争の責任を追求することで王太子の地位を剥奪し、処罰を受けさせることで面倒事を一気に解決させるつもりなのか。
どちらにしても、国王が本心から謝罪しての手紙ではないことは明らかだった。
「……なるほど。殿下もよく耐えられましたね」
辺境伯も他の貴族達も眉根を寄せて嫌そうな顔をする。
王太子の身分を振り翳して好き放題する王太子も、自身の責任を逃れるために息子に全て押し付ける国王も、似たり寄ったりである。
この手紙の内容を恐らく先ほどの使者達も知っていたのだろう。
このような手紙を渡すのだ。最悪「ふざけるな」とアリスティードにこの場で斬り殺されるかもしれないと覚悟をしていたのかもしれない。
そうすれば、ファイエット王国は降伏してきた国の使者を斬り殺した非道な国だとヴェデバルド王国は非難し、条件の緩和を提案出来ただろう。
けれどもアリスティードはそうはしなかった。
「正直に言えばかなり不快ではあるが、私の一時の感情で我が国を不利な状況へ落とすわけにもいくまい」
「そうでございますな。ヴェデバルド国王もなかなかに性格が悪いご様子で、話し合いは難儀するかもしれませんぞ」
「そうならないために教会に声をかけたんだ」
その後、アリスティードは全員に撤収準備を行うように伝えた。
ヴェデバルド王国軍が降伏した以上、いつまでも全兵力を並べておく必要はないし、長居するほど金もかかる。
貴族達が天幕を出て行き、ロイドウェルも仕事のためにその場を離れ、アリスティードとルフェーヴルだけが残った。
ふう、とアリスティードが息を吐いてテーブルに頬杖をついた。
「ルフェーヴル、王太子をヴェデバルド王国へ引き渡すまでアレのお守りをお前に任せる」
「あ〜、やっぱりそうなるかぁ」
「使者が無事帰って来たとなれば、今度は王太子が狙われるだろう。あんな手紙を寄越すような国王だぞ? こちらで捕らえている王太子を自分達の手の者を使って殺し、ファイエット王国側の落ち度として責め、落とし所として条件緩和を言ってくるかもしれない」
そんなことはしないだろう、とは言い切れない。
何としてでもファイエット王国側に非があるように仕向け、それによって自国を少しでも優位にさせたいという思惑が透けて見える。
そもそも、国王の名で宣戦布告をしておいて『息子と貴族達を抑え込めませんでした』など、通用しない。
むしろ国王の手腕と能力が問われる内容である。
「いっそ、この手紙を公開してしまうか?」
感情的にならなかっただけで、アリスティードも苛立ってはいるらしい。
ふと、リュシエンヌから聞いた原作ゲームの話を思い出す。
アリスティードとオリヴィエ=セリエールが恋仲になり、原作のリュシエンヌが暴漢にオリヴィエを襲わせたと知ったアリスティードが妹を問い質し、そこで怒りのあまり斬ってしまうという話。
その話を聞いた時は『さすがのアリスティードでもそんなことはしないだろう』と思ったし、こうして実際のアリスティードは自身の感情をきちんと制御出来ている。
「そういえばさぁ、アリスティードは『オリヴィエ=セリエールの夢』を見たんだよねぇ?」
ルフェーヴルの唐突な問いにアリスティードが目を瞬かせた。
「確かに見たが、それがどうかしたのか?」
「いんやぁ、リュシーから聞いてた夢の内容だとぉ、最悪の場合アリスティードがリュシーを斬りつけて、リュシーが衰弱して死んじゃう〜って可能性もあったでしょぉ? でも、今のアリスティードは『夢』と違ってかなり理性的だなぁって思ってねぇ」
「ああ、そんなことか」
ルフェーヴルの疑問にアリスティードが頬杖をやめる。
そして真面目な顔で言った。
「あの『夢』を見たからこそ、私は『あのようにはなりたくない』と思っている。一国の王太子が一人の令嬢に振り回されるようなことがあってはならないし、どれほど険悪だったとしても兄が妹を斬り捨てるなど許されない。何より、リュシエンヌがそうならないよう努力している姿を見て、私も『夢』のようにはなりたくないと思った」
つまり、アリスティードも『原作ゲーム』通りにならないよう努力をしていたということだ。
確かに婚約者を早々に決め、オリヴィエ=セリエールを徹底的に避けるなどしていた。そういったことが現在のアリスティードに影響を与えているのだろう。
アリスティードにとっては『夢』の中で見た自分こそが反面教師だったのかもしれない。
「どれほど憎く思っても、血が繋がっていなくても、妹を感情に任せて斬り殺すような王太子が良い国を治められるはずがない。それに、お前に殺されるのも御免被る」
「確かにぃ、もしアリスティードがリュシーに剣を向けたら、オレがアリスティードを殺すだろうねぇ」
「妹を殺そうとして義弟となる男に逆に殺されるなど、色々な意味で名を残すことになるだろう」
そしてアリスティードが死んだ場合、リュシエンヌが女王となるか、ベルナールが再婚して子を生すかという話になり、どちらにしても最悪の事態である。
クーデターを起こした以上、旧王家のリュシエンヌを女王に立てることは出来ないので、ベルナールが一人で全て背負うことになっただろう。
恐らく、原作ゲームのアリスティードは幸せにはなれないだろう。
元がこのように生真面目な性格なので、感情に身を任せて妹を斬り殺した自分を責めるはずだ。
「まあ、もしもの話は置いておくとして、王太子のお守りは頼んだ。昼間は兵士達に守らせるが、夜間は見張っていてほしい」
「りょ〜かぁい。暗殺するなら夜が動きやすいからねぇ」
夜、リュシエンヌと会えないのは残念だが仕方がない。
その分、昼間に会いに行けばいいだろう。
……リュシーにまた膝枕してもらおうかなぁ。
どうせ休息を取るなら、かわいい妻に癒されたい。
* * * * *
その日の夜、ルフェーヴルはヴェデバルド王国の王太子用の天幕の外で待機していた。
何もなければそれに越したことはないのだが、ファイエット王国軍が捕虜として扱っている最中に王太子に死なれると困るのだ。
元より問題行動ばかりなので兵士達からの心象が悪いので、もし王太子が死んだ場合、監視している兵士達が疑われるし、ファイエット王国の落ち度となる。
……理由はどうあれ良いご身分だよねぇ。
当の王太子は自国に命を狙われるかもしれないという可能性を微塵も感じておらず、天幕の中で眠っている。
ルフェーヴルが一日対応して以降、問題行動は一応起こしていないらしい。
まだ文句を言うことはあるようだけれど、喚いたり、物を粗雑に扱ったり、兵達を手間取らせることはないとの報告が上がっていた。
今まで第一王子、王太子と甘やかされてきたのだろう。
戦地で敵国の王太子を守護するというおかしな状況に、ルフェーヴルは内心で『面倒くさいなぁ』と思いながらも周囲の気配に意識を集中させる。
天幕の周囲は兵士達が取り囲んでいるが、それはあまり抑止力にはならないだろう。
この兵達はあくまで王太子の『監視』をしているだけだ。
外から侵入してくる敵に、それも暗殺者に対しては脆弱であるし、兵士達自身もそれは想定外のことだ。
だからこそ、ルフェーヴルが見張っている。
兵士達は天幕の外に立つルフェーヴルを『王太子が問題を起こさないか見張っている』と思っているようだが。
……退屈だねぇ。
たとえヴェデバルド王国軍が暗殺者を差し向けたとしても、それは恐らく、ルフェーヴルが一度戦ったあの影の者達だろう。
あの場では四名いたが、そのうち二名は殺し、一名は重傷を負わせた。最後の一名は軽傷だが来るかどうか。
ルフェーヴルの実力を理解した上で一人で挑むとは思えない。
……今頃、リュシーは寝てるかなぁ。
見上げた空には三日月よりもやや太い月が浮かんでいる。
月に見下ろされながら、退屈な夜が静かに過ぎていった。
* * * * *




