国境戦九日目
九日目、ルフェーヴルは戦地となった場所に来ていた。
いまだヴェデバルド王国軍と向かい合っているが、休戦ということもあり、それほど緊張感はない。
拠点から出てきたのには理由があった。
今回、王都から出征した兵士達の中で戦死した者達の回収を行うため、遺体を保管している場所を訪れた。
遺体の手首には紐で名前の書かれた紙が括り付けられており、出来上がったばかりの戦死者リストを確認しつつ、空間魔法に収納していく。
空間魔法は使用者の魔力量に応じて収納幅が変わる。
そしてルフェーヴルは、リュシエンヌと結婚したことでより膨大な魔力を有しており、今回戦死した者達を王都へ連れ帰る役目を担った。
一人ずつリストを確認し、ある程度の数が確認出来たら空間魔法へ仕舞うというのを繰り返す。単調な作業だ。
遺体の保管場所には兵もあまり近寄らない。
遺体の中には損傷の激しいものもあり、仲間のそのような姿を見たくないのだろう。
……腐る前にリストが出来て良かったねぇ。
さすがのルフェーヴルも腐敗した遺体を空間魔法に入れるのは、少し抵抗感がある。
そんなことを思いながら黙々と作業をしていたルフェーヴルの耳に足音が聞こえた。
振り向けば、そこにはリスティナ辺境伯がいた。
歳の頃は四十代後半から五十代くらいの、オレンジがかったやや癖のある茶髪に髭の生えた野生みのある強面は、どこかライオンを連想させる。身長はルフェーヴルと同じくらいだが、体格はかなりがっしりとしていてルフェーヴルより大きく見える。
手を止めたルフェーヴルに、辺境伯が軽く手を振った。
「そのまま続けてくれて構わない」
ルフェーヴルは頷き、また作業へ戻る。
辺境伯はしばらくルフェーヴルの作業を眺めていたが、不意に口を開いた。
「此度の戦、ニコルソン子爵の功績は大きいだろう」
それは部隊長達の首を刎ねて回ったことか、それとも王太子を捕虜にしたことか。
一瞬考え、ルフェーヴルは両方について言っているのだろうと判断した。
「代々国境を守護し、国を支えて続けてきた辺境伯に、そのように高く評価していただけるとは光栄です。リスティナ辺境伯の勇猛な戦いぶりに比べたら、私などまだまだでしょう」
報告を聞いていたが、この辺境伯もなかなかの猛者だ。
中央軍を率いて、アリスティードの作戦を実行し、そして最小限の被害で最大の結果を残している。
今回の戦争で死者が少ないのは戦場で、辺境伯が的確な判断と対応をしたからだろう。
アリスティードが作戦を決める際にもロイドウェルと共に、何かと助言を求めていたし、辺境伯の意見を真摯に受け止めていた。
「そう謙遜することはない。子爵が指揮官を討ち取ってくれたおかげで、儂は気持ち良く戦えただけのこと。殿下が貴殿を気に入って側に置くのも頷ける」
「妹王女の夫だから贔屓にしている可能性もあるでしょう」
「そういった部分が全くないとは言い切れんが、己の国や命が懸かっている状況で、最も重要な動きを任せるということは相応の信頼がなければ出来ぬ。殿下が子爵の実力を理解している証拠でもある。貴殿を使えば勝てるという自信を儂は感じたがな」
その言葉にルフェーヴルは黙って微笑むだけに留めた。
ルフェーヴルは自分が強いと理解しているし、アリスティードもルフェーヴルの強さを理解しており、それ故に遊撃部隊を任されたことも分かっている。
ルフェーヴルならば、いざという時でも魔法やスキルで戦える。
戦況を覆すことはさすがに難しいだろうが、それでも、今回のように自軍を優位に導くくらいは出来る。
アリスティードはルフェーヴルの使い方を理解していた。
そういうところは父親のベルナールとよく似ている。
「気持ち良く戦わせてくれた礼ではないが、何か困ったことがあれば我が家に声をかけるといい。貴殿が率いる遊撃部隊のおかげで我が領地の兵も大勢助けられた。……他にも何か礼が出来れば良いのだが」
辺境伯の言葉にルフェーヴルは小首を傾げた。
……別に後見人とかは要らないんだけどなぁ。
既に国王と王太子という最強の手札がある。
だが、味方はいくらあっても困るものではない。
特に辺境伯はヴェデバルド王国との国境を守護しており、家臣の貴族も多く、国内でもなかなかに大きな影響力を持っている。
王太子であるアリスティードが辺境伯に敬意を持って接し、蔑ろにしないよう気を遣うのもよく分かる。
辺境伯は国境警備のために多くの私兵も有しているため、もし辺境伯が何かの理由で反乱した場合、かなり苦戦することになるだろう。
王家と辺境伯の仲が悪化しないように気を配るのは当然のことであった。
その話はともかく、ルフェーヴルは今回の戦争のために調べておいたリスティナ辺境伯領の情報について思い出す。
「リスティナ辺境伯領は果物の栽培が盛んだと聞き及んでおります」
ルフェーヴルの唐突な話題の変換に、辺境伯は不思議そうにしつつも頷いた。
「うむ、我が領地はありがたいことに肥沃でな。育てている果物はどれも美味いと評判だ。特にオレンジが有名だ」
「では、時々で構いませんので、辺境伯領の果物を優先的に購入させていただけると嬉しいです」
「そんなことで良いのか?」
意外そうな顔の辺境伯に見つめられ、ルフェーヴルは作業をしつつも、己の妻の笑顔を思い浮かべた。
大抵のものは「美味しい」と喜んで食べるリュシエンヌだが、それでも好みはあるし、美味しいものを食べている時のリュシエンヌの幸せそうな笑顔は見ていると癒される。
「ええ、妻は果物が好きなので、味も質も良い果物を購入出来ればそれで十分です」
辺境伯がキョトンとした顔をした後、弾けるように笑う。
場に似合わない、明るく、よく響く笑い声だった。
「そうか、妻のためか。子爵は愛妻家なのだな!」
思いもよらない内容だったのか、おかしそうに、それでいて愉快そうに辺境伯が笑みを浮かべた。
「ええ、誰よりも妻を愛しております」
「夫婦仲が良いのは素晴らしいことだ。そういえば、社交界の噂で『王女殿下と婚約者は非常に仲が良い』と聞いたことがあったな。国境の警備もあって王女殿下にお目通りする機会がなかったのは残念だ」
「本人に訊いてみなければ分かりませんが、果物の購入の際に共に来ることは出来るでしょう」
よほど愉快だったのか辺境伯の笑い声が響く。
「分かった。いつでも好きな時に優先して購入出来るように手配しておこう。もし王女殿下がお越しになられる際には、是非、我が領地自慢の果物を食べていただきたい」
「ありがとうございます。妻にもそのように申し伝えます。……実はこの度の戦争では妻に不安な思いをさせてしまったので、その罪滅ぼしを何かしたいと考えておりまして、辺境伯領の素晴らしい果物ならきっと妻も喜びます」
「ははは、子爵は本当に面白い男だな」
その後、ルフェーヴルと辺境伯は馬が合い、作業を終えてからも作戦についての考察などを話しつつ、共にアリスティードのいる会議用天幕へと戻った。
「珍しい組み合わせだな」
アリスティードの言葉にルフェーヴルは笑った。
「辺境伯領より果物を購入させていただく話をしておりました」
「果物……?」
辺境伯とルフェーヴルの顔を交互に見て、訝しげに眉根を寄せるアリスティードが少し面白かった。
* * * * *
夜、戻って来たルルは機嫌が良さそうだった。
「ただいまぁ」
「おかえり、ルル。なんだかご機嫌だね?」
ギュッと抱き締められながら訊くと、ルルが頷いた。
「うん、ちょ〜っとイイコトあってねぇ」
「良いこと?」
ルルに促されてソファーへ移動する。
腰掛けたルルがポンポンと自分の膝を叩いてみせるので、わたしは横になってそこへ頭を置いた。
……本当に機嫌がいいみたい。
普段はわたしがルルに膝枕をすることが多く、たまに、こうしてルルがしてくれる時もあるが、それは決まってルルの機嫌がいい証拠である。
ルルの手がわたしの頭を優しく撫でる。
「リスティナ辺境伯って知ってる〜?」
「えっと、今回戦争になってる国境を代々守護してくれている家だよね? 参戦するって話は聞いてるけど……」
「そぉそぉ、そのリスティナ辺境伯領って特に果物が有名らしいよぉ。それで〜、優先的に購入させてもらう話になったんだぁ」
思わず小首を傾げてしまった。
「そうなの?」
「一番はオレンジがいいらしいけどぉ、季節によって色々な果物を食べられたら良くなぁい? リュシー、果物好きでしょぉ?」
と言うルルをまじまじと見上げた。
……もしかして、わたしが喜ぶから話をつけてくれたの?
わたしの心を読んだようにルルがニッコリ笑う。
起き上がってルルへと抱き着いた。
「ルル大好き!」
確かに、わたしは果物が好きだ。
いつも食後のデザートとして食べているし、オヤツや夜食として食べることもある。
一緒に食べているので、恐らくルルも果物は好きなほうなのだと思う。
「オレが辺境伯領まで転移魔法で移動すれば一瞬だしぃ、空間魔法に収納して持って帰ればいつでも新鮮な果物が食べられるよぉ」
「ふふ、ルルがお店屋さんをしたら『新鮮な果物・野菜をいつでもお届け!』みたいな謳い文句で繁盛しそうだね」
「リュシー限定の店だけどねぇ」
ルルにヒョイと抱えられ、膝の上に横向きに下ろされる。
せっかく良い果物が買えるなら何かしたい。
……ルルのおかげだし、ルルの好きなものがいいよね。
少し考えてから「あ」と思い出す。
「オレンジがオススメなんだよね?」
「辺境伯はそう言ってたよぉ」
「じゃあオレンジチョコを作ろうよ。オレンジを輪切りにして、砂糖と水でよく煮て、えっと、クッキーみたいに焼いて乾燥させたものにチョコレートをつけて食べるの」
「オレンジチョコ……」
ルルはチョコレートが好きだ。
実はルルの誕生月には毎回チョコレートフォンデュでお祝いしているのだけれど、その時にもイチゴやオレンジは使っている。
だから味のイメージはルルも出来るだろう。
「甘いオレンジにチョコレートをつけると、柑橘系の香りとチョコの香りがよく合って美味しいよ」
想像しているのかルルが静かになる。
……こういうところがかわいいなあ。
「ほら、たまにチョコレートフォンデュするでしょ? あれがもっと甘くて、もっとオレンジの香りが強めなの。ちょっと匂いが強いから、仕事前には食べられないかもしれないけど……」
ルルの灰色の目が瞬く。何か考えている様子だ。
「リュシー、それ作り方知ってる〜?」
「う〜ん、大体なら。使う砂糖の量とか、細かい部分はあんまり覚えてないかも」
「覚えてる範囲でいいから書き出しておいてくれなぁい? 辺境伯に教えてあげれば向こうも喜ぶだろうしぃ」
「でもオレンジの砂糖漬けとかはもうあるよね? 干した果物を入れたチョコレートも。……オレンジチョコで喜んでもらえるかなあ」
もう、どこかで誰かが作っているだろう。
けれどもルルは「それでもいいじゃん」と言う。
「辺境伯が知らないものなら教えてあげた〜ってことになるしぃ、教える前に尋ねてみて、知らなければ教えればいいんだよぉ」
それに、とルルが続ける。
「大体のレシピでもいいから教えておけばぁ、向こうが一番美味しい作り方を研究してくれるかもしれないし〜? そうすればオレ達が頑張らなくても美味しいオレンジチョコが食べられるようになるでしょぉ?」
「なるほど」
……まあ、お砂糖も安くはないからなあ。
美味しいオレンジチョコを作るために、何度もオレンジを砂糖と煮詰めて一番美味しい比率を探し出すのは大変だろう。
その苦労をしなくても済むならいいのかもしれない。
「季節ごとに果物が食べられるのは楽しみだね」
「でしょ〜? 果物を買いに行く時はリュシーも一緒に連れてってあげるよぉ。リスティナ辺境伯もなかなかに面白いヤツでさぁ、向こうもリュシーに会いたがっていたしぃ、きっとリュシーも気に入ると思うよぉ」
それは、また一緒に旅行に行こうというお誘いだろうか。
たとえ転移魔法で移動するのだとしても、ルルと出掛けられるのは嬉しいし、わたしも、ルルが気に入ったらしい人には会ってみたい。
……ルルはいつもわたしを喜ばせてくれる。
わたしのことを愛してくれているのだと感じられる。
「ありがとう、ルル」
感謝の気持ちを込めてわたしのほうからキスをすれば、ルルが嬉しそうに、子供みたいな明るい笑みを浮かべた。
この笑顔が見られるのはきっと、妻の特権だろう。
* * * * *
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