国境戦八日目
八日目の午後、ルフェーヴルがアリスティードとロイドウェルと共に会議用天幕にいると、兵士の一人がやって来た。
兵は困ったような、申し訳なさそうな顔をしていた。
何か問題があったのかアリスティードが訊ねると、兵はやはり困り顔でこう言った。
「ヴェデバルド王国の王太子のことなのですが──……」
あれでも敵国の王太子なので、捕虜と言っても小さな天幕が与えられており、過ごす上でそれなりに困らない程度の物も置かれている。
それなのに王太子はそこが気に食わないらしい。
もっと広い天幕にしろだの、もっと良いベッドに替えろだの、とにかく何につけても文句ばかりで喚き立てる。
食事は不味い、酒を寄越せ、女達を自軍から呼んで来い。
敵国とはいえ王太子なのだから王族の扱いをしろ。
終始、兵達に対して不遜な態度で命令してくるそうだ。
「……自分が捕虜だという自覚がないのか……?」
国同士で話し合う際に落とし所がないと困るため、捕縛した王太子や貴族は生かしているが、ヴェデバルド王国の対応次第ではそれもどうなるか分からない。
捕虜となった場合、普通は大人しくしているものだ。
ちなみに王太子は何度か脱走を試みたようだが、兵士にすぐに気付かれて失敗に終わっている。
その時にも大騒ぎするものだから、休んでいた他の兵達も起こされてしまい、それが連日続いたためにファイエット王国軍の中でも王太子に対する不満が湧きつつある。
報告を聞いたアリスティードとロイドウェルが、頭が痛いという様子で額に手を当てて溜め息を吐いた。
「今もまだ喚いているのか?」
「はい、その、今日は『昨日と朝食の内容が同じこと』について騒いでいます。毎日違う食事を出せ、と。それから『湯を沸かして汗を落とさせろ』とも申しております。我々一般兵の話を聞く気はないようで……」
「……分かった、私達が対応しよう」
溜め息交じりにアリスティードが言い、立ち上がる。
「ロイドは引き続き、仕事を続けてくれ」
「分かったよ。でも大丈夫かい?」
「ルフェーヴルを連れて行く」
アリスティードの言葉にロイドウェルが納得した顔で頷いた。
朝から暇を持て余していたルフェーヴルは、自分の名前が出たことで役割を理解し、口角を引き上げた。
機嫌の良くなったルフェーヴルにロイドウェルが苦笑したが、何も言わなかった。
「王太子に一番効くのはお前だろうからな」
アリスティードに手招きをされてルフェーヴルもついて行く。
そうして、報告に訪れた兵士の案内で、ルフェーヴル達は捕虜用の天幕へと向かった。
捕虜同士が協力して脱走しないように、王太子と貴族は別々の場所で監視しているが、小さな天幕に近付くにつれて聞こえてくる声にアリスティードが眉根を寄せた。
「貴様ら、分かっているのか!? 私はヴェデバルド王国の王太子であり、次期国王だぞ!! ただの一般兵が私に意見するなど不敬である!!」
天幕の外まで怒声のようなそれが響く。
周囲の兵士達も嫌そうな顔をしていたが、アリスティードとルフェーヴルの姿を見つけると慌てて礼を執った。
それにアリスティードが「気を楽にしてくれ」と軽く手を振って応え、喚き声のする天幕の入り口に立つ。
中からはまだ王太子のものだろう声がする。
天幕の出入り口を監視している兵士達の表情も固い。
この天幕周辺の兵士達は皆、苛立っているようだった。
「ええい、貴様らのような愚図では話にならん! 王太子を連れて来い!! 貴様らの職務怠慢ぶりを教えてやろう!!」
こんなことを延々言われ続け、聞き続ければ嫌にもなる。
アリスティードが出入り口の布を持ち上げた。
「では、何がどう職務怠慢なのかご教授願おうか」
中から兵士達の「殿下……!」という声がした。
安堵と申し訳なさとが滲む声だった。
ルフェーヴルは出入り口から見えない位置にいるため、中は見えないが、ヴェデバルド王国の王太子の声が響く。
「どうもこうもない! 天幕もベッドも食事も、何もかもが質が悪すぎる! 王太子である私を迎え入れるならばそれなりの用意というものがあるだろう!!」
「貴殿は何か勘違いをしている。客人ならばともかく、貴殿は捕虜としてここにいる。地位や立場に応じて扱うのであれば、貴殿は敵国の捕虜の一人に過ぎず、これでもマシなほうなのだが」
「捕虜であろうと王太子だぞ!」
アリスティードが溜め息を吐く。
会話しているはずなのに内容が噛み合っていない。
ヴェデバルド王国の王太子は、自身の地位に見合った扱い──……つまり、捕虜であろうとも歓待し、何不自由のなく過ごせるようにしろと言っている。
……これでも捕虜としては破格な待遇だと思うけどねぇ。
小さくても雨風を凌げる天幕が与えられ、ベッドもあり、きちんと食事も与えられて、何もされていない。
場合によっては捕虜は拷問によって情報を引き出され、食事なども与えられず、劣悪な環境に置かれても文句は言えない。
「見合った待遇というものがあるだろう!!」
「十分、高待遇を与えていると思うのだが……」
「私は王太子なのだぞ!? 貴殿と同等の待遇をされて当然だろう!! そもそも、まだ我が国は負けていない!! 王族に対する敬意と礼儀を持って接するべきだろう!!」
「それを言うなら私も王族だが、今の貴殿の態度がヴェデバルド王国流の、他国の王族への接し方なのか?」
呆れた様子のアリスティードに指摘され、ヴェデバルド王国の王太子が押し黙った。
一応、自身の行いが言動から外れている自覚はあったらしい。
数秒の沈黙の後、王太子の声がする。
「……確かにそなたも王太子であるが、そもそも、同じ王太子という立場であるならば、もっと気を遣うべきだろう」
さすがに怒鳴るのはまずいと感じたらしい。
全くもって今更である。
それに、自軍の者が敬意を持ってそう進言するならば考えるが、捕虜自身が『己を敬い歓待せよ』などと言って、受け入れられるはずもない。
王太子の我が儘に付き合っていてはファイエット王国軍の面子にも関わる。
どこまでも自分勝手な内容に、さすがのアリスティードも苛立ったようだ。
「そうか。これでもかなり気を遣っていたのだが、私の対応は貴殿のお気に召さなかったようだ」
そうしてアリスティードが首だけで振り返った。
「ルフェーヴル、お前なりの対応をして差し上げろ」
呼ばれて、天幕の中をヒョイと覗き込めば、王太子と目が合った。
王太子の表情が凍りつき、それとは反対にルフェーヴルは出来る限り優しい笑みを浮かべた。
「どの程度まで許容していただけますか?」
「治癒魔法で治せないほどでなければ好きにしろ」
「かしこまりました」
中へ入ってきたルフェーヴルに王太子が後退る。
連れて来る際に抵抗されたので、自ら「行きます」と言うまでボコボコにしたのがルフェーヴルだということはまだ覚えているようだ。
「私なりにおもてなしさせていただきます」
その日以降、王太子が静かになったのは言うまでもない。
後で報告を聞いたロイドウェルが顔を引きつらせていたが、ルフェーヴルからすればかなり優しい対応であった。
刃物も向けていないし、大怪我も負わせていない。
ただ、逆らうとどうなるか文字通り叩き込んだだけである。
「戦後の話し合いの場にお前も同席させておくか。そうすれば、あの王太子も静かでいいだろう」
そう言ったアリスティードもなかなかに良い性格である。
* * * * *
「リュシー、疲れたよぉ」
と帰って来たルルが抱き着いてくる。
ルルの体に腕を回しながら訊き返した。
「今、休戦中だよね? 何かあったの?」
……まさか、ヴェデバルド王国軍が攻撃してきたとか……?
しかし、それならばルルはもっと遅くに帰って来るだろう。
「今日はヴェデバルド王国の王太子の子守りしてたんだよぉ」
「子守り」
「そぉ、子守り〜。我が儘が通らないと大声で喚いて、暴れて、兵士達を困らせて『ファイエット王国の王太子を呼べ』って言うんだよぉ」
……自分達が負けているって自覚がないのかな?
もしわたしが敵国の捕虜にされたら、とにかく大人しく従って、相手に悪い印象を与えないようにする。
暴力を振るわれるのも嫌だし、酷い扱いもされたくないし、最悪、下手なことをすれば殺される可能性だってある。
「それで仕方なくアリスティードと一緒に様子を見に行ったんだけどさぁ、捕虜のクセに、自分も王太子だからその地位に見合った待遇で迎えるべきだ〜って喚いててぇ」
「……戦争のせいで頭がおかしくなったとかじゃないんだよね?」
「うん、最初っから我が儘放題〜って感じの王太子だよぉ」
我が儘と言うより、もはや命知らずである。
お兄様はそのようなことはしないだろうけれど、殺されるかもしれないとは思わないのだろうか。
「ちなみに、王太子は小さいけど天幕とベッドも与えられて、毎日きちんと食事も出て、拷問とかもしてないよぉ」
「敵国の捕虜への扱いとしては、凄く高待遇だと思うんだけど……」
脱走出来ないよう弱らせるために日に一度しか食事を与えられないとか、情報を引き出すために拷問するとか、捕虜に対してそういった扱いをすることはあるだろう。
だが、そういったことがないのなら、ヴェデバルド王国の王太子はかなり良い環境にいるはずで。
「アリスティードも呆れてたよぉ」
……それはそうだよね。
二人でソファーに移動すれば、ルルがずるずるとわたしの肩から落ちていくので、膝を叩いて示す。
すると嬉しそうにわたしの足の上に頭を乗せ、横になる。
「そんな人の相手は疲れそうだね」
「ホント疲れたよぉ。こっちの話は聞かないし、自分の主張ばっか言うし、とにかくよく騒ぐから周りの兵達も迷惑そうな顔していたなぁ」
思い出したのかルルが珍しく眉根を寄せた。
そんなルルの頭をよしよしと撫でる。
「それでもルルのことだから、その王太子を放っておいたりはしなかったんでしょ?」
「まぁね〜、アリスティードに任されたから、きっちり逆らわないように躾けてきたよぉ」
ルルの場合は容赦がないので、きっと、王太子はかなり恐ろしい思いをしたことだろう。
その内容については少し気になるけれど、ルルがそれ以上は何も言わなかったので、わたしも訊かなかった。
ヴェデバルド王国の王太子に興味がなかったというのも理由のひとつである。
「それから、ヴェデバルド王国が降伏した時のことだけど〜、終戦宣言で大司祭に立ち会ってもらおうっていう話も出てるよぉ」
ファイエット王国、と言うか、お父様もお兄様もヴェデバルド王国を信用していないそうなので、きちんと終戦宣言をしたという証拠を残すためにも、教会を巻き込むことにしたらしい。
大司祭様が立会人となって終戦宣言を行うことで、もしヴェデバルド王国が両国の間で交わす条件に従わなかったり、無視した場合、ヴェデバルド王国はファイエット王国だけでなく教会も敵に回すことになる。
教会から見放されたら生きていくのは難しい。
元より、飢饉で困っていた時にファイエット王国を含めた周辺国から散々支援してもらっていたというのに、今回のファイエット王国への宣戦布告である。
周辺国もヴェデバルド王国に呆れているだろう。
「ヴェデバルド王国に賠償金を請求するんだけどぉ、その内のいくらかは教会に『戦地や周辺地域で被害を受けた者の救済金』として寄付するんだってぇ。まあ、実際は国からしっかり各領地に戦後復興金が入るだろうからぁ、実質、教会は寄付金を丸々もらえて悪い話じゃないだろうしねぇ」
どちらも利益のある話というわけだ。
「ちなみに立会人の大司祭は、オレ達の結婚式の立会人もしてくれたあの大司祭にするつもりらしいよぉ」
「そうなんだ。でも大司祭様、もう結構ご高齢だよね?」
「そこでオレの出番ってわけ〜。転移魔法で移動すれば長旅もしなくて済むしぃ、大司祭にも負担が少ないからねぇ」
「なるほど」
教会も面子のためにヴェデバルド王国が好き放題しないよう、見張ってくれるだろう。
……王太子が凄い我が儘ってだけでも不安しかないよね。
旧王家を思い出し、あれがそのまま国を動かしていると考えるだけでも、どのような国になるか想像はつく。
叛逆は悪いことかもしれないが、お父様がクーデターを起こしてくれて良かった。お父様とお兄様のおかげで、この国は立て直し、こうして自国を守る力を保持出来ている。
もしクーデター前にヴェデバルド王国に攻め込まれていたら、この国は負けていたかもしれない。
それくらいあの頃は酷かったから。
「お父様が国王で良かったって思うよ」
「そうだねぇ、義父上がクーデターを起こさなかったら、いずれこの国は滅んだかもしれないねぇ」
ルルもわたしと同意見らしい。
膝の上にあるルルの頭を撫でながら思う。
……わたしが傀儡の女王にならなくて良かった。
そうなっていたら、きっと、わたしが最後の王になっていただろう。
「この国は滅んでほしくないなあ」
このままずっと、ルルと幸せに過ごしたいから。
わたしの言葉にルルが笑った。
「加護持ちのリュシーがいるうちは多分滅びないよぉ」
確信を持った様子のルルにわたしは苦笑する。
ルルの言葉を否定は出来なかった。
* * * * *
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