開戦前日
開戦前日の夕方、天幕へ戻ろうとしていたルフェーヴルを、アリスティードが呼び止めた。
「夕食後、時間はあるか?」
「いいけどぉ、何か用〜?」
「……ちょっとな」
普段は比較的ハッキリとした物言いをするアリスティードが、言葉を濁すのは珍しい。
しかもロイドウェルがいないのを見計らって声をかけてきたようであった。
ルフェーヴルは小首を傾げたものの、すぐに頷いた。
「ん〜、まあいいよぉ」
そしてアリスティード達の夕食が終わった後、ルフェーヴルは王太子用の天幕に向かった。
一度リュシエンヌのところへ転移で移動し、アリスティードと話があるから少し遅くなることを伝えてある。
王太子用の天幕は警備が厚く、出入り口にも兵が立っている。
その兵に軽く手を上げて挨拶をしつつ、天幕の中へと声をかけた。
「ルフェーヴル=ニコルソン、まいりました」
「……入れ」
入室の許可を得て、天幕の布を手で除けながら中へと入る。
天幕の中にはアリスティードしかいなかった。
いつもはアリスティードのそばにいるロイドウェルの姿がないことに、ルフェーヴルは意外に感じた。
それに気付いたのかアリスティードが苦笑する。
「ロイドには席を外してもらっている」
「ふぅん?」
ルフェーヴルは天幕の中に敷かれた絨毯の上に座った。
アリスティードも絨毯の上に座り、手に持っていたものをそばへ置く。木製の盆の上には干し肉とチーズ、そしてワインがあった。
「匂いの強いものは避けていると言っていたが、少し、付き合ってくれないか?」
差し出されたカップをルフェーヴルは受け取った。
「いいよぉ」
アリスティードが持っていたワインの瓶を絨毯の上に起き、コルク抜きで栓を外した。
ポンッと気持ちの良い音が響く。
先に自分のカップに中身を注いだアリスティードが、ルフェーヴルへ瓶の口を向けたので、ルフェーヴルはカップを差し出す。
そこへアリスティードがワインを注いだ。
「王太子に酒を注いでもらうなんて贅沢だねぇ」
「紅茶も似たようなものだろう」
「それもそうだっけ〜」
二人で軽くカップを掲げ、ワインに口をつける。
中身は赤で、やや渋みの強い濃い味がして、喉越しも良い。
「コレ、結構いい酒じゃなぁい?」
「ああ、父上が『戦の前日にでも飲むように』と持たせてくれた」
ワインを飲みつつ、干し肉を一つ取り、ルフェーヴルはかじりついた。
……こっちも多分高いヤツなんだろうなぁ。
しっかり香辛料の効いた干し肉はピリリとして美味い。
そのままチーズも食べ、ワインを飲めば、戦地にいることなど忘れてしまいそうだ。
目の前にいるアリスティードも干し肉とチーズを食べ、ワインを飲んでいる。
しばし無言が続いた後、アリスティードが呟いた。
「言いたくないなら答えなくていいが、お前が初めて人を殺めた時、どんな気持ちだった?」
静かな問いかけにルフェーヴルはカップを見た。
赤いワインはまるで血のようだ。
「別に何も感じなかったよぉ」
「……そうなのか?」
「そもそも、オレが初めて殺したヤツは師匠が仕入れてきた人間でさぁ、犯罪者で極悪人で、死刑も決まってるようなのを買ってきたって感じだったからなぁ」
最初に犯罪者を殺すことで『殺しへの抵抗感』を下げ、それを何度か繰り返し、段々と殺人への感覚が麻痺してくると、抵抗感なく他の人間も殺せるようになる。
そもそも暗殺を望まれるような人間が善人とは限らない。
「人を殺すのが怖くなかったのか?」
「その前に動物で生き物を殺す練習もしてたしぃ。……あ」
「なんだ?」
ルフェーヴルはふと思い出し、訂正した。
「ごめん、最初に殺したのは兄弟弟子だったかもぉ。オレによく絡んでくるヤツがいてさぁ、ソイツがナイフを向けてきたから殺っちゃったんだったぁ」
「……容易に想像出来るな……」
アリスティードが額に手を当てて溜め息を吐く。
正直、ルフェーヴルはあれを殺すつもりはなかったが、思いの外、簡単に死んでしまったのだ。
だが死んでも良いと思って反撃したし、相手が苦しんでいても助けようとは思わなかった。
「戦争が怖いのぉ?」
アリスティードは人を殺したことがないのだろう。
そして、ベルナールのように暗殺者などを雇った経験もなく、誰かを殺すことや他者の死への抵抗感や罪悪感などの苦悩があるのだと窺えた。
そういうところが生真面目で、善人で、人間らしい。
ルフェーヴルにはよく分からない感覚だ。
「…………怖い」
そう呟いた声は酷く小さかった。
まるで、それを言うこと自体を恐れているようだった。
「私の指揮一つで何十、何百、何千と人が死ぬかもしれないんだ。……怖くないはずがない」
「でもさぁ、今回の件はヴェデバルド王国が悪くなぁい? 向こうが越境してこなければ戦争にはならなかったんだしぃ、宣戦布告してきたのだって向こうだしぃ、こっちは正当防衛だと思うけどぉ」
「そうだとしても、私の指示に大勢の命運がかかっている。……味方も、敵も、死ぬんだ……」
アリスティードが見下ろした自身の手は微かに震えていた。
それを誤魔化すように握り、アリスティードがワインを一気に飲み干す。
ルフェーヴルは瓶を取り、空になったカップに注いでやった。
「戦争なんだから兵士が死ぬのは当然だよぉ」
「分かっている。だが、しかし、兵達だって望んで戦争に参加しているわけではない。死にたくないと皆が思っているというのに、王太子である私は『戦え』と命令するしかないんだ」
大勢を動かし、それらの命の責任を持つ重圧を感じているようだ。
……そんなに悩むことかねぇ。
ルフェーヴルもカップの中身を飲み、ワインを注ぐ。
「どうせ人間が死ぬなら、こっちの国の損害が少なくなるように動けばいいんだよぉ。全体を見るのが大事なんじゃなぁい? まあ、オレは戦争なんてよく分かんないけどぉ」
「……投げやりだな」
胡乱な眼差しを向けられ、ルフェーヴルは笑った。
「一つ良いこと教えてあげよっかぁ?」
アリスティードが警戒するように眉根を寄せたが、構わずルフェーヴルは言葉を続けた。
「今、この戦場で最も人間を殺した数が多いのはオレだと思うよぉ」
「それは良いことなのか……?」
「だからさ、もし困ったら迷わずオレを使うといいよぉ。今更、十だろうと百だろうと、殺しの数が増えたところでオレは何とも思わないしねぇ」
アリスティードがなんとも言えない顔で押し黙る。
「まあ、でもぉ、アリスティードにはアルテミシア公爵令息がいるでしょぉ? 多分だけどさぁ、アイツが今回の戦争に側近としてついて来たのって、アリスティードと一緒にその重荷を背負いたいって考えたからじゃないのぉ?」
ルフェーヴルの言葉にアリスティードがハッと顔を上げた。
そして、アリスティードは僅かに顔を歪めると、それを隠すようにカップの中身をまた勢いよく飲み干した。
「……そうなのだろうか」
「第一、今回の戦争は義父上達、国の上層部が決めたことなんだしぃ。それでもつらいって思うならさぁ、アルテミシア公爵令息とか他の側近達に寄りかかれば〜?」
「……王太子が弱みを見せたら不安にさせてしまわないか?」
「こうしてオレに愚痴っておいてソレ言うの、おかしくなぁい?」
ルフェーヴルの指摘にアリスティードが小さく笑う。
「お前はいいんだ」
ルフェーヴルはまた、アリスティードのカップにワインを注いでやった。
あまり酒を飲んでいるところは見たことがなかったが、アリスティードはそれなりに酒に強いらしい。
「だが、側近達や他の者に弱い姿を見せて、失望させてしまったら? 王太子として、いずれは国王となり、この国を率いていく者が弱くては皆が不安にならないか? 父上のそんな姿は見たことがない」
ルフェーヴルは首を傾げた。
「オレはリュシー以外どうでもいいから知らないけどさぁ、弱い姿も見せてもらえたら信用されてるみたいで嬉しいし、支えてあげたい〜って思うしぃ、側近達だって似たような気持ちでアリスティードに仕えてるとオレは思うけどなぁ。そもそも、義父上とアリスティードは別の人間なんだから、同じになれるわけがないよぉ。アリスティードはアリスティードなりに自分の理想の王になればいいじゃん?」
「……今日は珍しくまともだな」
「そういう話がしたかったんじゃないのぉ?」
「それはそうだが……」
アリスティードにまじまじと見つめられ、ルフェーヴルは少し嫌そうに身を引いた。
「もしかして、お前、本当はそれなりにまともなのに、そうじゃないふりをしてるのか?」
「さあねぇ、オレのことはどうでもいいでしょぉ」
それ以上追及されるのが面倒でルフェーヴルは手を振り、カップの中身を飲む。
そして、カップを空にすると絨毯の上へ置いた。
「とにかく、アリスティードは側近達にもうちょ〜っと寄りかかってみたらぁ? あと戦争も、大勢の国民を守るためなんでしょ? 十を惜しんで千を失ってたらあっという間に国が滅ぶよぉ」
アリスティードが思案している顔で、自身の持つカップを見つめた。
「……ロイドとも話してみる」
「そのほうがいいよぉ」
ルフェーヴルは絨毯から立ち上がった。
「じゃ、オレはそろそろ休むからぁ」
「もう戻るのか? ……いや、そうだな、お前がいるとロイドは気を抜けないか」
「そぉそぉ、主君と家臣じゃなくて、トモダチ同士と思って話してみなよぉ」
「ああ、そうしよう。付き合ってくれてありがとうな」
アリスティードの言葉にルフェーヴルは背を向け、片手をひらりと振って、王太子用の天幕を後にした。
ルフェーヴル用の天幕に戻り、転移魔法を発動させる。
「ただいまぁ、リュシー」
離宮のリュシエンヌに当てがわれた寝室へ転移で移動すれば、ベッドの上でゴロゴロしていたらしいリュシエンヌが起き上がる。
「おかえり、ルル」
ベッドに腰掛け、座っているリュシエンヌの額に口付ける。
リュシエンヌが「あれ?」と目を瞬かせた。
「もしかしてお酒飲んだ?」
「うん、アリスティードとちょ〜っとねぇ」
「いいなあ、わたしもお兄様と一緒にお酒飲んでみたい」
「リュシーは酒癖良くないからなぁ」
絡み酒というほどではないが、酒を飲むとベッタリになるし、かなり酔うと泣くし、甘えたになる。
そんなリュシエンヌの姿は、たとえアリスティードであろうとも見せたくない。ルフェーヴルさえ知っていればいい。
ベッドの上をもそもそと動いてリュシエンヌが抱き着いてくる。
「ルルとお兄様が一緒にお酒を飲むなんて珍しいね?」
「明日は開戦日だからねぇ、さすがのアリスティードも弱気になってたみたぁい」
「……そっか、不安だよね」
ギュッとリュシエンヌの腕に力がこもる。
ルフェーヴルはリュシエンヌを安心させるために抱き締め返した。
「大丈夫だよぉ。オレもアリスティードも、基本は後方にいるんだしぃ、もし何かあってもオレのスキルと転移魔法があればなんとかなるってぇ」
「うん……」
「まあ、どっかで武勲を立てるために戦うことになるだろうけどぉ、ちゃんと毎晩戻ってくるから心配しないでよぉ」
見上げてくるリュシエンヌに口付ける。
アリスティードに言った通り、リュシエンヌ以外はどうでもいいが、リュシエンヌのためならばどんな状況になろうとも必ず帰ってくるという決意はある。
唇が離れるとリュシエンヌが小さく笑った。
「お酒の味がする」
ふふ、とおかしそうに、けれど少し照れたふうに笑うリュシエンヌが愛おしい。
「……お兄様、大丈夫そう?」
「アルテミシア公爵令息とも話すよう言っておいたよぉ。アリスティードは王になるために努力してるし、人を率いる力もあるけど、もっと周りを頼ればいいのにねぇ」
「お兄様は大抵のことは自分で出来ちゃうから、誰かに頼るのが苦手なのかも」
「変なところで不器用だよねぇ」
ルフェーヴルの言葉にリュシエンヌが苦笑する。
「お兄様は頼られることが多そうだしね」
寄りかかってくるリュシエンヌの頭を撫でてやる。
「でも、今回の件でアリスティードも他人に頼ることを覚えるんじゃなぁい? 完璧な国王より、周りにちょ〜っと支えてもらってるほうが人間味があって好かれるでしょ。アルテミシア公爵令息も喜びそうだしぃ?」
「確かに。ロイド様はお兄様に頼られたら喜ぶね」
リュシエンヌが顔を上げた。
「ルル、ありがとう」
「何が〜?」
「お兄様に助言をしてくれて、かな? きっとお兄様もルルのことを家族だと思ってるから、気を許した相手だから、そういうことを話したんだと思うの」
そう言われると、なんだかくすぐったい気持ちになる。
ルフェーヴルはアリスティードのことを信用はしているし、リュシエンヌに関することについては絶対的な味方だと断言も出来る。
だが、家族と言われると少し落ち着かない気分だった。
リュシエンヌも結婚したのだから家族ではあるのだけれど、感覚としては家族と言うより夫婦なので、どこか違う。
「……家族かぁ」
それは、ルフェーヴルとは縁遠い言葉だと思っていた。
しかし不思議と悪い気はしない言葉であった。
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